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新三国志 退廃帝曹叡と賢英帝劉禅  作者: 水源
建興7年(229年)
10/41

孫権の独立に対しての魏と蜀の対応

 呉の孫権が帝位につき完全に魏の下からはなれたことは当然曹叡にも伝えられた。


「ふむ、孫権も自らが皇帝を名乗ったか。

 その根拠は弱いと思うがな」


 そう皇帝に継げられた陳羣(ちんぐん)は頭を下げた。


「まことそのとおりでございましょう」


 そもそもなぜ孫権は217年に孫権は曹操に降伏し、魏に臣従したのかだ、赤壁の戦いでは臣従することを拒み乾坤一擲の赤壁の戦いを起こしているのに、なぜ後に臣従しているのか。

 その目的は蜀との対立によるぎとの同盟や荊州を抑えるための戦略と言われるがそれは臣従する理由の一つではあるかもしれないが、本来の中心の目的ではないのではない。


 216年に曹操は魏王となった後に濡須に軍を進めたのだが、曹操の魏王就任というのは「劉姓」以外のものがなるというということで、この時点で明らかに漢が滅ぶのは目に見えていた。


 この時に劉備は漢中を確保し、蜀漢として後漢の正当な後継を名乗る準備をしている。


 しかし、孫権は献帝を擁してもおらず劉姓でもない。


 ではその後も独立勢力と存在をし続けるためにはどうするのが良かったかと言えば、結局は皇帝となった曹操により「王として任命を受ける」ことだったのだろう。


 実際に孫権は、曹操にあてた手紙に、孫権は、自ら臣と称し「天命が漢から魏に移っている、故に貴方は皇帝になるべきだ」ということを説いたらしく、曹丕が皇帝になってからは、孫権は自ら「藩国」を名乗っているが、実際に220年に曹丕より「大将軍・荊州牧・呉王」の位と九錫を授けられている。


 これにより呉の正当性が曹丕によって保証される事に成ったわけだ。


「まあいい、むしろ我が国にとっては利しかない」


「よろしいのですか?」


「あの男は臣下の誠忠がなければ暴走するだけだ。

 そして漢の正当な後継を標榜する蜀にもよく思わぬものも多かろう。

 また荊州を巡って争うようであれば我々には利しかないと思わぬか」


「なるほど」


「陳(羣)長文、蜀と呉の間に諍いを起こさせるように人を送り込むことはできようか?」


「李厳が始末されたばかりでございますので難しいかとも思いますが、感情と金勘定で動くものはどこにでもいるものでございます」


「うむ、では金と人ははいくら使っても良い。

 蜀の国内にて後の皇帝即位についてそれに頑として反対し討伐を行うべしというものを作り上げるが良い」


「かしこまりました」


 一方、蜀では孫権が皇帝となったことに一部の群臣達が激怒していた、蜀の群臣達が激怒した理由は蜀が後漢の正当な継承国家であると自負していたことにあり、漢中を手に入れた劉備は曹操が魏王になったときには漢中王を自称していて、後漢最後の皇帝である献帝こと劉協が、曹丕に殺害されて皇帝の位を剥奪されたとされていた。


 そして献帝が殺されたという誤報が伝えられると、漢室の後継者として劉備は皇帝を称した上で、献帝に対して独自に孝愍皇帝の諡を贈った。


 これは献帝が実際は生きていたわけだから、ある意味とても失礼なことであったように思うが。


 そのように魏は後漢王朝から皇帝の位を力ずくで簒奪したからこそ、蜀漢は簒奪者である魏を討伐の対象としているわけだが、そこに呉の孫権も勝手に皇帝の位を称したとなれば、呉も敵であり魏と同様に討伐するべきであると群臣達は大声で言い始めたのである。


 孫呉との同盟を破棄して荊州に攻撃を仕掛けそれを奪回し呉を滅ぼすべきと言う声は日増しに大きくなった。


 それにより孔明は冬の北伐を諦め長安を司馬懿に任せ自分は成都へ戻らざるを得なかった。


 しかしそれを途中で阻んだものがいた。


 それは関羽の下から劉備元へ使者として赴いたときに、劉備に気に入られ、劉備が漢中王になると尚書になり、李厳のあとを引き継いで物資管理を任されていたはずの楊儀であった。


「丞相閣下、先帝を殺した張本人であえい皇帝を僭称した孫権との同盟を維持するべきと考えているというのは事実ですかな?」


「無論である、今現在においては魏と呉の双方を敵に回すのは得策ではない」


「そのような言葉を聞いて先帝はどう思われるでしょうな」


「今はそんなことを問答している場合ではない!」


 諸葛亮は楊儀と魏延のどちらの才能も愛したが、魏延の方を重用したこともあり狭量な性格の楊儀は逆恨みをしていたところを陳羣につけ込まれたのだった。

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