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コルシカの思い出  作者: 九JACK
十周年記念
41/47

デジタルと善し悪し

※十周年ということで、これまでの登場人物が再登場することがありますが、同じ名前の人物でも、都合上設定を変えていたり、全員が全員再会って感じじゃないです※

 ちょっとコジャレた喫茶店。丸いテーブルを六人で囲うことになった。

 女性としては背の高い春子と、言わずもがな背の高いニコラスが両隣となった哀音は少し居心地悪そうに、ただでさえひどい猫背を更に丸めながら、縮こまってコーヒーを飲んでいた。

 コーヒーの黒い水面が揺らぐ。アダムはなんとなくそこに目線を落としていたが、春子とルカが動き始めたので、そちらに目を向ける。ルカはコーヒーのカップを置いただけだったが、春子は以前持っていたよりも大きめの鞄から、何やら板状のものを取り出す。

「これ、今の子は知らないかな。タブレットっていうんだけど」

 言いながら、春子は板の脇についたボタンを押す。すると、静かに画面が明るくなり、企業ロゴのようなものが映る。それからまた暗くなって、ふわりと画面が明るくなる。

 画面にはやけにリアルな風景画がある。

「何これ」

「タブレットだよ。画面を指で操作できるやつ。昔はキャンバスや画用紙に描く絵画だけじゃなく、こういう機械で描くイラストもあったんだ。タブレットはでかいけど、手に持てるサイズのスマホっていうのもあって、わりと誰でも持ってた時代があるんだよ」

 で、と画面をすらすらと指で操作する春子。それを丸い目で見つめる一同。物珍しさが勝る。

 いくつかファイルのような絵のマークをタップすると、画面いっぱいに絵が出てきた。ものすごく整った印象の絵である。線も歪みなく、一本の線ごとに太さが統一されている。色塗りもムラがなく、全体的にカラーバランスの整った絵だ。

 春子が指をスライドさせるたびに次々と絵が現れる。水彩画のような淡い色合いのものや、アルコールマーカーのようなにじみの印象的なもの、色のメリハリが利いたものなど、塗り方だけで千差万別である。共通しているのは、線画が整っていて、色のはみ出しなどの修正痕がないことだろうか。

「すごい綺麗」

「あんま見ないタイプの絵柄だな」

「うんうん、昔はデジタルイラストって言って、機械で絵を描く文化があったんだよ。絵を描く道具──ペンとか、絵の具とかを選択できるし、色も自由に作れる、直線や曲線を歪みなく引くための補正機能とかもあった」

 日本のアニメの発展も、コンピュータによる読み込みや補正機能に依る部分も大きかった、と春子は話す。

「インターネット、特にソーシャルネットワークサービスと呼ばれた類のものの中では、日々イラストレーターがイラストを自分のアカウントに載せて、広めていたりしたらしい」

「機械でできるってことは、誰でも上手い絵が描けるってことか?」

 アダムが軽く手を挙げて質問すると、春子の隣でコーヒーカップを眺めるだけの彫像と化していた哀音が顔を上げる。その青い目には深い色の鋭い光が宿っていた。

「デジタルだろうが、絵は絵だ。構図も、バランスも、配色も、センスが問われることは変わらない。アナログ……普通に紙やキャンバスに上手い絵を描くやつでも、デジタルでは上手く描けないことだってあるし、逆に紙はてんで駄目でも、デジタルツールを使いこなすことで、かなりのクオリティの絵を描くやつもいた。もちろん、デジタルもアナログも両方使える折り合いのつけ方が上手いやつもいた」

 人の才覚、可能性というものはどのような場面、どのようなツールによって開花するかわからない。デジタルツールは多くの人々の可能性を大幅に広げた。

 が、その栄華もかつての話である。エネルギーが枯渇すれば、機械を動かすことはできない。春子が出して見せたタブレット端末も、かつて存在したスマホと呼ばれる機械も、動かすには充電が必要であり、エネルギーが枯渇した暗黒の時代の向こう側に置き去りにされたものたちである。

