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第六十四話 鈍斎と葵

 一方その頃、氏治は丁度大通りでの買い物を終え、葵の弟妹にお土産として飴をもって家まで訪れていたのだが、葵の弟妹は生憎遠出しているようであった。

 氏治は白木と葵を連れて、近辺を軽く三人で見て回ったが見つからず、その後は葵の家で一休みをしていた。


「弟君たち、いなかったね」


 氏治は、ぽつりと少し残念そうに感想を漏らす。


「はい……すみません、我が家までわざわざ足を運んできていただいたというのに」


 葵が申し訳なさそうに謝罪の言葉を口にすると、白木はその肩に手を置いて慰める。


「葵さんが気に病むことではありませんよ。元気いっぱいな証です。よろしいじゃないですか」


「そうそう。たまにはこういう、のんびりと空でも眺めてる一日だって悪くないよ。そこの土手は景色もいいし、そこでお昼寝でもする?」


 氏治は、名案を思い付いたとばかりに満面の笑みで提案するが、そこらへんはまだ白木の方が世間を知っていたのか却下される。


「氏治さま、それはさすがにはしたのうございますよ。そうです、先ほど買った毬で遊びましょう? ここは広さも申し分ないですし。どうです?」


「いいですね! そうしましょう氏治さま!」


 葵も氏治の意見は好ましくない物だったらしく、白木の提案に手を叩いて賛同する。

 氏治はと言えば別にそれを不服とすることもなく、暇が潰せれば何でもよかったようで「よーし! じゃぁそうしよっか!」と言いながら桜木家のあばら家から腰を上げた。


 三人はしばらく蹴鞠を楽しみ、その後の休憩をしている丁度その時に、八幡と野中瀬鈍斎の二人は合流することが叶った。


「氏治様!」


「つーちゃん!」


 二人は互いに名を呼び合うと、野中瀬鈍斎は馬から下り、氏治は駆け寄って抱き着く。

 その様を見て、葵は顔をこの上なく真っ赤にして手の平で顔を隠し、白木は「あらあら、まぁまぁ」などと言って上品に口元に手を当て、少し居心地悪そうに微笑んでいた。


 氏治よりは野中瀬鈍斎のほうが僅かに背は高いが、男としては年齢を考えても割と小柄である。

 武士というにはあまりにも華奢な体つきだが、かといって行方刑部少輔のように頼りない感じではなく、少し吊り上った目が凛とした空気を醸し出して、どことなくしっかりとした人間性を窺わせる。


 この二人は、傍目からすればまさに美男美女のお似合いの恋仲同士。といった印象を受ける。


「お久しぶりです! 氏治様!」


「お久しぶりって、この前鎌倉で一緒だったじゃない」


 野中瀬鈍斎は先ほどまでの無愛想な顔とは一変して、目を輝かせるようにして氏治との面会を喜ぶ。

 氏治もまた、それに答えるように満面の笑みで話を弾ませるので、八幡はつまらなそうにそれを眺めた。


「ですが、あの時は慌ただしくて大してお話もできなかったではありませんか。あれを除けばもう半年以上もお会いしてません」


「まったくつーちゃんは寂しがりやなんだから。でもごめんね。遊びに行こうかとも思ってたんだけど、そっちも忙しそうだって政貞に聞いていたから。それにこっちも少し忙しくて……」


「いいんですよ、そんな事。それより一言ぐらい御駐臣(ごちゅうしん)にお声をかけてくださいませんと、皆様心配なさるではありませんか。あの頃はいざ知らず、今や小田家の御当主であり、御館様なのですから、身辺には一層気を付けて頂かないと」


 氏治が反省するように少し俯くと、野中瀬は納得するように腕組みをして数度頷く。


「ご、ごめん……でも、一言声かけると護衛とかついて物々しくなっちゃうし、非番の人を呼び出すことになっちゃうじゃない……それはあんまりしたくないの」


 俯いていた氏治は、申し訳なさそうにしながら潤んだ瞳で野中瀬を見上げる。すると上目使いをされた野中瀬はたじろいで、半歩後退りしてしまう。


「う……で、ですが……そう、ですね! 氏治様の優しさに皆さんむしろ感謝するべきですよね!」


「さっすがつーちゃん! 話がわかる!」


 先ほどまでのしゅんとした様子はどこへやら、と言いたくなるほどに明るい笑みを浮かべる氏治は楽しそうに野中瀬に抱き着いた。野中瀬はそれを受けて振りほどくかと八幡は思ったが、思いのほか幸せそうに顔をほころばせて抵抗しない。


 そんな二人の仲睦まじいやり取りを、八幡は無意識に出る歯軋りと共に眺めていた。


(なんだコイツ。さっきとまるで別人じゃねぇか。つうかチョロイなおい。簡単に丸めこまれやす過ぎんだろ。馬鹿かコイツ? 今なら口から砂糖出せそうな気がするわ)


