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第七十六話 名ばかりの職は実を持たぬ

 数日の出張を終え、八幡は小田城の腰曲輪の一つである自分の曲輪へと帰還した。

 太兵衛は通常通り練兵に精を出しつつ、小田城下での普請の監督役も務める。

 小田家の内政業務の何割かが八幡曲輪に機能を移され、それに応じて管轄の曖昧だった塚原内記を筆頭とした数名が八幡の下に配属とされ、曲輪内で忙しなく業務に励んでいた。


 曲輪は土地としてはそう広くは無く、所によっては施設が隣接して隙間が無いようなところもある。

 中には屋敷と呼ばれる、八幡の寝所や生活空間、宿直の者が泊まる空間と仮眠所を設けた“裏の間”と、文書作成や経理をする行政機能のある部屋、資料室、倉庫、客間を設けた“表の間”があり、相応の敷地面積を有する。

 他には、家を持たぬ兵員の宿舎である長屋が五棟、厩が二棟、全体会議を始めとした多目的用途の会所、武具庫、兵糧庫、御厨がそれぞれ一棟建ち、曲輪の角地にはそれぞれ矢倉が供えられるまでになっていた。


「なぁ、太兵衛。昨日戻ってから葵を全く見かけてないが、知らないか?」


 八幡は珍しく手勢に弓の稽古を付けながら、切株で休息を取る太兵衛に尋ねる。


「あぁ、それでしたら、八幡様が命じられた訴訟の処理に出向いたまままだ帰ってないのです」


「もう一週間だぞ? そんなに手こずる内容だったとしたら、少し悪いことをしたな。ちゃんと宿に泊まっているといいが……」


「葵殿だから、近場の農家のお世話になるか、下手すれば野宿をしているかも……」


「春とは言え、夜はまだ冷える事もあるんだぞ……無理はしてほしくないもんだが……」


「探して参りましょうか?」


「いや、行き違いになっても困るし、さすがにそろそろ戻るだろう。ほら、丁度門の辺りに小柄な姿が……」


 この言葉に視線を門へと向けた二人だが、只でさえ小柄な姿が一回り小さくなったように見え、目を凝らす。すると、よろめき、時折供の兵に支えながら俯きがちに歩いているのだとわかった。

 何事かと二人は思い違和感を抱きつつも、長い出張の疲労だろうと軽く考えた。

 しかし、徐々に近づいてくる葵の姿は薄汚れており、所々血の跡が見える。


「な、どうしたその姿は!」

「葵殿! 怪我を!?」


 二人は怪我でよろめく葵を心配し、慌てて駆け付ける。

 葵は涙に袖を濡らし、嗚咽を堪えながらひざから崩れる様に尻餅をついた。


 太兵衛は供の兵を睨み付け、叱責する。


「貴様ら! これはどういう事か説明しろ! 大の男が二人もついていながら、何故貴様らは無傷で葵殿がこれほどまでに手傷を負っているのか! 事の次第ではこの場でその体に別れを告げてもらうことになるぞ!」


 すると、護衛をしていた二人の兵は動揺した様子で何と答えるべきか悩み、あたふたとする。

 しかし、答えに窮する二人に刀を突きつけようとする太兵衛の膝を掴み、数度引く。


「葵殿……?」


「太兵衛さん、待ってください……」


「葵、話せるか?」


 葵はこくりと一つ頷くと、八幡は供の兵を連れたまま葵を運び木陰に座らせる。

 竹筒の水を飲ませ、軽い手当をしてから一息つくと、葵はゆっくりと事情を説明し始めた。


「私の手傷は、村の方々にされたものなのです」


「訴えのあった村だよな? なんてことを……」


「八幡様。追捕の隊を率いる許可を!」


 しかし、葵は太兵衛を呼び止めると、首をゆっくりと左右に振る。


「違うのです。村の人も、供のお二人も悪くないのです。ひとえに、村の方々から信頼を勝ち得なかった私の力不足なのです」


「なに? 小田城八幡曲輪差配役だなんて、名前だけなら結構大したものだと思うんだがな。それに従わない者が居たってことか?」


「いいえ、そうではないのです。人を従えるには、大層な名前は大切です。ですが、役だけではだめなのです……(じつ)がないと。ですから、私では力不足、なのです……」


 八幡は悲しげに語る葵を見てハッとした。

 勉強熱心で吸収が人一倍早く、真剣かつ真面目で道理を弁えたその少女は、確かに八幡の下でその才能を大いに開花させるに至る。曲輪の中では誰しもが認め、もはや誰も河原者に近い水飲み百姓だという事を忘れ、敬意さえ抱くものも現れていた。

 だがしかし、それ故に忘れていたのである。この少女は曲輪を一歩外に出れば、みすぼらしく貧しい、所によっては敬遠、警戒されさえするような浮浪児にしか見えないという事を。


 人の印象は見た目に左右されるところが大きい。権力者が意図的に体をふくよかに見せるのは貫禄や強者を象徴するためであり、豪奢な衣類は富貴を示し、華美な建築や調度や権力そのものを象徴し、人を畏怖せしめるためであると言って過言ではない。

