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コルシカの思い出  作者: 九JACK
八周年記念
21/47

呪いの館

 アダムは顔色を悪くする。ここに来る前、男に言われた内容そのままのことになっているのだ。

 ただ、言わぬが花という言葉がある。あくまでセドナというこの少女はメイという絵画を守っているだけである。マーカブラホテルのときもそうだったが、絵画を盗むのは立派な犯罪だ。違うのは誰が裁くかくらいなものだろう。

 もっとも、ニノンよりも小柄なこの少女があまり手酷いことができるようには見えない。

「そのメイさんっていう人はどんな人だったの?」

「私の憧れです。アルル様は唯一の救いだったと仰っておられました。このような屋敷こそ持つことになりましたが、アルル様は不遇なお方でしたから」

「悲劇の画家っていうのは聞いたけど……」

 ニノンの言葉を耳にすると、セドナは柔らかい笑みを浮かべたものの、きっぱり否定する。

「アルル様は画家ではございません。本来は人形職人です。アルル様が生涯で描いた絵は三枚のみでございます。その様子ですと、メイ様以外の残りの二枚もご存知なのでしょうか」

「『マーガレット』と……いや、もう一枚はわかりません。でも、燃やされた、と聞いています」

 ルカが答えると、セドナは目を伏せた。沈痛な面差しが浮かぶ。アルルに仕える者として、絵画を焼かれながら殺されたという話はいかほどにつらいものなのか。

 AEPに還元された絵画は消えてしまうが、最後に電力となって人々の生活の中に溶け込んでいく。ただ絵画を焼いた場合、何も残らない。残ったところで灰か塵だろう。

 「マーガレット」を提出したところから思うに、その絵画もAEPに還元するつもりであったことは想像に難くない。絵画をAEPに還元することに関して、様々な意見にルカたちはこの旅で触れてきた。アルルがどういう考えだったかはわからないが、自分の行動に何か意味を確立させていたはずだ。

 それをただ、焼かれた。絵画を燃やすことで発生するエネルギーはかつて人類がエネルギー源としていた火力発電の何億分の一にも満たないだろう。そうしてただ消えたのだ。

「アルル様が亡くなった、あのおぞましい事件。私以外にもアルル様にお仕えしていた者は皆、憤りました。犯人は愉快犯で、他にも事件を起こしており、裏の社会で粛清されたと聞きましたが、犯人の命が亡くなったところで、私たちの悲しみ全てを拭うには足りません。ただ、アルル様の願いで、アルル様が手掛けた絵画は全てルーブルに提出するように、と言われておりました」

 そこでニノンが疑問符を浮かべる。

「でも、アルルの描いた『メイ』の絵はこの屋敷に置かれたままなんだよね? どうして?」

「実は、メイ様の絵は、修復家に依頼して元に戻していただかないといけなくて……」

「え」

 ルカ──絵画修復家本人がきょとんとして、最初にセドナと接触したニコラスを見る。ニコラスは一応、予防線のつもりで言わなかったのだ。詳しい素性を話すと、いつぞやのホテルのように帰してもらえない可能性もある。

 ただ、今のところ、セドナにそういった下心や悪意は感じられない。

「メイ様の絵は何者かによって塗り替えられてしまったのです……ただ、絵画修復家に依頼しようにも、この屋敷には変な噂も立っていますし、私は不届きな輩が現れないよう、ここを守る役目があります」

「他に給仕さんや頼れる人はいないのか?」

「メビウスというアルル様の側近の方が修復家を探していますが、修復家はメイ様を見ると、『修復する必要はない』と言って、帰ってしまうのです」

「は?」

 珍しくルカが柄の悪い声を出す。それもそうだろう。絵画修復を放棄する修復家などあり得てはいけないし、もしあり得たとして、ルカは同業者として許せないだろう。

 ルカは静かだが、その背後にゴゴゴゴと効果音がつかんばかりの怒りのオーラを感じる。もはやこれは隠す必要がないと感じ、ニコラスが提案した。

「そのメイちゃんの絵、見せてもらえるかしら? この子ルカっていうんだけど、絵画修復家なの」

「本当ですか!? 是非、お願い致します。ご依頼させてください」

 セドナは飛びつかんばかりの勢いでルカの手を取る。潤んだ瞳から見るに、相当困っていたのだろう。

 ルカは力強く頷いた。

「お引き受けします。まずは、絵画の状態を見させていただけますか?」

「はい」

 セドナはこちらです、と奥の部屋を示す。アダムが手を挙げた。

「興味本位だけど、俺らも見ていい?」

「もちろんです。ご案内致します」

 セドナの反応は無垢そのものだった。純粋にアルルの描いた絵を見てもらえるのが嬉しいのだろうか。

 少し無防備すぎやしないか、とは思ったが、疚しいところはないので、言わないでおくことにした。ニコラスも同じことを思っているようで、アダムと目を合わせると小さく頷く。

