第七十四話 飯母呂の里
飯母呂の里は筑波にあり、平将門の乱で将門に味方して大いにその戦歴に貢献したため、筑波の地に土地を与えられ、封ぜられて以降、数百年も土着して生活をつづけた一族である。
里の所在は筑波山の西側である男体山に拠点を持ち、筑波山全体が聖地とされた中でも男体山は別格とされ、一般人は足を踏み入れることを固く禁じられていた土地である。故に数百年の間、時の権力者にさえもその地を犯されることはなかったのであろう。
少女は、里の入り口で農民の知り合いを呼びつけると手伝いを頼み、八幡と鈍斎を一人ずつ縄で縛りつけ、里でも一番大きな屋敷へと引っ立てて行く。
「里長! 不審者が里の領域に忍びこんでやがりました!」
「おぉ、雀羅か。ほぅ、そうかい。ただお前はすぐ血気にはやるからのぅ……」
屋敷の扉を叩きつけるように勢いよく開け放ち、元気な笑みを浮かべた少女はここぞとばかりのドヤ顔を里長に向け、引っ立てた二人を目の前に放り出した。
すると、里長は小娘を少し驚いたように見つめ、一度だけ感心したようにうなずく。しかし、すぐ後に髪の薄くなった頭を掻き、ため息交じりに引っ立てられてきた二人の顔を眺める。
「でも、不審者は全て捕えるのが里の決まりじゃないですか」
「それもそうだがな、時には柔軟な対応も必要な物よ」
「じゃぁどうすればよかったのさ……」
雀羅と呼ばれた少女は里長に反論するが、里長はすげなくあしらって二人の侍に声をかける。
「まぁよい。ところでお侍方。旅の御方ですかな?」
「いや、小田領のものだ」
いまだに歯が噛み合わない八幡の代わりに鈍斎が答えると、里長の目つきは微かに厳つくなり、口調も先ほど以上の威厳を漂わせるようになった。
「なれば、この周囲一帯は禁足地となっている、という言い伝えを耳にしたこともございましょう? ここに来る者がどうなっているかも知っておられるはず。にもかかわらずここへ足を踏み入れたのです。相応の御覚悟はございましょうな?」
里長が威しかけると、ハッとした様子で八幡は芋虫の様にいきなり体をよじり、叫ぶようにして何かを伝えようとする。
「ま、ちょ! ちょっと待ってくれ! あ、あれだ! あれがあるから話を!」
しかし、全く話にならない八幡を見て、鈍斎を含めた一同は呆れたように冷たい視線を浴びせる。
一呼吸の間を置いて、里長はゆっくりと長い溜息を一つ吐くと、膝に手を置いて屈伸をする要領でゆっくりと立ち上がる。
「……何かご事情があるだろうとは思っておりましたが、何もそのように慌てられずとも……まぁよろしい。ひとまずお話だけでも伺いましょう」
「よかったぁ……」
(た、助かった……のか?)
すぐにくノ一の少女に縄をほどかれた二人は、里長に続いて屋敷に足を踏み入れ、囲炉裏を挟んで対面する。
屋敷は広いのだが、屋敷の中心部は囲炉裏の明かりがないと字も読めぬほどに薄暗い。
八幡が懐から手紙を取り出して村長に渡すと、村長は囲炉裏の明かりを当てに字を読み始めて、短い文章をすぐに読み終えると納得した様子で一度頷いた。
「ふむ、これは確かに手塚殿の文で間違いないでしょうな。して、我等に如何なるご用件にございましょうや?」
「あぁ、察しはついていると思うのですが、飯母呂衆の忍びの力にぜひともお縋りしたいと思う次第。即決を求めるものではございませんが、ぜひともご一考くださればとご挨拶に参りました」
八幡は、待ち侘びたとばかりに膝をにじり寄せ、前のめりになって熱い語り口で頼み込む。
すると、里長は更に険しい形相となって、苦虫でも噛み潰したような恨めし気な顔をした。
「……もう一度武士の風下につけ……と」
里長は一度呼吸を整えると、今一度大きく息を吸う。
「……お断りいたす」
里長は抑揚のない声で、そう一言だけ告げた。
しかし、八幡もここで「はいそうですか」とは引き下がれない。
「な! それなりの謝礼の用意も致します故、どうかご一考いただけませんか?」
「いいや、お断りいたす。さぁ、お帰り下さいませ」
それでも里長の意志は固いらしく、頑なに八幡の頼みを拒み続けた。
「そんな……」
その様子に説得は無理だろうと諦め、八幡はすっかり項垂れるが、その様子を見て鈍斎は胸を押さえ、一度歯を軋ませてから鋭い目つきで里長を睨み付けた。
「貴様! こちらが下手に出ているからとあまり調子に乗るな! この里は小田領内にあるのだ。本来なら年貢を納め、人夫を小田家に供出するのが筋というものであろうが!」
「はぁ、予想通りですな」
「なんだと!?」
鈍斎が叱りつけるように怒鳴ると、里長は残念そうにため息を吐いて茶を啜る。そして幼子に諭し聞かせるように、馬鹿にした口調で語り始めた。
「里の手練れ何人かは村のため、そして外の情報を仕入れるために武士に雇われとりますがな、如何せん武士は、我々忍びを見くびっておられるようだ。どこの武士も、忍びを汚れや卑怯と言って侮罵するばかり。何十年か前に甲賀と伊賀の忍びの活躍で、武士の世にも我等の力を知らしめる一石が投じられたと思っていたのに、こうして蓋を開けて見れば所詮はこの有様よ」
