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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興7年(229年)
14/41

魏の領土分配案に諸葛亮は考え、そして長安陥落の報を受けて愚痴る

 さて、孫権が魏への幽州からの挟撃を考えていた頃、陳震も蜀へ戻り同盟交渉の成立結果を報告していた。


「なるほど、同盟は無事締結され、魏の領土の分配案で司隷は函谷関より西が我々、東が孫呉のものという取り決めになりましたか」


 陳震はうなずく。


「はい、現状ではそこで手打ちをせざるを得ませんでした」


 実際現状で魏・呉・蜀の国力差は6・2・1程度であるからある程度の譲歩はせざるを得なかった。


 しかし、それを聞いて蜀の群臣たちはそれ見たとこかと騒ぎ立てた。


「漢及び魏の首都である洛陽を孫権が抑えるという約束をしたということは、我々が漢の後継者であるという正当性を放棄することではないか!」


 と。


「丞相は洛陽を我らが落としたとして、その後に何もせぬ孫権が洛陽を奪い取ってもよいとおっしゃられるのか?」


諸葛亮はしばし考えてから答える。


「魏を倒した後は我ら蜀漢と呉が並び立つことはありえない。

 その先はまた別に考えるべきでしょう。

 并州・冀州・兗州を平定するには司隷を足がかりにせざるを得ませんからね」


 群臣はさらにいう。


「司隷を放棄しないことを理由に兗州や冀州を奪われてしまったらどうなさるつもりで?

 そこで冀州や兗州を司隷と交換したとしても道が繋がりませんぞ」


「はるか先のことを今ああこう考えても無駄です。

 まず魏を倒すことが先決です」


 そこへ急使がはいってきた。


「大変です! 長安が南匈奴と手を組んだ魏の曹真・徐蓋・鄧艾らの攻撃によって陥落しました!」


 その報告にさすがの諸葛亮も慌てた。


「なんですと?

 では、(司馬懿)仲達たちはどうなりました?」


「三輔を放棄して漢中まで撤退しました」


「そうですか……ならばまだ良かった」


 武都と三輔以外の雍州北部はすでに魏の鍾毓・徐邈・游楚らにより奪回され、長安は敵地に突出する状態になっていた。


 長安はそもそも後漢建国期の戦乱で荒廃していたが、董卓の恐怖政治とその後の李傕と郭汜の争いの時点でさらに大きく荒廃しており、曹丕による魏の建国の時点で雍州へ編入させた三輔地方から洛陽などの司隷に人口を移し、その土地が空いたところには南匈奴が流入していた。


 その上長安は山に囲まれた盆地であるため確かに防衛は比較的しやすいが食料がとても得づらいという欠点があった。


 人工に比べて過大な兵がいたため食糧不足におちいった長安は、結局をそこを曹叡につかれ、司馬懿らは長安を放棄して漢中まで撤退せざるを得なかったのである。


「まったくもって孫権は余計なことをしてくれたものだ……」


 孫権が帝位につくということを行わなくても洛陽を陥落出来た可能性は低かったが、北伐を一旦完全に中断せざるを得なくなったのはほとんど孫権のせいであり諸葛亮がそう愚痴りたくなるのも当然ではあった。

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