81:落下
とはいえ、全てがうまく行くとは限らなかった。
「身分を弁えろ」
これはアンデシンに対して長年育児放棄していた国王夫妻にモルガが独断で直談判へ行こうとした時のこと。
普段は家庭内で没交渉状態でも、今回ばかりは夫であるナイト公爵も息が冷ややかな低音を浴びせてきた。
突撃の計画は公爵の阻止で事なきを得たとはいえ、それだけでなく浪費の件もある。
母子四人分の生活費などは十分な額が与えられていたのだがモルガがアンデシンの味方を得る為にと金を惜しみなく使ってしまうので、これでは幾らあっても足りやしない。
挙句ロードは何も出来なくても王妃になれる上、ヴィヴィアの王妃教育が進むと不都合なので家庭教師達を勝手に解雇して給与を着服していたことまで明らかになったのだ。
流石に厳しく叱咤され、モルガには蟄居の命令が下る。
家庭教師達は公爵自ら頭を下げての謝罪で戻ってきてもらうこととなり、モルガが所持しているドレスや宝石を幾つも売って作った迷惑料も加えられた。
「モルガ、あなた一体どうしてしまったの?」
ヴィヴィアの母、セラフィもまた恐る恐る声を掛けてきた。
髪と同じ深い緑の目を気遣わしげに細めた表情で。
ナイト公爵には愛の無い政略結婚により、遠縁の下級貴族から迎えられた二人の妻が居た。
正妻におさまりつつも不妊気味のモルガと、身体が丈夫で多産家系だからと妾に選ばれたセラフィ。
身体が弱いモルガは容姿だけの役立たずとされ、セラフィの産んだ息子達は次々と取り上げられ、弱い立場の彼女達は自然と身を寄せ合うようになる。
二ヶ月違いの娘が生まれてからはますます家族の親愛で強く結ばれていた。
しかし溺れた事故や姉妹が王妃候補として選ばれてからは一変、それぞれの母子で断絶状態。
その上、すっかり人が変わってしまったモルガとロードに対して使用人達もどこか気味悪げな視線を向けてくるようになったもので、もう心配していたのはセラフィくらいなものだった。
「今度のことばかりはあなたに協力出来ないから、私が旦那様に報告させてもらったけど……」
どこから計画が漏れたのかと思えば、そうかお前が裏切り者だったのか。
前世と変わらず根拠の無い妄想ばかりが先走る。
きっとこいつも転生者だったのだ。
ゲームのことを知っていてアンデシンのことが気に喰わない敵だ、邪魔するなんてそうに決まっている。
ロードが王妃になるなら広い心でヴィヴィアのことも愛してやろうと思っていたが、仕方ない。
早く母子共々、公爵家から追放しなければ。
王太子の家庭教師達に冤罪を被せる方はうまく行っただけに慢心していたモルガは、そうして逆恨みにより恐ろしい計画を立てる。
階段から突き落とされた振りをして、相手を悪者にして同情を誘うという物語ではよくある手口。
少し足を挫くだけ、大丈夫。
その後は全部自分の思い通りになる筈。
そうして屋敷の高い階段の上からセラフィを突き飛ばして共に落ちた時、モルガは醜く笑っていた。
それは奇しくもロードを池に突き落としたアンデシンとよく似た表情で。
ところが手摺を掴み損ね、ようやく誤算を知る。
喉が凍ってしまってか細い悲鳴。
天地が回って止まれない。
軽い怪我で済ませるつもりだったのに、これでは。
着地から一瞬遅れ、息も止まりそうな痛み。
何故か腰から下の感覚が無い。
現状を把握しようと瞼を持ち上げたモルガは、至近距離でセラフィと目が合った。
何も映さず、がらんどうになった緑の双眸。
生涯モルガの網膜に焼き付いて離れなくなったもの。
その後のことは不幸な事故として内々で処理される。
頭から落ちたセラフィは首の骨が折れて即死。
彼女をクッションにした形とはいえ飽くまでも上半身の話であり、モルガ自身も腰の打ち所が悪かった。
麻痺が残って歩行や立ち座りが困難になる半身不随。
医学の進歩した現代だったとしても完治は難しいもので、ましてやこの世界では尚更。
我が身を嘆きつつも、邪魔者を片付けたモルガの目は野望でまだギラついていた。
どんな手を使ってでもロードを王妃にしなくては。
ふとした瞬間に浮かび上がるセラフィの死に顔を振り払うように、それこそ手段を選ばず計画にのめり込んでいった。
全てはアンデシンとロードの幸せの為に。
それから長い月日が流れて、下準備万端でゲームは開始される。
王立学園へ入学する頃にはアンデシンの周りに彼の素晴らしさを理解する友人で固められ、転生者のロードとも仲睦まじい。
原作と違って味方が居るのはなんと心強いことか、これなら何が起きても大丈夫な筈。
