65:白百合
白蓮と蜘蛛蘭
五百年前に実在したという「淫婦リリー」の題材や登場する作品は本当に数え切れない。
それこそ戯れ歌や官能小説など大衆道楽向きの物から、古典文学となった手堅い作品までも。
国を傾け掛けた凄まじい悪女も長い歴史の中で美化されて、今やセックスシンボルとして語り継がれる存在。
彼女に倣って「リリー」と名付けられた娼館もあれば、そう名乗る娼婦もこの花街でありふれている。
月華園の寮の一室である図書室にも何冊かあるくらい。
白蓮もタイトルだけなら前から知っている本もあったので、良い機会だからと読んで勉強中。
そう、この度「淫婦リリー」の新曲を歌うことになったのは彼女である。
当て書きということで、これは白蓮が歌う前提で作られた一曲。
そこらの恋文よりもよっぽど情熱的で魂がこもっている。
純真無垢な振る舞いで数多くの貴族男性の心を奪い、未来の王妃の座を手に入れると強欲で淫乱な本性を曝け出し、最後は消息を絶ったという少女。
演じて歌い上げる上でイメージは固まりつつある。
さて、他に問題があるとすれば。
「蜘蛛蘭さん、集中出来てないわよね?」
「あー……はは、すみません……」
蜘蛛蘭も悪いという自覚はあるようで頭を下げながら弱々しい笑い方。
それでも白蓮は誤魔化されない、流されない。
実は、この曲は男女混合。
リリー役の白蓮ともう一人、男役が蜘蛛蘭。
しっとりと色香が匂い立つ歌詞を紡ぎ、まるで睦言。
照明を浴びた衆人環視のもとで行うのだから大変刺激が強い。
蜜の甘やかさで伸びる白蓮と大人のほろ苦さが響く蜘蛛蘭の声は相性が良かった。
「Murder Mermaid」の時といい組むことが多いのはいつものこと。
あの時は横抱きで登場する演出もしたし、今回は跪いた蜘蛛蘭を白蓮が片足で踏む体勢。
太腿を隠す文化の国なのでスカートが膝まで捲り上がるなど端ないが、花街なんて女の脚を思う存分に鑑賞する場所。
そういう訳でステージ上で互いに肌が触れるのも慣れている筈なのに、今更何を照れているのやら。
これまで個別での自主練習はしていたが、今は本番に近い形で合わせ中。
ただ上手く歌うだけでは駄目だ。
その世界で生きる者になりきって声に体温を吹き込まねば薄っぺらになる。
「何か、こう、狐薊さんに見られてると思うと……どうも素になってしまって……」
理由でもあるのかといえば、蜘蛛蘭の返答はこちら。
飴玉を転がしているかのように口籠った声では白蓮にしか届かない。
思わず二人揃ってピアノの方を見やってしまった。
こんな話をしているなど、張本人は全く知らずにいるようだ。
小休止の間も真面目に楽譜を読み込み直している、ダークグリーンの髪をした乙女が一人。
今回の伴奏を務めるは、新人ピアニストのヴィヴィア。
月華園で知られる名は狐薊だが。
微力ながらもやはりショーに貢献したいと、恐る恐る名乗りを上げたのが数日前。
蜘蛛蘭と動きの激しいポールダンスで練習した時に合わせは散々だったが、それとは違う。
多少はパフォーマンスもあれど、ほぼ歌だけの伴奏なので難易度は随分と下がることだし何とかなるだろうという蛇苺の判断により任命された。
ここに来てから日は浅いが蜘蛛蘭はヴィヴィアのことが気になっているらしい。
初日に火傷の手当てをしてもらっただとか、あれから二人で顔を合わす機会が多いだとか。
ただし惹かれているのはМとしてなのやら、異性としてなのやら。
というのも、この業界が長いトワや金手毬の目から見てヴィヴィアはS嬢として才能があり有望とお墨付き。
どちらにしろ複雑な心境にもなるだろう。
何しろ本番での白蓮は下着じみた純白のキャミソールドレス、蜘蛛蘭に至っては胸や背中の刺青を晒す半裸。
そんな薄着で際どい体勢になる中、大勢の客よりも少女一人の視線が刺さってしまう訳か。
Мならその痛みこそ愉しめば良いものを実に面倒な。
「あなたは私の男でもないし、主従でもないんだから何も疚しいこと無いじゃない……ビジネスライクで堂々としてなさいよ」
「とはいえ、こんな心境になるのは僕も初めてでどうすれば」
「……とりあえず人の背中の上で話し合うのやめてほしいかな」
ここで第三者、足元から薄荷の声。
突然ではあるが妙ではない、存在を忘れていただけ。
複数の男達を手玉に取った悪女ということで、歌うのは蜘蛛蘭でも侍らせるのは一人でない。
インパクトのある演出として半裸の男性スタッフが何人か配置されることになっていた。
薄荷は土下座のような体勢で椅子になり、白蓮を支える形。
四つん這いで馬になる方がSMらしさはあるのだが、そちらは腰に負担が大き過ぎるので手足を畳んでこうなった。
ただでさえ演目の順番では最初に薄荷とカミィのポールダンスなので、一仕事終えた後にこんな格好をするのは後々に響く。
「抱えてるだけじゃ何も変わらないけどさ、そうやってグルグルモヤモヤして苦しいのはある意味楽しくもあるんでしょ……まぁ、大丈夫だよ」
何か解決した訳でないが、ここで肯定は意外なところから。
悩みつつも蜘蛛蘭は月華園の後継でもありプロ。
本番までには心にも仮面を被って、歌を完成させることだろう。
この苦しみこそ、なんと愛おしく甘いことか。
「薄荷君、よく分かりますね……」
「経験あるから」




