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二部5から投稿しています。
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正直に言って、ノアにはヘレンの気持ちの全てを理解することはできなかった。ノアはずっと長男で、後継ぎとして育てられていた。ヘレンのようにその存在意義を奪われることはそうそうない。
だが、もし。
もし、自分が病か何かに罹り、継げなくなったとしたら。自分はどうするのだろうか。
「……私は、大切だと…家族を大切だと言っておきながら、自分が必要されていないと知って、家族を見捨てたのです」
懺悔するように話すヘレンの涙は、灯りに反射してキラキラとしていた。青い瞳が、宝石のように輝いている。舐めたら、甘そうだと場違いなことを考えた。
「……後悔しているのか」
「こう、かい…?」
「家を捨てたこと、家族を捨てたこと。後悔しているのか」
酷い言い方だとわかっている。だが、聞かなければならないことだった。
「……わかり、ません」
「分からない?」
ノアの質問に、ヘレンは涙を零したまま不格好に微笑んだ。
「……家族を、嫌っていたのであれば、後悔はしないでしょう…。でも、嫌いではないんです。今でも、愛しているんです。でも、二度と会いたくもないとも、思ってしまうんです」
酷く、不格好な笑みだった。だが、それを好ましいとも感じたのは確かだ。
「…私には、君の気持ちは分からない。君とは性別も、生まれた国も、立場も異なる。だが、今の君を否定することも、嫌うこともない」
「ノア様…」
ノアはグラスを口元に持っていき、中身を喉に流す。カッと熱くなるが、慣れた味だ。しかしヘレンは慣れていないのだろう。目がとろりと溶け始めている。涙していることも相まって、溶けてなくなってしまいそうだ。
「……家族を恨んではいないのか?」
「うら、む…?」
「そうだ。長男が生まれることは、貴族であれば誰しも喜ぶことだが、君は、長男が生まれないとされ、厳しい教育を受けたのだろう。だが、生まれてからの両親からの処遇に、怒りを覚えなかったのか?」
「そんな…こと…」
ノアは切り込むように続けた。ヘレンが聞きたくないとでも言うように、目をうろうろとさせる。逃げ出さないだけの理性はあるようだ。
「恨むべきだろう? たとえ愛していても、愛憎という言葉があるくらいだ。憎む気持ちがあってもおかしくはない。どうしてそれを口にしない? 怖いのか? そんな自分が嫌なのか? ……あぁ、赦せないのか」
「ち、が……」
「今まで当主となるべく教育を受けた君は、そんな個人的な感情で家族を嫌うことが悪だと思っているのか?」
「やめ…」
「それとも、そういったことをされても家族を愛する自分が、好き…いや、そうでなければ赦せないのか?」
ヘレンが怒りからか、顔をさらに赤くさせる。ノアはそれを気にせずに続ける。
「あぁ、そうか。君は、家族の為に自己犠牲をする自分が―――」
「違う!!」
ヘレンが勢いよく立ち上がった。ノアはそれを冷静な目で見る。
「違う!! わたし、私は! 本当に、家族が大切で…!」
「本当に? それなら逃げなかっただろう? ヘレン、君は自分を、選んだんだ」
「―――!!」
ノアは言い切った。それが本当かどうか分からない。だが、今のヘレンには十分な言葉だろう。
「……ヘレン、良く考えろ。思考を止めるな。……なぜ、逃げたのか。どうして、居場所がないと思ったのか」
「……いや」
「逃げたことで、何を得ようとした?」
「あ……」
「何が欲しかった?」
ヘレンは立ち上がったまま茫然としていた。ノアは好機と言わんばかりに立ち上がり、ヘレンの肩を掴む。そして瞳を覗き込むようにしながらゆっくりと話した。
「ヘレン、本当に、欲しいものは、何だった?」
「――――」
ヘレンは、腰が抜けたのかぽすりとソファーに沈んだ。
「……ほめて、ほしかった」
ノアはその調子と言わんばかりにヘレンにグラスを差し出す。ヘレンは迷子のようにそれを見つめ、一気に仰いだ。ヘレン用に薄めてはいるが、初めての酒であれば十分の濃さだろう。
ぷは、と息を吐いたヘレンは、俯きながら小さな声で続ける。
「がんばれば、お父様が、お母様が、ほめてくれる……だから、がんばった、のに、ほめて、くれなくて…」
「それで?」
ノアはヘレンの言葉を聞きながら自身のグラスを手にする。
「たりないのか、と、おもって、でも、がんばっても、ほめて、くれなくて…アンドレアス、が、生まれて……」
酔いに任せているのだろう。ノアはそれを静かに飲みながら聞いていた。
「うれしかった、けど、わたしが、がんばった…いままでは、何だったんだろ…」
「……それで」
「どうしていいか、わからなくて、そうしたら、何も、考えられなくなって……、家に戻っても、おとうさまは、わたしのことを、かんがえてくれなくて」
泣いている様子はない。ただ、ヘレンの中で事実を確認しているのだろう。
「かれんも、わかってくれなくて……わたし、そんなに、いけないことを、した…?」
茫然とした声音のヘレンの様子が、少しずつ変わる。
「わたし、そんなにだめだった…!? なにが、いけなかったの!? おとうさまもおかあさまも、わたしをほめてくれない! みてくれない! はれものみたい! かれんだって、わかってくれるとおもったのに!! どうしてわかってくれないの!!」
