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第四十七話 忍の田舎城

「南常陸の小田讃岐守氏治様が御着陣いたしました!」


 上野北条領のほとんどを鎧袖一触で攻め落した景虎率いる越後勢は、周囲の諸大名を従え、北武蔵まで怒涛の進撃を見せていた。そのおかげもあり、氏治は予定よりだいぶ早く長尾家本陣へたどり着くことができた。


 氏治はすぐさま本陣へと通される。陣幕の最奥にはがっしりと構え、床几に腰を下ろす景虎の姿があった。その左右は先手大将の柿崎景家、小荷駄奉行の直江実綱が控え、河田長親等を始めとした新参若手の家来衆が立ち並び周囲を固めた。

 左右の陣幕の下には、景虎の号令で参集した関東諸侯が家格の順に居並び、場の中央の座には男装姿の氏治が座らされ、氏治は深く頭を下げる。顔ぶれはまちまちで多様な思惑を匂わせる。関東出兵を長尾景虎に願った反北条の急進派から始まり、旧上杉家に縁のある者、それらの友好勢力や日和見が流れで従う者、親北条派でありながらも武力に屈したものや恐れて旗色を変えた者等多様である。

 しかし、一様に言えるのは、大なり小なり「北条の牛後となる勿れ」と願う者であり「長尾景虎の武威に支えられた傀儡の関東公方と関東管領に従い、鶏頭として従来通りの自由を」と目論むのである。


「うむ……」


 長尾景虎はそう一言頷くなり口を開こうとしない。


 全身白装束のような衣服を身にまとい、線が細くどこか二枚目のようでありながらも厳めしい顔を持つ目の前の御方が当主の長尾景虎だ、と河田長親から説明を受ける。

 声は低く、口数少ないが「沈黙は金」を体現するように、あるいは木鶏が諸鶏頭を従えるかの如く、悠然とそこに坐するだけで場は引き締まり、何人も頭を上げ難い気持ちにさせる程の凄味を身に纏っていた。


「ははは、よもや小田氏治殿がこうも早く参陣なさるとはな。予想外ですぞ。いったいどういう風の吹き回しですかな?」


 あからさまに馬鹿にした態度をとるのは、同じく常陸国に本拠を持つ宿敵、佐竹家嫡男佐竹義重である。

 この男は漆黒の甲冑に身を包み、手足の太い体躯は決して大柄ではないながらも、平時から鍛錬を怠らない厳格な武士であることを思わせる。その体躯は実際の身長より一回り大きく見えるのは、その威厳と堂々とした立ち振る舞いからであり、自信に満ちた空気から底知れぬ優秀さが滲み出て目に見えるかのようであった。


 佐竹家は長尾景虎が越後統一を果たす前後から(よしみ)を通じ、今ではかなり親密な間柄である。そういったこともあり、年老いた当主義昭はいち早く景虎の元へ馳せ参じるようにと、息子に精鋭騎馬隊千を預けて先行させていたのだ。


「あら? 鬼と恐れ称えられる方もさすがに神様は怖くて真っ先に頭を垂れに来ましたか。当家と同じく四百年の家名を刻むというのに情けないことですね?」


 氏治は佐竹義重の嘲りなど微塵も気に掛ける様子無く、むしろ嫌味な笑みを浮かべながら言い返す。


「ちぃ、この小面がよく言うわ」


「それはありがとうございます」


 佐竹義重は毒づくように言い放つが、氏治はそれも軽く受け流す。小面とは、能面の種類であり、可憐な少女の面を指す言葉である。

 つまりは、お前は女々しい女子のようであると馬鹿にした義重だが、氏治自身女なので痛くもかゆくもないのだ。それどころか可憐であると言われているのだから褒め言葉に値する。そのことがわからない義重を内心でクスクスと笑いながら顔では平静を保って応対する。


「うむ……もう良いか?」

(関東の挨拶は、随分と楽しげで、善き哉)


