ニコラスとツェフェリ
はぁー、と盛大な溜め息を吐くサルジェ。
「アルジャン以外はみんな知ってる。お前のタロットが気にかけているからな。聞かれないと思ってべらべら喋るんだ。俺も[魔術師]から聞いた。
唯一、タロットの声が聞こえないアルジャンだけが知らない。それはお前の目論んでいた通りなんだろう。でもな……」
サルジェは割烹着姿とはいえ、怒りが滲み出ていた。それは母親的な叱るというものより、男としての仁義を重んじる怒りだった。
「何も知らないで、突然好く思っている人が死んだら、それはより心の傷になると思わなかったのか?」
それは真髄をついていた。隠し事をされたら、それが命に関わることだったら。その人が……自分を好いてくれている人だったら。
ニコラスの胸が、ちくりと痛んだ。彼には疚しいことがある。旅の一行にも明かしていない……否、彼らを騙しているとさえ言える。
傷つけないため、と思った秘め事が裏目に出ることがあるのは、旅の一行の中で一番長く生きているからわかる。けれど、だからこそ、ニコラスはサファリの行動を否定できない。
そんな傍ら、アダムがぽつりと語り出す。
「なぁ、気づいていたか? アルジャンのスケッチブックにさ、たくさん絵が描いてあった。全部似顔絵だった。……その中で一番多かったのは誰の絵だと思う?」
「さあ?」
聡そうなのに、惚けるサファリに、アダムは涙を滲ませた怒りの表情を向ける。
「お前みたいなやつは大っ嫌いだよ。……俺はあんなに綺麗な人物画を、今までに見たことがない」
アダムが言うのは、当然、サファリの似顔絵のことだった。
「俺にゃぁ、ニノンみたいな絵の声とか記憶とかを読み取る力はねえよ。それでもな、アルジャンの描いた絵は、生きてた!! そんな人物画なんて、そいつのこと相当好きじゃなきゃ描けねえよ!! 俺も絵を描いたことがあるから、わかる」
要するに、とアダムは続けた。
「女の子の繊細な恋心を踏みにじるようなお前は人でなしも同然だ」
きっぱりと宣告したアダムの言葉に、ニコラスが思わず制止する。言い過ぎだ、と。
けれど、言われたサファリはふふ、と笑っていた。
「人でなし、人でなしですか。ふふ、人間として最底辺の烙印を押されたなら、僕は価値のなくなった人間として、未練なく逝けます」
「なっ」
アダムが絶句する。
サファリはにこりと、罵倒してきた相手に向けるものとは思えない笑みをアダムに向けた。それからいやに穏やかに、三人に告げた。
「最後の晩餐は一人でひっそり食べたいので、出ていってください。アルジャンには、旅の疲れで寝てしまったと」
もうそこには揺るぎない生を捨てた人物がいるだけで、誰も止められはしない。
最後の戯れに、サルジェが尋ねる。
「最後の晩餐が白粥と梅干しでよかったのか?」
「友人の手料理なので、最高です」
それが、三人がサファリから聞いた、最後の声だった。
作業部屋にて。
「もう仕事始めるの?」
エプロンをつけて腕まくり、やる気満々のルカにツェフェリが苦笑いする。
勿論、といつもなら即答なのだが、ルカはなんとなく、引っ掛かりを感じていた。別に、サファリから期限などは設けられていないし、焦る理由は一切ない。だが、なんだか急き立てられるような気がしたのだ。
「仕事は早い方がいいですから」
何故かわからない心のもやもやを口にせず、ルカは端的にそうとだけ言った。ツェフェリが心配そうな表情をしてから、不意に笑う。
笑うような場面だっただろうか、とルカは疑問に思い、尋ねた。
「何かおかしかったですか?」
「ううん、思い出し笑い」
何を思い出したのだろう。
「キミは昔のボクにちょっとだけ似てるよ」
「え?」
「仕事熱心すぎて、ご飯の時間忘れないようにね。サルジェのことだから、作るって言ったら早いよ」
「わかりました」
ツェフェリが部屋を出ていく。あの人は作業をしなくていいのだろうか。部屋は充分なくらいの広さがある。
タロットカードと言ったら、絵画のように大きな代物でもないため、作業スペースはそんなに幅を取らないと思うが……この作業部屋が広いのは、あのアルジャンという絵描きの少女のためだろうか。
とりあえず、ご飯の時間になったら、誰か呼びに来るだろう、とたかをくくって絵を広げる。見たところ、煤や埃を被っているだけに見えるので、洗浄したら、仕事は終わりそうだ。こんな簡単な仕事で宿を紹介してもらったり、車のエネルギー源をもらったりして良いのだろうか、と思いながらも、いつも通り、絵の断面を分析した。
