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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
34/35

「甘い囁き」⑧

「あああああああーかわいいかわいいなあスライムかわいいなにがかわいいってこの模様がもうかわいい表面に描かれる流れるような線、その線が不規則に描く絵! まるでこの図柄がスラーブルの機嫌をあらわしてるみたいじゃないかすごいかわいい。なんだろうもうこの模様の出方次第でその日の運勢が占えちゃうんじゃないかってくらいああもうスライムかわいい」


 扉を開けた視界に、手乗りサイズのスライムに頬ずりしつつ奇声をあげている若い男の姿が飛び込んできた。


 はっとして固まる。


 それに対してルクレティアは、表情一つ動かさないまま部屋のなかを進み、近くの椅子に優雅に腰かけた。

 近くの水置き台に肘を置く。さらりと豪奢な金髪が流れた。


 全身を硬直させて微動だにしない男――マギに、首をかしげて彼女は訊ねた。

 男が手に乗せている墨が流れたような模様を見ながら、


「それはなんですの」

「……スラーブル。瀝青スライムと、普通のスライムの、」


 ああ、と頷く。


「マーブル模様だから、スラーブルですか。相変わらず壊滅的なセンスでいらっしゃいますわね」


 それで、と淡々と続けた。


「なにをしていらっしゃったのです」


 男はだらだらと汗を流しながら、


「……ス、スライム占い?」

「そうですか」


 沈黙が落ちる。

 それに耐えられなくなったように、マーブルスライムを脇に置いて立ち上がる男に、ルクレティアは不思議そうに訊ねた。


「お続けにならないのですか?」

「いや、もういい……」

「私のことでしたならお気になさらず。どうぞご遠慮なく、存分にお戯れになってください。マギ・スライムプレイさん」

「その呼び方はほんとやめろ!」


 顔を真っ赤にして言ってくる。


「別によろしいではありませんか。スライムと戯れるのがお好きであることは確かなのですから」

「そうだけど、なんか違うだろ! なんか違うんだよ!」


 苦悶するように頭を抱えて力説する男をしばらく冷ややかに見つめてから、ルクレティアはため息をついた。


「ギーツから戻ったことのご報告をと思って来てみれば、部屋の外まで聞こえる声でスライムがどうだと……。ご主人様の趣味に文句をつけるつもりはございませんが、もう少し周囲に対する配慮というものをお考えになってはいただけませんかしら」

「スライムを愛でるのがそんなに迷惑か!?」

「数日を馬車に揺られ、戻って来て早々に奇声を浴びせられる側の立場になれと言っています」


 ぐ、と言葉に詰まったマギが、はあっと息を吐いた。


「……ったく。気分転換だよ。いいだろ、ちょっとくらい」


 ルクレティアはちらと男の机に目をやった。

 机の上には書類が左右に山積している。

 というより、書類の山の狭間に、作業ができる空間がかろうじて残っているといった方が正しかった。


「おかしいですわね。私がギーツに発つ前と、あまり変わっていないように見えますが」

「次から次に報告書が回ってくるんだよ! 一枚終わったと思ったら二枚が返ってくる! このままじゃそのうち書類の山に埋もれ死ぬぞ!」

「組織の長の仕事とはそういうものですわ」


 淡々と答えながら、ルクレティアは床に落ちた報告書の一枚を拾い上げた。

 軽く目を通して眉をひそめる。


 ひどく歪んだ精霊文字だった。

 蜥蜴人の手によるものだろう。


 蜥蜴人は元々、精霊語を介さない。

 意思仲介の必要から、最近では少しずつ習得を目指してもらっているが、そうすぐに上達するものではなかった。これでは解読と変わらない。


 もう一枚を拾い上げる。

 同じように歪んだ、というよりは幼い文字だった。

 こう書かれている――「このてがみをうけとったら明日までに3にんにおなじてがみをおくること。ただしシィはダメだ」。


「……なかなか陰湿な悪戯になってきましたね」

「どうせ女王だろ。まったく、シィが字を覚えるなら、私も覚える!って張り切ってくれるのはいいんだが、勘弁してくれ」


 ぶつぶつと言いながら、自分の執務机に座った男が書類を片付け始める。


「カーラとユスティスは?」


 書類の山と格闘しながら、訊ねてきた。


「カーラはメジハに寄ってから戻ります。子供達へのお土産と、あとは町の備品などの受け渡しがありましたので、そちらをお願いしました。ユスティスは私と洞窟に戻っておりますが、自室でしょう」


