ニコラスとセドナ
「コルシカの修復家」八周年記念作品です。
「まーた胡散臭い話だぜ。呪いの館ってよ」
アダムが運転しながら話すのは、もうすぐ見えてくるだろう屋敷のきな臭い噂であった。
ここからは長い道中になる。その道の中に一軒、大きな屋敷があるようだから、その屋敷に一泊させてもらえないか調べていたのだ。
そこで道すがらに言われた。
「お前さんら、あの呪いの館に行くのか?」
「呪いだあ?」
アダムが聞き返すと、褐色の肌の男が話し出す。
「ああ。『悲劇の画家アルルの館』だろ? そいつは」
「悲劇の画家アルル?」
アダムもルカもニノンも聞いたことのない名前だ。アルルというなら地名だろう。
ニコラスがああ、と頷いた。
「一昔前の画家だね。AEPの還元率で随分と話題になった画家だよ」
「どんなやつだよ」
「モノクロの絵で驚異的な還元率を叩き出したって話だよ。その絵の題は『マーガレット』といって、花園に佇む女性の絵だって話。まあ、知る人ぞ知るって感じなんだけどね」
「お、よく知ってんな。真偽のほどは定かじゃないが、そのモノクロの絵画は五年は電力供給に困らないくらいの還元率を叩き出したらしいんだ」
「五年!? そりゃ確かに盛ってるかもしれねえけど、火のないところに煙は立たないっつうからな」
「でも、そんなすごい絵を描いた人が名前をあまり知られていないっていうの、なんか変じゃない?」
ニノンが不思議そうに口にすると、男がそれだよそれ、と告げる。
「画家のアルルは死んじまったんだ。それに、モノクロの絵でそれだけのAEPを出せたのは『マーガレット』一枚きり。『マーガレット』の話が出てから、数多の画家がモノクロ絵画に挑むも、腹の足しにもならねえ結果となったわけだ。アルルは死ぬし、アルルが特別だったのか、『マーガレット』が特別だったのか、今じゃあ知る術はねえ」
そこまでの説明を受け、今度はルカが疑問を口にした。
「でも、アルルが悲劇の画家と呼ばれる理由がわからない。亡くなったっていうのは残念だけど」
「アルルはもう一枚、モノクロ作品を描いてたんだよ。ただ、それを燃やされた。自分で描いた絵画が燃やされていくのを見ながら死んでいったって話だ」
「……アルルは殺されたってこと?」
男が重々しく頷く。それは衝撃的な事実だった。
目の前で自分の作品が燃やされるのを、ただ見ているしかできない。どれほどの無力感に打ちのめされたことだろう。なるほどそれは悲劇と呼ぶに値した。
「ただ、もう一つ、彼の遺作が館に残っているらしい。その噂を聞きつけたやつが、その絵画を狙って屋敷を襲撃したり、普通に尋ねたりしたそうだが、そいつらはそれはもう悲惨な目に遭ったらしい。死ななくても血塗れになったり、精神が崩壊してたりな。だから本当に絵画があるのかもわからねえ。それが悲劇の画家アルルの館の話だ」
「こっわ」
まあ、故人の作品を盗もうとする輩は罰当たりにはちがいないのだが、それにしたってあまりにも過激なしっぺ返しである。
男はルカやニノンの幼さを考慮して「血塗れになった」としか言っていないが、血塗れになった原因は本人が怪我をした、という線が濃厚そうだ。ただ「怪我をした」だけでは済まされないようなえぐめの話かもしれない。
アダムは顔面を蒼白にする。
「行きたくねえ~!!」
「でも、この館を抜けないと、次の街まで行けないから。屋敷の前を通るだけなら大丈夫なんですよね?」
ルカが男を仰ぎ見ると、男はああ、と首肯した。まあ、そうでなければ道を他に作るはずなのだ。
「一泊は諦めて、車中泊にしよう」
「だな」
ニノンとニコラスにも異はなかった。
だが、言い様のない予感がニコラスの中にはあったのだが……まあわざわざ不安がらせることでもない、とニコラスは何も言わなかった。
嫌な予感ほど当たるもの。その格言がどのくらい真実味を帯びているのか、予想もせずに。
良くないことは起こるものだ。
「よりにもよって……」
アダムが天を仰ぐ。仰いだ空は恨めしいほどに快晴で清々しい。何が悲しくて、快晴の空の下、車を停めているかというと……いや、停めているという表現は正しくない。「停まってしまった」のだ。
エンジンの故障か、とも思ったが、そういう点検は長旅になる前にはしている。だが、点検するのは人間、何かを見逃すこともあるだろう、とアダムはバンパーを開いているのだ。
バッテリーが上がったのだとしたら、相当不運である。何しろ、と左側を見れば、そこには立派な屋敷。普通の家の三つ四つは入るであろうそこは間違いなく「呪いの館」だ。なんてったって、この通りに建物はそれしかない。
いつぞやのヤバいホテルとは違って、不気味さやら禍々しさのない静かな佇まいだ。だが、人気がないのに手入れが隅々まで行き届いていて綺麗な様は異様にも思えた。
綺麗だが、あまり近づきたいと思えない。何せ曰くのある建物だ。不気味なホテルのときとは違う雰囲気だが、触らぬ神である。
ニノンは呑気なもので、周りに咲く白い花たちを見て楽しんでいる。悲劇の画家アルルが描いた作品と同じ名前の「マーガレット」という花。白く清廉とした花は曰くつきとは思えないほど晴れやかに屋敷を彩っていた。