 長尾景虎は、大盃で酒を飲みながら二人のやり取りをしばらく眺めていたが、それが終わったとみると、ゆっくり威厳に満ちた声を響かせた。


「はい。我々小田家一千騎は景虎様の指示の下、獅子奮迅のご活躍を見せることを誓いましょう!」


 氏治の言葉に、佐竹義重は鼻で笑いながら語る。


「ふ、よく言うわ。粉塵が如く敵に蹴散らされぬとよいがな。あまり無残に散られると敵が強いのではと錯覚して我が兵まで浮き足立ってしまうわ」


「あら、臆病風に吹かれてここまで流されたどり着いた常陸の鬼は、鬼なだけに口ばかり大きいのですね。でも大丈夫ですよ。私たちがいれば竜に翼を得たる如し。貴方たちはすぐにお払い箱になるでしょうから戦場の陰で風になびくススキを相手にしているといい」


「なんだと!? そこまで言うならここで相手をしてやる! 平野へ軍を出せ!」


 佐竹義重は激怒し床几を倒す勢いで立ち上がり氏治に怒鳴り付ける。

 長尾家家臣数名があわてて佐竹義重を取り押さえなだめ、周囲の諸大名にも緊張が走った。しかしそのような中でも長尾景虎は泰然自若としている。


 しばらくの間、小田氏治、佐竹義重両者の言い争いは続いたが。二人は程なくして自分たちを見つめたままじっと黙っている長尾景虎に畏れを抱き、互いに視線を合わせると互いを睨み付けたまま口を紡ぎ、ゆっくりと床几に腰を下ろした。


「では、小田氏治殿には、武蔵の忍城に引き籠り、未だに態度を決めかねている成田家へ赴き、忍城を攻略してもらおう」


 場の空気は凍りついたまま、命じられた氏治だけが「承知しました」と陣から下がり、手勢の千騎と後詰の二千ほどいる歩兵と合流、その日のうちに忍城へと向かった。


 一方、忍城も長尾家連合軍の、もとい小田軍の進軍を察知し、いち早く軍備を揃え防衛体制を整えていた。

 しかし城内では当主である成田長泰が嫡子の氏長と対立しており、氏長が長尾への恭順を主張したことから、長尾と北条どちらにつくか日和見をしていた長泰は激怒、結果として防戦の構えを見せるようになったのであった。



 城中が二つに分裂して纏まりを欠いている危機的状況の中、忍城三の丸には腕組みをしてのんびりと城外へと向かう男の姿があった。


「はぁ、従兄上(あにうえ)も伯父上も怖くていやじゃのぅ……」


 坂東武者の血が騒ぐ土豪然とした成田家で唯一一人、戦を嫌い、できることなら何事もない平穏日々を送りたいと願う男である。その名は成田長親(なりたながちか)。のちに豊臣軍二万を向こうに回し、忍城を枕に寡兵で戦いぬいた武将である。


「長親殿、何さりげなく城から出ようとしているんですか」


 そう、将としての才に乏しく、家臣領民共に放蕩城主や武蔵一のどら息子と呼ぶ成田長親である。それを咎めるのは氏長の娘の甲斐姫であった。


「おぉ、甲斐殿か。いかがしたかな? 今は臨戦態勢ですぞ、何故にこのような所に居られるのです?」


 成田長親はさも当たり前のような顔で甲斐姫を注意する。

 この様に腹を立てた甲斐姫は声を少し荒らげて言う。


「貴方がこうして城外へふらふらとほっつき歩くだろうからとおじい様に言われて、こうして門前で見張りをしていたのですよ! このバカ殿!」


 甲斐姫の怒り顔をよそに涼しげな顔で成田長親は受け流す。


「ほぉ、それは左様か。ご苦労でしたな。では御役目も終えたところでここは危険である故、安心して本丸まで戻られよ」


「だ・か・ら! 長親殿を連れてまいるように言われているのです!」


 甲斐姫の怒りの数値は上がる一方だが成田長親は全く気に留める様子はなく、「それは困ったのぅ……今から農民たちの畠仕事を手伝うつもりだったのじゃがのぅ……」などと言って戦のことなど他人事といった様子である。


