第六十九話 大きな贈り物
氏治は三十頭余りの荷駄馬を用意すると、旗本の手勢の他に八幡にも兵を率いるように命じる。しかし、物々しい軍勢がいる一方で、その傍らには輿が一挺用意されており貴人の護送の様な光景である。
白木は華美な輿に物々しい軍勢という取り合わせでどこへ向かうのかと首をひねりつつ、忙しなく自分の体を率先して動かして荷の用意をする氏治に尋ねる。
「お手伝いいたしましょうか?」
「あ、いいよ。白木ちゃんが今日はお客さんだからね! ゆっくり休んでて」
「かしこまりました」
白木は、唐突な出来事でこれから何が起こるかは見当もつかず、ただその場に立ち尽くして用意が整えられる様を眺めていた。
しばらくして用意が整うと、白木は周囲の勢いのまま輿へと乗り込まされる。
「じゃぁ、出発!」
氏治の号令で一団は行動を開始した。
最終的には赤松擬淵斎も合流し、氏治、八幡、白木、太兵衛、それぞれの率いる護衛を合わせ六十人の一団が小田城から出発した。
「氏治さま、本日はずいぶんと物々しいようですがどちらに向かわれるのですか?」
白木は輿の簾を引き上げ、顔を覗かせて声をかける。
氏治は楽しそうに微笑むばかりで、具体的な内容に関しては一切触れなかった。
六十人は一列になって動くわけにもいかないので、二十人ずつの三つの隊に分かれ、左右に配置して中央の行動に合わせて一定距離を維持たせる。
その様に白木はと言えば、氏治らしからぬ周到な用意に何か一大事でもと不安が掻き立てられていた。
「まぁまぁ、白木ちゃんは何も気にせずゆっくりと旅路を楽しんでよ」
楽しそうに笑っている氏治に、これ以上何かを問うのも無粋と察した白木は、結局なにがなんだかわからないままではあるが、頭を引っ込めておとなしくすることとした。
しばらくすると、白木には見知った景色が目に付く。
しかしこのころの農村風景はどこも似通ったもので、気のせいだと思い簾を下ろす。そうこうしているうちに、程よい暖かさと簾の隙間から入る風の心地よさについつい瞼が重くなる。
「氏治、白木御前が先ほどから無言だが、どうかしたのか?」
「たぶん、寝ちゃったんだと思う。寝息が聞こえるから」
長閑な田舎道を歩くこと数時間。程良かった太陽の熱も、少し疎ましく感じてくる午の刻頃、一行は目的地へと到着した。
様々な事態に警戒して備えは用意したものの、それを使うことはなく、無事に目的地について一同は少なからず安堵の表情を浮かべる。
「みんなは支度をしておいて」
氏治は一同にそう命じると、馬から下りて輿の入り口の簾を開けて中へ顔を覗かせる。
「白木ちゃん、起きて。目的地に着いたよ」
氏治は白木の肩をつかんでゆすり起こすと、白木の目がうっすら開き、まだ眠そうに眼を擦りながら氏治に視線を合わせた。
「ほわぁ……? あぁ、氏治さま。どうなさったのですか?」
「うん、目的地に着いたんだよ」
寝ぼけ眼を擦る白木を見て、氏治は愛でるような笑みを浮かべる。
白木はようやく目を覚ますと、氏治に手を引かれるようにして輿を下りる。白木は外に出て、辺りの風景を見渡すと思わず声を失う。
目を丸くし、息をするのも忘れ、白木の反応を待っている氏治を含め、二人の周りだけまるで時間が止まっているかのように微動だにしない。
白木の心臓は徐々に波を打ち、小さく「はぁ……」と息を吸うような声を漏らす。
「えっと、思ったより……反応が薄いなぁ……白木ちゃん。ちょっと感想とかもらえるとうれしいのだけど……」
するとハッとした様子で白木は氏治へ向き直り、氏治の手を取って何かを口にしようとする。
しかし、気持ちばかりが先行して口に出した言葉が空気に乗らず、声にならない声を上げる。
「ど、どうしたの白木ちゃん!? ちょっと落ち着いて、何言ってるかわかんないよ!?」
白木の眼前に広がった景色は懐かしの長閑な田園風景。丘から見える遠くの山々には色づきのいい桜が咲き誇り、紅一点と言う訳ではないが、若葉に混じって咲く淡い桃色の桜はやはり際立っており、そうしていながらも新緑との調和のとれた目に優しい色合いを見せた。
白木は、何度か深呼吸をして息を整えるとゆっくりと口を開く。
「うじはるさま……ここは、あの、もしかして……海老ヶ島……ですよね?」
