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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興11年(233年)
31/41

孫権は合肥新城を攻めるが、満寵によって敗れる

 公孫淵との同系関係が崩壊した孫権は自力で合肥新城を攻めることにした。


「こうなれば我々で合肥を攻め落とすしかあるまい」


 呉の都である建業に近い魏の重要拠点である合肥は、孫権の喉元に突きつけられた剣のようなものであり、なんとしてでも攻略をすべき対象であった。


 しかし、満寵が上表して築城の許可を得て築城作業を開始していた合肥新城は既に完成していたのだ。


 孫権自らが合肥新城に攻め込み、全琮に合肥の西方の六安を攻めさせた。


「ふむ、巣湖から離れた場所に新たに城を築かれたとは少し面倒か?」


 孫権は始めの一月ほどは様子を見て上陸を控えていたが、魏からの攻撃もなくそのままでは食料も尽きるので上陸して合肥新城への攻撃を行おうとした。


「やはりしびれを切らして上がってきたか」


 満寵は孫権が湖から離れた場所に合肥新城を築いたことから孫権は魏が弱気になっているのではないかと決めつけ、その獲得に拘って必ず上陸してくるであろうと読んで、1万ほどの伏兵をおいてそれを待ち受け孫権が兵と共に上陸してある程度進んだところで、伏兵による奇襲をかけた。


 その結果孫権軍は千名ほどの被害を出して撤退することになる。


「おのれ……だがやはり我が国単独では勝てぬか」


 孫権は食の諸葛亮と連絡を取り来年度にタイミングを合わせての攻撃を行なうよう要請して孔明はそれに応じた。


 史実であれば孔明最後の戦いである五丈原の戦いが起ころうとしていたのである。


 さらに魏の国内では鮮卑の軻比能と歩度根が、しめしあわせて魏に背たためその討伐軍を北方に派遣しなければならなかった。

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