孫権は、夷州・亶州の探索を命じた衛温と諸葛直を兵をそこなったと処刑する
昨年の春に孫権に夷州・亶州の探索を命じられた衛温と諸葛直が帰国した。
「うむ、よくもどった。
で成果はどうなのだ?」
孫権がそうきくと二人は申し訳なさそうにいった。
「それが……」
「誠に申し訳ございませぬが……」
と現状を二人は話したがそれに孫権は激怒した。
「なんだと、兵をほとんど失い、亶州も発見できなかったというのか!」
夷州は発見され、そこから現地民を数千人連れ帰ることはできたが、亶州は発見することができず、さらに出立した時に与えられた兵1万の八割から九割を栄養不足や疫病で失い、衛温と諸葛直は、孫権の詔に背いて目的が果たせなかったとして、二人とも獄に繋がれた。
陸遜と全琮はもともと無謀である事がわかっていたのであるし、彼らを処罰するべきではないと主張したが、その反対を押し切って強行した孫権によって二人は誅殺された。
「この国の行く先は明るくないな……」
陸遜はそうつぶやいたが孫権の暴君化はすでにはじまっていたのだ。
なお、238年には倭の邪馬台国の女王・卑弥呼の使者が中華に訪れ、彼女は魏と結び朝貢を行っている。
ただそもそも孫権がそのようなことを行おうとしたことにも理由がある。
呉の国土はたしかに広いが、実際には山地が多く人口も多くなかった。
また孫策の時代に山越に対して恨みを買っていたこともあって彼らは度々反乱を起こし、その討伐に兵士を大量に必要ともしていた。
そして夷洲はとても豊かな土地だと思われていた。
夷洲は臨海郡の東南二千里にあり、土地に霜や雪がなく、草木も死なない。
四方は山と谷であり、人が皆、髪を剃り、耳たぶに穴を開けているが、女性は耳に穴を開けない。
土地が肥沃で、元から五穀(麻、キビ、アワ、麦、豆)が生えていて、また魚肉も多い。
犬は尾が短く、のろの尾みたいである。
この異民族の舅・姑・子・嫁は一つの大きな寝床で眠り、ほとんどお互いを避けようとしない。
土地に銅鉄があるが、ただ戦闘においてシカの角を矛として使い、摩礪青石で矢じりをつくる。
生の魚肉を取り、大きな瓦器の中に塩を入れ混ぜて蓄え、一ヶ月と数日を経て、それをご馳走と思い食べる。
とあったため、孫権は夷洲を武力で支配したかったのであったが、後々の大航海時代にすら中国本土と台湾は交流がほとんどなく、その後も様々な伝染病が蔓延する瘴癘の島として恐れられてる場所であり孫権の考えは少し甘すぎたと言えた。




