「真白い想い」⑨
真っ白い天井をぼんやりと見上げて放心した男の周りに、妖精達が集まっている。
「いきてるかー」
「ただのしかばねー」
「ひんじゃくな生き物めー」
「皆さん、容赦ないのですね。――さあ、というわけで」
いいように玩ばれているマギから視線を戻したユスティスが重々しく頷いた。
「残念ながら、マギさんが一問も答えられないままリタイアしてしまった為に、解答陣はカーラさん、ルクレティアお姉さま、シィさん、スケルさん、そしてストロフライさんの五人で進めさせていただきます。ポイントは、えー、ルクレティアお姉さまが三十二ポイント、シィさん三十一ポイント、それから大きく離れてカーラさんの二ポイント、スケルさん、ストロフライさん一ポイントの順番になっていますね」
「それで、どうするんだ? マギがいなければ、正解の判定ができないぞ」
どうにでもなれ、というような投げやりな口調で訊ねるエリアルに、むう、と王女は首を揺らしながら腕を組んで、
「困りましたね。妖精さん方、マギさんはすぐに回復しそうでしょうか?」
一斉に妖精たちがマギの顔を覗き込んで、ふるふると頭を振る。
『こころが死んでるー』
「……哀れな」
悼むようにエリアルが瞼を閉じた。
「ううん、どうすればよいでしょう。肩慣らしのあいだにやっていたように、こちらから出題して答えてもらう形式に戻すしかないかしら」
「ちょっといいー?」
ひょい、と手を挙げたのは黄金竜の少女だった。
「それならさー。出題するのも、こっち側でやっちゃってよくない? 代わりばんこで出題していって、それに対して他の人達が答えるの」
ふむ、とユスティスが顎に手をあてる。
「つまり各々が、自分だけが知っているマギさんの秘密、他の人達が知らないだろう内容をどんどん出題していくわけですね。それは、確かに面白そうですね」
「……マギにしてみれば、今まで一人にしか知られていなかったことまで、他の――というか、この場にいる全員に周知されてしまうことになるがな」
ぼそりとエリアルが呟いたが、これは誰からも無視された。
「わかりました。ではそのルールでいきましょう! 誰が一番、マギさんについての引き出しが多いかを競い合う! とてもわかりやすい競技だと言えそうです!」
「だから、マギにとっては……いや、もういい」
「さあ! というわけでさっそくそういう感じで参りましょう。それでは発案者であるストロフライさんから出題をどうぞ!」
おー!と盛り上がる周囲をよそに、美貌のマーメイドは一人、嘆息する。
「ああ、そうか。マギには初めから人権なんてなかったんだな……」
哀れみに満ちた呟きは、誰にも聞き咎められることのないままどこかへ溶けていく。
ちなみにマギの抜け殻は、いまだに妖精たちに弄ばれていた。
「それじゃ、いくよー。んっとね――じゃあ、マギちゃんが、この洞窟にやってきた正確な日にち!」
「一問目からマニアック! これは答えられる方はいらっしゃるんでしょうか、答えられるとしたら一番の古株であるスケルさんくらいでは――おっと、手が挙がりました! 意外! お姉さま!」
さっと手を挙げたのは、金髪の令嬢だった。
当然のような表情で、
「――確か五年前の、火の月、第三週の土曜日だったのではありませんか」
「おおー、正解っ」
「はい、ルクレティアお姉さま1ポイント! というか、どうして当然のように答えてしまえるのか若干恐ろしい気がしますが、気にしたらもっと怖いので続いていきましょう!」
「では、私から。……そうですわね。ご主人様が、アカデミーの在籍時代に体験したもっとも恐ろしい出来事というのは如何かしら」
「お、それなら聞いたことありますぜ! 確か、友人であるルヴェさんの可愛い悪戯で流された噂のせいで、吸精族の集団に追いかけられたことがあるとか。一月以上、近くの山中で逃げ続けたことがあるそうです」
「あら。それは、そんなに酷い出来事のようには思えないんですけれど」
「いやあ。それが、追いかけて来る相手ってのが、筋骨隆々のインキュバスさんばっかりだったらしいんですよ。いろんな意味で人生の終わりを覚悟したらしいっす」
