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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
20/35

「真白い想い」④

 奥まった森の中にある妖精の泉では、一風変わった宴が開かれていた。

 泉に棲む妖精達が主催し、その近くで屋外生活を体験している蜥蜴人達も手伝って、彼らが主賓として迎えているのはたった一人の巨人だった。


 サイクロプス。

 精霊語を介さない一つ目の巨人は、ただでさえ小柄な妖精族の住処ではほとんど天を衝くような巨大さだった。

 なにもかも造りの小さすぎる酒宴の真ん中に設けられた席上、草敷きの上に腰を下ろして穏やかな気配を纏う巨人の周囲には、奔放な妖精達がまとわりついている。なかには巨体をよじ登り、背中を滑り降りる遊びに興じている者もいて、


「こらー! お客に向かってなにしてるんだ!」


 妖精の女王が腕を振り回すが、話を聞く妖精は一人もいない。

 シィはおずおずと巨人を見上げて、頭を下げた。


「……あの、ごめんなさい」


 屋根のような高さから巨人がシィを見下ろす。

 逆光で相手の表情がよくわからず、シィは手を掲げた。


 巨人の腕が動き、ゆっくりとシィの目の前に近づく。

 シィの頭より大きな指先が、撫でるように左右に揺れた。――気にするな、と言っているようにシィは感じた。


「――ありがとう」


 ぺこりと頭を下げるシィの頭のてっぺんで、ドラ子がきゃっきゃとはしゃいでいる。

 小人はそのまま巨人の指先に飛び移り、腕をよじ登っていった。


「……すみません」


 手の届かないところへ行ってしまった相手を引き留める間もなく、シィはもう一度、巨人に謝った。

 巨人は緩やかに肩をすくめただけだった。


「じゅ。用意でキタ」


 後ろからやってきたリーザが告げる。


 酒宴の用意が整っていた。

 妖精が普段食べている木の実や蜜以外にも魚や肉も並んでいる。それらは蜥蜴人達が狩猟してきたものだった。


「よし、始めるぞ! お前らいい加減にしろー!」


 巨人の上で戯れている同族を叱りつけてから、女王が大きな木の実を割ってそのままお椀にした杯を掲げて、


「――」


 乾杯の声は響かなかった。


 女王が口を開きかけた、まさに瞬間。

 虚空に現れた闇が一瞬でその場の全てを包み込んだからだった。


 闇は一瞬で凝縮、消失して、後にはなにも残らなかった。


 ◇


「――でもさ、ルクレティア。今日の昨日ですぐに出発だなんて、よほど急ぐんだね」


 メジハで用立てた馬車に乗り、街道を進んでいた車内。

 持ち込んだ資料に目を通していたルクレティアは、向かいからかけられた言葉にちらりと目線を上げた。


「急に同行を頼んだことについては悪いと思っていますわ。カーラ」

「そうじゃなくてさ」


 カーラが苦笑して、


「そんなに急ぐってことは、すごく良くない事態なのかなって。そういうわけじゃないの?」

「……そう解釈していただいても間違いではないですわ。正確には、悪くなる恐れがある。ですけれど」


 豪奢な金髪を揺らして、ルクレティアは首肯した。


「加えて、状況そのものが不鮮明です。バーデンゲン商会を通じて送られてくる情報にも限りがあります。距離の存在はどうしようもありませんが、情報伝達の手段についてはさらに考えないといけませんわね」

「良くない事態っていうのは、やっぱりストロフライさんの金貨のこと?」

「ええ」


 頷き、懐から真新しい硬貨を取り出す。

 精巧な意匠で象られた純金の一枚。まったく褪せないその輝きは、恐らく何百年と経とうがそのままなのだろうという絶対的な確信があった。


 表面には、雄大に翼を広げた黄金竜の姿。

 そして、裏には――ひどく冴えない風貌の男の胸像画。


 その両者が“当然のように”並んでいることが多少は面白くなく、ルクレティアは硬貨の裏面を爪弾くようにしてから、


「ストロフライさんが世界中に配った金貨。この二月ほど全世界を混乱の坩堝に落としていたことの影響が、いよいよ表面化してきたようです」

「でも、ルクレティアはずっとそのことで対策を考えてきたんでしょう?」

「私は別に千里を視る眼を持つわけでも、万理を知る賢者でもありません」


 ルクレティアは苦笑するように言って、


「もちろん、前もって予測出来得る事態については考え尽くしてきたつもりですが、それでも万全にというのは難しいのでしょう。私自身の力不足を言い訳するつもりはありませんが」

「……なにがあったの?」


 真剣な表情で訊ねてくるカーラに、ルクレティアはちらと切れ長の眼差しを投げかけて、


「――アカデミーに動きがあるようです」


 告げた。


「魔物アカデミー? ギーツとの交易で、なにかトラブル?」

「いいえ、そうではありません。アカデミーとギーツとの商いそのものはつつがなく始まっています。この二か月の間だけで、バーデンゲンの商隊も往復しているそうですわ。問題は、むしろ逆のことです」