ルカはニノンの付き添いだ。ニコラスがしきりに屋敷とアダムとを見比べている。
「アダムちゃん、屋敷に誰かいないか声かけた方がいいんじゃない?」
「いーやーだー!」
「人はいるんじゃないの? お屋敷、綺麗よ?」
「マーカブラホテルのこと忘れたのかよ? また妙なことに巻き込まれんのは御免だぞ」
そう、いつぞや彼らが宿泊した不気味なホテル──マーカブラホテルとアルルの館は状況が似ているのだ。絵を持っていこうとした人物たちが不審死している。画家が殺されている。そしてこの道は残念なことに、人通りが少ない。
次の街に行くにも、前の街に戻るにも、ここは中間地点で歩くなら結構時間がかかる。
「曰くつきの場所は懲り懲りだ。自力でなんとかする」
「自力でなんとかできそうにないから言ってるんでしょ。……はあ」
ニコラスは仕方なさそうに溜め息を吐いた。
「それじゃ、あたしが声をかけてみるよ」
「え、おい」
アダムの制止の声が聞こえたが、ニコラスは屋敷へ向かった。疚しいことはないのだから、堂々としていればいい。
ここに絵画があったとして、盗む気などさらさらないのだ。全く興味がないと言ったら嘘になるが。
屋敷に向かうと、古風なもので、ノッカーがあった。それをどんどんどん、と三回叩く。すると、ぱたぱたと忙しない音が中から聞こえ、誰かがこちらに向かってくるのがわかった。
やはり、人が住んでいたらしい。でなければ屋敷の外観はこうも保たれていないだろうし、庭も整ってはいなかっただろう。
「はい、どちら様でしょう?」
ただ、出てきたのが年端もいかぬような女の子であることには驚いた。目映い金の髪に深い森のような緑の目。瞳孔が少し大きく見えるのは決して不気味ではなく、愛らしかった。
「旅の者なのですが、車が故障してしまいまして……お嬢さん以外に誰か住んでいる人はいないかい?」
「すみません、今は不在です。誰もいません」
「そう……困ったわね……」
いたいけな少女に頼るわけにもいかないし、とニコラスは頭を悩ませる。そこへ少女が問いかけた。
「旅の方、お連れ様はいらっしゃいますか?」
「え、あ、はい。三人います」
「お疲れでしょう。お茶をお淹れしますので、中へどうぞ」
ニコラスはぎょっとする。大きい屋敷に女の子一人の状況で押し掛けるのは危なくないだろうか。疑うのはよくないかもしれないが。
「ご遠慮なさらないでください。私、これでも家事は全般こなせるのですよ。ここの給仕ですので」
緑のドレスの上から少女はエプロンドレスを纏っていた。エプロンドレスを見るとメイドに見えなくもない。ただ、だとしたら、ここの家主は一体……
「あ、申し遅れました。私、アルル様に仕えております、セドナ・アルジャーナと申します」
「ニコラス・ダリよ。連れ合いたちを呼んでくるわね」
どうやらここはアルルの屋敷ではあるらしい。人がいるのは意外でもなかったが、まさか給仕の少女が一人きりとは。
自分たちに何も疚しいことはないため、お茶を飲むくらいはいいだろう。晴天の中、アダムはずっと作業をしているのだし、小休憩くらい取っても罰は当たらないはずだ。
アダムがああだこうだと駄々を捏ねたが、なんとか丸め込んで屋敷のノッカーをもう一度叩く。すぐにセドナはやってきた。
「ニコラス様とお連れ様ですね。ようこそいらっしゃいました。お茶のご用意ができております。どうぞお上がりください」
セドナが淑やかな仕草で挨拶をする。温もりのある笑みでの対応にアダムの警戒心も解けたようだ。
「可愛い子だな」
「お人形さんみたい」
むしろうきうきしてすらいる。ニノンも少し浮かれていた。ルカは平常運転である。
大きな屋敷に見合った大きな客間に通される。燭台が壁についている、なんとも古風な仕様だ。さて、アルルとは何年前の人物だったか。
「歴史の感じられるお屋敷ですね」
「ありがとうございます」
ルカの言葉にセドナは自慢げに笑った。
「アルル様のお祖父様が建てたお屋敷なのです。毎日このお屋敷のお手入れをするのが私の誉ある仕事です」
「セドナちゃん一人で?」
「以前はお姉様もいましたが……アルル様のことがあって……」
顔を曇らせたセドナにアダムが慌てる。女の子を泣かせるのは彼の矜持に反するのだ。
「大丈夫です。もう随分前の話ですから」
「でも、肉親をなくすのはつらいだろう?」
ニコラスは双子の弟を探している。ニノンには姉がいたこともわかった。二人共生きている可能性はあるが、引き離されただけでも、つらいこともあるのだ。死んだとなると、尚のことつらいだろう。
「はい。でも、私にはお姉様に代わって成し遂げねばならない役目がありますから」
「役目?」
「アルル様の遺されたメイ様をお守りすることです」
「画家アルルに身内がいたってことか?」
茶菓子をぽい、と口に放り、アダムが訊いた。するとセドナはきっぱり首を横に振る。
「メイ様はアルル様の生涯の友人でした。私がお守りしているのは、アルル様がお描きになったメイ様の肖像画……絵画です」




