「真白い想い」⑦
「正解は『スライム』でした。まさか、第一問から不正解とは……」
ぷうっと頬を膨らませた黄金竜の視線から目を逸らしながら、ユスティスが目元に手を落とす。
手にはこの催しが開かれるに先立って、出題される項目とその解答をまとめた紙束が握られていた。
「ええと、これで皆さんにもどういうゲームかはわかったでしょうから、どんどんいきましょうか。それでは。――スライムが大好きなそのマギさんが、昔……」
彼女の台詞は途中で遮られた。
横一列に並ぶ解答者のなか、豊かな金髪の令嬢が静かに手を挙げている。
「お姉さま?」
「『アカデミー』」
淡々とした声音が告げた。
ユスティスは顔をしかめ、手元のメモ書きを見て。渋々と頷く。
「……正解です」
おお、と周囲がざわめいた。
「え、ルクレティア。どうしてわかったの?」
「ただの推当てですわ」
美貌の令嬢は平然と言った。
「“軽いところ”と言った手前、しばらくは簡単な出題が続くはず。まずはご主人様に関わる基本的な事柄から出題される可能性が高いでしょう。あとは確立の問題です。……別に出題を最後まで聞いてからでなければ回答してはいけないわけではないのでしょう? 回答を違えたところでお手つきの類もないのであれば、推当てだろうと回答してデメリットはありません」
抑揚のない解説を聞いて、スケルとカーラが顔を見合わせる。
「ルクレティア、本気だね……っ」
「さすがルクレティアさん、茶番だろうと手は抜かないってことっすね!」
「当然でしょう」
令嬢はにこりともせずに、
「茶番だろうとなんだろうと、負けるのは趣味ではありません。この場にいる誰もかも、叩き伏せてさしあげますわ」
冷たく燃え上がる闘志の発露を受けて、観衆からおおー、と声が上がる。
「あのお姉ちゃんかっこいー」
「でもちょっと大人気なーい」
「お黙りなさい」
口々に騒ぎ立てる妖精達にぴしゃりと言って黙らせてから、挑発的な眼差しがユスティスに向かう。
「さ、ユスティス。どうぞお続けなさいな。まさか今頃になってルール変更などと言い出さないでしょうね。この程度のことは事前に予想して然るべきですもの」
「……あの人の回答だけ、問答無用で不正解にしたくなってきました」
「それはやめておいた方がいい」
「わかってます。冗談ですよ。では、第三問」
エリアルの制止を受けたユスティスが、メモ書きをめくり、次の出題に向けて息を吸いこむ。
彼女が呼気とともに台詞を吐きだしかけたその瞬間、――すっと手が挙がった。
右手を高々と掲げたのは竜の少女。
周囲に困惑の気配が漂う。
当然だった。出題者はまだ一言さえ口にしていない。その状況において、絶対的な黄金竜の少女は自信満々に、
「『あたし』」
言い切った。
気まずい空気が流れる。
「えっと、あの」
どうすればいいのかとユスティスが反応に困っていると、
「あってたー? それとも違った?」
にこりと微笑んだ竜少女が訊ねる。
なにかの不穏さを感じて再び顔を見合わせるスケルとカーラの隣で、なるほど、と苦々しくルクレティアが呟いていた。
「ええと、……違ったんですけれど……」
「そっかー。仕方ないね。じゃ、続けて?」
ストロフライはうんうんと頷いた。
「あ、はい。それでは――っ」
言いかけた直後、間髪入れずに手が挙がる。
「『あたし』」
「えと、すみません。違います……」
「そ。じゃあ次いって?」
「……はい。それでは、」
再びの挙手。
「『あたし』」
ユスティスは泣きそうな顔になって、隣のエリアルに助けを求める。
「なんですか新手のイジメですかこれ」
「……いや、違う」
元々が青い肌色を持つ美貌の人魚は、それをさらに青くした表情を引きつらせていた。
「わからないか?」
「全然わかりません……。なにがしたいんですかあの人」
「簡単だ」
ごくりとエリアルは唾を呑み込んで、
「……あの方は、出題の内容なんて初めから聞く気がない」
「ええ? でも、それじゃずっと不正解になっちゃいますよ。私がそういう質問をすれば違うでしょうけど」