「これは……」
「あれ、ルカ、早かったね」
居間に行くと、ツェフェリがアルジャンと仲良く喋っていた。ルカの姿にツェフェリも驚いているようだ。
それもそうだろう。ルカは修復作業をほとんどせずに戻ってきたのだから。
そこへアダムたちも合流する。
「お、ルカは作業じゃねえんだ」
アダムがその場のほとんどの者の心を代弁した。
ルカは苦笑いする。
「今まで色んな絵画を修復してきたけど、あんなに難しいの、この先もないと思うよ」
「え、そんなに煤とか埃やべえの?」
この中でサファリから預かった絵画の状態を知っているのはアダムだけだ。
ルカは首を横に振った。
「そんな単純な問題じゃないんだ」
煤や埃を落とすだけでよかったのなら、どれだけ楽だっただろう。というか、煤と埃の処理はもうしてある。
問題は絵画そのものにあった。
そのことについて相談しようとルカが口を開きかけたところで、割烹着姿のサルジェがご飯できたぞー、と呑気に声をかけてきたので、話は流れてしまう。
まあ、後でもいいのだが。
「……サファリは?」
アルジャンが口にすると、サルジェがすらすら答えた。
「旅の疲れで寝てるよ」
「そう……」
表情変化の少ない少女が、心持ち、しょんぼりするのをルカは一瞥する。
──伝えるべきなのだろうか。
サファリが修復を依頼した[柘榴を食べた少女]という絵画の正体。それはおそらく、この少女に深く関わりがある。
「ルカ」
ニコラスから声をかけられ、はっとする。肩をぽんと叩かれた。
「どうしたんだい、難しい顔して。悩みならアタシが聞くけど」
「あ、ええと……」
この場で話せる内容ではない。後で部屋で話すべきだろう。
そう思ったが。
「サファリが心配。覗いてくる」
「アルジャン、ご飯が冷めるって」
「それはサファリの分も一緒。行ってくる」
「待ってって」
アルジャンを異様に必死に止めるサルジェ。気づけば、アダムが立ち去った彼女を追いかけていた。
「え、ちょ、アルジャン?」
ニノンが戸惑いながら追いかけ、サルジェも渋い顔をして追いかける。
ルカは状況が飲み込めず、立ち尽くしていると、残ったツェフェリとニコラスが話し始めた。
「隠し事が下手だねぇ」
「本当に。まあ、ボクはサルジェのそんなところが好きなんですけど」
「惚気てる場合かい?」
話についていけないルカが目を白黒させていると、ニコラスがあっさりと事実を述べた。
「サファリはたぶん、死んだよ」
「え……」
「病気なのに療養しないで旅を続けたツケが回ってきたってとこかねぇ」
そんな、とルカは絶句した。これでは、サファリが持っているであろう[柘榴を食べた少女]の答えが永遠にわからないままだ。
程なくして、奥から泣き声が聞こえてきた。アルジャンが声を上げて泣いている。
行こうか、とニコラスに誘われて、ルカもサファリの部屋へ向かった。
サファリは吐血して事切れていた。
アダムとサルジェがなんとも言えない顔をし、ニノンは目を見開いて震えていた。アルジャンが声を上げて泣く。その様相は場を悲しみという感情で満たした。
「……ニノン」
ルカがニノンの手を取った。その表情は決意に満ちたものだ。
「ニノンに見てほしいものがある」
翌日、サファリの埋葬が終わると、一同はルカに呼び出された。ルカの隣には、ニノンがいる。
「私には絵の声というか記憶というかを読み取る力があるの」
ニノンが唐突に語り出す。予めそのことは言っていたので、驚く者は少なかった。
「それで、みんなにも見せたいと思った絵があって……サファリがルカに修復を依頼した、絵のこと」
ルカは布をかけていた絵画を取り出し、その姿を露にした。
一同が息を飲む。
それは黒か黒に近い色ばかりで構成された絵だった。AEPの還元率の話であるなら、切って捨てられるかもしれない絵だろう。
そこには、赤みがかった黒い肌の少女が描かれていた。どこからどう見ても、アルジャンである。
「これは……」
アルジャンが目を見開く。
「見ての通り、アルジャンの似顔絵というか……サファリの言葉を借りるなら、[柘榴を食べた少女]の絵だよ」
「この中に、サファリが残した言葉があるの。みんなにも見てほしい」