氏治は、感激で身を震わせる白木を見て満足そうに、海老ヶ島に咲き誇る桜にも増して満面の華やかな笑みで答える。
「そう!! 海老ヶ島! この前の小田原遠征での余波が結城家にあるうちに、機を逃さず海老ヶ島城だけは絶対に奪還するようにって宍戸義綱に命じておいたの! 平塚自省長信の一周忌前に、何としても取り返して白木ちゃんを喜ばせようと思って!」
「そ、そんな……私一人の為に……わざわざそのようなことをしてくださっていたなんて……」
白木は滅多に見せない赤ら顔で必死に涙を堪えて嗚咽のみを漏らす。
しかし、それもほんの数秒で耐えきれなくなり、堤を切ったように大粒の涙を流して泣き出し、氏治へ抱き着いてその胸に顔をうずめた。
「よしよし、今日は気のすむまで付き合うよ。白木ちゃんも息抜きするときは必要だもんね。今日は葵ちゃんもいないから気のすむまで泣こうね」
「ぅじはるさまぁぁ……」
そんな少女二人の、微笑ましいやり取りを、赤松擬淵斎と八幡は酒を酌み交わしながら眺めていた。
「いやはや、うら若き少女がこう抱き合っている様を見るのはよいですな。こう、愛でたいといいますか」
「はは、酒に酔うにはまだ早いですよ赤松様」
(このおっさんはホントそういう事しか頭にないのか。空気読むことを学べよ)
八幡は内心ため息交じりといった具合だが、それを表にも出せず作り笑いで適当にあしらう。
「うむ。花見酒も一興だが、氏治様と白木殿を眺めて飲む方が一層華があって美味いというものですな、なぁ? 八幡殿?」
「いえ、私は別にそうは思わないので。というか一回黙りましょうか」
(せっかくの雰囲気がぶち壊しだな。ほんとこのおっさんに声かけるんじゃなかった)
しばらくして兵士たちの行っていた用意が終わり、即席の宴会場がつくられて少し豪勢な食事が並べられる。
「白木ちゃん。いっぱい泣いておなか減ったでしょ? せっかくいい景色だからここでお昼にしようと思うの。いいでしょ?」
「はぃ……ありがとうございます……氏治さま」
「もういいってば。さぁ! きれいな景色と温かい日差しの下で食べるお弁当はきっとおいしいよ! みんな! 食べましょう!」
「おぉぉ!!」
その後は一同が各々出し物をしたり、楽しく歓談しながら食事をとった。農民出身の兵は田楽踊りや奇妙な村特有の踊りで周りを笑わせ、氏治も簡単な舞を見せて場を盛り上げる。
食事を終えると氏治一行は海老ヶ島に入城し、白木の親族や家臣団の墓参りを済ませる。
遺骨が実際に埋められているかは小田家としては定かではないが、海老ヶ島城内には平塚家の人間や、平塚家で武勇のあった武士の名前が刻まれた板塔婆がいくつも立ち並んでいた。
佐竹家は、わざわざ捨て置いてもいいはずの将士の亡骸を丁寧に葬り、供養した後が見られる。墓も、最初からあるものではなく、簡素だがどれも新造されたもので、労りの念が感じられた。
「なんというか……佐竹家の連中も悪い奴ばっかじゃないみたいね……」
氏治は丁寧な作りの板塔婆を愛でるように優しく撫でる。白木は氏治の足もとにしゃがみだすと、見知った名前の書かれた板塔婆に手を合わせた。
「それはそうですよ。佐竹家の方々だって何も好き好んで人を殺しているわけではないのでしょうから……戦国の世だから、皆が互いにつらい思いをするんです……」
氏治も白木の隣へしゃがみこみ、名も知らぬ板塔婆に合掌する。氏治はそれが誰か知らずとも、少なくともここにいる者達は自分のせいで、自分の為に死んだのだという事実は変わらないからだ。
三人はしばらく城内の板塔婆を拝んで回る。
そうして、本丸まで至るとそこの館の前には一つの、そして今までとは違ってだいぶ大きめの板碑[石板塔婆]があった。白木は何かに気づいた様子で、早足にその石碑へ駆け寄る。
氏治と八幡もその後に付いて石碑を見やると、その程よく磨かれた味のある盤面には、こう彫り込まれていた。
平塚自省入道長信、ここに眠る。その者振るう大身鑓の勢い凄まじく、其の働き、敵ながら誠天晴れ也。義昭公、ここにその勲功を認め、高禄をもって降伏を求めるも聞かず、小田に受けし大恩を懐に一族皆城を枕に討ち死にする様、乱れ世にも稀にみる忠勤也。義昭公、実に悔みつつも事ここに至り、武には武を当てることこそ礼儀とし、被害を顧みず全軍をもって突入せり。入道、見事二十七の首級を取り上げて後ここに果てる。
