風刺画の価値
200話突破記念です。テーマは「風刺画」
なお、コルシカ世界まで「バンクシー」という画家が残っているものとします。この物語はフィクションです。
『数世紀に渡り、謎の画家として知れ渡るバンクシーの壁画が発見され、ルーブルはバンクシーを探しております。ルーブルの見解としては、バンクシーの壁画は風刺画的な意味合いが強く、エネルギー還元率が高いかどうかについては疑問が持たれるところですが、バンクシーという画家との接触により、今後のAEP発展についての手掛かりを……』
ザザ、ザザ、とノイズの混じるラジオを、アダムがぷつりと消す。別に不快だったわけではない。画家を志すアダムとしては、数世紀に渡り活動を続けるバンクシーという存在は非常に興味深いものである。
が、ルーブルがバンクシーを探している、という話は、エリオの件もあり、あまり快いものではなかった。バンクシーという画家には、是非、今後も自由に活動して、壁画というAEPに還元できない絵画を生み出していってほしいものである。
「バンクシーって、前に見かけたやつだよね」
聞き覚えのある名前にニノンが興味を持ったらしく、後部座席から弾んだ声をかける。乗り出すニノンに、アダムは危ないから座れ、と声をかけた。
「長い間活動しているから、個人の画家ではなく、集団の画家としてバンクシーって名前だけが受け継がれているって話だねえ。昔は絵画が売り物だったから、戦地やスラムの壁に絵を描いて、そこで貧しい思いをしている人がバンクシーの絵で救われたって話は有名だね」
助手席から、ニコラスがニノンに振り向き、バンクシーについて話す。
男か女か、年齢はいかほどか、一人か複数人かなど、様々な議論が成されたバンクシー。その特徴はキャンバスにではなく、建物の壁や扉などに絵を描くところにあり、ひもじい思いをしていた人間が、家の扉に描かれたバンクシーの絵を売って、食うに困らなくなった話など、たくさんある。
その性質上、バンクシーの絵は風刺画とされた。
「ふうしが?」
「世の中で当たり前になっていることを皮肉った絵だね。絵画にメッセージ性があった時代の話」
AEPにより、人々は救われた。絵画の芸術としての価値を生贄に、人々はエネルギーショック、暗黒の時代を乗り越えた。
絵画は旧時代の言い方で言うのなら、エネルギーを生み出すための燃料としての価値しかなくなった。人がどんな思いでその絵を描いたかなんて、重要ではなくなってしまったのだ。
そのことを聞いたニノンが複雑な表情をする。
ニノンには絵画に込められた声を聞く力がある。ニノンは誰よりも、絵画にメッセージ性、意味、人の思いがあるのを知っていた。だからこそ、それが軽んじられる世の中が切ない。
「インターネットが盛んだった時代には、デジタルで描かれた絵でも、風刺画は流行ったよ。SNSが流通してたから」
「えすえぬえす?」
隣で語り始めたルカにニノンは疑問符を向ける。アダムは呆れたように「ほんっとーにお前は何も知らないんだな」と告げた。
「んー、遠くで離れている人同士が匿名やニックネームなんかで交流できる文化だよ」
「そうそう。そこから画集出した人とかもいたよな。それこそ、日本はその発展が著しかったよな」
「うん。デジタルの絵はデータさえあればいくらでもコピーできたし、データさえ壊れなければ、修復も必要ないからね」
「ほえー」
「それでも手書きの味とか、手書きの風味は好まれたけどな。だから日本のアニメは好かれるんだろうな」
懐かしいな、とアダムが目を細める。いつだったか、日本のアニメの再建のためにルーブルへ向かう旅人に出会った。彼女らは手書きでアニメを描いているのだと言った。
AEPに還元すること。それが現在の絵画の価値だ。それ以外の価値があった時代、というものに思いを馳せると、少ししんみりとした気持ちになる。
それ以外の価値が認められないから、今はAEPに還元することが絵画の全てになっているのだ。けれど、人は心を捨てることができない。だから、ニノンには「絵画の声」が聞こえる。
人間が人間である限り、創作物に思いを込めずにはいられないのだろう。その「思い」の部分を強く掘り出したのが風刺画だった。
が、社会風刺のような絵はあまり見かけない。その点でバンクシーという活動家はよくやるな、と思う。
「さ、街が見えてきたぜ」
「うん。修復の仕事、見つかるといいんだけど」
