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未成年の飲酒・喫煙を推奨するものではございません。
一部内容を変更しました。
「どうだい、ノア」
「母上」
「すまないね、今も少しだけ顔を見に来ただけなんだ。これから城に呼ばれていてね」
「こちらは問題ないのですから、そのまま向かえばいいのに」
「そんな寂しいことを言ってくれるな。子供たちに会うのが私の生きがいなのに」
「まぁ、ターニャとエメリオが喜びますけどね」
父、ザクセンが亡くなったとき、母エルサは憔悴しきっていた。女傑という言葉が思い浮かばないほどに。当時、エメリオはまだ一歳になったばかり。自分は十四歳だった。突然いなくなった父の存在に戸惑い、母を酷く困らせたのは黒歴史だ。
そんな時に色々と手助けをしてくれたのがサブリナだった。国が違うというのに、サブリナは旦那を国に置いてエルサを助けた。だからサブリナには恩義を感じているのだろう。
それから自分たち子供の為に必死になって生きてきた母の過去を、ノアは知っている。だから、母を本当に尊敬しているのだ。
「それで、ヘレンはどうだい?」
「あぁ…よくやってくれていますよ」
母に言われて、ノアはヘレンの姿を思い浮かべる。自分で言うのもなんだが、ノアは独身の貴族令嬢からすれば好物件だ。見目も悪くなく、家柄もしっかりとしている。しかしそんなノアに対して、ヘレンは一度も媚を売るような真似をしなかった。
それだけと言えばそうだが、それはノアのヘレンに対する印象を良くしていた。
「能力はどうだい?」
「悪くないです。まぁ、まだ現場で通用するとは言えませんが、経験をさせれば問題ないくらいですね」
「そうか……。いやね、サブリナから手紙が来ていてね。ヘレンがしっかりやっているかって」
「それならば、問題ないですよ。ターニャとエメリオともいい関係を築いているみたいですし」
「そう」
「……母上、母上はヘレンをどうするおつもりですか?」
「どうする、とは?」
ノアにはいまいち自分の母の考えがわからなかった。カロリアンにおいて、実力がある者が比較的に採用されやすいというものはある。だが、それはあくまでもカロリアンの国民の話だ。他国民を簡単に採用していては、自国民からの反発が出る。方法としては、カロリアンで背後のしっかりとした支援者の元、五年間カロリアンにて働き、実績を残した者はカロリアンに国籍を移せる。
しかし、母の様子を見ているとそれをさせようとしているのではないと何となく思ったのだ。
「……まぁ、ノアはヘレンを部下として扱ってくれればいいよ」
「母上」
「はぁ……。ノア、ヘレンは非常に難しい扱いの女の子だ。バーゲンムートにおいては貴族令嬢の彼女が、国を出るということがどういうことか、分かるだろう?」
「まぁ、それは」
それはノアも理解していることだった。ヘレンには、後がない。バーゲンムートを出るということは、そういうことだ。
「ま、個人としてはこの国で誰かいい人を見つけてくれればと思っているんだがな」
「? 今なんと?」
「いいや、何でもない」
ノアは母の零した言葉を聞きのがすも、気にしないことにした。母には母の考えがあるのだろう。
「とりあえず、今のまま仕事の手伝いをしてもらっていていいということですね?」
「あぁ、それで構わない」
するとタイミングよくトンクスが時間です、と知らせにやってきた。
「そういえば、ヘレンと個人的に話す機会は作ったのかい?」
「あぁ…晩酌に付き合ってほしいと言っていたんですけど、色々あってまだできてませんね」
「そうか…。今日は?」
「……急ぎのものは終えたので、出来るかと」
「ならいい。お前も色々と聞きたいことがあるだろう。イクスに手配させるから、しっかりと話をしてみるといい」
「はい」
確かに急ぎのものはないが、仕事はある。しかし母にそう言われてしまえば、ノアに否やを言うことはできない。ノアは母にバレないように小さくため息をついた。
*****
「―――ノア様。ヘレンです、失礼してもよろしいでしょうか…」
ノアとエルサが話をしたその夜、ヘレンはノアに晩酌に付き合うようにとイクスから言付けをもらった。一度その話をもらったが、結局ノアの仕事が忙しいということもあって流れていたのだ。正直、社交辞令だと思っていたヘレンは、本当に付き合うのだと驚きつつも了承した。
「あぁ、入ってくれ」
「…失礼いたします」
そこは、ノアの私室の隣にある応接室だった。流石に、未婚の男女が私室にいるのはよくない。その配慮に、ヘレンは感謝した。
「まぁ明日も仕事があるからそんなに時間はとれない」
「はい、わかりました」
ノアは予め使用人に頼んでいたのか、応接室には琥珀色の液体が入っているボトル、グラスに軽食が用意されていた。
「酒を飲んだことは?」
「ないです」
「そうか…」
ノアはそう言うと、自分のにはそのまま注ぎ、ヘレンのグラスには水を足した。視線で座るように促され、ヘレンは備え付けのソファーに腰かける。そして差し出されたグラスを礼を言いながら受け取った。
「乾杯」
チン、とグラス同士が鳴る。ヘレンは少しだけ臭いを嗅ぎ、ちびりとそれを呑んだ。
「っ……!」
「ん? 強かったか?」
「っ、けほ、す、少し…?」