言ってから、はたと気づいてユスティスも頬を引きつらせる。
「もしかして、」
「そういうことだ。あの方はそう言っているんだ。つまり――“『あたし』が正解になる出題をしろ”と。いや、言ってはいない。強制もしていない。ただ、君が“回答に見合う出題をするまで”、これから先ずっとあの解答が続くだけだろう」
ユスティスは絶句して、それから悲鳴じみた声をあげた。
「それはもうなんかゲームの趣旨が違ってきちゃいませんかっ?」
「ルールには則っている。……今さらだが、お手つきありにするべきだったな」
重々しく頷き、エリアルは溜息を吐く。どこか他人事のような口調だった。
「そんなぁ」
涙目でユスティスは解答陣を見やる。
返ってきたのは冷ややかな眼差しと同情的な視線だった。
「いやあ、ユスティスさんのポジション美味しいなあって思ってましたけど、大変っすね。がんばってくださいっす!」
ぐっと拳を握りしめてくるスケルを恨めしそうに見つめてから、右端の位置に着いた黄金竜に視線を流す。
満面の笑みがそれを迎えて、
「――さ、続けて?」
帰りたい、ユスティスは強く思った。
面白そうだと思ってこんな役目を受けたのが間違いだった。ただの観衆で満足しているべきだった。
どうする。いっそのこと彼女が望むとおりの出題をすればいいのか。だが、その時点でこの茶番が破綻してしまうことは確定してしまうだろう。
かまうものか、とすぐにユスティスの内面は振り切りかけた。
そのまま、絶対者の威光に屈した台詞を投じかけて、
「大丈夫だよ」
穏やかな声がそれを止めた。
声を発したのは出題者の一人、短髪に耳の横だけを長く伸ばした少女だった。
優しげな風貌。しかし、暴れれば一騎当千の戦闘能力をその身に控える魔物まじりのカーラは、まっすぐな眼差しに強い意思を秘めて、ゆっくりとユスティスに語り掛けた。
「大丈夫。――続けてください」
なにが大丈夫なのか。
ユスティスは口にしかけた弱音を呑み込んだ。彼女を見るカーラの表情には、深い自信が満ちあふれていた。
「わ、わかりました……」
ごくりと唾を呑み込む。
そして、
「それでは、――っ」
ユスティスが出題の最初の一句、その言葉にもならないわずかな音の欠片を発した瞬間。
ほとんど同じタイミングで、二人が手を挙げた。
一人は言うまでもなくストロフライ。
もう一人は――カーラだった。
おお、と周囲から感嘆の声が漏れる。
二人の挙手はほぼ同時だった。
まだわずかな発音にも満たない、刹那の反応。常人ではとても不可能なその神速の行動は、どちらがより“速かった”などと判別することすら困難だったが、
「――やるじゃん」
にやりと笑ったストロフライが、ゆっくりとその手を下げた。
うおおおおお、と周囲が湧き立つ。
本人同士だけが知る勝敗の有無。それ以上に、あの絶対者が自ら負けを認めたことに、驚きの声が上がるのは無理からぬことだった。
「ありがとうございます」
にこりとカーラが微笑む。
最強種族。そのなかでも飛び抜けた存在と目される存在との反応勝負に勝ったというのに、その表情はどこまでも穏やかだった。
それを見たストロフライが満足そうに微笑む。
「えっと、それじゃ」
カーラが口ごもる。
出題がなにかわからないのでは彼女も正解できるはずがない。
彼女の行動はあくまで、黄金竜への牽制でしかなかったが、
「お待ちなさい。……ユスティス、挙手した後に出題の続きを聞いてはいけないというルールはあるのかしら?」
ルクレティアの発言にユスティスは眉をしかめ、はっとして頭を振った。
「いえ、そういうルールは――ありません」
「そう。なら聞かせてさしあげてはどうかしら」
言ってから、ルクレティアはちらりと黄金竜に目線を送る。
「よろしいでしょうか、ストロフライさん」
彼女がカーラを援護するような発言をしたのは、ゲームの進行を求めてのことだろうと思われた。
ストロフライの行いが続く限り、まともな進行は叶わない。
