「真白い想い」②
急いで洞窟の上部に戻り、主人の部屋に駆け込む。スケルはそこで、精霊形をとった黄金竜の少女が若い主人に複雑な関節技を仕掛けている光景を目撃した。
「あ、スケルちゃん。やっほー」
「や、やっほーデス。ストロフライさん、いったいなにをされていらっしゃるんで?」
なにか前衛的に極められた男からは悲鳴すら上がらない。
身体のあちこちからミシメキと軋むような音が聞こえてきそうな相手には、意識があるかどうかも怪しかった。
恐る恐る訊ねるスケルに、ストロフライは天真爛漫にからりと微笑んで、
「んー? マッサージ! マギちゃんがさ、身体の調子が良くないって言うからー」
「ま、まっさーじ……。なにやら、別の意味で昇天しちゃってるような気がしますが!」
「そーお? これくらいでもう平気かなー?」
首を傾げた少女が腕をほどくと、解放された男はふらふらとその場に崩れ落ちかける。
慌ててそれを支えようと手を伸ばしながら、スケルは主人の顔を覗き込んだ。
「ご主人、大丈夫ですかいっ」
「だ、大丈夫なわけあるか……っ」
しくしくと涙を流しながら呻くマギ。
「頼む、スケル。あの竜に一回、ガツンと言ってやれ。じゃなきゃ俺、そのうちに死んじまうぞ……!」
「嫌っすよ。自分に出来もしないことを言わないでください」
泣きごとをあしらいながら、スケルは相手をベッドに戻す。
その様子をにこにこと見守っていたストロフライがふと周囲を見渡して、
「今日はスケルちゃんだけ? 他の子達は?」
「ああ。みんな、色々と忙しくて。俺とスケルは留守番なんだ」
マギの言葉にへえと頷いてから、にんまりと笑う。
「それじゃー、今日は三人で遊ぼっか。昔みたいに! どこか行く? どこ行く? 世界の果てまでかっ飛んじゃう?」
『いやいやいや』
スケルとマギは同時に首を振った。
「だから、留守番だって言ってるだろ。どこも行かないぞ」
「えー」
黄金竜の少女が可愛らしく頬を膨らませて、
「つまんない! せっかく遊びに来たのにー」
「駄目だって言ってるだろ」
すげなく応えるマギの態度に、スケルはおおっとなる。
最強の黄金竜を相手に堂々とした振る舞いをみせる主人の成長ぶりに感心したからだが、
「じゃあ、家のなかで出来るコトならいい?」
「――勘弁してください」
邪な表情でちらと牙を見せる竜に、一瞬でがくがくと震えはじめる男の姿を見てため息をついた。
「まあまあ。ストロフライさん、とりあえずお茶なんていかがですか? ご主人をどういたぶるかについては、のんびりお決めになってもよろしいんでは」
「んー。じゃあ頂戴。あっついヤツねっ」
「あいあいさ。しばしお待ちを!」
「ちょっと待て、いたぶるってなんだ! スケルお前、自分だけ逃げようとしてるんじゃないだろうな!?」
悲鳴じみた声を無視してスケルは流し台に向かい、飛び切りに熱く淹れた茶を用意した。
盆を持って戻ると、古い木椅子に腰掛けた黄金竜が卓に肘をついて、至近距離からすぐそばのマギをにこにこと見つめている。
その椅子も卓も以前のように竜が使っても壊れないように強化されているのだろうか、などと思いながら、スケルは持ってきたお茶を宅に整えた。
「どうぞ、ストロフライさん」
「ん、ありがとー」
お茶を一口しながら、視線はマギに注がれたまま動かない。
そうした態度はまさに恋する乙女のそれだと、スケルは苦笑いしながら思った。
一方の男は、蛇に睨まれた蛙どころではない程に委縮しきっていた。
さっき感じた成長の兆しはやはり気のせいだったのだろうと思いながら、スケルは助け舟を出すことにする。
「そういや、ご主人はつい最近まで寝たきりだったんですが、ストロフライさんはなにをされてたんです?」
「あたしはねー、家に戻ってた」
「家っていうと、お生まれの?」
「うんうん。たまには帰ってやるかなって。こないだ会ったばっかりなんだけど、一応ねー」
「なるほどー。わざわざ、部下の竜さん方を引きつれてこっちにいらっしゃるくらいですから、お父様もさぞ喜ばれたんじゃありませんか?」
「まあねー。ほんとはマギちゃんも連れて行きたかったんだけど。ちょっと疲れてたみたいだから」
「ちょっと……? あれが、ちょっと……?」
深淵を窺うような表情でなにか呟いているマギを無視して、スケルはからからと笑う。
「まあご主人はしばらく廃人みたくなってましたから、連れてってもあれだったでしょうね。ストロフライさんとの一夜がよほど強烈だったんでしょう」
正確には一夜ではないかもしれないが、実際に昼は来ていないのだから間違ってもいない。
スケルの隣でマギが呻くように、
「そりゃもう強烈だったさ……。色々とな――」
「やだなあ、マギちゃん。なに言いだすのーっ」
ストロフライが機嫌良さそうにマギを小突く。