 そこで、タブレット端末を借りて、イラストを見ていたニノンが疑問を口にする。

「そんなに古い機械を春子さんはどうして持っているの?」

 純朴な疑問に、春子はどこか自虐めいた苦笑を浮かべた。思い出し笑いのようにくつくつ笑うと、ニノンの持つタブレット端末の縁を撫でながら語った。

「いつの時代にも、無用の長物と思えるような骨董品が好きな輩はいるもんさ。私の父と母がそうだった」

「ええと、歌手だったんだっけ?」

「そうそう。日本人はわりと旧いものを歌に歌うのが好きなんだ。インスピレーションが湧く、とか言って」

「いんすぴ……?」

「創作意欲のことね。芸術肌の方たちだったのね」

 ニノンが片言になりかけたので、ニコラスがフォローを入れる。

 芸術肌、という言葉に、ルカが少し考えた。絵画エネルギーの変換率の詳細に関してはまだまだ未知数のことが多いが、新鮮で斬新な何かよりは、長く愛されてきた何かの方が評価が高いことは多い。まあ、変換率如何というよりは、長く愛されてきたものの方が細かな拘りや情熱が加算され、書き込みや塗りに味が出る傾向があるだけかもしれないが。

 正直な話、小さな画用紙くらいのサイズの四角い端末を「絵に描いたら魅力的になる可能性を秘めている」とは思えなかったが。

「骨董品によくわからん価値がつくのはわかるな。絵画なんて、その筆頭格だろ」

「まあ、確かに」

 アダムの言葉にルカは頷く。エネルギー還元率と絵画に込められてきた歴史や時間の因果関係は解明されていないが、関わりが皆無ということはないだろう。ルカたちも旅をしてきた中で、長い年月の果てに作者の意図を見失った星空の絵画や、六十年の劣化を計算し尽くし、ようやく完成した絵画などを見ている。どのくらいのエネルギーに還元されたかをルカたちは知らないが、修復に携わった彼らの目には、それらの絵画は確かに「価値あるもの」に映った。

 年月の積み重ねというのは思いの積み重ねである。積み重ねた時間が長ければ長いほど、背負っていく思いも重く、愛おしいものとなる。それを愛着と呼ぶのだろう。

 ニノンから端末を回され、ルカとアダムもいくつかイラストを見た。ルカが目線を春子と哀音に向ける。

「でも、このデジタルイラストが問題作ってわけじゃないですよね?」

「素敵な絵ばかりだし、『問題作』っていうのは似合わない気がする」

 ルカとニノンの素直な言葉にアダムも深く頷き、ニコラスも同意を示した。春子は言葉を受けて、気まずそうな顔をする。苦そうにコーヒーを飲み下し、隣の哀音と視線を送り合う。

 言葉を交わしたわけではないけれど、哀音は春子に「いいですよ」と返し、口火を切った。

「デジタルイラストには描きやすさ、拘りやすさという利点も様々ありましたけど、同時に大きな欠点、問題も抱えていました。その最たるものが『盗作のしやすさ』です」

 きっぱり、歯に衣着せずに告げられた言葉の羅列に、ニノンは思わず口元を押さえる。

 ルーブルの規定で、贋作は絵画エネルギーへの変換対象とならない。が、贋作と盗作では厳密な意味が違う。贋作は既に世に出ている作品を真似た偽物だが、盗作はまだ世に出ていない作品を我が物にする卑劣なものだ。

「ソーシャルネットワーク、かつてSNSと呼ばれていたツールは、時にモチベーション上げのために進捗報告として、絵の制作過程を掲載するのに使われていた。その絵を保存して、個人観賞に使う分には何の問題もなかったんだが、保存した絵から、線画だけを取り出して、塗って発表してしまったり、下書きを専用のツールに通すことで、勝手に線画を完成させてしまったり……それはもう、好き勝手に他人の絵を使い回して、自分の手柄や利益にするような輩が現れた」

