32
「ちょっと。放課後といい、今といい、私はゴーストじゃないのよ」
「いや、それは少しあり得る。全っ然、学校にいないじゃないか」
レイラは腕組みしながら顔を歪め、窓枠に肩を預けた。
「いるわよ、ちゃんと。ギリギリが多いだけ……」
微かな笑顔が少しばかり陰るところを、アクセルは覗いた。どこか疲れが滲む表情は、寝不足を語る様だった。
レイラの父は、アルコール依存症を患っている。薬物療法が上手くいけば、離脱症状の辛さも改善でき、精神状態も安定するのだが、それがなかなか続けられていない。酷い時は家を散らかした事もあり、その際はパトカーと救急車がどっと押し寄せ、騒がれたものだ。よって、彼女の母は、疲労のあまり寝込む時がある。そうなれば、レイラが代わりに家事をするしかない。
「……朝、歌ってた?」
ただ視線を取り合うだけの静寂を、レイラは柔らかに切る。
「……聞こえた?」
「ええ、だって2階にいたもの。どこもクラスどころじゃなかったんじゃない? 凄い迫力だった!」
レイラは自然と、アクセルの様に身を乗り出してしまう。
「だろ? ジェイソンがいたから」
通りでと、レイラは顔を輝かせた。アクセルの胸では、熱い何かが渦巻いていく。そこへ再び、吠え声が伸びてきた。
「今日はよく聞こえる。歌う犬だなんてセンスのいい表現、一体誰がしたのかしら」
狂暴で、見た目が狐に似たコヨーテは、随分と素敵に呼ばれていた。2人は、緩やかに遠ざかり、聞こえなくなる吠え声に耳をすませる。
冷たい風はどこへやら。アクセルは、まるで体内でコンポが響き渡る様だった。コヨーテの声などどうでもいい。山の方など見なくていいだろうと、彼女を視線で呼び寄せていく。
レイラは、そんな彼の目を、風に躍る髪を耳にかけながら覗いた。引っ越してきて3年になろうとしているが、隣人にこんな気持ちを抱く様になるとは思ってもみなかった。歌が煩く聞こえ、車を吹かせる不良少年だと、距離を取っていた事が信じられない。尖って見えていた当時から見た目が大きく変わった訳ではないのに、気付けば、窓から互いを覗う様になっていた。
「久しぶり……」
ふと出た言葉が重なり、2人は目を見開く。次の切り出しに半ば戸惑ってしまうところ、アクセルは思い出した。
「そう、ソニアが世話になった。あいつ、食もルックスも波が激しくて」
「みたいね。可愛いわ。凄く分かるの。不思議よね、皆ちゃんと同じ道を辿るんだから。置いて行かれたくないし、同じでいたい……でも自分らしい魅力みたいなものも欲しくて……振り向いて欲しいのね……」
心地よくフェードアウトしていく声に、アクセルは胸で頷く。彼女を見たいがために、余計に歌に夢中になった。そしてやっと自分のベストで歌えた時、振り向いてもらえた。
季節を忘れた時間に浸るのも束の間、アクセルの腹が唸り、いいところを妨げてきた。つまらない現実に戻され、家族が待つ食卓が浮かぶ。テーブルに着くのが遅いと何を言われるかと、小さく溜め息を漏らした。
「さっきの歌、また今日みたいに聴ける?」
前のめりになるレイラに、アクセルも釣られる。
「まだ半端なんだ。けど、もうできそうだよ」
レイラは唇を強く結ぶと、口角を上げ、顔を嬉しさで満たしていく。よく見せる幼さのある笑顔に、アクセルは胸を擽られた。その感覚は、近くにいながらどうにも懐かしかった。
「また、あー……また聴いてくれるか?」
つい、食後に会えないかと言いかけてしまった。日々を忙しく過ごす彼女とは、約束をした事はない。
「もちろん。ずっと聴いてきてるんだから」
レイラは、バンドができた事も、アクセルの歌が上達している事も、自分の事の様に喜んできた。カバーやオリジナル曲も全て聴き、リクエストもする。彼女のそんなところには、メンバーも喜んでいた。
アクセルは笑いかけると、仕方なく零した短い別れの声が、僅かに落ちてしまう。そのまま、緩やかに身を引いていくと
「アックス、ありがとう」
レイラは焦って彼を掴み取った。彼の驚く顔は、小さな少年の様で可愛いらしい。そんな部分を持ち合わせながらも、いつの間にか垢抜けてクールになった。気など遣わなくていいと言いいたくても、喉に閊えてしまう。窓枠を掴む手が力んでいた。こちらから約束をすればいい事なのに、やはり、できなかった。
「おやすみ」
2人は、再び重なり合った言葉に微笑むと、窓を介して別れた。
※クラスをClassといいますが、日本だと何組とかの意味で取る事が多いですね。作中では、授業そのものを指してます。
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サスペンスダークファンタジー
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