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悪役S嬢〜悪役令嬢がS嬢って、天職なのでは?〜  作者: タケミヤタツミ
白薔薇を踏み越えた道の先に(最終章)
83/85

83:春

全てを優しく包み隠す夜が去れば、澄まし顔で朝が来る。

北国の二月、統率の取れた煉瓦造りの建物が並ぶ石畳の街は厳しい寒さで美しくも冷たい色を見せていた。

痩せ細って生気の薄い裸木の街路樹。

そんな凍り付いたように硬かった空気を太陽がゆっくりと優しく解かしていく。

降り注がれる光とは誰にでも等しい。


そこへ、まだ春の遠さを告げる白い息。

石畳にヒールを鳴らしながら、上から下まで優美に黒を纏う女が三人。

黒いコート自体ならば街中でも別に珍しくないが行き先は教会、そのうちの一人は白い花束を抱えて。



亡くなった母親への贈り物なので、ヴィヴィアの選んだ花は白いカーネーション。

一般的に春から初夏の花でも温室育ちなら年中手に入る。


勘当された公爵令嬢がナイト領を堂々と歩く訳にもいかず、今日は黒いベールを被っているので髪の色も顔もほとんど隠れた状態。

ここ何年もの間は帰っていないとはいえ念の為だ。

コートの下は妹の面会に行った時と同じ黒いワンピースに、編み上げのヒール姿。

どこから見ても美しく強かな大人の女だった。



「ヒールが似合うようになったわね、狐さん」

「ノエ、お前あまり寝てない割りに元気だな……」


ノエは首筋が見えるように髪を纏め上げ、星の刺繍が施された紺藍色のリボンが結ばれている。

月華園では髪を同色に染めているが、地毛のレモンブロンドに夜の色をした蝶々はよく映えていた。

加えて、黒いジャケットの袖とスカートがフレアになっていて慎ましやかながら甘い印象。


トワが睨む形で目を細めているのは、太陽が眩しいのか不機嫌なのか。

こちらはロングコートにパンツスタイル、短い髪や細身と相まって一見すると男のようだがヒールの靴を履きこなす足は立派な淑女。

このバランスがまた中性的な美しさを引き立てる。


それにしても、この大人二人の妙な空気感は何なのか。

ヴィヴィアが起きた時にトワがノエを叱っていたので、昨夜は羽目でも外し過ぎたのかもしれない。


折角のパジャマパーティーだったのに、正直なところヴィヴィアの方はあまりよく覚えていなかった。

長旅の疲れかいつの間にか夢の中、目が覚めた時にはもうカーテンの向こうに太陽が顔を出す時間。

故郷の朝は凛と清浄な真冬の匂い。

懐かしくも、肺に沁みる冷気で胸が痛くなる。



そうこうしている間に街外れ、教会が見えてきた。

命日でもないので公爵一家と鉢合わせすることも無いだろう。

冬の墓参りは粛然とした空気で、きっと物悲しさに拍車を掛ける光景。

無垢な白いカーネーションが似合いそうな。


なんて思っていたのだが。


霜を踏みしめていた黒い靴の爪先に、ひらりと小さな白の一片。

空には薄い雲がベールを掛けており何よりこの寒さ。

雪かと思ったが一向に溶けず、花弁と気付いた。


そしてこの花にはとても見覚えがある。

拾い上げてみれば仄かに色付いており、これはまさか。



教会の裏庭へ抜けた先にある墓地。

正解を目の当たりにして、三人とも言葉を失った。


くすんだ色の寒空の下で彩るは薄紅。

入口に根を張る大樹は一杯に枝を伸ばして、誇るように優しく力強く桜の花を咲かせていた。

北風にも負けず、雪のようにはらはら零れる様が美しい。


墓地に桜の組み合わせは決して珍しくないが、北国の春は遅れてやってくる。

例年ならば五月に咲くものだというのに一体どうしたことか。



そして、異変は根本にまで。

桜の枝が届く範囲、ぐるりと円を描くように草木が根や葉を伸ばしていた。


確かに真冬でも強い草木はあるが、こんなにも青々としているなどまるで春のようだった。

青、白、ピンクの矢車菊は背が高いのでよく目立つ。

白い春紫苑や白詰草や薺、紫の菫やカラスノエンドウ、黄色の蒲公英などが色彩豊かな絨毯を敷いている。



確かに、何かの間違いで開花が早まることはある。

急に寒さが戻って、桜に雪が降った年も。

しかしこればかりは何の奇跡か。


「まるで魔法みたいでしょう?」


朝とはいえ、桜の下には教会の面々が集まって一様に首を傾げていた。

墓地の管理人が言うには、昨日まで痩せ細って丸裸だった木々がほんの一晩で満開の薄紅に染まったという。


「……花咲か爺さんでも出たかな」


どこか含みのある声でトワが呟いた。

そういえば、学園で彼女の教えている東洋文学でそんな話があったか。

民話は文学の源流の一つでもあり関係は深かった。

この出来事もまた、教会で起きた不思議として何年も語り継がれるのかもしれない。

思い掛けず伝説の生き証人になってしまった訳か。



とはいえ、いつまでも桜にばかり気を取られてはいられない。

ここへ来た本題は飽くまでも母への挨拶だ。

そうして背を向ける前、ヴィヴィアに思い付きが一つ。


