アダムと出会い
この作品は二次創作です。「コルシカの修復家」アニバーサリーとして書かせていただいております。
今回はコルシカの設定を元に想像した部分が多いので、ご本家様の設定に支障をきたすようでしたら、取り下げる所存ですが、当作品、何より「コルシカの修復家」への批評批判は受け付けておりません。
この作品を理由にご本家様を非難なさることのないようよろしくお願いいたします。
今回は「暗黒の時代」、「日本のアニメという文化」にクローズアップしたものとなっております。前置きしておきますと、作者にアニメ制作現場の知識はありません。
諸々、ご了承いただいた上で、お読みくださると嬉しいです。
ふわふわと、暖かい日差しが街を包んでいた。
新しく訪れた街で、次の目的が決まるまで一息吐こう、となった旅の一行は自由行動をしていた。ニコラスは路銀稼ぎに出ていて、アダム、ルカ、ニノンの三人でそこそこ賑わう街を散策していたのだが、ルカがフェイスペイント師に捕まり、今はアダムとニノンの二人であった。
「ねえ、アダム。ルカ、本当に大丈夫かな?」
「だんまりなことが多いんだから、顔くらいたまには面白くなった方がいいだろ」
無責任である。が、ルカは大抵仏頂面(アダム談)なので、ピエロくらい派手なメイクを施されてたまには周りを笑わせたらいい、というのは事実かもしれない、とニノンは思った。メイクではなく、フェイスペイントだが。
「でも、フェイスペイント、面白いなら私もやりたかった」
「お前はもっと色々知った方がいい。なんか世間知らずなところあるからな」
「誰が世間知らずよ!!」
ジョーシキくらいありますー、と強く主張するニノン。アダムははいはいと二度返事でそれをいなした。
アダムはちら、と片目を開け、それからニノンに辺りを示す。
「まあ、世間知らずじゃなくてもここには来る価値があると思うぜ。見てみろよ」
ニノンは言われるがままに辺りを見回す。人が多いこと以外は特に変わったところはない……と思ったのだが、よくよく見ると、普段は見かけないものがたくさんあった。
一つは、一つの店の看板が、いくつもの見たことのない文字で埋め尽くされていること。これがわりとそこら中になっていて、見慣れぬ文字にニノンはきょとんとした。
英語、イタリア語、ドイツ語、中国語、ハングル等々。辛うじてルカに教えてもらった日本語が読めるくらいだろうか。アラビア語なんかは文字というより落書きにしか見えないし、ハングルは何かしかの暗号に見えた。もしかしたら秘密結社の間で交わされる合図かもしれない、と想像力豊かなニノンは思っただろう。アダムに指摘されなければ。
もう一つ、普段と違うのは、なんとなく、この辺の人とは毛色が違う人々が多いということだ。顔の造形はあからさまに違わないものの、着ているものがこの辺りのものとは違ったり、明らかにこの国の顔立ちではない人々が多い。
「……外国の人?」
「そうだ。この辺りは観光名所ってわけでもねえけど、交通の便がいいからな。外国行きの飛行機もあるし、大きい船も出てる。駅だってあるしな」
「それでホテルとか多いんだね」
「そうそう。どこに行くにもまずはここに着かなきゃって場所なのさ。そうすると色んな文化が混じり合って、異文化交流させてもらえるってわけ。外国に出向かずに外国のこと知れるのは得だろ?」
「得かどうかはわからないけど、面白そうだね!!」
フェイスペイントをやっていたりするのも、その辺りの理由があるのだろう。フェイスペイントも一見遊びのようだが、文化交流には持ってこいのものだったりする。
芸術には国境がない場合がある。勿論、その国ごとの特徴が表れることが多いが、それが世界的に認められることだってある。絵画なんかは、その最たるものだろう。
かの有名なヴィンセント・ヴァン・ゴッホはフランス出身だが、ゴッホの名を知らない者の方が世の中では少ない。けれど、そのゴッホが愛した絵画の一つの形式「浮世絵」は日本のものであったりする。
探し物をしたり、追ったり、追われたりと忙しない旅だが、異文化交流は刺激を与えてくれるし、異文化交流が与えてくれるのは刺激ばかりではない。心を和ませるような癒しだって与えてくれる。
それに、とアダムは今は路銀稼ぎに出ているニコラスとの会話を思い返した。
ルカとニノンが後部座席で仲良く眠っているときの話だ。二人が疲れるくらいである。運転手のアダムはもっと疲れていた。故に、居眠り運転対策にニコラスと喋ることが多かった。