強いというのが何なのか分からなかったが、ヘレンはこくりと頷いた。喉が一瞬で熱くなった。食道を通っていくのがわかる。一瞬で顔が熱を持ち、くらくらとする。
「すまない、もう少し水を足しておこう」
「はい」
ノアはヘレンからグラスを受け取ると、自分のグラスに半分ほど注いでから水を足してヘレンに渡した。先ほどよりも琥珀色は薄まり、若干色がついているくらいだ。
もう一度それを口に含むと、先ほどよりも飲みやすく感じた。
「……本来なら果実酒などを用意すべきなんだが、すまない、今用意がなくてな」
「いいえ、かまい、ません」
「まぁ、酒にはある程度慣れておいたほうがいい。自分の限界を知るのも必要なことだ」
「はい、お気遣い、いただき、ありがとうございます」
ヘレンはちびりとまたそれを飲み、ノアをちらりと伺うように見た。彼は自分よりも数倍の濃さで飲んでいるはずだが、まるで水のように飲んでいる。きっと強いのだろう。
「……君のことは、母上とサブリナ夫人から聞いている」
「はい」
「バーゲンムートで女領主になるべく、五歳から教育が始まる。妹カレンも同じように始まるも、内容は全く異なる。試験の過去問題で優秀な成績を収めるも、長男が生まれたことにより不要となる。そして病を発症し、二年間祖母である前伯爵夫人の元へ身を寄せる。そして戻った先で、何があったんだ?」
「……」
「伯爵たちが君に対して罪悪感やらなんやらを持ち、放置気味であったこと。それと長男への教育の甘さを嘆いたことは知っている。だが、なぜそのタイミングで家を出ることを決意したんだ?」
「…それは」
ノアは酒を仰ぎ、また新たにグラスに注ぐ。その様子に、ヘレンは話さなければならないのか、と思いつつも少しずつ話し始めた。
いつものヘレンであれば、言葉を選びながら話したことであろう。しかし、初めての酒の入ったヘレンの体は、本人も予想していないくらいに幼いものだった。
「……そもそも、お婆様の傍から離れたのも、急な、ことでした」
「ふぅん? 本当であればもっと長く滞在している予定だったのか?」
「はい…。お婆様と、イライアス様は、もっといたほうがいいと、言ってくれました」
「イライアス…あぁ、リンデンベルグ、だったか。それで、どうして出ることを決意した?」
「……い」
「い?」
ヘレンは当時のことを思い出して、塞がったと思った傷が開くのを感じた。じくり、と痛む。それと同時に、目頭が熱くなった。
息を一瞬止め、何とかやり過ごす。
「……あの当時、イライアス様は私に対してとても、良くしてくださいました……」
「……」
ノアが無言のまま、先を促す。
「そんな彼に、私は、あわ、い、想いを、いだき、ました」
そう、淡い想いだ。もう、過去の話だ。本当ならば、言わなくてもいい話。しかし、ヘレンは何故かそれを止められなかった。
「でも、彼、は、贖罪で、私に、優しくしてくれた、だけでした」
「贖罪?」
ヘレンは頷くことも出来ず、ただたた顔を俯かせたまま手に持ったグラスを見つめた。
「……イライアス様の、かつての想い人が、私と同じような状況になり、そして亡くなられたそうです」
「……それで?」
「っ…私は、贖罪から、優しくしてもらったのだと知り、その場にいることが辛くて、逃げました……」
そうだ。自分は、それを彼に問うことなく逃げた。想いを告げることすらできないまま。ヘレンは一気に話し始めた。目から涙が零れているのが分かって、顔を伏せたまま。
「馬鹿でしょう。私はイライアス様が少しでも私を好いてくださっていると勘違いしたのです。でも、そんなことは欠片もないと知って、悲しくなって家に戻りました。でも、家に戻ったら戻ったで、両親はアンドレアスを甘やかしていました。それでは駄目だと思い、かつての家庭教師であった方々に連絡を取り、教育方針を考えていたのです」
そう、まるでそれだけを考えるように。それ以外、考えなくてもいいように。
「そんな時、カレンの婚約者候補であるアレックス様に会いました。でも、あの人の視線が何かおかしくて、私は個人的に人を頼り、調べました。彼が女性関係に関して問題があると知り、カレンにそれを伝えようとしたのに、カレンは私を信じてくれなかった…。イライアス様がお婆様に頼まれて家に来ていましたが、私以外の家族と仲良くなっていて、それに、もう頼りたくなくて、何も言えなかった」
ヘレンは、自意識過剰だった。自分が言えば、カレンが信じてくれると思っていた。自分がしっかりすれば、両親はいずれ理解を示してくれると本気で思っていた。
「あの人は、カレンと私を引き取ると言った…どうして、そんな最低なことが、言えるのか、分からなかった…。
でも、分かったのは、あの、家に…マイヤー家に、私が必要ないということ…」
そう。いくら言っても、誰も、ヘレンのことを見てくれなかった。かつて必要とされていると信じていた自分が、がらがらと崩れていった。
「……私は、逃げました」
ヘレンはようやくそこで、ノアの顔を見た。涙がぼろぼろと零れ、みっともないとわかっていても。
「私はあの家に必要とされていない。もう、全てが嫌に、なりました。苦しかった、悲しかった、怖かった、どうしていいのか分かりませんでした」
ノアはヘレンを見つめている。はちみつ色の瞳が色濃く、滴り落ちそうな色をしている。
「ノア様……私は、家族を捨てて、自分を、選びました」
ヘレンの独白のようなそれに、ノアは目を細めた。




