「木々の温もり」③
シィがスケルと訪れた妖精の泉には、たくさんの妖精達の姿があった。
泉の隅には数名の蜥蜴人達も見える。
それまで長く過ごしてきた洞窟から外に出て、屋外での生活体験を積んでいる彼らの一人が、シィ達に気づいて顔を上げた。
「シィ、スケル。……どうシタ」
蜥蜴人達の若手のまとめ役であるリーザ。
彼女の発音は、舌足らずというよりは舌が足りすぎてやや不明瞭だった。
「リーザさん、お疲れ様っす。その後、こっちの様子は如何です?」
「じゅ。……問題ナイ。皆、慣れてきてル」
縦の虹彩が入った目を細め、満足げにも見える表情で答える。
妖精の泉に間借りしている若い蜥蜴人の数は、十人程。
いずれも外での生活を希望した若いリザードマンだが、実際に外に出た後、その全員が新しい環境に適応できるわけではなかった。
洞窟の地下に住み、少なくない世代を重ねた蜥蜴人達にとっては暗闇こそが常態だった。
その彼らには、無暗に明るい『昼間』はかなりの心理的負担になることがわかっている。短期間では顕在化しなくとも、長い時間を過ごすとストレスが溜まるのだった。
外での生活を希望して、すぐにまた洞窟の地下深くに戻ってしまう蜥蜴人も少なくなかった。
けれど、そうしたいくつもの問題が出ることはあらかじめわかっていて、だからこその“体験学習”でもあった。
もちろんそこには蜥蜴人族と妖精族という異種間交流も含まれている。
それを取り仕切っているのは蜥蜴人側の責任者がリーザで、妖精側がシィだった。
シィの方は責任者というよりは、妖精族の代表である女王との窓口という立場に近い。
「あ、シィだ!」
「ほんとだ、シィと真っ白いお姉ちゃんだ!」
シィ達に気づいた妖精達がわらわらとやってきた。
「どうしたの、遊びに来たの?」
「今日は二人だけ?」
「女王様に、訊きたいことがあって。……今日は、二人だけ」
畳み掛けられるような勢いに、シィはなんとか訥々と応えていたが、
「――あの青いお姉ちゃんはいないの?」
無邪気な問いかけに、ぐっと言葉に詰まった。
きょとんとしている質問者の頭を、横から伸びた腕がぽかんと叩く。
「いたっ。あ、女王様」
「シィをイジめるな」
緩いウェーブがかった髪を長く伸ばした妖精の女王が、憮然とした表情で現れていた。
「イジめてないよ!」
「イジめてたっ」
「まあまあ」
口げんかになりそうな両者の間に割って入ったスケルがにこやかに笑って、
「スラ姐は、ちょっと忙しくしてまして。代わりといっちゃあなんですが、あっしが遊んでしんぜましょうっ」
えー、と妖精達から不満の声が上がる。
その中の誰かが、
「貧乳はちょっとなー」
スケルの笑みがびしりと固まった。
「貧、乳……? このアルティメットジャストフィッツサイズを捕まえて貧乳と言いやがりましたかこの野郎っ。いーい度胸だ、言ったヤツぁ三秒で出て来やがってください、その可愛いケツをぶっ叩いてやります!」
うがー、と両手を振り上げて追いかけ回すスケルから、きゃっきゃと笑い声をあげて妖精達が逃げ出していく。
途端に始まった追いかけっこを呆れ顔で見送って、妖精の女王が視線をシィに向けた。
「それで、シィ。今日はどうした?」
「女王様。実は――」
シィが訪問の理由を告げると、女王は半眼でやれやれと頭を振って、
「あのヘタレ、またなにかやらかしたのか」
「そうじゃないんです。……マスター、凄いことをしてくれたみたいで。世界を、救ったって」
「知るか。あんなヤツに救われるくらいなら、世界なんて滅んじゃえばいいんだ」
断言されて、シィは困ってしまう。
「……女王様は、マスターのこと、嫌いですか?」
「嫌いだ」
シィは悲しくなって目を伏せた。はあ、というため息が聞こえて、
「まあ、普通の人間よりはマシだ。……シィが好きな相手なら、もうちょっとだけマシかもな」
顔を上げる。
不承不承、という風に顔をしかめさせた女王が、シィの目線に気づくとぷいとそっぽを向いた。
「それで、そのヘタレ男をどうにかしたいって相談か。……シィ、お前の魔法じゃダメだったのか?」
シィはこくりと頷く。
妖精族は魔法が得意とされている。特に支援、回復などでは数ある魔物のなかでも上位の腕前だった。
シィも自分の魔法を試していたが、男の症状は良くならなかった。
「シィがやって駄目なら、私がやっても同じだろうな。私はあんまり、そういうのは得意じゃないし」
「そうですか……」
しょんぼりと肩を落とすシィを見かねたように、難しそうに眉根を寄せた女王が、
「……苦悩、悪夢か。そういうのに効く植物なら、知らないことはない」
言った。
シィはぱっと顔色を輝かせて、
「本当ですか?」
「ああ。……だが、教えるのはイヤだ」
「どうして、でしょう」
「そんなの決まってる。危ないからだっ」
女王は怒ったような表情で、
