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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興9年(231年)
24/41

魏では曹真が死去し曹宇がそのあとを継ぐ

 昨年の蜀侵攻にて 大雨により攻撃が遅滞したことで曹叡は曹真に撤退させたが、洛陽に戻った曹真は間もなく重病となり、曹叡が自ら見舞ったが病状は好転せず、翌年春3月に死去した。


 その跡は子の曹爽が継ぎ、曹叡は生前の曹真が厚遇を受けた身でありながら、寛容かつ謙虚であったとして元侯の諡号を送った。


「問題は彼の跡を引き継ぐものとして、誰を蜀と戦うための指揮を取らせるかだな……」


 曹真の息子曹爽自体の能力は決して低いわけではないのだが、曹真の後を継ぐという彼の周りには、かつての大将軍何進の孫である何晏(かあん)や後漢の光武帝に仕えた功臣の鄧禹の後裔鄧颺(とうよう)、曹操と同郷の丁斐(ていひ)の子丁謐(ていひつ)、典農校尉を務めた畢子礼(ひつしれい)の子供の畢軌(ひつき)や、漢中の張魯に仕えた李休(りきゅう)の子供である李勝(りしょう)夏侯尚(かこうしょう)の子供である夏侯玄(かこうげん)、諸葛亮の遠縁である諸葛誕、劉放の子である劉熙、孫資の子である孫密らは板外に人物評価を行い、四聡八達と互いに格付けをしあい、当時の人々から才人との声望を得ていたが、これは人々からの称賛が先に有って格付けが行われたのではないく、まず先に内輪で内々に格付けを行い、それを自分以外の面子に伝聞形で宣伝させ、前段の工作で自作自演ではないとの印象を与え、箔付けによって自らの声望を高めんとしたのである。


 曹叡はこれを軽薄だとして嫌い、彼らを即座に全員免職にし、官吏となる資格を剥奪した。


「お互いの高評価だけで確かな働きもなく高位の官位を手に入れようなどとは無駄なことをする。

 もっとも実際に任せて失敗したあと処罰しても良かったが大敗北を喫しても困るしな」


 そして曹叡は考えた後に指示を出した。


「蜀攻略の任は曹(宇)彭祖に引き継がせよう。

 彼なら手堅く守ることはできよう」


 こうして、司馬懿と曹真が抜けた対蜀戦線は曹宇が引き継ぐことになったのである」


 なお曹宇の父は曹操で生母は環夫人、同母兄は曹沖・曹據で、異母兄は曹丕・曹彪らなので彼は曹叡から見れば叔父であるが、曹叡とは年齢が近いこともあって、曹叡の皇太子時代から親友の仲であり能力的にも問題はないと言える人物であった。

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