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コルシカの思い出  作者: 九JACK
200話突破記念
37/47

ペリドット伯

「ねーえ、ルカ、全然戻ってこないんだけど」

 ニノンがぷう、と膨れる。その膨らんだ頬っぺをアダムがつついた。むう、とニノンの頬が更に膨れ、アダムはそれをむにむにとする。

 ここはアダムが取った宿の四人部屋。ニノン、アダム、ニコラスの三人は先に宿に来ていた。ルカには宿の場所や名前は伝えてある。

「交渉が長引いてんだろ。あるいは前条件で修復をある程度してからじゃないと前払いしてもらえないとか。基本修復家とか、何かを直す仕事って後払いなんだよ。前払い交渉は難しい。ルカもそれをわかって、ちゃんと修復道具持ってってたし」

 アダムは傍らのベッドにごろん、と横たわる。アダムの戯れから解放されて尚、ニノンの頬は不満そうに膨らんでいた。

「あの女の子、ルカのこと『運命の人!』とか言っちゃってさ。ルカついてっちゃうし」

「嫉妬か? 犬も食わねえぞ。わんわん!」

「あらアダムちゃん、犬の物真似上手いわね。今度あたしの専属アシスタントとして」

「やらねえよ!?」

 と、わいわいやっていると、恰幅のいいおばさんが部屋に入ってくる。この宿を切り盛りしている女将さんだ。

「あら、四人って聞いてたけど、もう一人の子は?」

「仕事の交渉が長引いてるっぽいっすね。地図は渡してあるんで、そのうち来ると思いますよ。迷子になるような年でもないでしょう」

 誰かさんと違って、とアダムはニノンをちら、と見る。ニノンは更にぷくっと頬を膨らませたが、アダムはどこ吹く風だ。

 女将さんはもうすぐごはんだよ、と告げつつ、心配そうに頬に手を当てる。

「仕事、ねえ。旅の一行さんだから、行く先々で稼がないとないのはわかるけど、晩ごはんの時間に帰って来られないなんて……その子は何の仕事をしているんだい?」

「絵画修復家ですよ」

 アダムがどこか自慢げに告げる。ルカが絵画修復家であることは、なんだか誇らしかった。アダムにとってルカは良い友達であり、相棒みたいに感じていたから。

 けれど、それを聞いた女将さんはさっと顔を青ざめさせる。異変にすぐ気づいたニコラスが「どうかしました?」と問いかける。

「まさか、ペリドット伯のところじゃないよね?」

「ペリドット?」

「その人かどうかわからないけど、依頼人は大きなお屋敷の人だって言ってたよ」

 ニノンの回答に、女将さんはまあ! と声をあげる。

「ペリドット伯爵のところに連れて行かれたんだわ……」

「何々、女将さん。その伯爵ってのはヤバいやつなのか?」

 事の不穏さを感じ取ったアダムの声がワントーン低くなる。雲行きが怪しくなってきたのは、ニノンもニコラスもわかっていた。

「ペリドット伯爵は、別にいい人さね。ただ、奥さんに先立たれ、娘さんまで失ってから、精神を病んでしまってねぇ……それから、黒髪青目の日系の人間を見ると『運命の人』って言って閉じ込めて、身代わりに愛されたり、絵画修復家は妻と娘の忘れ形見である絵画の無茶な修復を依頼されたり、余命いくばくとはいえ、いい噂は聞かないねぇ……」

「運命の人?」

「黒髪青目の日系って……まんまルカじゃねえか!」

 三人は顔を見合わせる。

 運命の人、黒髪青目の日系、絵画修復家。奇跡的なまでの揃い踏み。おそらく亡くなった妻か娘、もしくはその両方の面影を見るのだろう。「身代わりに愛される」という言葉に、アダムは悪寒が走る。

 絵画修復もだが、もしそういう目的でルカが閉じ込められているのだとしたら。恐ろしいが、あり得なくはない。

「でも、だとしたら……あの子は誰?」

 ニノンの指摘にアダムとニコラスはすっと心臓が冷える心地がした。

 あの子とは、ルカを終始「運命の人」と呼んでいたミアのことである。三人は短時間しか一緒にいなかったが、ルカを「運命の人」と呼び続けていたミアはピエロみたいな派手な衣装を着ていたし、色々と印象が強かった。一目見ただけでも、なかなか忘れられないだろう。