 セドナに案内されて廊下を歩いていく。大理石の床は綺麗に磨かれており、埃一つ見当たらない。周囲の装飾も丁寧に手入れが施されている。

 ニコラスとアダムは引っ掛かりを感じていたが、口には出さない。ルカとニノンは気づいているだろうか。

「しかし、モノクロの絵画ですげえAEP叩き出した画家の絵が見られるなんてな」

「メイちゃんってどんな人なんだろうね」

 アダムが絵に興味があるのは本当だったし、ニノンも楽しみにしていた。

「そういえば、二枚目の……燃やされた絵画には何が描いてあったの?」

「こら、ニノン」

 アダムがニノンの質問を無神経だと小突く。ニノンは小突かれたのが気に食わなくて、むっとするが、セドナの顔を見て慌てた。とても悲しそうな切なそうな表情をしていたのだ。見ているだけで、胸をかきむしりたくなるほどの。

 ニノンは慌てて弁解する。

「あ、あの、答えたくなかったら大丈夫だから!」

「いえ、知っておいてほしいです」

 セドナは儚げな笑みを浮かべて告げた。

「アルル様が絵画を描かれた理由は『もう寂しくないように』──アルル様は幼少に亡くされたお母様であるマーガレット様をまず描きました。アルル様にとって最も大切な方であったメイ様も額縁の中に納めました。アルル様はルーブルに提出することを前提に全ての作品を描き上げたのです。その三作のうちの一作はアルル様ご自身の『自画像』です」

 セドナの声は他に靴音しかない廊下にしんしんと積もっていく。

 燃やされた自画像。「寂しくないように」描いた三人の絵から、アルル本人だけが外れてしまった、それは悲しい人生のような物語だった。

「宗教を改まって信仰したことはアルル様にも私にもございません。ただ、アルル様は、共に生きることができなかった大切な方々と何かの形で一つになりたかったのでしょう。絵画を描いて、ルーブルに提出し、三人が一つのエネルギーになる。これは一種の弔いなのだ、とアルル様は仰っていました。アルル様は鏡写しを電力という一つの大きなものの一部にすることを選んだのです」

 コツコツ。無言の中で、靴音だけが響いた。

 どんな思いで描こうと、AEPに還元されれば、絵画は無となる。けれど、こういう考え方もあるのか、とニノンは思った。

 確かに電力という概念に還元されるのは「一つになる」という表現が適しているのかもしれない。

 それを救いとしていたなら、アルルは絵を燃やされて無念だったことだろう、とニノンが考えていると、ふと隣のアダムが足を止めた。ニノンも釣られて足を止め、コツ、と靴音が止まる。

 アダムは俯いていた。

「なあ、セドナちゃん」

 アダムに声をかけられて、セドナは足を止める。そこには笑みが灯っていた。温かいはずなのに、どこか空寒い。

 アダムは真剣な眼差しで問いかける。

「ルカとニコラスはどこ行った?」

「えっ」

 ニノンがぱっと辺りを見回すと、一緒に歩いていたはずの二人がいない。案内されているのに先に行くということはないだろう。

 セドナは和やかに答えた。

「お二人は呼ばれたようです。メイ様に」


 ざっ。

 地面の感触が変わって、ルカはふと足元に視線を落とす。そこは大理石の床ではなく、土。風がさあっと土埃を浚っていく。

「……ここは」

 見渡すと、そこは荒野だった。直前の記憶はセドナに絵画の部屋に案内すると言われてついて行ったところだ。

「ルカ! いたのね」

「ニコラス」

 向こうからニコラスがやってきた。少し歩くと川があるらしい。空はどんよりとした雲に覆われているが、水がきら、と何かを反射し、揺らめくのが見えた。

「ニノンとアダムは?」

「探したけど見当たらないわね。あたしたち、セドナちゃんに案内されていたはずよね?」

 ニコラスと記憶は一致している。これはどういう現象なのだろうか。心霊現象、の四文字が脳裏をちらつく。

 が、どこぞのように無理矢理修復作業をさせられるわけではなさそうだ。第一、修復道具は一式車の中である。

 ニノンとアダムが心配だが、ニコラスと合流できたのは幸いだ。一人でいるよりましである。

「ここは、どこなんだろう?」

「こんな場所、あたしも知らないわよ」

 こんなに何もない場所は見たことがない。あるとすれば砂漠だろうが、砂漠はこんなにじめじめしていないだろう。

 目印になりそうなのは川だけのようだ。ひとまず二人は川へ向かうことにした。

 そのときである。

「やっと、やっと見つけた。やっと来てくれた。メイを元に戻してくれる人」

 ルカとニコラスはどこからともなく聞こえてきた女の子の声に周囲を見回した。あくまで声からの想像でしかないが、セドナのものより幼い気がする。

 周囲には誰もいないどころか、他の生き物の気配すらない。川もさらさらと流れるばかりで、魚が跳ねる様子はない。

「誰?」

 ルカが問いを虚空に放つと返事はすぐに返ってきた。

「メイはメイだよ。あなたたちをここへ招いたのもメイ」

「メイって、アルルが描いたっていう絵の?」

「そうだよ」

 メイと名乗る声は続けた。

「あなたの色だから拾ってくれると思った。

 あなたは色を失くした人だから招いた。

 ──お願い、彩らないで」

 それは切実な祈りだった。

「メイを直して」

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― 新着の感想 ―
[一言] ルカが怒った!ルカが柄の悪い声を出した!! 怒りの原因がとてもルカらしくて、彼なら絶対怒るよなと思いました。 絵画を弔いの道具に…というのがなるほどなぁと思いました。 大切な人とひとつになれ…
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