「逆?」

「どうやらアカデミーはバーデンゲン以外にも交易相手を拡大しようとしているそうです」


 カーラが眉をひそめる。


「それって良くないことなの?」

「長期的に見れば妥当な話ではあります。人間と魔物との商い。それを可能にした者が独占的な利益を得られるのは初めだけで、いずれそれに続く誰かが出てくるのはむしろ当然です。人の口に戸は立てられず、噂は魔素によって運ばれる如く広がるもの。けれど、商いが始まったその月にこのような展開になるというのは思っていませんでした」


 ルクレティアは鬱蒼しげに優雅な金髪をかきあげて、


「せめて半年。その程度は先行利益を存分に稼げると予想していたのですが。思い通りにいかないというのも、世の常ではあるのでしょうけれど」

「どうして急にそんなことになったの?」

「これですわ」


 ルクレティアは手にしていた硬貨を弾いてみせた。


「ストロフライさんの金貨? ええっと、ちょっと待って」


 カーラは混乱した様子で頭を振って、


「……その金貨を持っている人が大勢いるから、人間と魔物の商いが活発になったってこと? それが“通貨”になるから?」

「少し違います」


 ルクレティアは肩をすくめた。


「金貨の存在が理由ですが、それを所持していることが直接の要因ではありません。――少し前、妖精の方々のところで会った巨人を覚えていますか?」

「サイクロプスさん? うん、覚えてるよ」

「あの方が、ストロフライさんの金貨を用いた首飾りを下げていらっしゃったでしょう。森のなかで拾った金貨をシィさんが巨人に渡したとも」

「うん」

「肝要なのはそこです」


 カーラはううんと唸って考え込み、情けない声で音を上げた。


「ごめん。もうちょっと詳しく」

「本来、サイクロプスというのは意思疎通ができない相手です。温厚で、決して敵対的な魔物ではありませんが、わかりあえない存在。理由は、彼らが精霊語を介しないからです」

「うん、そうだね」


 カーラが、あっと目を見開いた。


 こくりとルクレティアは頷き、


「シィさんは手に持っていた金貨を譲り渡すことで、巨人との間にか細い意思疎通を可能としたわけです。つまり――精霊の“言葉”ではなく、ストロフライさんの“金貨”が相互理解のツールとなった。この意味がわかりますか?」

「……新しい“価値”。ルクレティアがずっと言ってたのって、そういうことなんだね」

「そうです。ストロフライさんがいったい何万枚、何十万枚の金貨を世界中に配ったかはわかりませんが、そのこと自体はたいして問題ではないのです。稀少性や流通性によってそのものの価値などどうとでも変わるのですから。加工性という点では、この金貨にはまったく価値がありませんしね。そんな些事よりも問題なのは、まだ貨幣を用いていなかった種族や言葉の通じない生き物にまで、それを知らしめたことによる影響――強制的にこの世界が一個の経済圏に推し進められたことこそが、一番の大事なのです」

「しかも、精霊を介さないで?」

「その通り。今まで“言葉”と“教え”によってこの世界を制御してきた精霊の方々が、焦慮したとしても不思議はありませんわね」


 ルクレティアは愉しげに肩をそびやかした。


 渋面のまま、自分が聞いた物事について整理するような間を置いてから、カーラが改めて口を開きかけたが、


「――え?」


 なにかに気づいた様子で、はっと口を閉じた。


「カーラ?」


 名前を呼んでから、ルクレティアも先程まで車内を揺らしていた振動がないことに気づいて、眉をひそめる。


「ユスティス? なにかありましたか?」


 御者台にいるはずの血の繋がらない妹に呼び掛けながら、扉に手をかける。


 ルクレティアが扉を開けると、そこはまったく知らない場所だった。


 ひどく真っ白い空間。

 壁も床も天井も白いためにまるで奥行きが掴めない広大な空間に彼女達はいて、



「第一回! ちきちき! マギちゃん争奪カーップ!」



 その中央、えへんと胸を張って仁王立ちした黄金竜が高らかに宣言した。


 ぱちぱちぱち、とまばらな拍手が起きる。


 すぐ近くには死んだような目をした人魚が数人と、スケル。

 さらに周囲ではたくさんの妖精達がきょとんとしていて、一番奥には先程、話題にあがった巨人までがいる。


 巨人が高々と掲げた右手には、なぜか彼女達の主である若い男がぐったりと握りしめられていた。


 ――獲物か、あるいは生贄かなにかのように。



『…………』


 目の前で起こりつつある事態がまるで理解できず、ルクレティアとカーラはただ真顔でその場に佇んだ。



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