いつしか、その語り口はどこか悲しげな、絶望や諦観にも似たものにすり替わっており、自嘲気味に小さく笑いをこぼすと、湯呑に残った冷めたお茶を囲炉裏に欠けて火を消した。
「何十年前……長享延徳の乱……ですか?」
伊賀と甲賀が活躍し、戦国の世に忍びなる者を知らしめる事件ともなれば歴史好きなら名前くらいは聞き覚えがあった。
長享延徳 の乱と言えば、応仁の乱から約十年後に起きた、幕府による威信回復の為に荘園の横領を行った六角氏を討伐する争いの延長で起きたことである。
結果は六角氏の当主が伊賀に逃げ込み、忍び衆のゲリラ作戦に悩まされた幕府は二度も討伐に失敗、その威信の及ぶ範囲を大きく減退させた。
しかし、頃を同じくして享徳の乱、長享の乱と上方より一足先に戦国時代に突入した関東では、そのような話に深く耳を傾ける余裕がなかったのか、あまりこの一件を深く知る者は少なく、里長は八幡がこれを知っていたことに僅かながら興味を示した。
「うむ、貴殿は武士にしては珍しく威圧的ではありませんな。武の気配すら匂わせないとは相当の手練れとみた」
(なんて返せばいいんだよ……)
八幡は勝手に手練れと勘違いされ、嘘をついているわけでもないのにいらぬ罪悪感に胸を締め付けられ、渇いた苦笑いを浮かべて誤魔化した。
「貴殿はまだよい。しかし、この世にはお隣のような方が大半だ。生憎、我々は武士があまり好きではないものでしてな。それに筋目というなら、我等は小田殿がこの地に来るより早く、我々は平将門様によってこの地を封ぜられた。味方になるにしても、その末裔であられた平清盛様に源氏の血を裏切ってまで心を尽くし、戦い抜いてくださった佐竹殿に味方致すが筋にございましょう?」
「ぅ……くっ!」
鈍斎は言い返す言葉を失って悔しそうに顔をそらす。すると、八幡は一瞬眉間にしわを寄せた後、すぐに何かを思い出したように、記憶を辿るようにしながら口を開いた。
「平将門公というと、血族どうしの醜い争いを止めるために立ち上がり、民に読み書きを教え、砂鉄で鉄の農具を作る方法を伝えて土地の開墾に励まれたとか。未だに弱きものの代弁者として、関東では根強い人気があるとも聞き及んでおりますね」
八幡は、武士が台頭する以前の歴史はせいぜい得意という程度であって、ずば抜けた知識は有していない。
しかし、里長の話口が僅かに変化したのに気付き、八幡は説得するのならここが抑え所と判断した。そのため、ある程度は学校の教科書から学んでいるのと、番組で特集されたものを見るなどして聞きかじった将門に関する知識を結集させて、どうにか受け答えをこなしていく。
「ほう、貴殿は知っておられるか。将門様は、家格や血筋ばかりがものを言う世俗というのをとても嫌っておられ、上下の隔たり無く接するのだ。当時の我等の先祖は半農半士であったが、今の様に蔑視されることもなかったという。あの方ほど争いを嫌い、仇敵にも頼られれば匿う程に仁義に厚く、民を好み善政を敷いた名君は日の本どこを探してもおらぬ。我々は何百年と経とうとも、再び将門様が現世に舞い戻って、民のために立ち上がってくださるのを待ち続けておるのだ……」
(……どこかで聞いたような話だな?)
八幡は初めて聞くはずの平将門にまつわる細かい為人などを聞いているうちに、どういう訳か既視感を覚え、頭の何処かに感じる引っ掛かりを取り出そうと必死に考えをめぐらせる。
「我々の技術は将門様の為にある。今我等が味方するとすれば豆州の北条殿くらいよ。北条殿は伊勢平氏だそうではないか。それに、その善政ぶりはこの山奥にも響いておる。もし貴殿らが力づくでというのであらば、我等はいつでもお相手いたそう」
(そうか!)
そして、里長の話が終わるころ、ようやく八幡は既視感の正体をつかみ、それと同時に一つの謀を思いついた。
すると、八幡は少しわざとらしく悲しげな顔を作り、俯きながら謝罪を始めた。
「左様ですか……残念です。しかし、我等も力づく等で従わせようというほど野蛮ではございません。此度は唐突に押しかけて大変なご迷惑をかけ、また気分を害させてしまったようですね。大変申し訳ありません。詫びと言っては大仰ですが、なにとぞ我等の小田までご足労下さいませ。手塚殿も久々に里長殿にお会いしたいと申しておりました故、宴の席を用意してお待ちしております」
手塚石見守の名前を出すと、里長は懐かしみながら顎をさすり始める。
「ふむ、手塚殿か。確かに旧縁を温めておくのも悪くはなかろうな。その件は承知したが、生憎我々も間抜けではない。十二分の警戒はさせてもらうがよろしいな?」
「もちろんです!」
八幡は嬉しそうに返事をし、後日にもう一度だけ会う約束を取り付けると、鈍斎を連れて意気揚々と下山して帰城した。