「そ、それよりつーちゃんはお止め下さい。私も元服して立派に武士となった身。家督も正式に継いだのです。しっかり家臣として扱いください」


 ようやく正気を取り戻した野中瀬は、抱き着く氏治を口惜しそうに引きはがし、台詞を言い終えると、鬼灯(ほおずき)のようになった顔を手団扇(てうちわ)で冷ます。


「えぇ……つーちゃんそんな堅いこと……」


「こ、ここは引けません! 私にも立場がありますので」


「赤松も政貞もつーちゃん相手ならそんなこと気にしないと思うよ」


「それでもです!」


 余りに長ったらしい二人の問答に嫌気がさした八幡が、ついに話を割って入る。


「そんなことはどうでもいいが、用件を伝えろよ」


「なんだ貴様。せっかくのひと時を邪魔して」


 野中瀬鈍斎は、不満気な顔を隠すことなく八幡へ向け邪険に扱う。氏治も用件を聞くために八幡へと体を向けると首をひねる。


「で、用件って? 城の方で何かあったの?」


「宍戸入道義綱様が御子息義長様、義利様と共に兵を率い、豊田家と結んで多賀谷家に攻め込みました」


「え!? ま、また彼らは勝手に……指示してないことまで……」


「宍戸親子の他に、豊田治親様、石毛政重様が五百騎を率い宍戸家の四百と合わせ九百。加養宿方面より進撃し古沢宿にて多賀谷政重率いる一千と衝突。連合軍は敗北を喫して石毛政重様が重傷、他の諸将も軽傷を負ったとのことです」


「……そう。小田原攻めの前にせっかく打ちこんだ楔が無意味になったわね」


「蛇沼の戦いですね……豊田治親様の御采配で多賀谷勢を落とし穴に嵌めて散々矢を射かけたとか。後詰に入った菅谷政貞様と行方刑部少輔様が大層褒めてらっしゃった記憶があります」


「そう。二人が戦う相手もいないから蛇沼のマムシ狩りに興じて戻って来たわ。滋養強壮にと無理に食べさせられたわ」


 二人は苦笑しながら肩を竦めあう。


 豊田家は多賀谷家と領境を接しており、これに対抗するべく小田家の姫を迎えて同盟関係となっている家であった。

 現当主治親は氏治からの偏諱を受けている。近隣の他領主では平将門の根拠地として名の知れた下総国猿島郡を本拠地とする相馬家も後の当主は相馬治胤と名乗り氏治の偏諱を受けていた。


 この豊田治親と多賀谷政経が何故に牛久沼の東にある蛇沼で合戦をしたのかは定かでないが、弟である石毛政重と協力して大敵多賀谷家を打ち負かすという采配ぶりを見せ、地域では一廉の名将として名が知れるようになっているのであった。


 一頻り笑うと、二人は真剣な表情へと戻り目を合わせて頷き合う。


「あ、あぁ……そうだ。ごめんね葵ちゃん、急用ができたから帰らなきゃ。弟君たちに会いたかったんだけどね。葵ちゃん今日はもう仕事は終わりでいいよ。飴は置いていくから後で配ってあげて」


「で、ですがいいのですか?」


「うん。私達だけで葵ちゃんを独り占めしちゃうと弟君たちに悪いしね。たまには弟君たちと遊んであげなよ」


「あ、ありがとうございます!」


 氏治ははにかんで軽く手を振ると、葵は全力で頭を下げる。


「じゃぁ、私達はいくね。行こう白木ちゃん、つーちゃん」


「はい」

「承知しました」


 氏治の呼び掛けに白木と野中瀬が応じ、白木と氏治は徒歩で城を目指し、八幡も馬を曳いていこうと綱を手に取った。




「おい、お前も早くしろよ」


 八幡は乗ってきた馬に手を掛けるが、野中瀬鈍斎は馬から遠ざかる一方で葵に歩み寄っていた。その行動になんとなく不穏なものを感じ訝しむ。

 すると野中瀬八幡に対する会話以上に冷たい口調で葵を呼びつけた。


「おい、そこの女」


「ぇ、は、はい! なんでしょう?」


 この時代は武士に厳しい口調で何か言われると、農民は条件反射の様に背筋を伸ばすのは刷り込まれているのだろう。葵は若干の恐怖を顔に滲ませつつ姿勢を正し、つまりは直立した状態で野中瀬を見つめた。


「お前は農民だな?」


 野中瀬鈍斎は、鉄のような冷たさを持つ声で確認をする。


「は、はい……」


「小田城での役職は?」


「えっと……下女として下働きを少々……」


「ほう……では、下婢(かひ)の分際で当主氏治様に頭も下げずのうのうと笑っていたというのか?」


「も、申し訳ありません!」


 葵はなぜ呼びつけられたのかを理解した様子で、慌ててめいっぱい頭を下げ、額に緊張の汗を滲ませながら謝罪した。

 しかし、従順な態度を葵が示すと、勢いに乗るようにして野中瀬は目を吊り上げ、凄みを利かせて怒鳴りつけた。そして終いには、一度謝罪して相手の顔色を窺おうと少し顔をあげた葵の頬を思い切り叩く。