こうして順調と思われていたが、一つだけ奇妙なことがあった。
というのも暫くしてから、ロードから「アンデシンから性的暴行を振るわれている」なんて笑ってしまうような訴えがあったのだ。
あの聖人君子がまさかそんな、天地が引っ繰り返ってもあり得ない。
きっと少しばかり激しく愛されて大袈裟な言葉にしているだけだろう、なんだ要は惚気か。
にやけた一笑に付して更に時が流れ、とうとう学園生活最後の年。
斯くして、何も問題なくアンデシンとロードの婚約が大々的に発表される。
一番の邪魔者だったヴィヴィアは音楽学校への進学が決まっていたと思えば、悪評が立って勘当された。
そうか、ここは原作通りに学園を飛び出した先で人攫いに遭って娼婦に落とされたか。
ようやく悲願は報われた、もう笑いが止まらない。
後は卒業のエンディングを待つのみ。
気が早いことに王妃となったロードが国王アンデシンの子を産み、自分は祖母として更に愛を注ぐ夢を見る。
寝耳に水とは、気持ち良く熟睡している時こそ衝撃が大きい。
飛び込んできたニュースはまさにそんなところか。
そう、完全に油断していた上に想定外。
ロードがアンデシンの顔を万年筆で滅多刺しにしたという一報がナイト家を震撼させた。
本来ならば一族郎党消されてもおかしくない大罪だが、何年もの間にアンデシンから性的暴行を受けていたというロードには情状酌量。
この国で恋人や夫婦間での強姦は罪が重い。
アンデシンは廃嫡の後に犯罪者として人知れず地下牢へ、ロード自身も心身共に深く傷付いているので今後は修道院で手厚い保護。
これだけでもモルガにとっては目眩がするような事実で信じられなかったが、王家は第二王子を王太子として今度こそヴィヴィアを婚約者に所望するという。
例の悪評はアンデシンとロードが仕組んだ冤罪であり、それが晴れたからにはヴィヴィア以上の優秀な人材は居ないとの判断。
そんな馬鹿な、彼女は娼婦に落ちた筈では。
「……お前は何を言っているんだ?」
モルガの発言に顔を顰めるナイト公爵曰く、単にヴィヴィアはライト領へ分籍しただけ。
王妃に選ばれなければ家から追い出すというのは前々から伝えていたことなので別に問題ない。
そうして家を出た先でヴィヴィアはライト家の人間と親交を持ったそうで、本人の代わりに使いの者と書類のやり取りなども行っていた。
国の三大公爵家のうち、筆頭公爵ライト家は王家とも血縁を持ち功績も権力も桁が違う。
縁切りした後なので詳しくは明かせないが、今のヴィヴィアはライト家からの庇護を受けた上で至って元気に楽しく暮らしていると。
一体どこで選択肢を違えたのだろうか。
ここでも何もかも空回りして、望みは叶わない。
最初は、ただアンデシンへの愛だった。
善意や正義感、しかし憎しみとはそうしたものから生まれるのも事実。
肥大化して腐敗してやがて執着に変わり、自分にも制御不能の強さで絡み付く呪縛へ成り果てた。
「私……私は……アンデシンとロードの本当の幸せを、それだけを願って……」
否、本来これは大団円を辿る物語だったのだ。
だというのに認められないモルガは「違う、そんなものは幸せではない」という考えで岩のように凝り固まっていた。
子供を愛して幸せを願う親こそが「あなたの為」と言いながら、子供本人の望みを無惨に踏み潰してしまう状況と同じ。
「だって、ここまで金も時間も愛も捧げた!美も健康な体も失って手まで汚して尽くしてきたのに報われないなんて、あまりにも私が可哀想じゃないか!
何で皆私の言う通り動かないんだ、私に従えば幸せになれるのに!」
胸に胃に溜まっていたものを吐き出して、腸の奥に泥々と居座る欲望がとうとう言葉として飛び出す。
自分で一から創作した物語を勝手に描けば良かった。
せめて百歩譲っても、自分がヒロインに転生していたら全て自己責任なので好きにすれば良かったものを。
ロードだってアンデシンからの陵辱も暴力も喜んで代わったろうに。
他者を操って言うことを聞かせようとしたのが間違い。
家畜の交配じゃあるまいし。
結局アンデシンを崇拝しているようで耳を塞ぎ、目を閉じ、実のところ何一つとして彼を理解しようとしていなかったのだ。
勝手に期待して完璧な偶像を押し付け、決め付け、彼の本心や欲望を全否定。
そのアンデシンは自分の頭の中にしか居ない、という現実との絶望的な落差を受け入れられずにいるだけ。
モルガはまだ気付かない。
前世と今世で愛した相手ですら、自分の思い描いた理想を叶える道具扱い。
それは支配という欲望でしかないことを。




