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前話から投稿しています。
「オルト夫人、ヘレンお嬢様は、どちらにいらっしゃるのですか?」
「……マリ、貴女はそれを聞いてどうするの?」
マリは、少しだけましになった顔色で必死にサブリナに詰め寄っていた。
「そんなの! 私はお嬢様に一生お仕えすると心に決めているのです。どちらにいらっしゃろうとも、私はヘレンお嬢様のお傍にいたいのです」
「……マリ…」
「私は、幼きヘレンお嬢様によって、救われました。物理的ではございませんが、それでも、お嬢様に一生お仕えすると、決めているのです」
「それをヘレン様がお望みでなくても?」
「っ……今の、ままでは、終われません…! 私は、ヘレンお嬢様とお別れすらしていないのに…!!」
サブリナは、ぼろぼろになりながらもただ一人と決めた主人を追いかけ続けるマリに、僅かながらに憐みを覚えた。ヘレンは、勢いのまま出てきたと言っていた。あの時、ロドリゲスに話をしたと言っていたが、マリのことは口にしなかった。
あの時に聞くことが出来ればよかったのだろうが、ぼろぼろな状態のヘレンに問うことを、サブリナは出来なかった。
「……お別れすらしていない、ということは、お別れする覚悟はあるということ?」
「っ………」
サブリナは、一番重要なことを再度確認した。エルサからの手紙では、ヘレンはカロリアンで心穏やかに暮らしていることがわかる。出来るだけそれを長く続けてほしいと思ってしまうのは罪だろうか。
しかしそれくらい、サブリナはヘレンに対して愛情を持っていた。
「マリ、答えなさい。貴女は、ヘレン様を一生の主人にすると決めたと言っていたわ。でも、ヘレン様が貴女を必要ないと言って、受け入れられるの?」
「そ、れ…は…」
厳しいように聞こえるが、必要な覚悟だ。もしヘレンがマリを受け入れると言ったとしても、今のヘレンには何もない。マリを住まわせるだけの金も、立場も。そのことも、マリは理解しなければならない。
「仮にヘレン様が貴女を受け入れたとしても、雇う余裕がなければお仕えすることもできないわね。そのことを理解している?」
「………」
沈黙し、俯いたマリの肩に、サブリナは手を置いた。
「マリ、今の貴女は自分の願いだけを叶えようとしているわ。ヘレン様のことを考慮していない。断られることを、想定していないわね? 今の貴女に教えることは出来ないわ…。とりあえず、少しここに滞在しなさい。そして、ゆっくり考えることが、今の貴女に必要よ」
「オルト、ふじん……」
「…貴女が悪いというわけではないわ。でもね、ヘレン様も追い詰められていたということを、理解しないと駄目よ」
「それはわかって―――!」
「いいえ、わかっていないわ。だって、貴女は待てずに追いかけたのでしょう? マイヤー家にお仕えしたまま、私に問うことも出来たはず。なのに貴女は仕事すらも辞めて、追いかけた。ヘレン様がそれを知ったらどう思われるか、考えた?」
「!!」
「ヘレン様はきっと、自分の所為だと責めるでしょうね。自分がちゃんとしていなかったから、マリが仕事を辞めてまで追いかけてしまった、と」
「そ、そんなつもりじゃ…!」
「そうかもしれないわね。でも、そう見えることもあるのよ」
「―――そ、んな……ただ、私は、お嬢様が心配で…」
茫然とするマリの肩を抱き、サブリナは部屋へ戻らせるべく歩きはじめる。
「そうね、それは分かるわ。でも、貴女は自分のことを少しは考えなさい。ヘレン様は貴女の親でもなんでもないのよ。自分よりも年下の女の子に、自分の人生全てかけて、相手が潰れてしまうと考えてみなさい? 確かにヘレン様はその御歳にしてはしっかりとしているわ。でも、誰にもヘレン様の苦悩を理解できなかった。だから、ヘレン様は逃げたとは考えなかった?」
「も、もちろんっ、ですから、そのお嬢様をお支えするために―――!」
「それが、重荷になるとは、考えられない?」
「―――え?」
「貴女のその無垢なまでの献身ですら、ヘレン様にとっては重荷であった、だから、貴女に何も告げずに去った。事実は異なるかもしれないけれど、そう考えることはしなかったの?」
「そ……ん、な…だって、わたしは、ずっと……っ!!」
ガタガタと震えはじめるマリの頬を、サブリナは打った。自分の意見を、ヘレンの意見と取り違えているから。
「人の話をちゃんと聞きなさい。私は、あくまでも意見の一つとしてしか話していないわ。それはヘレン様に聞かないと分からないことよ。でも、今の貴女にはそれを言われても受け入れる覚悟が必要なの、理解できる?」
「………」
「…マリ、ゆっくり考えなさい。今の貴女には、時間と考えることが必要よ」
「……はい」
サブリナはマリを部屋へ連れていき、ベッドへ座らせるとその部屋を後にした。
「……本当に、ままならないわね」
マリは、ヘレンを大切にしている。きっとヘレンも同じように大切に思っていたのだろう。しかし家を出たヘレンには、マリの面倒を見ることはできない。だから、置いて行ったのではないかとサブリナは思っている。…あくまでも、想像でしかないが。もしかしたら本当に、マリの存在すら忘れてしまうほど、追い詰められていたのかもしれない。
だが一つだけわかるのは、今の彼女たちを会わせるのは良くない。
サブリナは、そのことを認めた手紙を書くべく、自室へと戻った。