 書面になにか書きつけていた男の手が止まり、肩越しにちらりと視線を向けた。


「……大丈夫だったか?」

「問題ありません」


 ルクレティアが答えると、眉をしかめ、なにか言いたそうにしてから肩をすくめる。


「なにか?」

「――いや。それで、用件の方はどうだった」

「ひとまず、狙い通りの成果を得ることはできたと言ってよろしいでしょう。現状の説明と、打開策の検討。領主様とギーツ諸組合の協力のもと、金銭を融通する機関を立ち上げる道筋をつけてまいりました」


 ルクレティアは立ち上がり、男の前に分厚く括られた書面の束を差し出した。


「詳しい内容はこちらにまとめてあります。洞窟で書類作業に勤しんでいらしたご主人様へ、私からのお土産ですわ」

「なんて嬉しくない土産だ……」


 呻くように言って、マギはげんなりとした顔を向けた。


「いつまでに読めばいい?」

「出来得る限り、早急にお願いします。また私はメジハに向かわなければなりませんが、それまでには細部の検討も済ませておきたいので」

「……わかった。明日の朝までには目を通しとく」


 徹夜する覚悟を決めたのだろう、悲壮な顔色で頷いた男が、さっそく束をほどいて書類に手を出した。

 難しい顔で目を通しながら、


「しっかし、“銀行”ねえ。ストロフライの配りまくった金貨がとんでもない代物だってのはわかってたが、俺がベッドでうんうん唸ってるうちにそんな大事になってたんだな」

「予想はしていましたが、現実というものは予想を遥かに超えていくものですわね。まったく、面白いものです」


 あの竜金貨が世界を変えてしまうことを予想するのは容易い。

 だが、それが具体的にどういった影響となって現れるか、その全てを正確に予想するということは彼女にも困難だった。

 それほどまでに世界は混乱し、混沌としている。


 ――混沌。


「どうした? ルクレティア」


 呼びかけられた声に、ルクレティアは物思いから我に返った。


「……いえ、なんでもありません」

「そうか?」


 不思議そうに、また書類に目を戻した男が独り言のように呟く。


「銀行、金銭の融通機関。今まで、ギルドやそれぞれの商会が細々とやっていたことを、公的に。けど、大丈夫なのか? ルクレティア」

「なにがでしょう」

「つまり、その銀行には将来的にとんでもない量の貨幣や、貨幣代わりになる紙切れが保管されることになるんだろ? そんなもん、誰かから襲ってくれって言ってるようなもんじゃないか」

「そうですわね」

「金目当てのはぐれ冒険者。それに、魔物が貨幣を覚えたんなら、魔物だって金を目的に襲撃してくるかもしれない。それにギーツの冒険者だけで対抗できるか? 前、妖精の薬草の時に言ってたみたいに、人を集めて守るのか? 人が増えると経済も活発化するとかなんとか、言ってたよな」

「確かにギーツの防衛力について検討することも必要でしょう」


 けれど、と続けた。


「ご主人様。その大量の貨幣やそれに相当する代物をギーツに置くなどと、私は考えておりません」

「そうなのか?」

「ええ。もちろん、ギーツにもある程度を置いておくことは必要でしょうが……たとえば、竜金貨。妖精族の皆さんの協力で、この周辺にばら撒かれたものを全て回収したあの大量の竜金貨などは、ギーツに保管すべきではありません。あれだけの枚数の竜金貨を保持している勢力は、恐らくありません。つまり、あれこそが我々の銀行の信用の“基”になるのです。あの大量の竜金貨になにかあった場合、それは銀行の信用問題に直結します。そして、信用のない銀行に貨幣を渡そうという輩はおりません」

「それじゃあどこに置くんだ」

「ここです」

「は?」

「ですから、ここです」


 ルクレティアは長い指先でとんとんと手元の台を叩き、


「銀行の根幹を成す、信用の基礎。それを保管するのには、もっとも強固な場所であるべきです。魔法を扱う大量の襲撃者がやってきても、それを撃退しうる場所。それが、この洞窟をおいて他にございますかしら?」