「……マギ、昔から苦労してるのか」
「魔物のなかで過ごされていたなら、毎日が危険の連続だったでしょうね。ルクレティアお姉さま、それで判定はいかがですか?」
「私が知っていたものとは違いますが……、正解でかまいません」
「スケルさん、1ポイント! いやぁ、どんどんマギさんの秘め事が明らかにされていきますね! 実にいい感じです、次はスケルさん!」
この時点で、マギの頭が三つ編みにされていた。
「えーと、そうっすねえ。んじゃあ、ご主人の五年に及ぶ引き篭もり時代のエピソードから。ご存知の通り、ほとんど外にも出歩かないでひたすら洞窟にこもってたご主人ですが、一度だけ、女の人と接点を持ちかけたことがありまして」
それを聞いた途端、解答陣に並ぶ一同の視線が鋭くなった。
『ほほう?』
「その方、行き倒れの旅人さんだったんですがね。洞窟の入り口あたりで倒れていらっしゃいまして、怪我なんかもあってですね。ご主人、意識がないその若い女の人の手当てだけして、そのまま入り口のあたりに寝かせといたんですよ。あの頃は、冒険者の見習いさん達がよく洞窟にやってきてましたから、すぐに助けが来るだろうし、それか本人が目を覚ましたらそのうち出て行くだろうってことで」
『ほうほう』
「で、その若い旅人さんが目を覚まされたんですがね。ただ、怪我の具合ですぐには起き上がれなさそうで。体力的にもかなり衰弱してる感じだったんです。そんな時に限って、いつもやってくる冒険者さん方もなかなか姿を見せないってなもんで――しょうがないんで、ご主人はその旅人さんが寝ているあいだを見計らって、こっそり何回か食事を傍に置いてったりしてたんですよ」
「……それはまた、随分と奥ゆかしいというか。迂遠なやり方ですねえ」
「まあ、ヘタレっすから。んで、そのうち旅人さんの具合も少し良くなってきたんですが、もちろん誰かが食事を用意してくれていることに気づくわけですよ。手当だってされてるわけですし」
「それはそうでしょうね」
「で、その若い旅人さんが洞窟を出る間際、暗がりに向かって言うんです。『誰かは存じませんが、お礼を言いたいのでお顔を見せていただけませんか』――ここで出題っす! それに対してご主人は、どういった行動をとったでしょう!」
即座に解答陣の声が揃った。
『聞こえないふりをして奥に引き篭もってた』
「わはは、正解っす。ちょっと簡単すぎましたかねえ」
「簡単もなにも、スケルさんがその前に答えをおっしゃってましたしね。まあ、マギさんらしい気はしますが。ええと、この場合は皆さんが正解ということでいいんでしょうか」
「いいと思うっすよー」
「では、スケルさん以外の皆さんに1ポイント! では、次にカーラさん!」
「え、えっと。それじゃ――」
本人不在のまま、壮絶な暴露大会がさらに進む。
それとは関わりがないところでは、魂の抜けた男の身体を使った妖精たちによるリアルな人形芝居が始まっていた。
◇
明後日の方向に白熱する参加者たちを眺めていた進行役の女性が口を開いたのは、場の盛り上がりが佳境へ至ろうとしていた頃だった。
「……愚かな人達」
ぽつりと漏れ聞こえた言葉にエリアルは顔をしかめる。
「なんだって?」
「あら、だってそうじゃありません?」
応えるユスティスの口元には、はっきりと嘲笑が浮かんでいた。
「たった一人の殿方を巡って、あんな風に浅ましく競い合って。お姉さままで。しかもですよ。そのなかに、肝心のお相手が参加していない、だなんて――エリアルさんも言ってらしたでしょう? 茶番だって」
エリアルは切れ長の眼差しを細めて、小さく息を吐いた。黙って頭を振る。
「なんですか?」
「いや、私はこういうことには疎いから、よくわからないが。だが、ちょっと勘違いしているかもな」
「勘違い?」
「この茶番はいったいなんのためか、という話だ。誰のため、でもあるか」
「どういうことでしょう。よくわかりません」
「わからないなら別にいい」
