第八十話 古将江戸忠通
北条氏康の誘いもあって上杉方から北条方へ転じた氏治であったが、これによって生じる動きは早々に起きた。
「急報! 佐竹家傘下、江戸忠通勢が行方郡方面へ進出!」
常陸三傑の最後の一人、江戸忠通、立つ。
佐竹家、小田家に次いで常陸で三番目の勢力を打ち立てた大名、江戸家が二千弱の軍を興して小田領北東部へ進出を開始したのである。
霞ヶ浦北部から涸沼周辺一帯を領有する江戸忠通は、後の水戸城となる馬場城を本拠とし、佐竹家の家臣筋でありながら一定の独立性を見せる。
佐竹家の大規模な内乱である山入一揆以降は、常陸の第三勢力であった大掾家を押し出し、大掾鹿島氏と争いながら統率のとれず分裂の起る大掾家領を次々侵食。大掾家に変わって常陸の第三勢力に名乗りを上げた戦国大名である。
一時期小田氏治と大掾慶幹の仲裁を行うなど影響力を見せていたが、佐竹義昭に敗北すると再び降伏。以降は一定の距離感を保ちながら佐竹家の傘下としてその影響下に置かれていた。
佐竹家は同じ上杉陣営にある時から小田家へジワリと圧力を加えて来ていたが、小田家が北条陣営に着いたとなるとその本性を現し全面対決の姿勢を取った。これに先立ち、小田家と国境を接する大掾家の当主貞国や江戸家当主忠通を扇動、後ろ支えしながら小田家への侵攻を促したのである。
小田城本丸に居合わせた赤松擬淵斎は急ぎ諸将の参陣を求め、小田城にて軍議を開いた。
「現状は述べた通り。幸運にも氏治様は今極楽寺で顕然老師との会談中である。氏治様が戻られるより前に軍立てを決めておきたい」
赤松擬淵斎の声は低く、重く響き渡る。
諸将はいつになく士気が低く、誰もが赤松擬淵斎から目を逸らした。
(誰も率先して名乗り出ない……? 相手は江戸忠通だぞ? 老齢の大ベテランとは言え、このタイミングでの攻勢はどう考えても老いを気にした焦りの攻勢だろ。弱くはないだろうが名将でもないし、万全でない相手なら誰が向かっても勝てる敵じゃないか!)
無論、八幡はこの「誰が」には自分を含んでいない。能力的に著しく差があるとは考えていないが、経験の差で分が悪いと感じているのである。
しかし、他の小田家の将は違う。武闘派揃いが玉に傷だが、どの将をとっても勇猛果敢で才知溢れる将兵が幾人も存在しているのだ。そして、向かう敵は病弱な息子に家督を任せられないからと、まだ年若い孫に家督を移行させる前、自分の生きているうちに攻勢に出て主導権を握っておきたいという年寄りの焦りの見えた攻勢である。
しかし、八幡の焦れる思いは誰に伝わる事も無く、場は沈黙を続けた。
「誰ぞ、おらぬのか。敵は古強者とはいえ、佐竹の風下で牙をもがれ、耄碌した老いぼれぞ。少しばかり腰を蹴り上げられれば無作為に吠え噛みつく犬など棒の一振りで叩き潰せよう」
赤松擬淵斎は議場に対して挑発的に投げかけるが、誰しもが俯いて答えなかった。
小田領北東方面の名のある将兵は小田家一門六家の宍戸義綱と四天王の飯塚美濃守重光の両名であり、前者は小田家直轄蔵入り地の確保や寄子領主からの年貢の一部を小田本家へ納入、管理する務めを果たし、後者は小田家、大掾家、江戸家、佐竹家の間で離合集散繰り返す烏合の衆を取りまとめて編成する役目を担っていた。
しかし、その宍戸義綱は氏治の命を受けて海老ヶ島城を奪還した後、豊田家と謀って多賀谷家に独断攻勢を仕掛け敗北。手痛い被害を受けて身動きが取れず、本貫地に引き籠って防衛するのが手一杯であった。
では、飯塚美濃守はと言えば、家中で胡乱者と知られ、その容姿や行動の怪しさから警戒されている。今回北東方面への出兵となれば飯塚美濃守と共同戦線となるが、背後が気になって戦どころではないというのが諸将の本音なのである。
「皆の者、何を怖気づいている! 北東方面は小田家の勢力下ではあっても支配は及んでいないところも多い。去就定まらぬ者も多ければこそそれが気になるものも居ろうが、それでも要請に応じて援軍を出せぬとあっては諸侯がこぞって江戸や佐竹に靡きだすぞ! それで困るのは誰か! 我々全員であろう!」
赤松擬淵斎は一同の心境を読み取って檄を飛ばす。この言葉に奮い立つ者も居たが、そもそも度重なる敗戦で戦力が万全に回復していないものも多く、多賀谷家の度重なる豊田家への侵攻に対応すべく小田家の精鋭部隊も南西方面へ出払っているのである。
(この戦は負ける……)
これが諸将の思いであった。負ける戦と会っては誰も兵を出したくないどころか、死地とわかりきっていれば関係者さえ送るのを渋る有様なのだ。
