敗北の司馬懿と孔明
司馬懿は実の母親を人質に取られ、実の弟、更には自分が取り立てた者と戦う事になった。
「くっ……ある程度予想はしていたが、まさか堂々とここまでするとは」
そういう司馬懿に諸葛亮が言った。
「仲達よ、ここは私に任せて下がりなさい。
今の貴方ではまともに戦えぬでしょう」
「それは……たしかに」
「あなたが家族思いであることはよく存じているつもりだ。
そしてむざむざ母親を見殺しにしたとすれば貴方の名も落ちましょう」
儒教ではただの殺人罪よりも親などの目上の者に対する尊属殺人罪は遥かに重いものとされ、子供などの目下の者への卑属殺については処罰が軽減される。
儒教の考えでは「孝」という親への感謝と敬愛、礼節を説くのは当然とされ、母親を見捨てるという行為は道義的には許されぬものであった。
子供に対してすら愛情の強い司馬懿が母親を抑えられ動揺しても仕方のないところである。
「………すまぬ」
司馬懿は諸葛亮の言葉に従うことにした。
そしてなんのしがらみもない相手であればともかく、実の弟と戦うというのは司馬懿にとってはやはり気が重いし、もともとの魏の兵であった自分たちの部下が曹叡の前でまともに戦えるかどうかも怪しい。
だが函谷関周辺の道は狭い、司馬懿が後退しようとしても後ろにそれを伝えるのは難しく、簡単には行かなかった。
「それ、追い打ちをかけよ」
一方の曹叡には司馬懿やその配下の将官兵士への情はない。
彼にとっては裏切ったものはただの敵であり排除するべき存在であった。
そこへ孔明が大声で告げる。
「漢王朝を簒奪した偽帝よ!
度重なる飢饉にさいして民は食べるものが無く、自分の妻子交換し子供を食う者まで現れたと聞く」
「それがどうした?」
「しかし、民に施しを与えぬどころか、己の欲望のために宮殿の増築、改築を行い、毎晩のように開かれる宴のため民に重税や労働を課し、それゆえに恨む声は、世に満ち、河北にては袁紹の治世を懐かしがる者すらいると聞く」
「それで?」
「我が主たる天子(劉禅)は、東漢の正当なる後継である。
その才は昭烈皇帝(劉備)に似て勇敢しして英明、善良な知識人から教えを受け、統治者たるものは何をするべきかを絶えず模索しておられ、ご自分を律し、精進することこの諸葛亮も頭が下がる思いである。
「それで?」
「故に仲達は我君のもとへと来たのだ。
そして彼に対する数々の卑劣な行い、やはり貴様は天子を名乗るにふさわしくない」
それを聞いて曹叡はフットせせら笑った。
「宮殿を造営し、その権威を示すは漢の高祖も行ったことも知らぬのか?
民に対して支配者はその力を見せるだけで良い。
すなわち天子に必要ななのは圧倒的な権力と財力と暴力だ」
「そのようなことで国が治まると思うか!」
「現に収まっているではないか。
諸葛孔明、切れ者と聞くが大したことはないな。
甘い理想だけで統治ができるほど政治は単純ではない。
そもそも昭烈皇帝とやらはもとをただせばただの田舎のわらじ売ではないか。
そして呂布を我が祖父に売り、陶謙に徐州を託されながら、徐州を捨てて荊州に逃げ、劉表に後を託されながら何もせず、呉との争いに乗じて荊州を掠め取り、益州の劉璋を騙して益州を乗っ取ったが、関羽を殺されて逆上し夷陵で大敗した無能ではないのか」
「ならば赤壁で大敗した曹操こそ無能ではないか」
それに対しては曹叡がサラッと答えた。
「まあ、北を制圧し袁家を滅ぼして慢心していたのかもしれんのは事実だな。
風土の違いを考慮せず、排泄物の処理を南方に応じたものにしなかったがゆえに、疫病が蔓延し兵を引き上げたのは事実だ」
苛立ったように孔明が言った。
「やはり我らは相いれぬ!
魏軍先鋒を破り、函谷関を攻め落とすのだ!」
「おお!」
そこへ突撃を掛けてきたのは鄧艾である。
「貴様に天子の何がわかる!」
蜀を陥落させるに至った鄧艾は武の人であるように思われるが、彼は農業にも詳しく、司馬懿が寝返ったとにはそちら関係の政務を任されてもいた。
「丞相はやらせぬ!」
そういって前に出たのは姜維である。
二人は暫く打ち合ったが決着はつかず、先鋒の兵士たちも長物をふるいあったが、結局お互いに対して成果は出なかった。
司馬懿や孫礼が下ってきた勢いで函谷関を抜こうとした孔明であったが、魏の皇帝曹叡は悪辣な手段を持ってそれを阻止し、食料が不足することになった孔明たちは長安へ後退するときに大きな被害を受けたのであった。
「曹叡、やはりなんとしても打倒せねば」
諸葛亮の言葉に司馬懿はうなずいた。
「曹叡は恐ろしく頭が切れ、しかもどうすれば相手が喜ぶか、相手が苦しむかもわかっていながら他人の感情というものに理解が及ばぬ男だ」
「そのようですな。
であれば、なおさら倒さねばなりますまい」
二人は改めて魏の皇帝たる曹叡を必ずや打倒すると誓ったのであった。