「ひどい……」

「ああ、ひどい話だ。あらぬ風評被害に遭ったり、自分の絵のはずなのに、盗作の疑いをかけられたりして……法的に疑いを晴らして、身の潔白を証明しても、精神が疲弊して筆を折ってしまうイラストレーターも少なくはなかった」

 哀音の語調からはありありと苛立ちが窺える。この話を春子から引き継いで請け負った様子から察するに、アニメーションを作る上で、絵の部分に大きく携わっているのが哀音なのだろう。「絵を描く」という観点で当時のイラストレーターと同じ立場であるため、深い共感と憤りを抱くのだ。

 盗作の話だけでも、だいぶ深刻ではあるのだが、話にはまだ続きがあった。

「更には機械にクオリティの高い絵柄を学習させることで、素人でも簡単にクオリティの高い絵、金が取れて、人々の関心を多く集める所謂『神絵』に近いものを生み出すツールが普及した。これに関しては世間も捉え方が二分して、心を削るばかりの論争が続いたな」

「なあ、機械に絵を学習させて、学習させたことを生かしただけの絵なら、盗作とかには相当しねえんじゃねえの? 何が問題なんだ?」

「そこなんだよ」

 アダムの投げかけた疑問に、哀音が項垂れる。カップを煽ったが、既に空で、哀音は店員を呼び止め、水を頼んだ。ほどなくして、グラスに入った水が届けられる。

 哀音は店員から受け取るなり、グラスを煽った。飲み干しこそしなかったが、グラスに残る水は五分の一程度。少し甲高い音を立ててグラスが置かれたのを見れば、哀音が強いストレスを感じているのは容易に察せられた。

「問題とされたのは、学習素材に使われたイラストの権利云々だ。神絵なんて、インターネットを覗けば、そこら中にごろごろ転がっていて、誰でも気軽に保存してしまえる時代だった。学習素材として使われたのは、イラストレーターを生業にしている者たちの絵だ。当然そこに許可無許可の区別はなく、自主的に提供したわけでもないのに、無償。自己肯定感を得るために掲載した愛着のある自分の作品が、他人のオモチャになるだけじゃない。顔も見たことのないような人間の食い扶持にされるんだ。悔しい思いをした人間は、たくさんいた」

 淡々とした声音だが、怒りを抑えきれていない哀音の肩を春子がぽんぽんと撫でている。ぴんときていない様子のニノンやアダムに、春子は説明を加えた。

「いずれこうなることは予想できたはず、対策してこなかったやつらが悪い、と居直るやつもいたし、イラストレーターの悲しみや悔しさにいまいち共感できない人間もいた。

 何より、今まで『自分の絵は上手くない』とか『絵を描く』という行為に対するハードルを高く感じていた人々にとっては『自分でも簡単に上手い絵を生み出せるツールが出た』って喜びの方がでかかったから。搾取されたのは一握りの人間。多くの人々と限られた人間とじゃ、声の大きさが違うからねえ……」

 多数決、というわけではないが、社会において、大勢の人間の声の方が通りやすいというのは確かだ。大勢の意見の方が正義とは限らないだけで。

「まぁ、人間ってのは強かだから、その後広まったイラスト生成ツールは様々な場面で使われたし、生成ツールが現れたからって、イラストレーターの仕事がなくなったわけでもなかった」

「で、あたしたちが今回来たのは、その問題の渦中にあった絵だね。それが問題作ってわけ」

「機械に保存されていたんじゃないんですか?」

「そうね。エネルギーショックの影響で、コンピュータの中に取り残されたまま、なくなっちゃったイラストも多いよ」

「絵を愛するからこそ、絵を捨てられない。それはイラストレーターも画家も同じ——ということですよね?」

「え?」

 春子の言葉に添えられたのは、すっと耳に心地のいい細波のような声音。振り向くと、そこには真っ白な髪に神秘的なオーラを纏う少年が佇んでいた。

 春子は疑問符を浮かべたままだったが、特徴的なその容姿に哀音が反応する。

「あんたが、ベルの……」

「はい。お初にお目にかかります。日本の新たな希望の皆さん。僕はベル。行商人ベルの名で活動している者です」

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