ルカは気の利いた会話ができるとは思わないし、ニノンはお喋りなようでいて、自分で一から話題を作ることに慣れていない。旅をして多少は気安い仲になったが、気安いからこそ、何を話したらいいのかわからなくなるのだろう。
その点、サーカス団の団長をしていた経験があり、一行の中では年長のニコラスは弁が立つ。亀の甲よりなんとやらである。
まあ、そのときは大して面白い話をしていたわけではなかった。旅の最中ならごく普通の次の目的地の話だ。
「ここらで一辺、休憩入れてえな」
「同感よ。みんな疲れてるし」
「いっちゃん疲れてんの俺だけどな」
「運転手が疲れるのは仕方ないわね。いっそ野宿でもする?」
「……」
そうもできない理由があった。ルカに修復のできる場所を提供したいのもそうだが、ニノンである。年頃の女の子を野宿? いくらアダムがニノンを惚れた腫れたの目で見られなくても、それくらいのデリカシーはあるのだ。
それに、どこでベニスの仮面の連中に出会すかもわからない。追い、追われ、という生活も楽ではないのだ。普段は呑気しているが。
ニコラスがべらっと地図帳を開く。近くにいい街がないか探しているのだろう。
「あら、ここからならあの街が近いのね」
「ん、なんだ?」
ニコラスの言った街は、聞き覚えがあった。うっすらとした記憶だが、都会といえば都会であるその街。
特に珍しいものがあるわけでもない。ただただ交通の便がよい。
「あー、なるほどな。この街なら宿探しにも苦労しなさそうだ」
「そうそう。街自体に特徴はないけど、外国の文化に触れられるからいい刺激になると思うのよ」
要するに、気分転換である。
反対する理由もなかったので、アダムはニコラスにナビ頼むぜ、とだけ言った。
「それに時々、海外から遠路はるばるルーブルに絵画を提出しに来る人もいるのよ」
「へえ」
「アダムちゃん気にならない?」
気にならないと言ったら嘘になる。外国の絵には興味があった。
[絵画]とされるものは様々な画材を使うわけだが、当然、地域性が出る。いつぞや、ルカが修復した踊り子のドレスに名産の葡萄を使ったように、色素を植物から取り出す手法も国により様々ある。顔料だって。石を砕いて使ったりする。フェルメールブルーなんかが、確かそうだったはずだ。国が違えば、石も植物もとれるものは違う。
そういう、国ごとの特性も絵画には表れる。それはゴッホの抽象画や日本の浮世絵にも言えることだ。
「ご苦労なこって」
興味がないことはないというより、興味は他の話題に比べて割り増しである。まあ、そう都合よくはいかないとは思うが。
旅をしていれば、新しい出会いをいくらでも経験する。ルカやニノン、ニコラスに出会ったことも然りだ。
──新しい出会い、をアダムはそこはかとなく願っていた。
「この辺はカフェやレストランが多いんだね」
「そりゃ旅人が来るからな」
露店は少ない。ただ、面白味のありそうな芸は旅人の目を惹く。その証拠にアコーディオンのストリートライブやパントマイムなど、大道芸人が店のないところでごった返している。この分なら、ニコラスもさぞ儲かっていることだろう。
そういえば、とニノンがアダムを見る。
「どこに向かってるの?」
「あ?」
「いや、なんか目的がありそうだったから」
アダムはレストランの食事にも、ピエロの滑稽な芸にも目を向けず、迷いなく歩を進めていた。ニノンはなんとなくついてきていたが、どうも、目的地があるようにしか思えない。
アダムはあー、と煮え切らないような声を出して、向かう先を指差した。
「あそこ。見える? 空港」
「くうこう」
「外国からも飛行機が飛んでくるんだ。昔……火力発電を使っていた頃ほどじゃねえけど」
「かりょくはつでん?」
「お前な! 物知らないにも程があるだろ」
火力発電。今はもうない、石油を燃料にすることで電気を生み出していた技術である。絵画エネルギーが発見されるまでに、暗黒の時代と呼ばれた時期があった。それは火力発電の大元となる石油が地球上から枯渇したからである。人々は夜に灯りの灯らない、原始的な生活を余儀なくされた。
同じ燃料で動いていた飛行機も当然飛ばなくなり、国同士の交流もほとんど絶たれた。それはどの国も同じだった。絵画エネルギーが発見されるまでは。
この知識は基本中の基本である。が、暗黒の時代と呼ばれる五十年前に生まれていなかったニノンやアダムが実感するのも無理な話だった。
「で、その燃料はどうしてるの?」
「さすがにそこまで詳しくねえよ。技術先進国でどうにかしたんじゃねえ?」
何はともあれ、車と言い、便利な世の中に戻ったのは僥倖である。
──果たして本当に?