悲鳴のような叫びを、ノアは黙って聞いていた。これが本当の目的だったから。
「あれだけ、あれだけがんばれっていって、がんばらせたのに!! どうしていまになって……!」
「―――今になって?」
「っ―――!! わたしを、すてるの!!」
それは、ヘレンがずっと感じながらも見て見ぬふりをしていた本音だった。ロドリゲスは家を捨てるのかと問うたけれど、実際はヘレンが棄てられたのだ。頑張らせるだけ頑張らせておきながら、要らなくなった途端に掌を返すようにしたのは、あちらだ。
でも、ヘレンはその想いに蓋をした。
かつて、マイヤー家の当主となるべく育てられた自分が、そのような考えを持ってはいけない、そう思って。
だから、家のためと言いながら自分を守ろうとした。もし、アンドレアスを変えることができたのであれば、あの家に本当に必要なのが自分だと、両親も理解してくれるだろうと、そう考えた。
でも、違った。
どれだけ頑張ろうとも、あの家は自分を認めない。あの家にいては、自分という個人を求められることはない。
それに気付いたとき、どうしてと思った。
どうして、ここまでして自分が頑張らなくてはいけないのだろうと。どうして、ここまでしなければならないのだろうと。
恨む? 憎む? そんなの決まっている。
自分の人生を勝手に決めておきながら、いきなり自由にした両親を。餌の取り方を知らないまま、自由にされた生き物は、自由になってしまえば生きていけない。
「っ……きらい、よ、あの家も、わたしも……!」
もっと自分が強ければ、こんな感情を知らずに生きていけたのだろうか。もっと強かであれば、知ってなお、生きていけたのだろうか。
目の前の男を睨むように見る。不敬に当たる行為だが、酔ったヘレンはそれに気を配ることはできなかった。彼さえ、指摘しなければ。ヘレンは自分の胸の内にある醜い感情に気づくこともなかったというのに。しかし、目の前の男―――ノアは、薄く微笑みを浮かべた。
「それでいい」
「……え?」
ノアはグラスに新たな酒を注ぐ。あまり注意してみていなかったが、結構な酒量ではないだろうか。
「憎んでもいい。嫌ってもいい。だが、己の内にある感情を無きものにしようとするな。それとて、君にとって必要な感情だ」
「……どういう」
意味かと問おうとするヘレンに、ノアは静かな声音で続ける。
「母の受け売りだがな…。人は、他人と関わる以上、どうしたって好意だけではすまない。だが、そこから先が大切だと。嫌ってしまうのは仕方のないこと、だが、どうして嫌うのか。憎むのか。なぜそう考えるのか。それを無かったものとする者に、成長はない、と」
「なかった、ものに……?」
「あぁ。人間なんて、所詮俗世に塗れ綺麗ごとだけでは済まない。だが、大切なのは、そういった感情があるということを認めることだ、と」
「みと、める」
ノアは酒を口にする。それに倣うように、ヘレンも酒を口に含んだ。くらりと、頭が回る。
「嫌いな人間、憎い人間? 結構。だが、そういった人はいませんという人間は、いずれそういう人間がいるという事実を認められずに潰れる。いて何が悪い? 君が誰かを苦手や嫌いと感じるように、相手も感じている。ヘレン、大切なのは、そういった感情を自分だけでなく相手も持っているということ。君が人を愛するように、その相手も誰かを愛しているということを認識することだ」
ヘレンはうまく回らない頭で必死に考えた。
「誰かを嫌いになること、憎むことは罪ではない。それが人だからだ。それをちゃんと認めないで逃げることは、罪にはならないが、いずれ躓く要因になる。……言っている意味はわかるか?」
「…つまり、私が、両親や妹を、恨む気持ちはつみでは、ない…?」
「そうだ。家族でも性格や考え方は異なる。合わない人だっている」
「でも、それを、認めないのは、よくない…?」
「あぁ。君は何度も家族を大切に思っているというが、そんな状況に追い込まれてまで何も感じないというのは問題だ。大切に思っているからこそ、そう扱われるのが辛いと言われるほうがまだマシだな」
「……わたしが、あの家に、おこることは、わるく、ない…?」
「全くもって悪くない。それで罪を犯さなければな」
「―――」
止まったはずの涙が、流れていくのがわかった。
本当は、怒り狂いたかった。どうして、どうしてこんなことができるのだと。どうして分かってくれないのかと。嫌われてもいい?そんなはずない。好かれている相手に嫌われることを喜ぶ性癖は、ヘレンにはない。
自分の時はあんなに厳しかったのに、アンドレアスには甘すぎる両親が嫌いだった。相談すればよかったのにと簡単に言うカレンが嫌いだった。甘やかされているのを当然とするアンドレアスが、憎かった。
――――そして、どうしようもなく、愛しかった。
「~~~っふぅっ…」
嫌いなのに、好きなのだ。愛しているのに、憎いのだ。
こんな感情が自分にあるだなんて、ヘレンは知りもしなかった。いつだってお手本となるようにと生きてきた自分に、こんな感情があるだなんて、認めたくなかった。
でも、確かにあるのだ。ヘレンの中に。
その夜、ヘレンは泣いた。自分が綺麗なだけの人間ではないことを知って。
そして、それが赦されたような気がして。