ちょっとした動作にしか見えなかったが、肩口を軽くつつかれた男が声も出せずに悶絶し、地面を転がりまわる様を見てスケルはぞっと背筋を震わせた。
にじるように竜の少女から距離をとりながら、
「そ、それで今お戻りになったところで?」
「うん。あっちの世界はさ、色々と頑丈に作ってるからそりゃ居心地はいいんだけど、なんか退屈なんだよねー。それに、」
「それに?」
「あっちにはマギちゃんがいないしっ」
これはひどいノロケだと、スケルは苦笑いするしかない。
「帰る時もさー、親父がなんか色々うるさかったから。とりあえず、ぶっ飛ばして戻ってきたの! ごめんね、マギちゃん。またうちの連中がこっち来るかもー」
「それは。まあ、別にいいけど」
顔をしかめながら言うマギに、ストロフライがにっこりと微笑んで、
「大丈夫。そん時はまたあたしが吹っ飛ばすから!」
「この世界ごと吹き飛ばしてくれるなよ?」
「んー。努力する」
「努力かよ。ていうか、別に吹き飛ばさないでくれていいさ。親父さんだって、別に悪い人じゃないし。いや、人じゃないけど」
「うん、わかったー」
まるでその答えがわかっていたかのように嬉しそうに応えるストロフライに、スケルは目を細めた。
「……なんだか、いいっすねぇ」
ぽつりと言葉が漏れる。
二人から視線が向けられて自分の呟きに気づいて、あわてて手を振った。
「ああ、すみませんっ。なんでもないんで、気にしないでくださいな」
「そうなの?」
「ええ、そうなんです」
応える表情がぎこちないことを自覚しながら、スケルは頷いた。
頭をかいたマギが、
「ええと。ちょっと俺、スライム達に餌やってきていいかな。ジニー、席外して大丈夫か?」
「うん、いいよー」
「じゃあ、行ってくる」
席を立ち、部屋から出て行く男を見送ってから、くすりとストロフライが笑みを漏らした。
「それで、スケルちゃんはなにか悩み事?」
一瞬、しらを切ろうとしたスケルだったが、すぐに諦めた。
目の前の相手は隠し事ができる相手ではない。
「いやあ、悩み事ってわけでもないんですが」
「うん、なーに?」
「ええと、なんて言うんでしょうね。普通にご主人ストロフライさんが仲良さそうだったんで、そう思っただけなんですが」
「そう? スケルちゃんだって仲いいでしょ?」
「まあ、そうなんですがね……」
頬をかきながら、
「えーと。すいません、自分でもなに言ってるかよくわからなくてですね。ちょいとズレちゃってるかもしれませんが、質問してもよろしいですか?」
「うん、いいよー」
「ストロフライさんは、あれですよね。ご主人のことを好いていらっしゃるんですよね」
「うん。そうだよ」
あっさりと竜少女が頷く。
「それで、ご主人のまわりには他にもそういう方々がいらっしゃいまして。……近くにいない相手もですが」
「うん、それで?」
「そういう相手のこと、どういう風に思っていらっしゃるんです? つまり、自分以外にご主人を好きな相手に対してですが」
「別になんとも思ってないよ?」
あれ、とスケルは首を傾げた。
「気にならないんですかい?」
「ぜんぜん」
まったく虚勢ではない動作で応える。
スケルはうーむと腕を組んだ。
「竜の方々ってのは、そういうものなんでしょうかね?」
「どうだろ? そういうわけでもないと思うけど、あんまり興味ないかな。だって、あたしはあたしだしね」
「なるほど」
他者の在り様など関係ない。
最強の竜らしい自意識にスケルは感嘆した。
ふと別の疑問が沸く。
「ストロフライさんは、ご主人にどうなって欲しいとかあるんです?」
「マギちゃん? マギちゃんはマギちゃんでいてくれたらそれでいいよ」
「あたしの男になったからには、世界くらい征服してみせろ!とか」
「えー、別にそんなのどうでもいいけど」
けらけらと笑い、
「だって、あたしの初恋相手になったんだもん。こんなちっちゃな世界を征服するなんかよりよっぽどじゃない」
「まあ、それを言われてしまえばそうなんですが!」
「別にあたしは気にしないよー。スケルちゃんがマギちゃんに迫ってもっ」
スケルはぎょっとして、それから頭をかいた。
「ええと、まあ実はちょいとそういうことも企んだりしたりしていなかったりだったんですが、」
「うん、いいんじゃない?」
にこりと黄金竜が続ける。
「なんならあたしも協力するし」
「それはお気持ちだけありがたく受け取らせてください」
スケルは全力で断った。
ストロフライは朗らかな表情のまま、
「そんな遠慮しないでいいってばー。じゃ、さっそくどういう作戦でいくか話し合おっか」
「ああ、もう話が進んでる!?」
「よし行くぞ、スケルちゃんっ。マギちゃんメロメロ作戦だっ」
「いつのまにか作戦名まで決まってる! 助けてご主人!」
黄金竜の暴走が始まった。




