第八十二話 佐竹家暗躍
小田家が常陸国南部に根を張るのに対し、小田家の終生の宿敵である佐竹家は常陸国北部に根を張って久しかった。本拠である太田城は堅牢で、後世に関東七名城と言われる佐竹氏代々の居城である。
「殿、ようやく好機が参りましたな」
太田城の当主の間の近くにある、薄暗く狭い一室は日の光がほとんど入らず、高い位置に一つの小さな採光口があるだけで、主な光源は揺らめく松脂ろうそくの明かりだ。
そんな空気のよどむ一室には、複数の年も立場も様々な男共がむさ苦しく集っていた。その者達の身分は高く、宿老階級で、さらに当主義重と親しき間柄にある数人の重臣である。
「うむ……」
一室の南側には無邪気とも、下卑た笑みとも取れる表情をした車丹波守斯忠が、意気軒昂と義重に小田家攻めを説いていた。
ただ、それに頷く佐竹義重の表情は重い。一室の東側に座していた岡本禅哲は冷静ながらも年寄り臭い抑揚をつけた言葉で車に続いた。
「いやはや、氏治めは実に愚かでございますな」
しかし、西側に腰を下ろしていた小田野大和守義房は異論を唱えた。
「義重様、小田家を侮ってはなりませぬぞ。病床の義昭様のお言葉通り、小田家の内情をよく調べ、時には和平も視野に入れて行動せねばなりませぬ」
佐竹義昭は正式に義重に家督を譲りながらも後見を続け、権力移譲を行っていたが、これも半ばに病魔に体を蝕まれ、下野国小山城を攻略後は一層体調が崩れていた。
車斯忠は畳へ拳を突きおろし、身を乗り出して唾を飛ばす勢いで怒鳴る。
「何を仰せか小田野殿! 軟弱な女を当主に据える小田家なぞ恐れるに足らず! 鎧袖一触にて打ち滅ぼし、佐竹家悲願の常陸統一を成し遂げるときは今ぞ!」
対して小田野も腕を組み、冷静な様子で反論した。
「車殿こそおかしなことを申す。軟弱な小田家に幾度どなく攻め入っては城を取り、そして取られてを繰り返す我等は貴殿の論では同様に軟弱となる。よもや義重様がかような女子同等の力しかないと暗に嫌味を申したのではあるまいな?」
車斯忠は愚直にして実直、直向きだが猪突猛進型の血の気の多い武将であった。故に、この程度のあからさまな挑発に掛かり、青筋を立て、目をむき、顔を上気させて張り裂けんばかりの怒声を響かせた。
「ふざけるな! 馬鹿にしてるのは貴殿であろう!? 幼少よりお仕えする我が、何故に義重様を愚弄するというのか!」
猛将特有の威圧を繰り出す車だが、小田野は冷静に、嘲笑するように薄笑いをしながら静かに口を開く。
「クク、貴殿が幼少よりお仕えする? 何を取り違えておるのかな? 貴殿はもともと岩城家の人質として来ただけではないか。しかも、今では岩城家もほとんど完全に我等が佐竹の傘下であるが、その家中には我等への怨嗟の声が今だにちらついていると聞く。なれば岩城の血が濃い貴殿が暗に佐竹家への叛意を抱いていても不思議ではあるまいて」
車斯忠は陸奥国岩城家の時の当主が、弟を対佐竹の最前線である車城に入れて守備させて以降車氏を名乗った家に生まれ、その曾孫である車斯忠は本来、佐竹とは幾度となく血を流しあった仇敵の一門である。
しかし車斯忠としては、人質である自分に目をかけ、実力を認めて側近にまで引き立ててくれた義重には深い恩を感じており、父親以前の佐竹に対する因縁は完全に洗い流していた。故に、訳もなく出自を馬鹿にして義重と自分との仲を引き裂こうと画策するような言動に、青筋を立てるのである。
一方、小田野義房が突っかかるのにも訳がある。実はこの男の血筋の本流は山入氏へと続くのであるが、この山入一族、佐竹家の本城である太田城を奪い、佐竹宗家へ五代、九十年にもわたる大反乱を興した一族の庶流である。
この乱の止めを刺したのが今は亡き義房の兄、義正である。一族を殺してまで佐竹家への忠誠を示して、ようやく重臣の座を獲得したにもかかわらず、何の苦労もしない若造が同列することが気に食わないのも当然。しかも、その席が兄義正の同僚で自分とも親しくしていた佐竹家宿老、和田昭為から奪い取った地位と言うのが、より一層腹立たしく思えてならなかったのである。
「お二方、味方同士で争うなど見苦しいですぞ。古き遺恨にとらわれておっては仏にも見捨てられまする。義重様も何か言ってくだされ」
岡本禅哲ももとは岩城家家臣の家柄であるが、しかし元僧籍の義房にも親近感を感じてどちらにも強くいう事が出来ず義重に助け船を求める。
「うむ……」
しかし、佐竹義重は先ほどからただ頷くだけで何の反応も見せようとしない。
「殿……お加減でもよろしくないのですか?」