不思議そうに、座りの悪い首を傾げる相手に肩をすくめてみせる。エリアルは視線を戻した。薄く唇を噛み、呟く。
「いったいなにをしているんだ、あいつは……」
最初は当たり障りのない出題が続いても、一巡、二巡とするうちに暴露される内容もより過激になっていく。
徐々に回答に詰まる参加者が出るなかで、最初に脱落したのはシィだった。
まだ半年ほど前、性分化を果たしたばかりの寡黙な妖精は、周囲で飛び交う話に耳まで真っ赤にしていたが、やがてそれを見かねた女王が乱入して、半ば無理やりにシィを席から引きずり降ろしてしまう。顔を赤くしたシィのまわりに、仲間達が寄ってきて口々に彼女を慰めた。
次にカーラが脱落した。
純朴な性格の彼女も、周囲の応酬にほとんど太刀打ちできないまま、自ら解答席を下りることを選択した。湯気がでそうなほど紅潮した表情でシィの隣に座る彼女に、隣からよしよしとシィが頭を撫でている。
残るは三人。
この世界に自分が恐れるものなど何一つないという確信を抱いた不敵な表情で腕を組む、若き黄金竜ストロフライ・ヴァージニア・ウィルダーテステと、理知的な眼差しの内側に激しい意思を滾らせた美貌の令嬢、ルクレティア・イミテーゼル。
そして、
「なんというか、我ながら場違い感が凄いというか、この場にいるだけでもちょっと怖くて仕方ないんですが!?」
涙目のスケルが訴えた。
「あら」
令嬢がくすりともせずに応える。
「それでしたら、辞退なさればよろしいだけではありませんか? よろしければ、ストロフライさんもご一緒にどうぞ」
「あたしが辞退?」
ストロフライが鼻で笑った。
「字面だけで笑えるんだけど。そんなありえないこと頭に浮かべるくらいなら、この世界の方が辞退することを考えた方がいいんじゃない?」
「それは失礼しました」
「あああ、ものすんごい火花が散ってるぅぅう!」
頭を抱えるスケルを無視した会話が続く。黄金の頭髪を抱く両者が目線を交わし合い、
「それで、どうしますか。このままどちらかのネタが尽きるまで、ご主人様の性癖を赤裸々にしても私はかまいませんが」
自身のそれが明らかになることは一切かまわないという口調で、令嬢が告げた。黄金竜の少女が応える。
「別にいいけど。勝てないってわかってて、それって虚しくならないの? いったいどれだけ経験があるのか知らないけど、あたし達ってそっちも普通じゃないよ?」
「そうした行為に優劣をつけること自体、無粋でしかないと思いますけれど。ええ、私はそれでも結構です。負ける気はいたしません」
「言うねー」
精霊形をとった黄金竜が楽しげな笑みを浮かべる。
「ええと、出来れば自分も忘れないでおいてもらえるとありがたいんですがっ」
おずおずと手を挙げたスケルに、二人からの目線が向かう。
「あ、スケルちゃん。忘れてた」
「忘れてたって、そんな殺生な」
「好きになさればよろしいでしょう。辞退するのも、参戦なさるのも個人の自由意思というものです」
「とは言いますが、耳年増にも限度ってもんがあるんすよ! 想像と妄想とでお二人に立ち向かうだけじゃしんどいです! 主に被害に遭うのはご主人っすけど!」
「って言ってもさ、他にどんなやり方があるわけ? お互いに引っかき合うわけにもいかないでしょ? あたしがそんなことしちゃったら、形も残らないじゃない」
「いやあ、それはおおいに困るんですが」
「だいたいさー」
竜の少女の眼差しに冷ややかな光が宿った。
「想像でも妄想でも、なんでもいいじゃん? このあたしと張りあおうっていうのに、選り好みしてる場合?」
もう一人に視線を向けて、
「まだそっちの、ルクレティアちゃんの方がわかってるよね。向こうの二人だって。そりゃ向き、不向きくらいあるんだろうけど。だって、スケルちゃん達は竜じゃないもんね。だからって、そんなことを理由にしてて、あたし達の相手ができると思う?」
改めて、スケルを見やる。
「ほんとにわかってるのかなあ。スケルちゃん、あたしのものに手を出そうとしてるんだよ?」
絶対的な暴力を宿した眼差しが彼女を見据えた。




