ニノンと共感覚
「コルシカの修復家」九周年おめでとうございます。アニバーサリーストーリーです。全4話予定。
車がブロロロ、と音を立てて走る中、ニノンが窓の外の青空を眺める。
「今日は天気がいいねえ」
「そうねえ。アダムちゃんの運転快適だし」
「もっと褒めてもいいんだぞ」
「きゃー、アダムちゃんイケメン! アタシの専属アルバイトになって!」
「ニコラス以外!」
アダムの叫びにも揺らがず、ぽけーっと外を見つめるルカ。夜空に似た深い色の目に映る空の色は淡くて綺麗だ。
「不思議だよね、空って」
普段は沈黙に徹することが多いルカが徐に口を開いたので、他三人がぎょっとする。ニノンに至ってはごくりと固唾を飲んで、次の言葉を待った。
ルカはニノンの隣で窓から空を見上げているため、ニノンと目が合うことは決してない。けれど、ニノンはルカを凝視していた。
「深い色で、どんな絵の具を混ぜ合わせても表現しきれないような奥深さがあるのに、誰がどんな空を塗っても、その色の空は必ずあるんだ。人の心の数よりも、たくさんの色を持つ空って、世界最大で世界で一番、自由なキャンバスだよね」
おおっとニノンが感嘆する。アダムも運転しながらひゅうっと口笛を吹いた。
「詩人ね。急にどうしたの?」
ニコラスの問いに、ルカが別に、と素っ気なく応じる。
「ただそう思っただけ。深い意味はないよ」
「空がキャンバスだとして、それは誰の持ち物でもねえだろ」
「……地球の持ち物じゃない?」
「夢があるのかないのかわかんねえな」
地球にあった化石燃料を人間は使い果たしてしまい、世界は暗黒の時代を迎えた。暗く長い時代の光明として見出だされたのが、まったく新しいエネルギー源。絵画をエネルギーに変換するという絵画エネルギーの概念である。
絵画に芸術としての価値はなくなり、明日を食い繋ぐためのエネルギーを生み出そうと、人々は筆を執る。そんな時代になった。
この車を動かしているのも絵画エネルギーによって生まれた電気だ。だいぶ古い型の車だが、乗り心地は住民バスの百倍はいい。
車の持ち主であり、運転手を務めるアダム・ルソーは口や手癖が少々悪い自称修道士である。自称でもなんでもなく、紛れもない修道士なのだが、旅の仲間であるルカやニノンは未だ半信半疑である。
ぼうっと空を眺める瑠璃色の目をした少年は道野ルカ。ぼうっとして見えるが、一人前の絵画修復家の少年である。没頭タイプなので、一度仕事モードに入ると何の語弊もなく寝食を忘れるタイプだ。
ルカの隣でルカを見ながらそわそわしているのはニノン。絵画の声を聞くことができる謎の能力の持ち主である。その才覚からか、時折人からずれた感性を見せ、主にアダムを驚かせることもしばしば。
助手席に座る長身の青年はニコラスである。元サーカス団団長で、訳あって、ルカたちと旅をすることになった。
こうして穏やかな陽気の中、旅の一行を乗せた車は進んでいく。
街に着くと、まず四人が始めるのは宿探しである。旅から旅への四人であるが、最年長のニコラスの命により、よほどのことがない限り、宿を取ることになっている。
何故ならば、お年頃の女の子、ニノンがいるからだ。「男共は野宿でもいいでしょうけどねえ、女には並々ならぬ事情ってもんがあるのよ!」という力説をルカとアダムは耳にタコができるほど聞かされた。
ルカも仕事探しがてら、街を回っている。この旅の四人の資金源は路上パフォーマンスをするニコラスと絵画修復家のルカだ。ニコラスのパフォーマンスは虹のサーカス団だったこともあり、一定の評判があるが、絵画がエネルギーになるこの時代、魔術師とさえ言われる絵画修復家の仕事の方が安定して金が入る。金金金金言うと現実主義者め、と思われるかもしれないが、車移動の燃料が馬鹿にならないため、金はかなり重大な問題だ。
そうして、四人で歩いていると、ルカが突然えっと声を上げる。
「ん、どーした? ルカ」
真っ先に反応したのはアダムだ。ルカはあれ、と道の向こう、ちょっと薄暗い先にある看板を指差す。
煤埃で汚れた鈍い金色の文字で店名が掘られた黒いレトロでお洒落な看板。そこには[JOKERSHOP]という店の名前と共に煽り文が刻まれている。
「損なわれない小さな美術館?」
「えっ」
アダムが読み上げた文字に、ニノンとニコラスも驚く。
美術館とは、絵画エネルギーが生まれる前、まだ人々が絵画を芸術として鑑賞していた時代に存在した、絵画を見て楽しむための建物だ。
絵画エネルギーの普及に伴い、美術館から絵画は回収され、全てエネルギーに変換されたはずである。だから、今の世の中には「美術館」という言葉すら存在しない。
絵画を所持していたら、それは違法になる。だから美術館なんて、存在してはいけないのだ。
それが街の片隅の薄暗い路地の取っ掛かりとはいえ、よく白昼堂々と存在できたものだ。ルーブルは取り締まらないのだろうか。
「取り締まられないのには理由があるのかもしれない」
「まあ、そうだな。俺らが持ち歩いてる絵も、修復が必要な絵画だから違法にならねえわけだし」
「あとは、未完成の絵画とか、贋作が駄目なんだっけ」
絵画所持が違法とならない条件を挙げられ、ルカは考え込むように頷く。
「あの店に入ってみよう」
「マジかよ。滅茶苦茶胡散臭いじゃねえか」