「それから、これもお供えに加えたいです」


ああ、やはりあった。


春の絨毯の中、化粧筆に似た柔らかな紫色を摘んだ。

薊と呼ばれていながら棘が無い、狐薊。

黒薔薇を捨てた今のヴィヴィアが名乗っている花。

フリルを重ねたカーネーションに狐薊は可愛らしさが増して色を引き立て合う。


野花を摘んで母と遊んだ幼い心も供えよう。

大人になる為に、ここへ置いていく。





それから粛々と墓参りを終えてからは観光を楽しんだ。

冬の街で全身真っ黒の格好は意外と目立たず、ダークトーンを纏う人々の中へ溶け込んでしまう。

ベールを脱いで、ホワイトブロンドのウィッグと化粧で変装すればヴィヴィアはもう別人。


懐かしい場所を回って、名物を味わって。

王妃教育で忙しくなってからは余裕を失っていたので、こうして街で遊ぶなんて母が生きていた頃以来かもしれない。

もう母も居らず、かつて家族だった義母も異父妹も縁が切れてしまった。

しかし縁の糸とは無数にあるもの。

代わりという訳ではないが思いも寄らぬ方向から引かれて繋がって、この二人と共に故郷に居るのは考えてみれば妙な巡り合わせ。


学園で出逢ったトワと親しくなったのが全ての始まりか。

あの時、音楽室に行かなければきっと大きく違った運命を辿っていたのだろう。


ノエとも知り合うことなど無かった。

もうじき伯爵家に嫁入りするので貴族として顔を合わせる未来はあったかもしれないが、こういう仲になるとは。


それでも、どんなに楽しかろうと帰ることを忘れてはいない。

旅は長いのであまりゆっくりしていられず、もう汽車の出発時間が迫っていた。



「えっ」


驚嘆の声は二つ、ヴィヴィアとトワの物が重なる。


午後の汽車に乗り込んだ時のことだった。

余裕を持って三人で席に着き、しばらくの談話。

その最中にヴィヴィアとトワを残して、ノエがふらりとどこかへ行ってしまった。

彼女の旅行鞄も置き去りなのでそう遠くへは行くまいとあまり気に留めていなかったのだが、とうとう出発時刻まで帰らず。


そうして動き出した汽車の窓、ガラスを隔てたこちら側とあちら側。

外に緩く手を振る金髪の女が居ると思いきや、紺藍色のリボンに黒いジャケット。


何でもないような変わらぬ無表情でノエが駅に立っていた。



乗り遅れか、いやそれにしてはあの落ち着きは何なのか。

慌てた二人が思わず席を立ったところ、ノエの鞄の下から紙が一枚ひらりと落ちる。

それこそ狙いを済ましたタイミングでの仕込み。


「もう少し一人で観光してから帰ります、鞄は頼みますね」


ああ、してやられたか。

走り書きのメモを見てヴィヴィアとトワは唖然、溜息、後に苦笑。


「あいつ、最後まで我儘放題だったな……」

「置いて行ったということは、この鞄はもう不用の物なのでしょうけど……」


本人もいい大人で、貴重品などを入れる小さい鞄は持っていた。

自分の意志で降りたのだから他人のヴィヴィアとトワが心配しても仕方あるまい。

やれやれと腰を下ろして、二人とも向き直った。



ふと考えてみれば本当におかしな現状。


あの十一月の日にトワと乗る筈だった汽車は、商会へ向かう為だった。

アクシデントにより行き先変更、今は花街へ帰る為。

この三ヶ月はヴィヴィアの人生で最も奇妙で濃くて、まるで火花が散るような日々。



「そういえば、君の願いは全部叶ったんじゃないか?」


トワの問い掛けは唐突なようで何を指しているのかはすぐに結び付く。


ああ確かに、学園を去った時これからの話としてそんなことを言い合ったか。

願いは口に出すと叶うという。

ただ、まさかこんな形でとはヴィヴィアだって思っていなかったが。


ストレスのない人間関係。


「そうですね、月華園の皆さんよくして下さってますし……」

「なら良かった」


いつかピアノ置ける家に住んで、何かペットを飼いたい。


「ピアノなら毎日昼も夜も弾いてますわね。いえ、蜘蛛蘭さんはペットではないですよ……」

「こちらの業界だとM男は"飼う"って言うんだよ」


王太子の眼鏡。


「私が割った訳ではないですけど」

「因果応報だな、ざまぁとでも思っておけ」


あの早朝の街で戯れ半分で交わした言葉をもう一度拾い上げて、そこに生まれてしまった意味を笑う。

突き進む汽車はこれから夜へ。

人知れず月を浴びる草木の園が最もざわめく時間。



こうして少女から女へ、黒薔薇から変化を遂げた狐薊の物語は終わる。

点と点を線で繋ぐは毒気の強い鳥兜。

当人にそんな意識があろうと無かろうと、糸とは知らぬ間に結ばれていくものなのである。

紡がれた物はやがて織り成し、確かな形を持った。


さて、ここで少しだけ先の話をしようか。


翌朝、北国の街で奇妙な記事が新聞に載った。

後に墓地の桜と共に語り継がれることとなる伝説の一つ。

「時計塔の上に血溜まりと靴だけを残して、身を投げた女が忽然と消えてしまった」と。


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