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スライムなダンジョンの閑話集  作者: 再藤
また始まる前の、後日談
17/35

「真白い想い」①

 元々がしがない骨の身であった立場からすると、肉体を得て一番の喜びはお酒を飲めるようになったことだとスケルは思う。


 食べる、飲む。どちらも以前には出来なかったことだが、特に後者だ。お酒は楽しい。

 とすれば、この身を持って一番の不幸はなんだろう――一番かはわからないが、間違いなく上位に入ることは、恐らくこれではないだろうか。


 ずきずきと頭の奥から染みるような疼痛に耐えながら、スケルは寝台の上で身じろぎした。

 少しでも楽な姿勢がないか試行錯誤する、というよりは少しでも意識を他に向けるためだったが、逆にいっそう気分が悪くなりかけた。


 諦めて、天井を見上げる。


 重く、圧迫した雰囲気の天井からは、今にも水滴がしたたり落ちてきそうだった。

 湿気た洞窟。この湿気も良くない、と思うのはただの八つ当たりだとさすがに思ったから、目を閉じた。


 そこでようやく、ぺしぺしと先程から頭を叩かれていることに気づく。

 うっすらと彼女が瞼を持ち上げると、


「ああ、ドラ子さん。おはようございます……」


 頭にマンドラゴラを生やした小人がこちらを覗き込んで来ていた。

 無垢な眼差しを受けて、只でさえ白い顔色を青白くさせたスケルは無理に微笑んでみせる。


「心配してくれてるんです? ただの二日酔いなんで、自業自得ってやつっすよ……」


 ドラ子が不思議そうに首を傾げた。わかっているのかいないのか、目をぱちくりとしてからまたぺしぺしと始める。

 説明を諦めたスケルは、甘んじてその行為を受け入れることに決めた。


 相手の好きにさせるまま、うんうんと唸り声を上げていると、ふとその刺激が消える。

 不思議に思って目を向けると、


「……大丈夫、ですか?」


 悪戯好きの小人を胸に抱えた小柄な妖精が、心配そうな眼差しですぐ近くに立っていた。

 じたばたと暴れる相手をめっと叱ってから、


「ごめんなさい。ドラ子が、」

「いやいや、全然だいじょーぶっすよ」


 スケルはにへらと笑う。


「それよりシィさん、話し合いは終わりですか?」


 シィはこくりと頷いた。


「あー、参加できないですみません……。なんか決まったこととかありましたかね」


 問いかけられた小柄な妖精がなにか口を開こうとしたところに、


「スケルさん。具合はどう?」


 魔物まじりの少女、カーラが部屋の扉に顔を見せていた。手にお盆を持っている。


「まあ、毎度のことですんで。休ませてもらっちゃってすみません」

「ううん。薬湯、持って来たよ」

「ああ。こりゃどうも」


 差し出された椀を受け取り、スケルは身体を起こして苦い顔でそれを飲み干した。

 実際、ひどく苦い。

 けれどその分、効果がすぐに染み渡るように感じられた。それはもちろんただの気のせいなのだろうが、


「ありがとうございます。だいぶ楽になれそうです」

「よかった」


 カーラはにっこりと笑った。


「あのね。さっき決まったんだけど、ボク、これからちょっと留守にするね」

「どこかへお出かけです?」

「うん、ちょっとギーツの街まで。最近のこととか、アカデミーとの商売とのことで色々あるみたいで、ルクレティアが顔出さなきゃいけないらしくて。それで、ボクも一緒に行くことになって」