「よく考えてみてよ、アダム。取り締まられない絵画を所持しているっていうことは、俺の仕事があるかもしれない」
ルカの言うことはわかる。
ただ、未修復の絵画を展示していると考えると、なかなかな趣味だよな、とアダムは思った。それなら普通に修復家に依頼した方が早いだろう。まあ、ルカと出会うまで幻だとアダムが思っていたくらい、修復家という人材が貴重なのはわかるが。
それにしたって、美術館を名乗るのはだいぶ世間に喧嘩を売っている。
「いいんじゃない」
思い悩むアダムの後ろから、ニコラスがルカに賛同した。アダムがニコラスに振り向く。
ニコラスは軽くウインクをして告げた。
「入場無料って書いてあるし」
「無料より怖いもんはねえんだよ!」
「食い逃げでタダ飯食らいしようとしてた人がなんか言ってるー」
「ニノン、いつの話してるんだ、あ、こら、ルカ行くな」
「三対一で圧勝ね。アダムちゃん、抵抗はムダよ」
「押すな! 押すなー!!」
アダムの悲鳴は店の中に吸い込まれていった。
からん、とコジャレた喫茶店の入り口で鳴るような鐘が鳴り、ニノンはさっと上を見上げた。
「ほえー、綺麗な茶色」
「あ? 何言ってんだ?」
ベルは銀色だ。アダムが首を傾げる。
内装はシンプルだ。カウンター席しかないレストランのような、バーのような感じ。
「お洒落な内装だね。少しレトロだけど」
「椅子座ろーぜ。おいルカ、後ろ詰まってるから進めよ」
「……絵画が一枚もない」
ルカの言葉にえっ、と他三人が驚き、各々店内を見回した。
綺麗な壁はオレンジに近い茶色をしていて光沢を放つほどに綺麗である。そこには絵画一つないどころか、何かをかけるフックすらない。壁に壁画や落書きがあるわけでもなく、壁はただただ綺麗だ。額縁もない。
「ほんとだ、絵画の声も聞こえて来ないし」
「んじゃあ、看板の『美術館』ってのは客を釣るための文句ってことか?」
「それにしては何の店かわからないわね」
全員がそろそろと店の中を進んでいると、奥からぬっと人影が現れた。長く艶やかな黒髪に緑色の目を持つエプロンドレスの少女だ。少し慌てた様子でとてとてと小走りする様が微笑ましい。
「かっわいー……店員さん?」
「アダム、こんなところで女の子口説かないでよ」
「どうしてわかった!?」
アダムの返答にニコラスが長い足でアダムの足をげしげしと蹴る。
そんな様子にあわあわとしつつ、店員とおぼしき少女はパネルを出した。そこには文字が書かれている。
『[JOKERSHOP]へようこそ。わたしはここの案内人を務めております、アイカと申します』
『生まれつき声が出ない病気のため、パネルや筆談でのやりとりとなることを、予めご了承ください』
それらのパネルを読み、ニコラスは気遣わしげな表情になる。
「あら、聾唖者ってこと?」
少女、アイカは首を横に振る。
それからがさごそとして、新たなパネルを取り出す。
『耳は聞こえていますので、気兼ねなくお声がけください』
そんじゃ、と椅子に腰掛けたアダムが切り出す。
「表の看板の[美術館]ってどういうことだ? 絵画の違法所持は良くねえし、それを堂々と宣言してるのも店にとって良くねえと思うんだけど」
その質問に、『よくぞ聞いてくれました!』のパネルが出てくる。アイカは手慣れた様子で次のパネルを出した。
『[JOKERSHOP]で取り扱うのは絵画エネルギーの回収対象にはならない絵画です』
『といっても、未修復の絵画や未完成の絵画、贋作などではありません』
『普通の人が見たら、とても絵画とは思えないであろう代物を取り扱っているのです』
「絵画とは思えない絵画?」
「ピカソのゲルニカでさえ絵画エネルギーにはなるぞ?」
アイカはそんな反応ににっこりと応じる。
『百聞は一見に如かずでございます。まずは最初の作品をお持ち致しましょう』
そのパネルを置いて、アイカはまた奥へと消えた。
四人の間では、謎が渦巻くばかりだ。
絵画と判定されない絵画など、この世にあるのだろうか。星降る村の天文図すら、絵画として提出されたのに。
四人が待っていると、アイカが布のかかった絵画を複数運んでくる。その数四。そんなにあるのか、と表情変化の少ないルカでさえぎょっとした。
『まずはこちらの作品から。作品の特性を感じてもらうため、タイトルは伏せさせていただきます』
そうして布を取り払われた一枚目は。
「なんじゃこりゃ?」
アダムが二度見し、ニコラスが首を傾げる。そこにあったのは、キャンバスいっぱいに大小様々に書かれた数字の羅列であった。
これが絵画? と思っているのを尻目に、ニノンがあっと声を上げる。
「これ、緑のバンダナを巻いた女の人の肖像画だ!」
「えっ」
一同がニノンの発言に驚く中、アイカはにこにこと二枚目の布も取った。
「今度は風景画? 木漏れ日の散歩道を黒猫がまったり歩いてるみたい」
ニノンの言葉にアダムは目を凝らすが、どう見ても、黒いペンで大小様々にランダムに数字が書かれているようにしか見えない。絵というより文字列。意味などそこに到底見出だせない。
だからこそ、ニノンの発言の謎が深まる。
残りの二つも布が取り払われ、ニノンはそれに感嘆した。ニノンの言葉に、アイカは満足げだ。
そこで、無言でキャンバスたちを眺めていたルカが口を開く。
「これ、共感覚能力者向けの作品ですね」
ルカの言葉に、アイカは素晴らしい、という風に手を叩いた。