「この、痴れ者が! 氏治様の優しさに付け入って安穏とするなど無礼ではないか! 小賢しい下婢が!」


「痛っ……す、すみません……申し訳ありません」


「ちょ、お前何やってるんだよ!?」


 八幡は急転する状況に追いつくことができず、野中瀬鈍斎が手を思い切り振り上げた時に止めに入ろうとするも間に合わず、葵が頬を叩かれた後になって野中瀬と葵の間に割り込む。


「何を不思議そうな顔をしている? この下婢は身分不相応に氏治様の前で振舞っていたのだぞ。親しげに会話することさえ恐れ多いというのに触れ合うなどもってのほかではないか」


 野中瀬鈍斎は八幡の行動の方が不可解であるといった反応を示す。

 すると、八幡は激怒して一度地面を踏み鳴らし、身を乗り出した。


「ふざけんなよ! だからって一方的に殴ることもないだろ!? 葵には、氏治がそうするようにって指示を出しているんだよ」


「だとしても、それを恐れ多いと拒むことが、本来の農民のあるべき姿ではないか? 大体こういう農民が実は刺客だった、なんてこともありうる。警備のことを考えても、こういった人間を近寄せないのは至極当然だろうが!」


(くっそ、生まれた時代でこうも感覚が違うとは……やっぱりあいつや御前が特別だったわけか……)


 八幡は、自分の感性がこの世界において必ずしも一般的でないことを思い知らされ、改めて氏治の異端ぶりを思い知った。しかも、つくづく正論な台詞に言い返す言葉を失った八幡は、歯ぎしりして野中瀬鈍斎を睨み付ける。


「いいんです、八幡さま……これが本来あるべき姿です……氏治さまが余りにお優しいから甘えていました。心のどこかで私も思っていたんです……ほかにも飢えに苦しむ身寄りのない子供はいるのに……私だけずるいんじゃないかなって……」


 八幡の背中をつかみ、囁くような掠れた声で葵が意見を述べた。


「ほう。よくわかってるじゃないか。氏治様は民にお優しい、いや、それこそ畜生にさえ優しくできる、この世でも稀有なお方だ。それほどの御方だからこそ、お前のような農民に必要以上に構うと氏治様が持たないのだ。そこらへん良くわきまえて接するようにな」


「……はい……」


 野中瀬鈍斎は葵の萎れた返事を聞くと、満足そうに身を翻す。葵の八幡をつかむ手は震え、微かに啜り声が聞こえる。八幡がそれに気づいて振り返ると、葵は俯いた。


「葵、大丈夫だ。あの野郎は俺が何とかするからお前は今まで通りに生活しろ。いいな?」


「でも……八幡さま……」


「いいから、お前だってこれからも氏治や御前と仲良くしていたいんだろ?」


「……そうですけど……」


「なら俺に任せておけ。このぐらいはどうにかしてやる」


 八幡は笑いかけて、葵の頭をくしゃくしゃと少し荒めに撫でて元気づける。


「八幡さま……ありがとうございます! お願いします!」


 葵は感激した様子で頭を下げ、まだ潤む瞳で嬉しそうに笑った。


「おう、任せとけ!」


(何より、俺があいつに文句の一つでも言ってやりてぇ!)


 こうして、八幡は馬に乗って野中瀬鈍斎の後を追う。すると、先に氏治に追いついていた野中瀬は馬に氏治を乗せて馬を曳いていた。


「遅いぞ貴様。白木御前が歩き疲れているだろうが。いつまで馬の上でふんぞり返っているつもりだ」


「私は別に疲れてませんよ」


 野中瀬鈍斎は、八幡を睨み付けながら吐き出すように言う。

 白木はそんな野中瀬に話しかけるではないが、一応といった形で自分に疲労がないことは伝える。

 しかし、八幡もさすがに白木が遠慮したからと言って馬に乗り続けていいわけもなく、下馬して白木を代わりに乗せると馬を曳き始めた。


(さすがにここですぐに突っかかるわけにゃいかねぇか……)


 氏治はのんびりと小田城へ帰宅するが、駐臣として滞在していた行方刑部少輔の代わりに来た赤松擬淵斎に勝手な外出を厳しくとがめられ、長々と説教を受ける事となる。

 野中瀬鈍斎と白木がともに謝罪し、菅谷政貞もこれを宥めるが、赤松擬淵斎はそれでも尚耳にタコができるほどに説教をするのであった。


 八幡はこれに呆れ、自分の郭の屋敷へと向かい、中断していた作業を再開した。


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