「ってことは、ご主人もですかい?」


 ううん、とカーラは頭を振って、


「今回はマスターもお留守番。マスター、まだ無理をしたら良くないだろうから。だから、ボクとルクレティアと、あとユスティスさんの三人で行ってきます」

「……ユスティスさんもで?」


 語尾に含まれたわずかな懸念を感じ取ったように、カーラは苦笑してみせた。


「うん。ちょっと不安だけど。大丈夫だと思う」

「ならいいんですが……。すいません。あっしもご一緒できれば良かったんですが、このざまでして。ちょいと馬車は辛そうです」

「ううん。スケルさんはマスターのこと、お願いします」

「あいあい。そっちはお任せを」

「一応、薬湯のお代わり、置いとくね。それじゃ、行って来ますっ」

「ういっす。お気をつけてー」


 部屋から出て行くカーラを見送って、スケルは残されたシィに目をやった。


「シィさんも留守番組です?」


 ふるふると首を振る。


「……私も。森の方に、顔を出すつもりです。リーザさんと一緒に」

「ああ、シィさんとリーザさん、あっちの責任者な感じですもんね」


 若い蜥蜴人達が洞窟の外へ転居する一環として行われている、屋外生活の体験学習。その活動は近くの森に縄張りを持つ妖精族の泉で行われていた。


「この間、知り合いになった巨人族の人が遊びに来るっていうから。女王様が、私も来いって。それで」


 なるほどー、と頷いてからスケルはふとしたことに気づいて眉を寄せた。


「ってことは、シィさん達もしばらく留守にするわけですね」


 シィはこくりと頷く。


「んでもって、カーラさんやルクレティアさん達もしばらく洞窟にはいらっしゃらない、と」


 こくこく。


 スケルは俯きがちに黙り込んだ。

 不思議そうに顔を覗き込んだシィがびくりとする。


 頭から爪先まで真っ白い元スケルトンは、ひどく人の悪い表情を浮かべていた。


 んふふふふふ、と口元から不気味な笑みが漏れる。

 気分が悪いのではなかった。あれだけ酷かった二日酔いのことなど頭からさっぱりと忘れてしまっている。


「――これは、チャンスかもしれませんねぇ」


 顔を見合わせたシィとドラ子が、揃って首を傾げた。



「というわけで、これは千載一遇のチャンスだと思うわけなんですよ!」

「いや。なにが、というわけでなのか知らないが……」


 地下に棲む二種族の一つ、魚人族の代表を仮に努めている美形のマーメイド、エリアルは、突然やってきた上からの客に半眼をつくった。


「とりあえずなんの話か説明してくれ。ただ単に茶を飲みにきたわけではないんだろう」

「もちろんっすよ!」


 地下湖の岸辺にある岩作りのテーブルに腰かけて、スケルは平たい岩をびしばしと叩いた。


「いくら日頃からダンジョンの修復、改築作業の監督をサボってエリアルさんとこで駄弁ってるとはいえ、今日ばっかりは違います! ちゃんと用事がある時だってあるんです! 今がその時です!」

「いや、そんなに力いっぱいに力説してくれないでも、世間話をしに来てくれるだけでも私は嬉しいけどな。それで、なにがチャンスなんだ?」

「ご主人のことっす」


 エリアルは眉をひそめる。


「マギか? 消息不明だったのが見つかって、しばらく寝込んでいたんだろう? ちょっと前に目を覚ましたんじゃなかったのか」

「ええ、おかげさまで最近はリハビリ中です。まあ、一か月近く寝込んでたわけですからね。ですが、そんなことはどうでもよろしくてですね」

「いいのか……?」

「いーんです。そのご主人の周りに誰もいなくなってしまうってことの方でして。皆さん、ギーツの街へ出かけたり、妖精さんの森に出かけたりしちゃってるんですよ」

「へえ。それじゃ、しばらくはスケル、お前とマギの二人きりか。昔を思い出して懐かしいんじゃないか?」

「ええ、まったくその通りです。ま、そん頃の自分はただの骨っ子でしたけどね。口も利けませんでしたし。……というわけで、」


 しみじみと頷いてから、スケルはおっとり気味の目線をすっと細めて、


「――この機会に、ご主人のことを襲っちまおうかと思うんですが」


 言った。


 それを聞いたエリアルは、困惑したように眉を寄せてから、


「ええと、うん。いいんじゃないか?」


 淡泊な反応に、スケルはえー、と不平の声をあげた。


「それだけっすかあ?」

「それだけもなにも。というか、なんでわざわざそんな宣言が必要なんだ」

「だってご主人、イケズなんですもん」


 スケルは唇を尖らせて、


「こっちは前からコナかけてるってのに、まるで気づきやがりもしない。というかあの男、あっしのことをただの友人ポジだと勘違いしてる節があります。そうでもなくちゃこんなイイ女、放っておくなんてどういう了見だって話ですよ」

「そうなのか? だがスケル、前はそういう関係が嬉しいみたいなことを言ってたじゃないか」

「それはそれ。これはこれ、っす!」

「……そうか」


 諦めたようにエリアルが目を閉じる。

 スケルは気づかない振りをして続けた。


「いつもは、カーラさんにルクレティアさんがいるからしょうがないのもわかるんですよ。お二人とも、性のツワモノですしね。最近は夜、ご主人とこにはいつもシィさんがいらっしゃいますし。だがしかし! その全員が不在という今、あっしが積極策に出るのを阻める相手は一人として存在しません!」

