第七十七話 内政報告会
そして夕刻、小田城の広間では評定が開かれる。
月に一度の定例のものであり、小田家全体の指針や重大な事案、今後の計画について話し合われるものである。大人数である為、議題は予め調整されており、多くの事を論じる事は無く、重要事項に限られる。また、会議の後は全員での宴会が催され、小田家の結束を図る目的もあり、この会議への参加は名誉でもあった。
参加するのは小田家の家老衆や重臣と、城下町のある規模の城主からその時々に合わせて抽出された城主衆や小田城に勤務する奉行級の役職持ちの文官などである。
そして、今回の議題は今後の外交方針、軍制改変についてである。
外交方針に関しては、八幡の職権範囲外である事、特に気に掛ける事も無い為特に触れず、史実通りの外交展開が行われた。
奇しくも小田朝治と同じ読みをする小田家庶子、小田友治を北条家への人質として北条方に寝返るという方針が取られる。当然、上杉家に敵対することは大きな懸念であるが、上杉家が関東諸豪を上手くまとめられず、補給の問題も考えると強く頼りにできず、また上杉家と近しい佐竹家との軋轢が強くなったために方向転換が行われたのである。
軍制改革では、八幡の行った政策の経過報告と新たな提言が行われることとなっていた。
当初、極楽寺や菟玖波屋は千歯扱きや唐箕と言う新たな道具の出現に対し、農民たちが諸手を上げて受け入れ、購入するとは考えなかった。
資本金の無い農民にとって大きな出費は命に直結し、略奪が平然と行われる時代において己の身を守ることもできない人間には何かに対して投資をするという行為そのものが難しい。略奪、ないしは破壊などされれば、贅沢品である道具は領主が補償してくれるわけも無く、莫大な借金をその身に背負うだけである。
ましてや、機能や効能も解らない代物を、商人が売り込んでも容易に買う訳も無く、数を当ろうにも現物を持ち運べないこれは行商に不向きである。
そこで考え出されたのが、極楽寺等の寺社勢力が保管、管理を行い貸し出す形で収益を得て、有用性が理解されてから地侍や名主層をメインに販売を行うと言うものである。
寧ろ、高価で身軽に運んで持ち逃げる事の出来ない農具は普及しないと思っていた菟玖波屋が販売請負を言い出すのも、八幡がレンタル販売方式を提案したからであった。
「これを、一つの村に一日百文の賃料で貸出、どの村も平均して十日程の使用で、上方に送ったのは完成分二百台全部です。摂津尼崎などでは早くも数台が購入され、運上金としては三百貫が当家に送られてきております」
「収穫の時期がずれる地域に使いまわして大金を得た訳か。先年の秋では小田領内でも試していたのだろう? その時の収入はどうした?」
「小田原の戦費に宛てて御座います。それに関しては氏治様から御許可を頂いております」
八幡は葵に指示を出して書類を配らせる。初めは休むよう勧めたが、当人が少しでも仕事をしたいという申し出を受け、怪我の出血が治まっているのを確認すると、八幡は布を外させて本丸まで同行させていたのであった。
八幡は大きな上方の地図を広げ、棒で各地を指示しながら解説する。
「そして、上方は道が整い、車借が居るので非常にこの商いをするに優位でした。千歯扱きは分解して運ぶように工夫ができましたが、唐箕はそうもいかないので。当家では水辺の村に船で運んで試すのが限界でした」
「がっはっは! 八幡殿は算盤を弾くのがお好きと見える」
淡々と説明する八幡を小馬鹿にするように笑いながら小幡中務少輔道三が語る。恰幅のある髭ダルマと称すべき田舎武者と言う風貌をした大柄の男は、威厳を持つ小田家の有力者、一門六家に属する身分であった。