旅の一行の一番の困難は資金調達である。旅から旅の根なし草であるため、定職がなく、最近はアダムの車の燃料も値上がりしており、旅を続けるにも資金難は深刻な問題だった。
アダムとニノンは仕事という仕事もなく、この一行の稼ぎ頭は路上パフォーマンスのできるニコラスと絵画修復家のルカである。
ニコラスはパフォーマンスのできる広場があればどうにかなるが、ルカは絵画修復の依頼がないと仕事ができない。絵画の所持は違法とされているし、AEPが高騰してきているこの頃、絵画を修復せず手元に置いておく、という人物の方が少ない。修復待ちの絵画なら、所持していても違法ではないが、持ち主が「修復してほしいかどうか」も仕事で、相手がある以上、尊重しなくてはならない部分だ。
修復を依頼されれば、仕事熱心なルカは完璧に修復をこなす。が、未修復の絵画の所持が認められているのは、絵画に思い入れのある人物からすれば、貴重な抜け穴だ。そこを「修復させろ!」と無理矢理案件にするのは人道的ではないだろう。
というわけで、ルカの仕事探しは大変なのである。
「じゃあ、俺はニノンと宿探し、ルカは仕事探しな」
「うん」
「あたしはそこの広場にいるわ。迷子になったらここに集合ね」
「オーケー!」
旅を始めてから、そんなに時間が経っていないような気もするが、役割分担や非常時の対処も慣れてきたもので、四人はぱぱっと分かれて行動する。
ルカは画商を探した。画商があると、そこに絵画について困っている人が集っていたりするからだ。上手くすると仕事が見つかるかもしれない。
そうして、辺りを見ながら歩いていると、とん、と誰かとぶつかった。
「わ、大丈夫ですか?」
ぶつかった人に謝ると、それは五、六歳のいたいけな女の子だった。
女の子は最初、ごめんなさい、としおらしく謝っていたのだが、ルカの顔を見て、ルカにぴょん、と飛びついた。
「おわ!?」
ルカは半ば押し倒される形で後ろに転倒する。
女の子はお構い無しに、きらきらとした目でルカに言った。
「見つけた! あたしの運命の人!」
「……はい?」
「ラピスラズリの目を持つ日系の男の子! あたしの運命の人!」
運命の人、と繰り返す女の子。ピエロのような派手な衣装を身に纏っている女の子は、アンバーの目をきらきらとさせて、繰り返した。
「ねえ、運命の人、あなた、絵画修復家でしょう?」
「え、うん」
「じゃあね、じゃあね、依頼があるの? お暇ある?」
「う、うん」
こんな都合のいいことがあるだろうか、と思いつつ、ルカは女の子に手を引かれて、街を駆けた。
子どもだからか、女の子は足が速い。ルカのことを日系と言った彼女だが、彼女も日系に見える。目が茶色いから、尚のこと。
そうして、辿り着いたのは、大きな屋敷だった。
「運命の人にはね、お姉ちゃんを直してほしいの!」
「……俺は医者じゃないんだけど……」
女の子の言うことの意味がわからないまま、屋敷に入る。屋敷はしん、としていた。
「おや、客人ですかな?」
「うん! あたしの運命の人!」
どこからともなく出てきた執事らしき人に女の子が言う。運命の人、という表現に微妙な心地になりつつも、ルカは名乗った。
「はじめまして、道野ルカと言います。絵画修復家をしている者です。こちらに修復してほしい絵画があると聞いて来たのですが」
ルカが名乗ると、執事はモノクルの奥の目を見開き、それから「こちらです」とルカを案内した。
その先の、一番奥の部屋にあったのは、大きな絵画だった。ルカは「運命の人」と呼ばれた理由と執事が驚いた理由を理解した。
二メートルはあるであろう額縁の中に描かれていたのは、黒髪にルカと同じ青い目をした少女で──その少女が手を取っている何者かは、黒く、黒く、塗り潰されていたのだ。
「これは……」
「ご主人様が大切にしておられる絵画の一つです。未修復の絵画はルーブルに提出しなくて済むのはご存知ですよね? それで、これまでどこにも依頼をせずにいたのですが……ご主人様が病に見罷られ、余命いくばくもないため、そろそろ修復して提出してしまおう、ということになりまして。けれど、この大きさですから、なかなか請け負ってくださる方がおらず、困っていたのですよ」
「……こんな立派なお屋敷に、後継の方はおられないんですか?」
「お嬢様は五歳のときに、病気で……」
なるほど、とルカは頷いた。これ以上穿って聞くのも良くないだろう。
「わかりました。ご依頼、お引き受け致します」