「その植物が生えてるのは、森の奥なんだ。シィも知ってる通り、森は奥に行けば行くほどいろんな魔物が出てくるし、危険だ。前、あのドラゴンゾンビが出た辺りよりもっともっと先まで行かなくちゃならない」
「教えてください。私なら、平気です」
「ダメだ!」
女王がきゅっと眉を吊り上げた。
「シィ、お前は私達とは違う。お前はもう、死んじゃったら生き返れないんだぞっ」
糾弾するような口振りに、シィは唇を噛み締める。
「でも、」
「でもじゃない! お前がそんなところに行くのなんて、私は絶対に許さない。場所だって、教えてやらない!」
腕を組んで宣言する相手に、シィは眉をひそめて口を開きかけて、
「まあまあまあ」
追いかけっこから戻ってきたスケルが口を挟んだ。
軽く息を切らせて、両腕にはジタバタ暴れる妖精を一人ずつ抱えている。
「女王さん。そんなら、シィさんじゃなくて、あっしが採りに行くってことなら、場所を教えてもらえたりしますかね?」
女王はじろりと視線だけを向けて、
「……教えてもいいが、止めておいた方がいいと思うぞ。森の深いところは、私達だってあんまりうろつかないんだ。慣れてない奴が行ったって迷子になるだけだ」
「ああ、なるほど。そいつは困りましたねえ」
「道案内してやってもいいけどな」
ただし、と女王は続けた。
「シィはここにいろ。私達はやられたってへっちゃらだけど、シィはそうじゃないんだ。それが、森の奥まで案内する条件だ」
でも、と口を開きかけたシィは、女王の表情に反駁する意欲を失った。
女王は泣きそうな顔だった。
相手が自分のことを心から案じてくれていることを悟って、拳を握りしめる。――自分が大人しくしているべきなのだろうか、と諦めかけたところで、
「いやぁ、そいつは困ります」
にっこりとスケルが微笑んだ。
「なにが困るんだ? 自分が危ない目に遭うことか?」
「いやいや。なるべくなら自分も危ない目になんか遭いたくはありませんが、それ以上に妖精族の皆さんが危ない目に遭うっていうのがね」
スケルは肩をすくめて、
「シィさんが危なくないように、ってのは大賛成ですが。それとおんなじくらい、妖精族の皆さんを危険な目に遭わせるわけにもいきませんや」
「なんでだ。私達なら平気だぞ。どうせ生き返る」
「いやあ。だとしたって、うちのご主人は嫌がると思うんすよねぇ。妖精族の方々の犠牲で薬ができるくらいなら、あのまんま放っておいた方がマシですよ。少なくとも、唸ってる当の本人はそう言うと思います。うんうん唸りながらね」
揺るぎない自信を含めて、真っ白い魔物の少女は断言した。
じっとスケルを見つめた女王が、
「……やっぱりアホだな、あの男」
「ええ、まったくもってアホですぜ」
庇うどころか、むしろ嬉々としてスケルは頷いて、
「さて、そこで一つご提案なんですが。やっぱり、シィさんもご一緒してもらいませんか?」
「だから――!」
「まあまあ。そんでですね、これ以上はどうにもヤバそうだってなったら、そこで撤収です。シィさんは駄目、他の妖精さん達は大丈夫、じゃなくて。全員が駄目ってことです。んでもって、その撤退するかどうかの判断は女王さんにしていただく、と。それなら女王さんも納得できませんか?」
女王は顔をしかめた。
「……ようするに、シィが危ないってなった時点で、そこで全員が帰るわけか」
「はいなっ。まず全員の安全を最優先。次がある妖精さん達も含めてですぜ。そんなかで、出来る限りその植物を探してみようって感じです」
スケルの提案に、女王はじっと考え込む。
「じゅ」
それまで、黙って話を聞いていたリーザが口を開いた。
「我らも、イく。……皆、護ル」
「おお。心強い! 女王さん、リーザさんもこう言ってくださってますし、如何ですか?」
なおも思案するような沈黙の後、女王はちらりとシィを見て、リーザを見て、スケルを見て。最後にもう一度、シィを見て、
「……ちょっとでも危ないってなったら、すぐに帰るぞ。森の奥のことは、私が一番知ってる。帰るって言ったら、本当に帰るからな。約束だぞっ」
「はいっ」
シィは力いっぱい頷いた。
「約束、します。無茶は――しません。一人だって、犠牲になんて、なってもらいたくありませんっ」
女王は渋面で唸るようにしてから、はあっと息を吐いた。
「……わかった。案内する」
「女王様、ありがとうございますっ……!」
シィは勢いよく頭を下げた。
それを複雑そうに見ていた女王が、表情を引き締めて顔を上げると、周囲の妖精達に大声で呼び掛ける。
「みんな、聞いたな! これから森の奥に行く! 遊びだけど、遊びじゃないぞ! シィの安全、自分の安全が最優先だ! 命令を守れないやつは参加させない! それでも行きたいやつは、今すぐ準備しろ!」
『おー!』
その場にいた全員から、威勢のよい声が上がった。