「まあ、そうだな」


 というかな、とエリアルは頬杖をついた。


「抱いて欲しいのなら、ちゃんとマギにそう言えばいいじゃないか」

「ですから、前から何度も何度も――」

「いや、そういう冗談っぽくじゃなくて。正面からきちんと言えば、マギだって気づかないわけはないと思うぞ」

「え、」


 スケルはおっとり目をぱちくりとさせる。

 真っ白い顔色がみるみるうちに赤く染まる。両手の人差し指をちょいちょいとつつきながら、目線を落とした。


「だって、なんかそういうの真顔で言うのとか、めちゃくちゃ恥ずかしいじゃないっすか……」

「面倒な女だな」


 呻くようにエリアルが言った。


「だがまあ、話はわかった。だが、チャンスというのは要するに、マギとそういう行為に及ぶ機会ということだろう? そんなもの、真剣に本人に告げる以外にどうするつもりなんだ?」

「ですから、襲うわけですよ!」


 渋面になって押し黙るエリアルに、スケルは、ああ、と続けた。


「もちろん単に襲うだけじゃありません。さすがにご主人にも立場ってモンがちょいとはありますからね。あくまでご主人にその気になってもらうことが肝要です」

「……つまり、どういうことだ?」


 頭痛を堪えるような表情のマーメイドに、スケルはぐっと拳を握って、


「つまり! こっちからギリギリのラインでご主人に誘いをかけまくって、その気になったご主人が獣性を顕わに襲いかかってきたところを、逆にこっちが襲い返してやろうって寸法です! これならあっしの性欲とともに自尊心も満たされます! どうですか、この作戦!」


 自信満々の言葉に、エリアルが深いため息をつく。


「なんかもう色々と面倒くさいし問題しかないと思うが、お前がそれでいいならいいんじゃないか。私は止めない」

「やだなあ。つれないこと言わないでくださいよ」


 スケルはぱたぱたと手を振った。


「エリアルさんにもなにかいいアイデアを考えて欲しいんです。同じ人外ズのよしみで」

「なんだ、人外ズって。というか、どうして私にそんなことを訊くんだ」

「いやあ、だって訊きましたぜ?」


 くふふ、とスケルは口元に手をあてて、


「ちょいと前、ご主人と水中で逢瀬を楽しまれた時には、エリアルさんも随分と張り切っていらっしゃったそうじゃないですか」

「なっ――」


 エリアルが表情を引きつらせた。


「どうして、それを! だ、誰から聞いたっ?」

「部下の皆さんが楽しそうに教えてくださいましたぜ?」


 きっと後ろの湖を振り返ると、二人の会話を興味深そうに聞いていたマーメイド達が全員、一斉にあわてて水中へと頭を潜らせた。


 誰一人として浮かんでこない湖面をしばらく睨みつけてから、エリアルが溜息をつく。

 こほんと咳をして、


「……まったく。スケル、なにを聞いたか知らないがそんなものは――」

「『マギ、私はこういうことに疎いから色々と教えてくれると嬉しい。どうすればお前を喜ばせられるんだ?』」

「わかった、私の負けだ! 頼むから止めてくれ!」


 エリアルは即座に悲鳴を上げた。


「協力してもらえますかね?」

「わかった。協力する。協力すればいいんだろう」


 頭を抱えるマーメイドに、スケルはにっこりと頷く。


「エリアルさんに協力してもらえたら百人力です! これでこの勝負、もう勝ったも同然っすよ!  哀れご主人は、三日と経たないうちにあっしの軍門に下ることになるでしょう!」

「だから、別にそんな大層なことはなにも必要ないと思うんだが……」

「なにかおっしゃいました?」

「……いいや、なんでもない」


 諦観した表情のエリアルが頭を振る。


 ふっふっふ、とスケルは笑う。

 なにか口を開こうとした瞬間、



「――――!」



 洞窟の地下深くまで響く雄叫びが、辺りの地面を大気ごと震わせた。


 はっとしてスケルは思い至る。

 カーラ達がいなくとも、全員がいないわけではない。ただ一人、この洞窟に――洞窟の近くにまだ残っている。


 考えもしなかった。

 いや、考えたくなかっただけかもしれない。


 少なくともその瞬間まで思考の範疇になかった。

 それはその存在が、あまりにも自分達からかけ離れているせいでもあった。


「まさか、そんな……」



「マーギちゃーん、あーそぼー!」



「よりにもよってこのタイミングで来るんですかーい!?」


 高らかに鳴り響く絶対的暴君の声に、スケルは頭を抱えて叫んだ。



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