 からかうように囁く。


「仮にここ以上に強固な保管先があったとしても、やはりこの場所こそがもっとも適した場所でございましょう。黄金竜が居を構える山。その麓の洞窟に眠る、竜の金貨」

「……竜が財宝を抱えてるってのは、まあよくある話だしな」

「その通りです。そして、以前に申し上げました通り、ダンジョンと呼ばれる場所には然るべき報酬が在るべきなのです。それがなければただの巣窟でしかありません」

「それはわかるが――」


 男が頭を抱えた。


 すぐに顔を上げる。

 その表情がすでに吹っ切れている様子だったから、ルクレティアは眉を持ち上げた。


「どうされましたか?」

「なにがだ?」

「いえ、あまりショックを受けていらっしゃらないようなので。意外でした」

「ショックを受けてほしかったのかよ」


 嫌そうに顔をしかめてから、


「まあ、いいさ。確かに、この場所なら大抵の襲撃者はどうにかできるだろうしな。元々、ストロフライの噂を聞きつけてやってくる連中を想定して準備をしておこうってところだ。今さら、やってくる人数が多少増えたところでかまいやしない。それに、」

「それに?」


 男は肩をすくめて、


「つまりそりゃ、このダンジョンの名前が売れるってことだろう? ――なら、いいさ」


 言った。


 ルクレティアは相手をまっすぐに見据えた。


 自分が仕える男の眼差しには一切の迷いがない。

 その理由について、もちろん彼女は承知していた。


 男は誰かの帰りを待っている。

 その誰かがこの世界のどこかで意識を取り戻した時、すぐにでもこのダンジョンの噂が耳に入るように――そのためになら、男は迷わない。


 野望でも、大義でもなく。

 ただ一人のために。


 わかっていたこととはいえ、改めて目の前でその事実を見せられることに、感情が波打たなかったわけではなかった。

 だからといってその内心を口に出すほど素直なわけでもなかったから、彼女は努めて平静な表情のまま、


「それでは、ご主人様。私はこれで――」

「ああ、ちょっと待て」


 頭を下げ、部屋から出ていこうとしたところを呼び止められる。

 振り返ると、資料を読みながら難しい顔をしていた男が、顔を上げないまま言ってきた。


「……ユスティスのことなんだが」

「なんでしょう」

「うん。どうして、ギーツに連れていったんだ?」


 ルクレティアは答えなかった。

 書面から顔を上げたマギが、


「ユスティスは精霊憑き――金精霊の能力者だ。この世界を憂いた金精霊は、“金”の力でこれからの世界を導こうとした。まあ、あっさりスラ子にやられた上、憂いの元だった瘴気までスラ子が世界を新生したおかげでどうでもよくなったが。あの元王女は、その金精霊の力を持ってる。そして、精霊のようになんだかよくわからん制約にも縛られてない。だから、危険だ。お前はそう言ってたよな」

「……ええ、申し上げました」

「そのユスティスを、“金”の話をするために向かったギーツ行きに同行させた意味はなんだ? なにか考えがあったんだろう? そう思ったから、反対はしなかった。それで、ずっとどういう意図があるんだろうって考えてたんだが」

「おわかりになりましたか?」


 マギは肩をすくめた。


「いいや、わからなかった。だから、聞く。どうしてだ?」


 資料にまた目を落として、


「連れていって、なにもさせなかったのは何故だ? もしかしたら、最近の金や銀の不足に、それを解決させるためにユスティスを連れて行ったのかとも思ったんだが……」

「そう思われましたか」

「そうかもな、とは思った。だけど、なんとなくそんな感じもしないんだよな。そりゃ、触れればなんでも金に出来るんなら、ユスティスがやろうと思えばいくらでも金をつくれるんだろうが。だが――」


 ルクレティアはそっと息を吐いた。


「その通りですわ、ご主人様。そんなことをしても、なんの意味もありません」


 豪奢な金髪を振って、


「確かにユスティスに力を使わせれば、瞬間的な金不足は解消するでしょう。しかし、それだけです。すぐにその金は失われ、また求められます。求められて与え、与えては求められて、その繰り返し。そして、もしも求める声がない時が来たなら――それは、すでに金が金としての価値を失っているということを意味します。……適切な需要とは、必要な分より少しだけ足りないからこそ成立するものなのです。完全に足りてしまったなら、その物の価値は消失します」

「……でも、それは際限なしに用意するからだろう? ちゃんと需要と供給のバランスを考えれば。たとえば今回だけ、緊急的に一度だけ能力を使うとかなら、それはどうなんだ?」