******
うわあぁぁぁぁ、と屋敷のどこからか子供が泣く声が響く。その声を聞いたドナルドは、頭を抱えながら目を固く瞑った。
どうして、こんなことに。
「ご当主様、アンドレアス様の家庭教師は、私では力不足でございます」
アンドレアスの家庭教師の一人、剣術を教えてくれる先生の一人が、そう口火を切った。ロドリゲスの助言を得て、アンドレアスには貴族出身のものを家庭教師にした。
確かに、自警団のリュシアンでは怪我をさせてしまうのではないかというジャクリーヌの心配もあったので、それは間違った判断ではないと思っている。
しかし、我が子がここまで我儘に育っていることを、ドナルドは気づけなかった。
「ぱぱーーーーー!! もうやだぁあああ!!」
「アンドレアス坊ちゃん!!」
「きらいいいい!! こないでええええええ!!」
バタバタと屋敷の中を駆けまわる足音がする。ドナルドはため息をつきながら、部屋を出て足音のする方へと歩き出す。
そして見つけた大きな影と小さな影に声をかけた。
「アンドレや、何をしているんだい?」
「パパ!! もうやだ!! いじわるばっかりするーー!」
アンドレアスはドナルドの姿を認めると、パタパタと駆け寄り足元に縋りついた。ドナルドはその頭を撫でながら、家庭教師に視線をやった。
「どういうことだね?」
「……ご当主様、アンドレアス様は逃げられてばかりです。これでは、稽古をしようにもままなりません。坊ちゃんの家庭教師に、私は力不足のようです」
「……そうか。面倒をかけた。今日までの賃金はロドリゲスからもらってくれ」
「失礼いたします」
これで、何人目だろうか。ドナルドは深いため息を吐いた。
今のところ長く続いているのは、座学のグリンデルだけだ。しかしその彼も、長く続きそうにない。毎日毎日逃げ出すアンドレアスを探すのは、老骨には厳しいのだろう。
すでに何度か切り出されそうになったが、ドナルドはそれを黙殺した。しかしそれもあとどれくらい通用するのか。
「……アンドレアス、逃げてばかりでは駄目だと言っただろう?」
「っでもでも、あの先生痛いことするんだもん!!」
「…」
最初の頃、アンドレアスのその言葉を鵜呑みにして何人か剣術の家庭教師を首にした。しかし毎度毎度泣きつかれるので、一度アンドレアスの授業の様子を見て、ドナルドは自分が間違っていたことを知る。
きっと、今までの家庭教師たち誰一人として、アンドレアスに暴力を振るっていなかったのだろう。
「アンドレ、少しくらい我慢できないようでは、立派な当主になれんぞ?」
「っ…でもでも! 僕悪くないもん! 先生がひどいことするから…」
「アンドレアス、どの先生も酷いことなどしていない。我慢を覚えなければ……」
「やだやだ! 僕もがんばっているもん! なんでパパ、ひどいこと言うのっ…パパは僕が嫌いなんだ!」
「違う、違うぞ、アンドレや。だがな…」
「うそだ! だからそうやって僕を怒るんだ!」
「怒ってなどいないだろう…?」
酷い頭痛がした。どうして、こんなことになってしまったのだろうか。
「アンドレ、どうしたの…?」
「ママ!!」
騒ぎを聞きつけたのか、ジャクリーヌがやってくる。アンドレアスは自分の味方を見つけたと言わんばかりにジャクリーヌへと駆け寄った。
「ママ!! パパが怒るっ!! 僕、悪いことしてないのに!!」
「あらまぁ…どうなさったの、あなた」
「……また家庭教師が辞めた」
「また…?」
ジャクリーヌはかがんでアンドレアスに視線を合わせた。
「アンドレアス、どうして家庭教師の先生が辞めてしまったの?」
「知らない! 先生痛いことするんだもん!」
「痛いこと? どの先生がお辞めになったの?」
「剣術だ」
「……坊や、私の可愛いアンドレアス、先生は貴方の為を思ってくださっているのよ?」
「でも! 痛いのやだもん!」
「アンドレ……」
困り顔でも怒ることをしない妻に、ドナルドは後悔ばかりが押し寄せていた。
「旦那様、先ほど先生がお帰りになられました」
「ロドリゲス…」
声をかけられて振り向けば、そこには表情一つ変えないロドリゲスが立っていた。何か言われているわけではないが、何となく責められているような気がしてしまうのは、自分が間違っていることを自覚しているせいだろうか。
「……ジャクリーヌ、アンドレを頼む」
「わかりました」
ドナルドはまた新しい家庭教師を探さなければと頭を悩ませながら、執務室へと戻る。そのあとを、ロドリゲスは静かについてきた。
そして部屋に戻ったドナルドは、椅子に深く腰掛けた。
「―――あの子の言っていたことは、間違っていなかった。どうして、あの時に気づけなかったのか…」
不意に、ドナルドは独白するように漏らした。聞いているのは、ロドリゲスだけだ。
「いや、あの子は……ヘレンは言っていたのに、聞かなかったのは私たちか…」
「……」
「ロドリゲス…内心では私たちに対して失望しているんだろう?」
「…いいえ。私も同罪にございますれば」
「ヘレンは見つかったのか?」
「いいえ」
「そうか……」
もう一人の娘は、どこで何をしているのだろうか。元気にしているのだろうか。…今更、このように心配する資格など、ないのかもしれないが。
年を取ると、涙脆くなる気がする。
「………どうすれば、いいのだろうか」
叶うなら、時間が巻き戻ってくれればと切に願う。今なら、ヘレンの言うことが理解できるから。
……もちろん、巻き戻るはずもないことを理解していても、そう神に祈ってしまうドナルドだった。




