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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興12年(234年)
32/41

諸葛亮は五丈原へ兵を進め、曹叡は曹宇に守らせる

 年が明け建興12年(234年)後漢の最後の皇帝献帝劉協が死去した。


 これにより完全に後漢は滅んだのである。


「盛大に葬儀をとりおこなうようにせよ」


「かしこまりました」


 曹叡は葬儀をとり行わせたが、疫病が発生しそれがおおきく広まった上に、火災が起きたので、霊廟に祭り、献帝に諡号を与え、漢の礼式で葬らせ、献帝の孫である劉康にその地位は後継させた。


 そして2月に諸葛亮は公称十余万の兵を率いて漢中を出発した。


 五丈原は斜谷の出口であると共に、長安と陳倉、隴右との連絡を遮断する位置にあり、ここを抑えられると物資や軍を西に送るのがかなり難しくなる。


 曹叡は曹宇へ出撃を命じた。


「五丈原を抑えられてはそれより西への交通に不便が生じるが、無理に戦う必要はない。

 砦を堅く閉じ長期戦で相手が引くまで無理に攻撃せず撤退に追い込むようにせよ。

 おそらく呉もこの機会に乗じて動くであろうから多くの援軍は出せぬと思え」


「かしこまりました」


 諸葛亮は褒斜道を通り、二ヶ月で五丈原に到達して陣地を築いたがすでに曹宇も到着し、東側にある馬冢という高地に陣を築いていた。


 かくして五丈原の戦いが始まるのであるが、そのころ司馬懿は別働隊として動いているのであった。

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