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Spica

「ほら、手上げて―――そう、熱くないから大丈夫よ。次は左ね。同じ様に手を上げてね」



 宿屋の一室にて、シフィーが獣人の女の体を湯で洗う。

 人肌程度に温めた湯でタオルを濡らし、体を順番に拭き―――道具としての整備の一環か、体はどうにかして現れていた様でそれ程汚れている訳ではなかった。


 だが、精々二十代の体には見合わぬ深い傷跡がいくつも見える―――ねじれた傷跡、切り傷の跡、雑な処置の痕跡。

 一眼で彼女の居た環境の悲惨さが見て取れるその体は、痛々しく目を背けたくなるものであった。



「ねえ貴女、名前ないのよね? 人にはなんで呼ばれていたの?」


「さっ……三十六番………………私の識別番号………………」


「そう、識別番号ね………………じゃあ、貴女の名前私がつけてもいい?」


「………………ええ」



 途絶え途絶え、抑揚の無い無機質な声だ。

 シフィーは女の髪を少量手に取り―――窓より、もうすっかり暗くなった夜空と照らし合わせる。


 女の暗く青みがかった髪は陽の沈んだ空と同色。

 静に物言わず、されどよう人々が目を向けたくなる様な美しさのある星々と女は、どこか似ていた。



「………………スピカ。貴女は今日からスピカと名乗るのよ」


「…………スピカ………………?」


「ええ、夜空に浮かぶ美しい星の名よ。貴女にピッタリだと思うの」



 体を洗い終えると、女―――改め、スピカの身にタオルを巻いてやり、正座した自分の足を枕にして寝かせ。

 撫でる様に、長い髪を洗ってやる。



「暖かい………………」


「これぐらい、いつでもやってあげるわ。その為にも私が必ず――――――」



 貴女の古巣を討つ―――そう言い終えるより先に、スピカは静かな寝息を上げ始めた。

 シフィーは言葉を中断すると、洗髪の続きをしてやってから服を着せ、ベッドまで運び。

 そのタイミングで、部屋の外から足音が聞こえた。



「どうぞ入って」


「まだノックもしてません事よ―――着替え一式、買って来ましたわ」


「ありがとう。でももう寝てしまったから、着替えは明日にしましょう」


「分かりましたわ。シフィーさん? 夕食はもうお食べになられて?」


「まだね。ミリスは?」


「まだだと思いまして、(わたくし )もまだですの。さっき下で軽食と、消化に良いスープを頼んで来ましたわ―――けど、この様子じゃあ無理ですわね」


「私達で食べてしまいましょう」



 スピカは翌日目を覚ますと、警戒しながらもスープを飲んで、また眠った。

 再び目覚めた後は食事と睡眠のおかげか緊張が解け始め、スピカと名を呼べば振り返る様に。


 こうしてシフィーとミリスにスピカの加わった新生活は、順調な滑り出しを果たした。




 ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘ ⌘




「ジュエリーちゃん係! ジュエリーさん係を出せ!」



 冒険者ギルドにて、ジュエリーが頓珍漢な事を叫んでいた。

 その姿はボロボロの衣服にひび割れたメガネと普段の彼女とは大きく違い。

 だが、相変わらず体には傷一つ見当たらなかった。



「はいはいジュエリーちゃん係ですよ。その名前、恥ずかしいから大声で連呼するの辞めてくれませんかね…………」


「恥ずかしいじゃとぉ?! この儂の係じゃぞ、恥ずかしいわけがあるか!」



 ジュエリーちゃん係―――それは、世界各地で問題を起こすジュエリーの為全冒険者ギルド支部に配置されたジュエリーの対応を任された職員の事。


 ここミレニアム支部では、冒険者ギルド本登録試験官でもあるシェリンがその不幸に見舞われている。



「で、今日は何のご用件で…………? あんまり胃が痛くなる様な事は………………」


「そう気負うな。テメェさんの心労にはならんよ」


「ホントに…………?」


「ホントにじゃ」


「ホントのホントに………………?」


「ホントにホントにじゃ」


「では…………どうぞ………………」

 

「地図書き換えの申請をじゃな」


「また私を騙したッ!!!」



 シェリンの悲痛な叫び声に、ギルド中の皆が一斉に憐れみの視線を向ける。

 彼にとってこの程度は日常茶飯事―――だが、日常茶飯事であってもなお慣れず、胃に穴の開く思いだ。



「私に心労かけないって言ったじゃないですか!」


「おーおー儂を嘘つき扱いか。儂が心労かけるのは公務員の奴ら、テメェさんとは違うじゃろう」


「それを報告するのも、怒られるのも、私ですよッ!」



 ジュエリーの胸ぐらを掴み、前後に激しく揺すり猛抗議―――心労絶えぬ人間ではあるものの、ジュエリーに対してコレが出来る人間は他に居ない。


 これこそが、シェリンがジュエリーちゃん係に任命された由来である。



「ホンっトにジュエリーさん、勘弁してくださいよ〜!!!」


「儂のせいじゃないんじゃけどもなぁ」


「…………じゃあ、誰のせいだって言うんですか………………」


「アイツじゃよ―――前に儂が本登録試験やった、シフィー・シルルフル」


「え? シェリーさんですか…………? 試験室の記録を見た感じですと、私でも勝てそうなぐらいでしたが………………」


「アレは野外向きじゃな―――広域に出れば化けるわい。儂も歯が立たん」


「………………今日、早退していいですか?」


「いかんわボケ」



 帰ろうとしたシェリンの首根っこを捉え、笑顔で引き戻し。

 力尽くでその場に座らせようとするが、それだけは何とか踏ん張りシェリンは立った。



「外でジュエリーさん以上って、誰以来ですか………………」


「アドミニストレータ以来じゃな。使う技も似ておるし、儂火力馬鹿苦手なんじゃよ」


「苦手って、どのレベルからですか…………」


「地形破壊」


「それを苦手と呼ばないでくださいよ! 全く…………ぶっ殺しますよ………………」


「出来んじゃろ?」


「頑張れば、一回ぐらいいけますよ………………」


「試すか?」


「さてジュエリーさん、本題に戻りましょう」



 安全な方向へと舵を切り。

 命と胃を天秤にかけ、胃を優先した。



「地図の書き換え範囲を纏めましょう……………こちら、現在発行されているものです。範囲を円で囲んでください」


「そうじゃな…………大体、こんなもんじゃ」



 言うと、ジュエリーは山三つ程を円で囲んだ。

 その瞬間気を失ったシェリンは、三日間病院のベッドで眠りうなされた。


 目覚め、夢で見た山三つが消える光景が現実だと思い出してもう一度倒れ。


 結局は、四日間を丸々寝て過ごす事となった。

やっと更新出来た!


(更新状況とか)

@QkVI9tm2r3NG9we(作者Twitter)

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