 そのあまりの気の落とし様に、甲斐姫もこれがフリだとわかっていながらも胸が痛み、ついつい自分が悪いことをしているような気になってしまう。


「……わかりました……しかし、今は成田領内と言えど危険ですから、私もついて参ります」


 こうして甲斐姫が折れるのもこの二人の仲では毎度のことなのである。甲斐姫が折れてくれると、成田長親は満面の笑みで嬉しそうに何度も頷き喜ぶ。


「それはまことに有難い! わしも一人では寂しいと思うてたところよ。甲斐殿ほどの美人が来れば村の連中も喜ぼうて」


 成田長親が喜ぶ姿を見ると、甲斐姫も戦とあってどこか緊張していた心が(ほぐ)される気がしてつられて微笑む。

 成田長親は年に相応しくなくはしゃぎ、微かに顔を赤らめ、熱を帯びた甲斐姫の手を取って農村へ向けて走り出した。

 城に残った成田一門は長親の奇行に呆れるも、いつものことだと軽く流し、また戦力として計算されてないこともあってそれを咎めようとする者はいなかった。



「いやぁ~皆の衆! 元気でやっとるかね?」


 成田長親は、村へ入るなり大声で村人たちに呼びかけた。すると村々の戸が開き、「お、バカ殿様かの?」「おぉ! どらむすこ様じゃ」「放蕩野郎が来た!」などと村の老若男女それぞれに笑顔で迎えられ、長親の元へ続々と人々が集まってきた。


「よぉしよし! 小次郎! 高い高ーい! どうじゃ面白いか?」


 などと村の子供と戯れていると、村長である、痩せて骨と皮になったお年寄りが歩み寄り、心配そうに口を開く。


「長親様、かの長尾景虎は北条家の手向うものには容赦なく略奪や焼き討ちを行っていると聞いておりますじゃ……この村はどうなりますかのぅ……?」


 すると村人の顔も一様に暗くなり、皆口を噤んでしまう。

 成田長親も先ほどまでの明るさが嘘のようで、枯れた草花の様にしおらしくなっている。


「だ、大丈夫ですよ皆さん! 長尾の連中なんかの好きにはさせません! 我らは勝てます!」


 甲斐姫があわてて村人を鼓舞しようとし、その言葉を聞いて何人かの村人は顔をあげるが、それとほぼ同時に成田長親の制止が入り、村人を俯かせる。


「甲斐殿、適当なことを言うてはならぬ。何も知らずに戦いに巻き込まれては、農民達が可哀想じゃ」


 成田長親が俯きがちにそういうと、若い農民の一人が声を震わせながら言う。


「成田様は負けるだか? わ、わしらはどうなるんじゃ? バカとの様! わしはまだ死にとうない! ど、どうすりゃいいんじゃバカとの様!?」


 農民はせがむ様に成田長親の襟に掴み掛るが長親も軍才があるわけでもなく、解決する方法も思い浮かばないので何も言えない。農民も村長に咎められ離れるとあたり一帯は静寂に包まれる。


「こうなれば、わしらも城に拠ってたたか……」


 村長が悲壮な顔でそう言いかけた時若い農民が一人、叫びながら駆け寄ってきた。


「そ、村長! 長尾の軍がわしらを保護するって言うとるぞ!?」


 村人はいっせいに若い農民の方へ向いた。一縷の希望に縋ろうというのである。


「し、しかし、長尾家は北条家の村を手当たり次第に焼き討ちし、略奪を繰り返していると聞くぞ!?」


 長尾家こと上杉家の関東侵攻は一説に雪国である越後の口減らしと、食料を略奪によって確保するものであったとも言われる。だが、戦ともなればそれが敵地の焼き討ちに始まり、刈田狼藉と言って収穫前の稲を刈り盗み、あるいは青田捏ねと言って田畠を使えなくするのも一般的であるとも言えた。