 身近な例で言えば、織田信長の城建築がまさにそれであり、当時雑多で入り組んだ領土、頻繁に塗り替わる勢力図は多くの民草に混乱を与える。そこへ壮大でシンボル的建築を立てることで、誰が自分の庇護者で一番上に立ち、納税すべき対象かを明確にする意味があった。


 しかし、今回の葵の様に自分から出向くとなるとバックヤードが違う。面会する場所、何処から来たかでも印象が変わる中、何処から来たかもわからない人間、見た目は痩せて弱弱しい年端もいかない少女、貧しさがありありと見えるぼろ衣を纏ったまま、自分は小田城の大役を持つ役人である。と宣言したところで誰が信じるであろうか。


 大志戸の村人はこれに返って激情し、罵詈雑言を浴びせて追い払おうとする。極楽寺の雑人も元は百姓等が土地を失い、寺社に逃げ込んで救いを求めた小作人のようなものが多い。同じように罵詈雑言を浴びせかけた。

 葵はそれでもめげずに懸命に粘り強く説得し、両者の話を聞きとることまでは出来ていた。しかし、両者の折り合いをつける事は元々葵では経験不足である上に、その容姿がまたも災いした。

 簡易的な沙汰を下した結果、両者は子供の出した稚拙な結論だと断じて激怒し、状況が悪化した挙句に石を投げつけられてとうとう現地から離脱せざるを得なくなったのだ。


「護衛のお二人は、しっかり守ろうとしてくださいました。でも、私が相手に対抗しないよう求めたのです。そして、此処まで運んでいただきました」


「そうだったのか……すまん。これは、俺の完全な判断ミスだな。責任は俺にある。手当も出すから休んでいいぞ」


 八幡が頭を下げると、葵は首を左右に振り、木陰で平伏して深く頭を下げた。


「いえ、せっかく私を信じて大役を与えてくださったと言うのに……申し訳ございません」


「謝らないでくれ。やっぱり葵は曲輪の中だけで仕事に従事してくれれば十分だ。役は別の者に与えるが、いいな?」


「い、いいえ! お願いです、もう一度、私に任せてください! 確かに、大志戸村と極楽寺の係争に私はこれ以上関われないとは思います。我儘なのも承知です……それでも、私の働きが少しでもお役にたっていると言ってくださるなら、この仕事を続けさせてください!」


「……それは、お前が辛いんじゃないのか?」


「それでも、やるだけの価値はあると思います。もっと多くの人の為に、皆が納得して笑い合って暮らせる世の中の為に、少しでもできる事をしたいんです。経験を、そして学びを得たいんです! お願いします!」


「……わかった。志に免じて役を継続させる。だが、この一件は俺が出向いて処理しよう」


「すみません、御手を煩わせてしまって……」


「気にするな。人は誰しも失敗するし、迷惑を掛けて生きているもんだ」


 八幡は慰める様に優しく頭を撫で、手ぬぐいでその涙を拭い取る。

 すると、背後に突然気配を感じ、振り返るとそこには氏治の姿があった。


「八幡もたまにはいい事言うじゃない」


 氏治はくすりと笑うと八幡の方を押しのけて葵の傍に膝をついて座る。


「氏治!?」

「氏治様! 何故このような場所に?」


「極楽寺から紛争の沙汰人が到着してないと話が来てね。見に来たのよ。でも、葵ちゃんに怪我をさせるのはいただけないわね」


 氏治は葵の手を取り、力強く握りしめる。


「う、氏治さま……?」


「葵ちゃん、お疲れ様。今日はゆっくり休んでいいよ。後の事は私に任せて!」


 氏治は言うなり駆け出し、連れていた馬に飛び乗って駆けさせる。


「氏治! まさか一人で行く気か!? オイ!」


「八幡様、本日の夕刻には本丸での定例の評定がありましたよね……?」


「あいつ、たった数刻で話を纏められるわけがないだろうに……! まぁいい。明日見に行こう。今日片付けるべきことを先にするぞ」


「は、はい!」


 八幡と太兵衛は葵を休憩室へと運び休ませると、氏治の事は一先ずおいて作業を進める。


 八幡は日暮れになる極楽寺の鐘を聞くと、本丸へ赴くために身支度を始める。と、丁度その時氏治が八幡曲輪に顔を出し、一言だけ告げた。


「問題は解決したわ。両者とも、後日人を送ってお詫びするそうだから宜しくね」


 言い残すと颯爽と去るその後ろ姿に八幡、太兵衛、葵の三人は思わず目を丸くした。


 後に事の経過を聞くと、極楽寺の雑人が開墾した水田や畑地が元々は大志戸の村人が居た土地であり、返還を求めたことに端を発したものであった。戦乱の荒廃で復興する余力がなかったとはいえ地権は村人のものであり、使える田畠になったなら人手を回して食い扶持を増やしたいという欲に駆られたのである。

 氏治は両者の言い分を深く聞き、ある程度の納得と同意を見せながらも、それぞれ地権の問題と余剰労働力不足や荒れ畠であったことの道理をついてきちんと順序立てて話し、どうしても折り合いの突かない部分は小田家から手当てを出すなどして矛を納めさせたのである。


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