皆が手を繋いだところで、ニノンは声を読み取った。
その絵を描いたのは、サファリだった。
「絵……完成させたら、ルーブルに送らないといけないんだよね」
サファリは宿屋の暖炉に絵画を落とし、絵画を修復待ち状態にした。
「この絵画は、たぶん還元率が高いとは思われない。だから、君のところに置いておこう。あそこならきっと、誰にも気づかれない」
サファリは煤にまみれた少女に微笑んだ。
「ずっと傍にいるよ」
サファリが描いた[柘榴を食べた少女]の絵には秘密があった。それがルカが修復を悩んだ理由でもある。
この絵は大きく二層に分かれていて、絵画そのものはアルジャンの絵なのだが、その下には同じポージングをしたサファリの自画像が描かれているのだ。
アルジャンの絵を削り、サファリの自画像を出すのが正解なのか、それとも、アルジャンのままにするのが正解なのか、ルカは悩んだ。おそらく、これで悩ませることで修復を難航させる目論見もあったのだろう。……ルカたちが、普通の旅の一行であれば。
彼は偶然にも、絵画の声が読み取れるニノンと出会った。だからこそ、死を悟っても言伝てなしにルカに絵画を託したのだ。
サファリの真意を知ったアルジャンたちは各々の反応を示した。泣き伏すアルジャンを宥めるツェフェリ、絵画をちょん、とつつくサルジェ。
「この絵には二つの選択肢が残されています」
ルカが高らかに告げる。
「一つは、このままルーブルに引き渡すというもの。もう一つは……修復未完の作品として、この家で取っておくことです」
「そんなことが許されるの?」
ツェフェリが問う。
ニコラスが微笑んだ。
「前にも似たような事案があったんだけどね。最初に描かれた絵がこの絵画の[本当の姿]なら、修復してからの提出が推奨されるんだ。好きなようにできるように、サファリは二つの絵を重ねて描いたんだね」
「なるほど……」
「相変わらず策士だな」
サルジェが呆れた様子で溜め息を吐くと、アルジャンを見た。
「アルジャン、お前が決めていい。[ずっと傍にいる]っていうサファリのメッセージは、お前に向けられたものだ」
「わたし、は……」
森の中を颯爽と走る一台の車。
「いやぁ、燃料が満タンだと安心感が違う」
「そうねえ」
アダムとニコラスがそんなやりとりをする中、ニノンは落ち着かないように、一つの絵画を抱えていた。
「本当に、これでよかったのかな……」
ニノンが持つのは、[柘榴を食べた少女]の絵。アルジャンはルーブルに提出することを決意した。
「よかったんじゃない? 決定権はあの子にあったんだし、俺たちが悩むことじゃないよ」
「ルカ、そいつは薄情じゃないか?」
運転席から話を聞いていたらしく、アダムが指摘する。ルカも確かに、自分の口にした言葉にもやもやしたものを感じていたので、反論はしなかった。
「アルジャンって子は自分で答えを出した。それは最後の結果だけだ。こうして途中経過に携わった俺たちも、考え続けなきゃならねえんじゃねえの?」
「そう……かも」
悩める少年少女たちを眺めながら、ニコラスはツェフェリと最後に交わした会話を思い出した。
「ボクは、本当は反対です」
「おや」
「あの絵をルーブルに出すのは形見を売るようなものです。そこまで生活に困ってませんし、正直、離ればなれになるのは辛いですよ。エネルギーに還元されたら、その絵はなくなっちゃうんでしょう?」
ニコラスは目を細めた。
「でも、見たろう? ニノンの力で」
「ええ。[心には残り続ける]。それは永遠で、幸せかもしれない。アルジャンがそれでいいなら、無理に反論はしませんけど……あれはずるいと思います」
「ずるい?」
ツェフェリが悪戯っぽく笑った。
「言い逃げなんて、ずるくありません? アルジャン、もう一生サファリ以外に恋できませんよ?」
「ふふ、確かに」
策士、か。
もしかしたら彼はそこまで計算済みだったのかもしれない。恐ろしい人だ。
皮肉なのか何なのか、その絵は見た目からは信じられないほどの還元率を叩き出し、作者は誰だ、と世間の話題をかっさらっていったのだが、それはまた別のお話。
さかなさんの「コルシカの修復家」と私の「タロット絵師の物語帳」のクロスオーバーでした。
一挙更新、お読みいただき、ありがとうございます。これからも九JACKはさかなさんを応援して参ります。