その文字の後にも一族子女に至るまでの名前と手柄が詳細に書かれ、最後にはきちんと辞世の句まで彫り込んであった。これだけが石碑というのは佐竹側にも予算の問題があったのだろう。
しかし、下総から常陸南部では下総式石碑という石碑で墓を建てるのだが、常陸の北部に根城を構える佐竹家には無論そのような風習はない。
それであるにも関わらず、こうして板塔婆よりも相当高価な下総式石碑をわざわざ用いた所に、白木は佐竹家からの大きな敬意を感じ、親の死に際にさえ見せなかった涙が一粒、二粒と僅かに頬を伝ってその大地を潤した。
「お父さま……敵方にも天晴れと誉めそやされるお働き……おめでとうございます……ふふ、だめですね……今日はなぜだか容易に涙が出てしまいます……」
「佐竹義昭……その心意気こそ天晴れよ。あとで礼状を書かないとね……」
普段いがみ合い、憎い相手であっても胸に突き刺さるものを感じたのか、二人は苦しそうに震える声を漏らす。
「佐竹家は、武勇のあった将には敬意を払って弔ってくれたんだろうな。そして、それを受け継いでいた結城家もそうだ。墓標の周りがきれいなのは、結城家もちゃんと雑草を抜いて、手入れまでしていてくれていたんだろうさ」
八幡はあたりを見回す。
城壁の端にひっそりと建つ板塔婆だが周囲に草の一つ生えていない。
一年もすれば板塔婆なんてすぐに痛み始める筈であろうというのに傷の一つもない綺麗なもので、あまり直射日光に当たらないようにとの心遣いか木陰に建てられていた。
(そこまでの気遣いの細かさ……佐竹は四代名君が続いたとは聞くが、まさかここまでとはな……確かにたいそうな御仁だ)
佐竹家に限らず、鎌倉以来の色合いや味を残し、武勇のある敵方を重んじる関東武士の心意気に、八幡はこみ上げる感動で胸を熱くした。
「そうね……なんで、皆互いに思いやりを持っているのに争わなくちゃいけないのかしら……結城家だって、佐竹家だってみんな平和に暮らしていきたいだけ、なんだよね」
「たぶんな。この世界にゃもう正義なんてきっとないんだ。たぶん、平和な世の中で、守るべき決まりがあって初めて正義ってのが生まれるんじゃないかって思う。それまでは正義なんてただの独りよがりだ」
八幡は二人が板塔婆を拝むと空を見上げた。現代と変わらない澄んだ青色の空だ。元の世界に正しい道徳や規範が整っていた事を、今更ながら感謝した。
警察が正義で犯罪者が悪という、解りやすい構図をしていたからだ。
「そうね……」
しかし、今いるこの場はそんな容易な構図ではなく、混沌としたものだ。
誰が、何が、どれが正義で悪なのか。
信じるに値するものなのか。
そう、この乱世とは、何の指標もないような世界なのだ。
「だから、俺は正義なんかより思いやりってのが今は大事なんだと思う」
だからこそ、八幡は正義を否定する。どちらかが正義を名乗るなら、どちらかが悪にならなければならない。しかし、八幡自身もう何が悪かはわからない。そうなれば正義なんてものは重要ではなくなってくる。
身勝手な考えと思いつつも、八幡はそう自分に言い聞かせた。
氏治は唐突な言葉に、少し驚いた様子で八幡を見上げた。
「え……?」
「そうですよ氏治さま。氏治さまは思いやりなら誰にも負けません! だから、氏治さまはこのまま突き進んでください。私たちはどこまでだってお供しますから」
八幡の言葉に白木も乗っかると、氏治も次第に意味を理解して少しずつ顔に微笑みを戻す。
「……そうね。これからも周囲の圧力には屈しないで、みんなが笑っていける世の中をつくっていくわ!」
白木が氏治の手を力強く握ると、氏治も強い意志を宿した表情でそう宣言した。
「その意気です! 氏治さま!」
氏治は白木に期待の目を向けられると、少し照れくさそうにはにかんだ。
とはいえ、海老ヶ島城を代々治めていた平塚宗家一族は白木を除いて全滅している。
いくら武勇があるとはいえ、女が一人で城を治めるわけにもいかないので白木と相談した結果、戦友として共に戦い、白木の命の恩人といえる北条治高に城は譲られることとなり、城代は平塚家の庶子の一族が務めることとなった。