この貫禄ある男に、氏治は厳しい視線を突き付けた。
「小幡道三、それは八幡を愚弄しているとも取れるわよ」
「ぐぁっは! これは失敬。されど、氏治様。算盤では戦には勝てませぬ。なにやら、聞けば八幡殿は武芸を嫌い、算盤を弾く日々だとか。それが、小田家にどれ程の影響を与え功績を残しましょう」
小幡道三は豪気に笑いながらも、笑わない目尻で時折氏治と八幡を睨みつけながら真っ向から反論する。
これに、同じく一門六家の柿岡式部少輔が便乗して口撃をした。
「左様、筆働きや算盤弾きのみで三百貫もの大禄を取るなど過ぎ足るものです。何処の馬の骨とも知れぬその男に、氏治様は些か影響を受け過ぎている様にお見受けする。暫し、距離を置くべきではありませんか?」
「何を言うの。私はいつだって私の意志で動いてる。時折相談に乗ってもらうだけで、方向修正をする程度。彼の意見で行動した事は無いわ。これで満足?」
氏治は怒りを滲ませながら、この少女の体のどこに隠れていたのかと思わせるほどの気迫を漂わせ、低い声色で淡々と言葉を詰める。
柿岡式部少輔は気迫に押され、たじろぎながらも意見を続けた。
「し、しかし、八幡殿は氏治様に侍りあらぬことを囁いてるとの噂も……」
「くどい! それを言い出したのはどこの誰? どんな噂が流れているというの? 言ってみて。不服があればすべての疑念に答えてあげられるわ。さぁ!」
氏治は扇子を閉じると、脇息を叩き降ろすようにピシャリと音を立て、柿岡式部少輔の下衆の勘ぐりに怒りを露わにした。
小幡道三、柿岡式部少輔の両名は想像以上の氏治の激高ぶりに気後れし、言いたいことも程々に口を噤む。
氏治はさらに厳しい顔つきと口調で言葉を続けた。
「小幡、柿岡。貴方達は八幡が日々どれ程苦労し、小田原の戦いでどれだけの活躍をしたか知らないからそのようなことが言えるのよ! 手塚も江戸もよく頑張ってくれたわ。でも、どうしても手が足りないところを、八幡は一人でさばき切ったの。その腕前は手塚に匹敵する程よ」
「そうですな。氏治様の仰せのとおりですぞ御両人。さもすれば、荷駄の用意は一級の腕、某をも上回るやもしれませぬ」
手塚石見守が氏治の言葉を肯定すると、小幡道三、柿岡式部少輔のみならず、他の武断派将兵らも改めて八幡へと視線を向け、驚きの表情をつくる。
小幡道三は歯を食いしばりつつ返す。
「さ、されど、鑓働きも無しに三百貫などやはり過分に過ぎるのでは……!」
北条治高は場を覆う陰険な空気を払拭するかのように大きく笑いながら割り込んだ。
「はっはっは! 小幡殿、柿岡殿。確かにご意見は大いにわかりまする。しかし、過去に氏治様を死地から救ったのも、平塚殿と共に殿をしたことも事実。柿岡殿も小幡殿も、最前線の城をお守りする身である故、ご苦労も尽きず、疑り深くなるのも至極当然でございましょう。ですが彼は今、軍を養う立場なれば、これからを期待こそすれ、無駄だとせっかく揃えた兵を解散させる方が小田家にとっては損失ではありませぬか?」
「うむ、まぁ、北条殿の御意見も尤もであるが……」
「で、ありましょう? なら、それはまた別にして、今回の八幡殿の話を聞こうではありませんか」
「……続けられよ」
小幡道三は握り締めた拳を開くと、小さく一息ついてから述べた。
八幡は一礼すると、一同を軽く見まわしてから口を開く。
「ありがとうございます。では、報告から続けます」
八幡は再び地図を指し示し、木彫りの駒を小道具に使って現状を解説していく。
八幡の合図で街道について詳細に描かれた図面が開かれ、それぞれの距離と幅、地形の詳細が記された別紙資料を合わせながら計画の説明を続けた。
