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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興10年(232年)
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孫権は孫慮を失い悲しみに伏せ呂壱の跋扈が始まる

 年が明け建興10年(232年)になった。


 そして年明け早々の1月、孫権の息子で彼が大変可愛がっていた孫慮(そんりょ)は、若くして敏恵で才芸があり、孫権はその器量をみとめて愛していたが、享年20で死去した。


 孫旅は230年に顧雍などの上層によって、王にする代わりに鎮軍大将軍に任じられ、231年、九江付近の半州に開府しており、まだ年が若かったため統治の力量が危ぶまれたが、彼は法を遵守し師友の言葉を重んじたため、周囲の期待以上の治績を挙げていた。


「なんということだ!

 まだまだこれからという時に」


 孫権はその死を大いに嘆き、食事も咽を通らないほどで暫くは床に伏せることになった。


 孫慮は孫登より4歳若く、孫登より10年早く死んだが、この時は慌てて孫登が武昌から建業に移動し、父を慰めて政治の停滞を防いだ。


 しかしながら孫権が孫慮に権限を与えるを渋ったのは、本心ではなく孫慮にも太子の孫登に迫るような権威を与え、これは後に孫和が太子となると皇后と王を立てるべきという意見が広がって、孫権は一度これを拒絶したが、結局は孫覇を魯王にし孫和と同じ宮殿に住まわせ両人をほぼ同等に処遇するようになり、この措置に対し批判が向けられると、孫権は居住する宮殿を別にし、それぞれに幕僚を付けさせる措置をとった。


 こうして立太子を期待する孫覇派と、廃太子を防ごうとする孫和派の対立を招き、二宮事件がおこるのである。


 孫権の晩年の明らかな失策として挙げられるものは呂壱事件と皇太子問題であるが、事の発端は孫慮登の死去にあり、孫権が暴君となる知的衰退はこれが原因である。


 ここで浮かび上がってくる人物に呂壱という人物がいる。


 孫権が期待していた優秀な息子たちが若くして死んでしまったことや皇帝になった孫権に苦言を言える張昭も死んで、孫権は呂壱を重用するようになるのだが、彼の官職は中書典校といい宮中において文書行政の監査を行う係で、この官職は政治や軍部への実権はないのだが、後漢末に宦官が幅を利かせたように、皇帝の側仕えのものが力を持ちすぎるとろくな事がない。


 呂壱は法を振りかざして厳格に適用する酷吏でありしかも、その判断は公平・公正ではなく、出世欲にかられ、有ること無いことを上奏して重要官職にある人物たちを弾劾し、些細なことでも孫権に上奏し、処罰するように要請し、さらには無実の人間をも罪を犯したとして孫権に上奏してはそういった人間を拘束させた。


 具体的には顧雍・朱拠・鄭冑・刁嘉といった家臣らが讒訴を受け囚われたが、それぞれ釈放されている。


 朱拠にかんして言えば部下の金銭トラブルから横領容疑が掛けられ、孫権から問責された上に軟禁されたが、数ヵ月後に劉助が朱拠の無罪を立証したため釈放されたのだが、孫権の娘を娶っていた朱拠ですら無実の罪を着せられた事からも、呂壱の横暴のひどさがわかる。


 さらに呂壱は専売品の売買について不正を働いて私財を溜め込んでもいた。


 さらなる問題は呂壱を孫権が信任している孫権に対して、孫登はそれを必死に諫めるが、孫権はその言葉を聞かずこれが孫登の寿命を縮める原因になったであろうし、最後は潘濬・陸遜らの説得により、孫権もやっと自分の過ちに気付くのだが、その頃にはとっくに家臣一同が孫権を信用できなくなってしまっていたのだ。


 孫慮の死は孫権にとってそれだけ大きな衝撃を与えたのであるが、50歳を過ぎたた高齢も関係していたろう。


 もともと呉は豪族の共同体でしかなく、臣下の豪族達は自己の権益の事しか考えていないことは赤壁の降伏論でもわかるが、孫権は皇帝になるべきではなかったし、臣下もさせるべきではなかったのだろう。

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