しかし、かといって北東方面諸侯の援軍要請に対し、明らかに名の無い武将を送り込めば、諸侯の士気低下を招くどころか、負ける戦と諦めて捨て駒を送ったのだと一挙に信頼を失いかねない。
赤松擬淵斎は腕を組んで考え始めた。
(本来であれば宍戸殿に兵を預けるところだが、この場に出席さえしていない。菅谷政貞や行方刑部少輔貞久は多賀谷家への救援で居ない。しかし、名のある将を送らねば小田家の武威は失墜を免れえない、か……)
「小幡殿、柿岡殿は如何か。御両名の兵は無事に温存されている。戦えるのではないですかな?」
「何を申す。我等の城は山を隔て小田城の背を守る要衝。我等の兵は合わせても僅か四百。この全軍で打って出ればこれ幸いと佐竹が両城を犯してそのまま手這山を越えて小田城へと強襲を仕掛けるに相違あるまい」
「左様。我等は少数精鋭とはいえ、守りに特化しておる。それともなにか、我等の留守の間は貴殿の兵が小田から引き揚げて両城を守ってくださるのかな?」
(やはり駄目か……こうなれば、わしが行くべきか……いや、しかし氏治様が……)
赤松擬淵斎は両名の反対を受けて再び悩む。議場に視線を向けるが、軍を率いる事の出来る足腰を持つ中堅将兵で名実備える武将は数えるほどしかいない。菅谷勝貞、岡見治広、信太重成等三名である。
しかし、勝貞は赤松擬淵斎と同じく氏治への無二の忠誠からいざという時の為に小田領内の防衛線に据えておきたいという思惑がある。岡見治広は小田家の家臣であるがある種対等な大名でもあり、まかり間違って治広を戦死させてしまえば小田家は盟友を失うことになる。信太重成は小田家中で日に日に衰えつつもまだ確固たる勢力を残す信太一門の麒麟児である。捨て駒になると見え切った戦いを命じても拒否されるのは明白であった。
実力だけで言えば天才軍師や名家宰の天羽源鉄斎、信太頼範等が居るが、どちらも高齢で直接軍を率いるのは難しい。
(なれば、大将格として申し分のない田土部政秀様や小神野越前守経憲様を据え、鉄斎老師に戦を任せるという方法も……)
静まり返る評定の場で、静かに発せられる言葉が響く。
「わかりました」
「ん?」
誰もが唐突に発せられた言葉の方へ振り向く。各々は誰が、なんの意図を持って一言呟いたのか、まるで理解できない様子であった。
そして、続けるようにもう一度「わかりました」と呟いたのは信太和泉守重成であった。
「皆様には少々荷が重いと見えます。ならば、ここは軍奉行たる私が行くべきでありましょう。北東方面の諸将を束ねて江戸家を見事に撃退してご覧に入れましょう!」
勝利への自信があるような晴れ晴れとした顔で宣言した信太重成に、周囲の将は驚きの目を向けた。勝てるわけがないと言いたげでさえある。
しかし、諸将は内心で「これでよかった」と胸を撫で下ろしたのである。
これにはさすがの赤松擬淵斎も不意を突かれたように目を丸くしていた。
「誠に、よろしいのか……?」
しかし、これに当然反対する人々がいる。
「重成! 馬鹿を申すでない! 出過ぎた真似をするな!」
そう一喝するのは、信太一門宗家の当主、頼範である。
信太一門は今や頼範と重成の両名に頼る所が大きく、小田家で力を保持するのも両名あっての事であると誰も疑わなかった。その片方である重成が死地に飛び込むとなれば、信太一門は当然こぞって反対する。
「重成様が行くほどの事ではありませんぞ! であれば、某とて戦の腕には自信が御座る。拙者が参ろう!」
「頼範様、御心配ありがとうございます。兵庫殿もその意気は嬉しく思いまする。されども、誰か名のある将が赴かねばならないのは皆ご理解している通りです。なれば、私が適任である。ただそれだけに御座りましょう?」
諸将は何がどう適任か理解できなかった。それでもあえて予想するなら、小田家でも敬遠されている信太一門が死んで、窮地も救われるのなら好都合だろう? という嫌味紛いの申し出となら受け取ることができた。
そして、その考えはある程度的を射ていた。信太重成は専横に振る舞う信太一門に非があるのは認めながらも、強調しない小田家に苛立ちを内心で抱いていたのである。
だが、当然このためだけではない。本心から小田家に忠義立てし、冷静かつ客観的に見て、名実備えるという条件を満たしながら、捨て駒として死んでも問題の無い人間が自分以外にいなかったのである。
「信太重成殿。よいのだな?」
赤松擬淵斎は力強い視線で信太重成を捕える。
重成はゆっくりと頷くと、堂々たる態度で一同の前に歩み出た。