「道の整備も現状順調で、各地の普請で関東中から農民が仕事を求めて集まっております。商人を嗾けた荒廃地の恢復や富畑の田地転換、新規畑開拓も現状順調であり、普請に励んで成果を出した物に褒賞として与えながら入植を進め、普請への相乗効果も出しております」
「そこから上がる収益は一度八幡殿が管理してから小田城の蔵に納入していると聞く。それはどうなっている」
「売買に回し、収益は五百貫程度ですね。他に、葦原へ税を掛けつつ、畳売買には市場と関で税を掛けないようにし、生産の奨励を行っておりまして、こちらでも数十貫の収益が出ております。また、綿花の収量も手始めにしては十分で長野喜三と成田家に十貫ずつを送りましたが、それでも百貫以上の利益が出ております」
「あの暖かく丈夫な布か。氏治様から褒美として頂いたな」
「確かに、あれは便利で冬に良く世話になったわ」
「なんと、それは羨ましい。私もぜひとも欲しいものですな」
「綿花の作付を増やすためにも畑地開拓を急がせております。灌漑と治水の整備が難しくない処では新規水田も若干ながら開発中です」
小田原の合戦の褒美として、完成した木綿布の多くは氏治の手によって多くの家臣に広く受け渡されていた。その効果は十分に理解され、直接所持が可能となった上級士分のみならず、仕える中間や下男、女中の中でも噂となり始めていた。
次第に場がざわめくのを信太頼範は呆れる様に眺め、溜息を吐きながら手を掲げ、場を鎮める。
「農業については相解った。最近港が騒がしいのは何事だ」
「は。それに関しましては、帆曳舟の造船が著しいからであります。霞の浦は海岸線も多く、海戦も時折起こる事から潜在的な船大工は相当数居りましたので、小田領に集めて造船用の港を整備、軍船の修理と漁船の造船を行っています」
「菅谷殿と極楽寺がかなり力を注いでいるそうだな。津料や棟別銭がかなり増えたとか。以前の小高家救援の際に破損した軍船もだいぶ回復してきたようだし、そろそろ行方郡の攻略を視野に入れるべきではないか?」
「いえ、それはなりません」
「何故だ」
「長らく船大工には不眠不休の労務を担わせています。大工自体の教育を進めさせ、実践による技術習得で数を増やしつつありますが、まだまだ余裕はないのです」
「むしろ、だからこそではないか? 船大工や番匠共には仕事を与えるのも我等の義務だ。このままでは近いうちに帆曳舟とやらも十分数が足りるだろう。その中で大工の数ばかり増やしてどうする。一戦及んで、修繕の仕事を与えて餌をやらねば」
霞ヶ浦は中世では現代よりも広く、度々海戦が行われていた。
普段の漁船の修理はもちろん、新造、修繕に霞ヶ浦沿岸には多くの船大工が存在しており、戦乱後の船の修繕需要などで多くの職人の手が必要であった。
だが、平時には決して仕事は多くなく、船大工に限らず職人衆は地方領主と結びついて給田を得る事も一般化していた。所謂番匠田である。
小田家も当然これを採用しているが、八幡はそれ以外に職人衆の数を増やす取り組みを始めていたのである。周辺であぶれた職人がまず小田領に集まり、職人になりたいという希望者が後に続く。
そして、増やした職人の維持と技術向上のために多くの造船計画を打ち出したのであった。
「その心配はご無用です。次はもっと規模の大きい大型船舶の造船を計画しております」
「ほう? 大型船とな?」
「まずは、百石、二百石級の葛船を造ることで、徐々に大型船の作成に慣れさせつつ、これは近隣の貿易や地引漁船として運用します。そして、ゆくゆくは千石級の船で貿易を行うのです。関東ではまた上杉家の侵攻があると風聞があり、食糧事情はまた何時荒れるかわかりません。そのためにも外から買い込む船は必要です」