当然、勝利を求めている以上、ルクレティアとカーラも相争わなければならない関係ではあったが、たとえ彼女達が連携したところでその前に立ちはだかる存在は眉をひそめることもなかっただろう。
「もちろん、いいよ」
絶対者である黄金竜は鷹揚に頷いてみせる。
その表情はむしろ機嫌が良さそうですらあった。
カーラとルクレティアもそれに応えるように不敵に微笑む。
三者の間で目に見えない気配が渦を巻いていた。
異様な雰囲気に水を差すことを恐れるように、おずおずとユスティスが口を挟む。
「ええと、それじゃあ出題の続きを言いますね。――『マギさんの一番好きなところはどこですか?』」
「へ?」
きょとんとカーラが目を丸めた。
「ですから、出題です。『マギさんの一番好きなところはどこですか?』です」
繰り返すユスティスの隣で、エリアルが首を捻っていた。
「それは出題になっているのか……? というか、なにが正解なんだ?」
「仕方ないじゃないですか、だって出題票のなかにあるんですから……。まあ面白そうですし、いいということにしましょう」
この時点でユスティスもだいぶ自棄になっていた。
「さあ、カーラさん。回答をお願いしますっ」
「ぇ? そ、そんなこと急に訊かれても――!」
カーラの頬が赤く染まり、肩がみるみるうちにすぼまっていく。
最強の黄金竜と堂々と相対した雰囲気などどこかに消え去って、後には周囲に恥じ入る年頃の少女が残った。
「あの、やっぱりボク、いいです……」
「いいえ、駄目です! 挙手した以上、カーラさんには答えてもらいます。大丈夫です、ほら、マギさんならあそこで気を失ったままですっ」
自分が追い詰められた立場から逃れたユスティスが、嬉々としてカーラに迫る。
彼女が指をさした先では、この茶番の生贄である若い男が巨人に掴まれたままいまだにぐったりとしていた。
茹で上がりそうな顔色で、しばらく右往左往としていたカーラは、やがて覚悟を決めたようにきつくまぶたを閉じると。
消え入るような声で告げた。
「……優しいとこ、です」
それを聞いて、
「あざといねー」
「あざといですわね」
「あざといっすねぇ」
「……あざとい、です」
「なんで! ていうか、シィちゃんまで!」
他の解答陣の反応に、ショックを受けたようにカーラがわめく。
ユスティスは晴れ晴れとした表情で大きく頷いた。
「いやあ、実にあざといお言葉ですが、これは正解でしょう!」
「というか、もはやルールとかどうでもよくなってきてるな……」
隣のエリアルが冷静に呟いていたが、ユスティスは聞こえない様子で続けた。
「私が求めていたのはこれですっ。さあこんな感じでいきましょう! というか今思ったんですけど、こういう問題なら別に回答者が一人である必要ありませんよね。それなら私がイビられることもありませんし。というわけでそろそろ全員が回答する形式にしましょう。それにマギさんが一番、好ましい回答を選んで正解にするという形です。これなら私に被害はなくなんだかいろんなことを楽しめそうです」
「君、思った以上に性格が悪いな……」
ユスティスは無視して一つ目の巨人を見上げると、
「マギさん、目を覚ましてください。あ、巨人さん、ちょっと軽く揺さぶってみていただけますか。大丈夫です、死にはしません」
サイクロプスは精霊語を理解しないが、身振り手振りを含めたやりとりをいくらかして意図を了解したらしく、右手に包んだ男を揺さぶる。
「うっ……」
呻きながら目を覚ましたマギが、朦朧とした表情で眼下を見おろして、悲しげに呟いた。
「夢じゃ……ないのか……」
「もちろん現実です。というわけでマギさん、これからは皆さんが出した回答のうちどれが正解かマギさんに決めてもらいますから、ちゃんと起きて聞いていてくださいね」
「は? おい、ちょっと待て」
マギの言葉を聞かず、ユスティスは手元の出題票をめくる。そして、にんまりと微笑んだ。
「では、いきます。――『ご主人が好きなプレイはどういうものだと思いますか。想像、実体験どちらでもかまいません』」
「やめろおおおおおばかあああああああああああああああああ!」