 ミアはダークブラウンの髪にアンバーの目をした日系の女の子だった。黙ってルカと並んでいたら、兄妹くらいには思われそうなほど、顔立ちが似ている。

 依頼人のことをパパと呼んでいたが、そのパパがペリドット伯爵だとしたら、辻褄が合わない。妻を亡くした傷心が癒えないのに他の女性との子どもを作るのは傷心を疑うレベルだ。

 それに、あのピエロのような派手な格好は、少なくとも「伯爵」と呼ばれるような由緒正しい家の子どもがするような格好じゃない。広場でジャグリングをするような格好だ。良家のお嬢様にはとても見えない。

「ミアちゃんのお父さんがペリドット伯爵ってわけじゃなさそうだな。となると、ルカに依頼したのはペリドット伯爵じゃない……?」

「どんどん話がおかしくなっていくね……」

「ちょ、ちょっとお待ち、ミアにリュカだって!?」

 驚いていたのは女将さんだった。まだいたんだ、と思いつつ、続く言葉を待とうとしたが、ニノンが前に出る。

()()()じゃなくて、()()です」

「そこ、重要か?」

「大事だよ!」

 名前間違われるの嫌でしょ、とニノンが反論する。だが、リュカとルカ、発音が似ているのは確かだ。

「リュカって誰? 女将さん」

「亡くなったお嬢様の名前だよ。黒髪青目で、奥様と面差しがそっくりなんだ」

「ミアちゃんは?」

「物乞いの女の子だよ。リュカちゃんと仲が良くてね。姉妹みたいに過ごしてた。でも、ペリドット伯からの扱いはあんまり良くなかったよ」

「どうして?」

「物乞いだからさ。物乞いと愛娘を関わらせたい親なんていないよ。由緒正しいほどね」

 その言葉に、アダムの表情が一瞬だけ翳った。ニコラスがす、と寄り添い「なるほどねぇ」と言いながら、アダムの背中をぽんぽんと叩く。

 アダムがぽつりと呟いた。

「姉妹のように過ごしてたんなら、リュカちゃんの真似して、伯爵をパパって呼んじまっても仕方ないか。まだちっちゃい女の子だしな」

「でも扱いがひどいって?」

「二人共」

 ニコラスが重々しく口を開く。

「ミアちゃんの服装。長袖で長袖ソックスを履いて、ほとんど肌の露出がなかっただろう? それに、パパに怒られるって言ってた」

「まさか」

 どういうこと、とわからない風のニノンに、アダムがそっと耳打ちする。

「あの服の下に、暴力の痕があるかもしれない」

 ひゅっとニノンが息を飲んだ。部屋の気温が一気に下がった気がする。

「……ルカと、ミアちゃんを助けに行こう」

 ニノンが口にした言葉にアダムもニコラスも反論することはなかった。


 その頃、ルカは。

「この絵画、思ったよりも複雑な汚し方をされているな……」

 ルカが着目したのは絵画の黒塗りされた半分の部分。黒髪青目の少女が向かい合っている何かだった。

 何度も何度も、滅茶苦茶に色が重ねられて、よほどここに描かれているものが気に食わなかったのだろうと思う。長く放置されたため、層が綺麗に残っているわけではないが、時間をかけて、丁寧に剥がせば、この絵画の全貌が見えるだろう。

「その部分は、修復しないでください」

 声が聞こえて、ルカは振り向く。執事が食事を持って立っていた。

 ルカは無表情で、その前に移動する。

「いいえ、修復します」

「ご主人様がそれを望みません」

「何故ですか? 絵画を修復して、ルーブルに提出して、身綺麗にしたいんですよね? だとしたら、完全に修復しないと、ルーブルに引き取ってはもらえませんよ」

 それに、この絵画の修復部分のほとんどは、黒い何かだ。……もしかして、今までの修復家たちも、止められたからこの絵画を修復できなかった?

「うんめいの、ひ、と……」

「ミア?」

 ミアのか細い声が、執事の背後からする。

「おねがい……」

 とた、とた、とこちらへ歩いてくる足音が覚束ない。怪我をしているのだろうか、と心配になるが、ルカが動くより先に、声が聞こえた。

「なおして」

 ミアの声と、知らない女の子の声。

 ルカは執事を無視して、床に倒れそうだったミアを抱き留める。

「大丈夫だよ。俺は修復家だから。君の傷は治せなくても、傷ついた絵画は──必ず直す」

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