「それに、今回一千貫余りの銭をつぎ込もうと?」
「いかにも。追加予算も必要となりましょうが、今はこれを頭金とします。
八幡は周囲の異論がないことを見て取ると、計画は承認されたと考えて次の提案に入る。
「また、小田領内における屋敷地への板塀、木柵に税を掛ける事とします」
「な、どういう事だ!」
「我々も、その対象になるというのか!?」
屋敷地を覆う塀や柵への課税は当然ながら大きな反発の色が議場全体から見て取れた。
しかし、これは各大名家が行っている主要城下への集住推進を自発的に進めようと考えた策であり、土地に囚われる前時代的な考えから、より近代的な思考へ一歩前進しようという試みでもあった。
また、地方豪族の館が戦時に敵の拠点となるなど、現実的な不都合の解消に加え、それでも土地に固着する武家や、豪邸を持つ豪農、豪商を狙った課税政策でもあった。
「今なら、解体した材木は小田家が買い取りますし、加えて生垣用に茶木を進呈いたします。世話に数年は掛かりますが、生活の中で世話するくらいは出来るでしょう。これを売るもよし、自家用にするもよしです。如何ですか?」
都合のいいことに、茶葉の栽培は常陸の国が北限とされており、太田道灌の治世の江戸では取引記録の中に常陸の茶が記されている。各地の名品には格段劣るとはいえ、常陸の土壌は流通に乗せるだけの茶葉生産に耐えうるものなのである。
諸将は反感を持つ者も少なくはなかったが、全くの一方的な不利益の押しつけでもない為に、話に乗るべきか否かと言う損得の計算を始め、強い反対は示さなくなっていた。
「他にも、希望する農村には弩の配備を本格的に行います。農民と小田家が折半で購入費を賄い、極楽寺の僧兵を送って訓練と管理を任せる形にします」
「わしはそれには反対じゃな」
ここで、終始無言を貫いていた飯塚美濃守が即座に反論を述べる。
「飯塚殿」
「小者野盗の為に多額の予算を使うのも愚かであるし、武力を持たせれば一揆を興すか、村の者が盗賊働きをしかねない。武力を背景に年貢の減免を要求するやも」
「飯塚、小田のみんながそんな事要求すると本気で思っているの? 武士であるならば、そんなことを危惧するより民の安全を第一に考えるのが当然でしょう! 皆私を慕ってくれているわ! そんなことは絶対起きない! 起こさせない!」
氏治は訴えかける様に片足を立てながら強く言い放つが、飯塚美濃守は死霊で顔を隠すように覆いながら堪えた様に笑い、肩を不規則に上下させる。
「ほぅ……くくく、それはどうでしょうなぁ……? この乱世、何が起こり起こらぬとも限りませぬぞ? 親が子を見捨て、子が親を殺す今の風潮で、何ゆえに民が領主を弑し奉らぬと申せましょう?」
「何が言いたいの」
「いぃえ、なんにも。ただ、さすがは政治様の御子。大層にご立派な志であられると心底感心し、敬服の至りであると申し上げておりますよ」
根拠のない感情論で反発する氏治を嘲笑するかのように嫌味な笑みを浮かべた飯塚美濃守は、葵を一瞬だけ一睨みする。そのどこか笑っている筈なのに鋭さを感じさせる、目尻の笑っていない薄開きの目は一瞬にして葵の全身を水を被ったようにした。
かと思えば、今度はとたんに普通のにこやかな笑顔で水を要求した。
「そこの給仕の小娘。わしは喉が渇いた。水を一杯いただけるかな?」
最初の一睨みで怯えた葵だが、無視するわけにもいかず水を注ぎに行く。
飯塚美濃守は葵が目の前まで来ると急に含んだ笑いをして、葵の顔が最大まで近づいた一瞬に、葵にしか聞こえないほどの小声で呟いた。
「全領民に慕われている……か。くくく……」
わざとらしく発せられたその台詞に、身に覚えのある葵は恐怖し、顔を青くして震え始めた。