「もちろん、問題ありません」


 しかし、とルクレティアは皮肉っぽく笑ってみせた。


「ご主人様。そんなことは不可能ですわ」

「不可能?」

「できることがわかれば、必ずまたそれをやるように求められます。人とはそういうものです。――砂漠の聖人の話をご存知ですか?」

「……水出しの聖人か」


 それはよく知られる有名な逸話だった。


 砂漠の只中、井戸水の枯れた集落があった。

 大勢の老人を連れて移動することもままならず、乾いて死ぬのを待つだけだった人々の前に、旅の男が現れた。

 飲み水にも困っている人々の様子を哀れんだその男が乾いた井戸に手をかざすと、そこに水が溢れた。

 ――男は魔法使いだったのだ。


「人々は歓喜し、男を集落の恩人だと囃し立てた。馳走を振る舞い、連日連夜の大騒ぎ」

「その後、幾日にも渡って人々の感謝は続きました。男が出立の用意を始めると、占星によれば今日は日が悪いと男に告げ、よい保存肉を用意するからと集落に留め続けた。なんのことはありません。その集落は旅人に出て行って欲しくなかったのです」

「――飲み水を確保するために」

「結局、男は集落に留まり続けました。やがて砂漠に雨が降り、自分の役割を終えるまで。井戸には雨水が溜まり、歓声が沸く集落の片隅に男の遺骸がありました。木乃伊となり、まるで打ち捨てられるようにして」

「……ユスティスが、その聖人とおなじ結末を迎えるって?」

「さあ。どうでしょうか」


 ルクレティアは頭を振って、


「けれど、恐らくはユスティスも彼の悲劇の聖人と同じく、望まれればそうするでしょう。あの子にはそれが出来るのですから。自分自身の意味をそこに求めて、望んでシステムと成り果てるはずです」


 マギが顔をしかめた。


「個人の、――システム化?」

「……個人に頼ったシステムなどというものは、とても脆く、危ういものです。それは個を捨てなければ叶わないのですから。覚悟。絶望。それはもう、人ではありません」


 なにかを言いかけた男が口を閉ざす。


「だとしても。ユスティスが本心からそれを望み、そのための行動に出るのなら――それはあの子の自由というものでしょう。けれど、まだあの子は幼い。よく考えて欲しいと思いました。そのために、今度の話も聞かせておきたかったのです」

「……そうか」


 難しい顔でなにかを考え込む男を見つめながら、そっと息を吐く。


「ご主人様。私は最近、よく考えることがあります」

「なにを」

「スラ子さんのなさったこと。それがもたらす、本当の意味について」

「スラ子の? どういうことだ」


 眉をひそめる男に、


「……スラ子さんは世界を新生されました。それによって、瘴気というやがて確実に訪れる災厄がなくなり、そしてこの世界に満ちていた魔素はそのまま、この世界を包み込んでいます。魔法や、精霊もそのまま。それはいったい、どのような未来をもたらすのでしょうか」


 男の答えを待たずに続けた。


「精霊は。彼らは、今まで明らかにこの世界にある種の制限をかけていました。精霊の教えという言葉によって。欲望を体現する貨幣を疎んじ、忌避してきた。それは恐らく、瘴気という名の災厄があったからこそでしょう。救世の“十番目”が現れるまで、なんとしてもこの世界を生き永らえさせること。それが彼らの目的だったのですから」

「だが、瘴気は消えた。スラ子のおかげで破滅は失われたんだ」

「はい。今や、この世界に瘴気はなく、同時にストロフライさんがばら撒いた金貨によって、精霊とエルフが今まで抑えてきた箍も外れそうになっています。彼らには、もうこの世界の変化は止められないでしょう」


 マギはじっとこちらを見据えている。

 ルクレティアは自分の口調が早くなっていることを自覚しながら、


「この世界の在り方は激変します。それはもはや止まりません。人間と魔物の在り方。人間同士の在り方。精霊も、魔物も、経済も文明も、なにもかも。変化に適応しようとする者と、今までのままを望む者。性急な革新派とそれに反発する守旧派。世界は激しく対立し、そして争うでしょう。その争いにも、いずれ終わりがあればよろしい。しかし、この世界からはすでに“それ”は取り払われているのです。ただ、魔素という自分達には過分な力に溺れ、互いに争い続ける道しかありません。それが恐ろしいのではありません。しかし――」


 そこで口をつぐむ。

 その言葉を口にするべきか、それを自分に言わせようとしているものが理性か感情によるものかを一瞬、考えてから、


「――ご主人様。貴方は間違いなく、後世に悪名を残されるでしょう。この世界に“果てのない混沌”をもたらした者として」


 予言の台詞を告げて、それを聞いたマギはそうか、と小さく頷いた。

 頭をかき、息を吐く。


「かまわないさ」


 ルクレティアは唇を噛み締めた。


「わかっています。貴方がそうお答えになることは」


 豪奢な金髪を振って、


「……わかっているのです。貴方がとっくに覚悟をお決めになられているということは。そして私はそれに対してなにを言う資格もありません。何故なら、その貴方を利用しようとして、私は混沌とした世界に事を起こそうとしているのですから」