「氏治様より軍奉行の職を授かりしこの私が救援の総指揮を取るのは至極当然の事。我が忠義を示す好機に恵まれたと喜ばしいほどに御座る」
「左様か。流石は信太一門。氏治様もその忠義をお喜びになろう」
信太重成は赤松擬淵斎の形ばかりの言葉を受け取ると席を後にし、早速戦の支度を始めようとする。
が、しかし、
「なれば、私も是非戦列にお加えください!」
八幡が颯爽と名乗りを上げた。
議場は何を考えているのかと困惑した様子で八幡へと視線を向けた。
赤松擬淵斎を始めとした数名が八幡と議論を交わし始めるが、信太重成は一刻も早く進行している江戸勢を迎え撃つべく議場を後にした。
すると、そこへ評定を中座して駆けつけた信太利重が後ろから怒鳴りかける。
「重成、お前は何を考えている!」
「兄上……議場で述べたとおりに御座いまする。菅谷勝貞殿は赤松殿と同じく最後の守り。岡見治広様は岡見家を束ねる事の出来るただ一人の当主。なれば、後はこの私が行くしかありますまい」
「馬鹿なことを! 結論を急くな! 考えればまだいくらでもやりようは……」
振り返る重成の胸倉をつかむと、利重は眉間にしわを寄せ歯を軋ませるように噛みしめながら弟を睨み付けた。
「兄上、珍しく感情的でございますな」
「だからなんだというのだ! 俺はお前の身を案じてよく考えてだな」
「ありがとうございまする」
「なっ!」
利重は弟の思わぬ反応に動揺を示し、胸倉をつかむ手を離す。
重成は胸倉の皺を伸ばす様に軽く撫で叩くと、一息ついてから純粋な笑みを向けた。
「父上の死にも心動じず、兄の追捕も厭わぬ兄上に、此処まで思っていただけるとは思わなかったのです。誠に嬉しい」
「は、話を逸らす出ない! 今は信太家の未来が懸った瀬戸際なのだぞ!
「故なればこそ!」
重成は力強い目線で利重の視線を押し返して吠える。
「なに?」
「なればこそ、ではありませんか。兄上。自惚れと笑われるかもしれませんが、私は自分の力量を正しく見定められているつもりです。この才覚、信太家では頼範様を置けば何人にも劣る所はありませぬ。されども、菅谷親子、赤松擬淵斎殿はこれにも勝る力を秘めておられる。いずれ、押し負ける」
「そうだ。だがしかし、お前はまだ若いではないか! じきに、赤松にも、勝貞にも勝る大物に化ける。わしにはそれが見えるのだ!」
「それは実にいい! そうです。小田の中でもそれを見抜いているものはきっといる事でしょう。だからこそです!」
「……何が言いたいのだ、お前は」
利重は初めて眼前の弟の考えが読めないという感想を抱いた。幼少期から尻尾を振るように懐いてきた年の離れた弟の考えなど、今の今までは手に取るようにわかっていたのだ。
困惑した顔つきを向ける。
対して、重成は善人然とした顔に似合わない不敵な笑みを浮かべて楽しげに拳を握りしめる。
「そうです、それほどの人間を捨て駒にしたのです。それも、遺恨をつくらぬようこちらが取り計らってお誂え向きに馳走したのです。そこまですれば、もはや小田家は我々信太家を完全には滅ぼせますまい」
「まさか……お前はあの僅かな間にそこまで考えて……!」
利重は弟の初めて見せる謀略に目を丸くしながらたじろぐ。
「兄上。もはや信太の衰亡は止められませぬ。この先仮に私が生きていたとしても。いいや、生きていればこそ、警戒されて何かの拍子に一網打尽とされかねません。しかし、ここで私がこれでもかと恩を着せて死んでやれば、もはや手出しもしますまい」
「……道理は解る。しかし、勝貞だけはそう上手くいくか? 情に訴えかけたところで、冷徹なあ奴にどこまで効果があるかもわからぬ」
「そこで、我等が氏治様です。忠節の死をきっと嘆き悲しみ、厚く保護してくれましょう。それこそ勝貞の手が出せぬほどに」
利重は重成の真剣な眼差しをしばらく眺め、深呼吸をすると、諦めるように深い溜息を吐いた。
「なるほど……道理だ。そこまで考え抜いてというのならば……もはや俺が四の五の言うまい」
信太重成は自分の出陣を兄によって認められると胸を撫で下ろしたのか、ふっと表情を崩して笑みを溢す。
「それに、何よりまだ負けたと決まったわけではありませぬ。五分ですよ」
利重は「そうかよ」と呟くと、くすりと笑いながら重成の甲冑の胸部を拳で軽く小突く。
「重成……立派に勤めを果たせよ」
「兄上も、どうかお元気で。信太家の事を、頼みます」
二人は強く手を握り合う。今生の別れと決めつけてかかり、その手のぬくもりを惜しむかのようである。そして重成は城外に集まる軍勢の中へその身を投じた。