顎に手を当てて俯いたまま、未だに三人へ顔を向けていない義重に心配そうな表情で車斯忠は具合を問う。すると、ようやくその問いかけで気が付いたらしい佐竹義重は、顏をあげて小さく笑みを浮かべて安心させるようにして言った。
「ん、すまぬな斯忠。病床の父上の御言葉が少し気になってな。わしも今まで小田家は軟弱だと思ってきておったが、こうも幾度となく小田城を奪還される現状を鑑みるに、やはり一筋縄ではいかぬ相手ではないかと思うておるのだ」
佐竹義重は言い終えてから、喉が渇いていたのか、ぬるくなったお茶を一息で飲み干すと、今度は熱いお茶を入れ直した。
「殿がそう仰せなら、小田家は秘めた力があるのやもしれませぬな……」
自分の意見を全面的に受け入れられることにならなかったため、僅かに意気を落として見せる車であるが、それでも純粋に義重を信頼し、尊敬に値する主君と位置付けているためか、素直に言葉を汲んで、若干ながらも考えを改める。
表情を強張らせる車に、佐竹義重は少し気の抜けた笑みを浮かべて明るい調子で言い直した。
「なに、これはわしではなく父上の受け売りだ。しかし、警戒するに越したことはあるまい?」
「は、いかにも」
義重がこのように言うと、車斯忠は一切の反論をせず大きく頷いた。
一切の油断を見せない義重に感心した様子で残りの二人も頷いて見せた。
「流石は義重様でございますな」
「では、拙僧は対小田外交でも進めればよろしいですかな?」
佐竹家で外交僧を務めている禅哲は、小田家に対する包囲網を提案し、早くもその脳内では小田家包囲網を形成し一翼を担ってくれそうな諸家を考え、目途をつけていた。
その様子を見て、今回は行けると判断した義重の表情は即座に代わり、熱意を帯びた口調で命じた。
「うむ、禅哲殿は斯忠と連携して小田家の調略と切り崩しを頼むぞ。斯忠、お前は対小田家の調略、国境防衛の総指揮を取れ。わしと義房殿は軍を興す下準備を進め、お主の合図とともに大軍を南下させよう。よいな?」
「はは!」
車斯忠は大声で返事をして頭を下げた後、勢いよく立ちあがって退室しようとする。しかし、佐竹義重はそれを引き留めた。
「まぁまて。そのように意気をあげて調略しても空回りするぞ。今茶を入れ直したら茶柱がたったのだ。わしが飲んでも良いのだが、せっかくだから斯忠、お主が飲め」
佐竹義重は車をもとの位置に座らせると、まだ微かに湯気の残る自分の湯飲みを車へと渡した。
「は……しかし、勿体のうございます。せっかく良い気が茶に現れたなら、義重様が飲んでこそ佐竹家にいい気運が流れ込もうというもの」
「なに、良い報を斯忠がもたらしてくれればよいだけの事。これを飲んだら案外調略もうまくいくかもしれぬぞ?」
佐竹義重は肩に力が入って今にも空回りしそうな車を気遣って、少しおどけた様子で茶を勧めたのである。
車斯忠は義重の気遣いに感謝し、言われるがまま茶を味わうようにゆっくりと飲み干すと、一礼した後退室した。残り二人も義重に礼をしてから同様に退室、各々分担された作業へと入った。
数週間後、車斯忠は餌集めを終え、見込みのある小田方の領主に撒き餌をばらまいて佐竹方へ寝返るように唆し始めていた。
機を同じくして小田家も自らの思惑のため動き始めていた。
小田家南西方面では豊田治親の弟、石毛政重が五家千本木の戦いで多賀谷家に勝利し、北東方面では信太重成の敗死の雪辱を果たすべく南西から取って返した精兵で反撃。常陸国の江戸氏と並ぶ第三勢力である大掾氏の攻略に挑み、何をまかり間違ったか氏治は自らの指揮で三村の戦いにおいて大掾貞国から大勝を挙げている。
勝因は衰退した大掾家を建て直す名目で併呑を試みた佐竹義昭が府中へ入城、小田家へ睨みを利かせていたのだが、上杉政虎による小山城攻略に助勢するため府中城から手勢を引き連れて出陣。手薄になった隙をついての出来事であった。
主力とも言うべき佐竹義昭軍が去り、虚を突かれた大掾軍は万全の態勢を整えるに至らずあえなく敗走したのだ。
これはまさに、兵は神速を尊ぶ。を、うまいこと実践したと言えよう。
しかし、この戦の内容はよくできたものであろうが、家の行動としてはこの戦自体が迂闊だったと言わざるを得ない。
なぜなら、大掾氏は敗戦後に佐竹家重臣の岡本禅哲の誘いで小田家の対抗馬となる佐竹家に支援を求めて後ろ盾とし、佐竹家は残りの大掾氏の領土を軋轢なく併呑する結果となってしまったのである。
また、これによって佐竹は大掾氏の支援、旧領復帰の名目で堂々と小田家を攻め滅ぼす大義名分を得てしまったのである。
大掾氏誘引の計略を成功させた岡本禅哲は、佐竹家の常陸統一を確固たるものとすべく、小田家をいたぶるためのさらなる一手を画策するのであった。




