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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興12年(234年)
33/41

曹叡は己の立場に愚痴をこぼす

 この時の諸葛亮は53歳、司馬懿は55歳、孫権は52歳とこの時代では既に老境といいっていい年齢でありそれに対して曹叡は30歳と劉禅は27歳と一世代若い。


 であれば故に曹叡は諸葛亮・司馬懿・孫権などの年上な人物が老衰で死ぬのを待ち、有能とは思われない劉禅を討てば自然と勝つことができるはずである。


「と思いたいところではあるが、実際にはそうも行かぬようだ」


 彼は魏の皇帝として常に蜀や呉からの攻撃を受け、北方や西方の異民族の反乱や略奪行為に備えなければならず、高句麗や大月氏国といった周辺国の動向にも目を光らせなければならないため、そのストレスというのは尋常ではなく、更には張郃が戦死し、司馬懿や孫礼が蜀へと下ったのも痛撃であった。


 司馬懿や孫礼は間違いなく一つの方面を任せられるだけの実力を持った有能な将軍であったのである。


「かと言ってこの地位を放り投げるわけにはいかぬしな」


 彼の双肩には魏の国の民の生活がかかっているのだ。


「しかしなれど皇帝などと持ち上げられたところで皆が素直に従うわけでもなし。

 あるいはもっとも損な立場かもしれぬがな」


 そういって愚痴をこぼしてみたところでその地位を他人に押し付けることができるはずもなく、かと言ってその地位を投げ出すほどのことでもなく思え、彼は淡々と必要な情報を集めて処理判断し、臣下のものに的確な命令を下して対処を行っていた。


「報告いたします。

 後の孫権が居巣湖より上陸し合肥新城を攻撃させようとしているとのこと。

 更に陸遜、諸葛瑾らは襄陽、孫韶(そんしょう)張承(ちょうしょう)らを淮陰に進めているとのことです」


「ふむ、やはりか」


 そして征東将軍の満寵は後の大軍を前に”合肥の守備は放棄し、孫権を寿春で迎え撃つべきです”と上奏した。


 しかし曹叡はそれに対して


「昔、漢の光武帝は遠く軍を送って西方の略陽を占拠し、ここを基点にして蜀を撃ち破った。

 また、我が先帝におかれては東は合肥、南は襄陽の守りを固められ、攻めてくる敵をこれに迎えて撃ち破られた。

 それは他でもない。これらの地が双方にとって必争の地である事をよく心得ておられたからだ。

 今、孫権は新城の攻略にかかっているが、決して落とすことはできない。

 諸将に対し、断固守り抜くように命じる。

 朕も自ら軍を率いて親征するつもりである。

 だが、朕が到着する頃には孫権は恐らく退散しているに違いない」


 と満寵の撤退案を作戦を却下して合肥新城の断固防衛を命じた。


「さて、私もみずから出ねばならぬか。

 西は曹宇や夏侯覇が守りきってくれることを信じるとしよう」


 西の五丈原と共に東では合肥新城を巡って大きな闘いが起こったのであったが、曹叡は兵力の大きな呉を撃退することを優先した。

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