「別にいいじゃないか。なんだ? 気に病んでるのか。らしくないな」

「そんなわけではありません」


 ただ、と言いかけた後に続けるべき言葉を見失い、口をつぐむ。


 とぼけたようなマギの顔が急に腹立たしく思えてきて、ルクレティアは近くの椅子に腰を下ろしなおした。

 内心にあるのは半ば以上、自分自身への苛立ちだった。


「――そんなに抱え込まなくていいぞ」


 ルクレティアは目を見開いた。

 意外な一言を口にした相手は、苦笑に近い表情を浮かべてこちらを見ている。


「……なんですって?」

「そんなに抱え込まなくていい。俺のことも、世界のことも。……ユスティスのことも。多分、お前はあの相手のことを、自分が始末をつけなきゃいけないとでも思ってるんだろうが――それは違う」


 穏やかな声でマギは言った。


「それは、俺の役目だ」


 ルクレティアが眉をひそめ、なにかを言いかけるのにゆっくりと首を振って、


「俺は、彼女に殺して欲しいって頼まれた。でも殺せなかった。だから、今、ユスティスがなにか悩んでたり、近い将来なにかをしでかしたりしたら。それは俺の責任だ。だから、俺がやる」


 ルクレティアは口を開きかけたが、なにも言わなかった。

 目の前の相手に対して言うべき言葉がない。その事実が、彼女に新鮮な驚きを与えた。


「……お抱きになればよろしい。案外、それだけで解決することかもしれません」

「そっちは俺の出る幕じゃないだろう。元王女を助ける騎士役は、他にちゃんと相手がいる」


 男は肩をすくめて、


「ユスティス以外も。この世界がこれからどうなろうと、それは俺の責任だ。だったら、その責任はきっちり自分で果たすさ。だから、お前が責任を感じることはないんだ、ルクレティア。お前はお前がやりたいことをやればいい。俺を利用して出来ることなら、なんだってやるべきだ。ルクレティア・イミテーゼルってのはそういう女だろ?」

「……確かに、その通りですわね」


 ルクレティアは小さく笑って、豪奢な金髪を掻き上げた。


「――失礼しました。弱音を申し上げるようなことを口にしてしまいました」

「長旅で疲れてるんだろ。ゆっくり休んでくれ、朝までには報告書も読んでおく」

「はい。そのようにさせていただきます」


 言いながら、椅子から立ち上がろうとしないルクレティアに、怪訝そうに声がかかる。


「他にも話があるのか?」

「いいえ。せっかくですから、ご主人様が報告書をお読みになるまでこちらで待たせていただこうかと」

「はあ?」


 ぎょっとした顔つきで、


「言ったろ。朝までかかるぞ」

「ええ、聞きました」


 平然と答えるルクレティアに、マギは渋面をつくってから、諦めたようにため息をついた。


「……わかった」


 近くのベッドを指さして、


「じゃあ、終わったら起こすから。それまで休んでてくれ」


 ルクレティアは小首をかしげてみせた。

 微笑を浮かべて、


「ご主人様は、私が励まれている殿方の横で寝息を立てるような女だとお思いですか?」


 からかうように言うと、男はいよいよ歯痛をこらえるような表情になる。

 頭をかきむしり、立ち上がった。


「あら、どちらへ行かれますの」

「……お茶だよ。さすがになにもなしで待たせるわけにもいかないだろ。淹れてくる」

「それはありがとうございます」

「茶菓子はなにがいい? あんまり、大したものはなかったと思うが」

「お茶だけでかまいません」


 ルクレティアは豪奢な金髪を振って、


「なんでしたら、スライムをお連れになってもかまいませんわよ。ご主人様が気分転換をなさりたくなった時には、私も一緒に戯らせていただこうかと思います。“スライム遊び”というものがどのようなものか、以前から興味がありましたの」

「あのなあ……」


 マギは心から嫌そうに顔をしかめて、もう一度、深々とため息をついた。


「……本当に菓子はいいんだな」

「ええ、けっこうですわ」


 ルクレティアは頷き、


「十分です」


 彼女がたった一人にだけ見せる柔らかな微笑を浮かべて、告げる。


「――自らの責を果たそうと、懸命に足掻いてみせる。そんな殿方の顔が見られるのであれば、それで癒されない疲れなどございません」


 そう、なによりも甘い声色で囁いた。



                                           後日談『甘い囁き』 おわり



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