アダムはその疑問を口にしなかった。触らぬなんとかだ。あるいはやぶ蛇というやつである。
と物思いに耽りかけた視界の片隅で、アダムは不思議な目の色の人物を捉えた。いや、不思議な目の色は見てから気づいた。アダムが捉えたのは、スリである。
その人物はすられた側だ。ボロい服を着た中年男の仕業である。アダムは嫌なもん見た、と目を逸らそうとした。
溝臭い生活をしたことがあるから、ああいうのはわかってしまう。どこにでもいるのだ。スリなんて。光が強ければ強いほど、影は濃くなる。つまりはまあ、そこそこ都会のこの街にそういう輩がいるのは当然なわけで……
どこに向けてかわからない言い訳を巡らせ始めたアダムだったが、直後、信じられないものを目にする。
すられた不思議な目の色の人物が、そそくさと逃げようとする男の手首を捕まえたのだ。
その唇が、こう象る。
「Si vous le prenez, êtes-vous prêt à le prendre?」
『奪うなら、奪われる覚悟はあるんだろうな?』
明らかに現地人ではないであろう人物のアルトの声が耳を掠めた気がして、アダムはぞっとした。
「アダム、どうしたの?」
「い、いや」
「そこの方」
アルトの声にぎょっとする。不思議な目──桜の色をした瞳の背の高い人物は、アダムを見て、にっこり笑う。
「見てたよね。証人になってくれない?」
先程より穏やかな声だが、アダムは先の言葉が忘れられなかった。
『Si vous le prenez, êtes-vous prêt à le prendre?』
怖い。
けれど、無碍にするほどアダムも人間として廃ってはいなかった。
「ええと、はい」
「穏便に済ませたいから、財布を返してくれればそれでいい」
「な、なんのことやら……」
「見苦しいぞ、オッサン」
アダムは手持ちの頭陀袋に雑に詰められた明らかに女物の財布を指差す。
「まさか、それを自分の持ち物っていうんじゃねえだろうな?」
「ぐっ……」
自棄になったのか、男は頭陀袋をこちらに投げつけてきた。桜色の目の人の顔面に直撃しそうなそれを、アダムはなんとか割って入って止めた。
思ったより重量のあるそれに、ぐ、と呻く。紐が緩んだことで、中身──ありとあらゆる旅行者のものであろう財布が雪崩れてきていた。
「おいおいどんだけやらかしてんだよ……」
「同じ穴の狢のくせにしゃしゃり出るな!!」
叫びはもう遠かったが、アダムの耳に届くには充分だった。アダムは極力、表情を殺した。
「すまない」
声に振り返ると、桜色の目がアダムを覗いていた。背の高いすらりとした美人。パンツスタイルだが、おそらく女性だろう。男装の麗人、という言葉が、アダムの脳裏をよぎった。
「こうなるとは思わなかったな……それ全部盗まれたやつなら、交番にでも届けるべきか?」
「それが順当でしょうね」
案内しますよ、とアダムが言うと、少し下がっていたニノンがえっと声を上げる。
「空港はいいの?」
「人助けは真っ当なことだろ。それにこの人に興味湧いたし。美人だし」
「悪いが、ナンパに付き合う趣味はない」
「先に声かけてきたのあんたでしょうが!!」
まあ、一言多いアダムも悪い。
「まあ、助かったから、お世話ついでに街の案内でもしてもらおうかな」
「俺たちも旅のモンなんですけど」
「かまわないよ。宣伝したいだけなんだ」
「宣伝?」
アダムとニノンは顔を見合わせる。
「失われつつある日本の文化について、知ってほしいんだ。いいかな」
「美人の頼みは断れねえな」
「……私の頼みは時々断るよね?」
「しーっ!!」
ニノンの恨みがましい声に慌てるアダム。女性は口元に手をやり、品よく笑った。
「日本でアニメの制作に携わっている、東雲春子という者だ。よろしく」
「アダム。アダム・ルソーっす。こっちはニノン」
「どうも。ところで、アニメってなんですか? 失われつつあるって……」
春子は苦笑いして、先程男が投げ捨てていった頭陀袋を手に取る。
「まずはこれを届けてからだ」