 さらに言えば、越後の長尾家領内から八千もの兵を養う兵糧を継続して届けるのは非常に困難でもあった。短距離であれば同一部隊にピストン輸送を行わせることができるが、越後から難関の山や峠を越えて上野一国を跨いで武蔵まで食料を届けるともなれば往復に時間がかかり、荷駄隊とその護衛が消費する食糧の用意も必要となる。このため、只でさえ消費の多い輸送部隊をいくつも編成し、随時送り続けることになる。

 仮に十日起きに荷駄隊が到着するという計算で、荷駄隊の往復に二カ月、護衛部隊を二百人程度と仮定して計算しても本軍の維持で馬は四百頭必要であり、馬の口曳き四百名と護衛二百名の往復二か月分百八十頭、さらに馬の維持に大豆二俵を乗せた馬、さらにそれを維持する馬と続き、輸送部隊の馬の数は二千五百頭を越えてくる。


 常識的に考えてこれを六部隊編成してローテーションで補給というのは非常に現実性に乏しく、この時代の陸路輸送の困難さを現していよう。海路、水路が使えれば大幅に改善される補給だが、越後から関東に攻め入るのに水の手は使えないことからしても、補給が現実的でない為に現地での収奪を前提とした遠征を行う他手立てがないのではないかと筆者は考えている。


 村長が噂を口にすると、若者は首を勢い良く左右に振った。


「で、でもおいらは見たんだ! 隣村で戦渦に巻き込まれた近隣の村人にも粥を配って村には警備の兵まで置いてくれてる! 乱暴なこともしてながっただ!」


 村人は各々の面持ちで村長を見つめ決断を仰ぐ。

 しかし村長としても成田家には恩義があり、また、長尾家を信用しきることもできず判断に困り成田長親を見つめる。

 するとそれを察してか長親は一時の間をおいてから尋ねた。


「わしが……確認して参ろう」


 一同は目を見開いた。


 城方の一族ともなれば捕まれば処刑か人質にされる。成田長親はここ一帯の農民に顔が利くため、かえって褒美に目がくらんだ農民が敵に告げ口しないとも限らない。正体が知られれば一巻の終わりであり、正体がばれやすい長親はことさら不適なのである。


「お殿様がそんな危険なことすることねぇだよ!」


「そうですよ長親殿! いくら戦力外と言われても仮にも成田家の血筋、捕縛などされては我々成田家全体の問題となります!」


 しかし、意を決した成田長親は頑として聞き入れる様子はない。


「しかし、このままでは農民たちが安心して飯を摂ることも、安心して寝ることもできぬではないか? それに孫子も言うておった気がする。敵を知り、味方を知れば百戦危うからずとな」


 此処でも甲斐姫は成田長親を折ることはできないと察し、それでも万に一つに賭けてささやかな抗議を続けた。しかしそれも案の定無為に終わり、甲斐姫が折れることとなる。


「わかりました……ですが私はついていきますよ。貴方の護衛として。それに、男女の方が怪しまれにくいでしょうから」


 甲斐姫の言葉を聞くと、青白い顔をして小刻みに震えていた長親はみるみる表情を変え、喜色を浮かべて気分が高揚する。


「おぉ! 甲斐殿がいれば百人力じゃな! それならわしも安心して敵情を探れるというもの!」


 楽しそうに成田長親がはしゃぐと、農民たちはまるで自分たちの年若い息子娘を戦地に送り込むような悲痛な面持ちで二人のやり取りを見つめる。


「甲斐御前様……申し訳ありませんですじゃ……」


 村長が村人の総意を代表してそう謝罪すると、甲斐姫は笑いながら「仕方がありませんよ。この馬鹿は死んでも治らないですから」そういって村人を安心させるように笑いかけた。


 いなか城の一族という事もあって、そのままの服装で出かけてもまぎれるには難しくなさそうだったが、二人は念のため村長から服を借り、甲斐姫は着ていた甲冑を預けて炊き出しの場へ向かった。

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