第四十五話 鎮静
八幡は鴉山城に着くと、憂鬱気な顔で仕事を済ませ、小田朝治の好物の柿や栗を入れた小包を持って登城した。
八幡は用件を取次の者に話すと、すぐに城内を通され、暫し控えのまで待たされてから朝治との面会が叶った。が、しかし、
「鴉山に寄る際に、是非こちらを届ける様にと田土部政秀様からお預かりしたものです」
「……ふむ。……忝い……」
(甘味を届けるだけにしては、やけにこった作りじゃの)
「おや、これはこれは、朝治様の好物ばかりで実によろしいですな。政秀様は庶流とは言えその長兄。宗家の長兄であられる繋がりか、よく朝治様の御心をご理解していると見える」
還暦は過ぎたであろう老将、信太能登守が小田朝治のすぐ傍に控えているのである。
(おい、なんで能登守まで居るんだよ畜生。これじゃ迂闊に話を切り出せねぇし、かと言って黙りこくってるのも怪しすぎるよなぁ。しかも、コイツ随分臭う言葉まではきやがって)
八幡は信太能登守が気づかない様にそれとなく様子を覗いつつ、小田朝治と会話をする機会を覗う。しかし、朝治は受け取った小包をそのまま傍に控える能登守へと預け、すっと立ち上がり無言のまま部屋を後にしようとする。
(ちょ、おいおいおい! 朝治様はこっちの気も知らないでさっさと退出しちゃうけど!? しかも、無口そうな人だし、どうやって話を聞けと?)
「と、朝治様は噂に違わぬお人ですなぁ~」
八幡はともかく引き止めなければと、思いつきに口を動かす。
考えながら口から出た、間延び調の言葉が癪に障ったのか、信太能登守は苛立ちを見せつつ叱りつける。
「これ、八幡とやら。唐突に何を申す。口調もどことなく無礼であるぞ」
「こ、これは失礼を。ただ、交際が少なければ揉め事は少なく、口数少なければ非難される事もあるまいと思いまして。私なんかは小人なもので交際多く、同じて和せずに揉め事は尽きず、軽口多くして災いを呼ぶこともしばしば。雄弁は銀にして沈黙は金と称したのは誰であったか、真似したいものだと感服致した次第です」
八幡の冷や汗ながらに語られる流暢な弁舌を耳に入れ、小田朝治は目を見開いた。
「八幡殿。それは朝治様への皮肉とも聞こえるが?」
「よい」
小田朝治は顎で葛籠を指す。朝治も信太能登守も中身に似つかわしくない葛籠に何かあると気づいており、信太能登守はこれを調べるべく一礼する。
「朝治様、それでは何事も無いとは思いますが、この老いぼれはこの葛籠を良く調べてみまする。小者の戯言に無理に付き合うことはありませんぞ。お暇つぶしもほどほどになさいませ。ではこれにて」
信太能登守が立ち去るのを確認すると、小田朝治はじっと耳を澄ませて周囲に人がいないことを確認してからゆっくり口を開いた。
「……菜根譚……」
「よ、よかった……どうにか意図を理解して頂けて」
八幡が適当に発したかに見えた言葉は、『菜根譚』にあり、小田朝治がばら撒いた怪文書「人生一分を減省せば、すなわち一分を超脱す」の一説に続く言葉である。これを氏治に教わり、駄目もとで言葉を僅かに弄りながら口走ったのだ。
「私とて、同じだ」
「えぇ、意図が理解できましたのでこうして参りました。氏治様も事情を察し、胸を痛めておりますが対策に窮しております。それで、話を伺いに来ました」
「しかし、手遅れ、だ……」
小田朝治は視線を僅かにそらし、口惜しそうな表情を僅かに滲ませる。
「そ、そんな! では、朝治様は不本意のままに反乱軍の旗頭になろうと?」
「否。……もとより、出奔……する、つもりで、ある……」
「なんと……しかし、確かに此処まで戦支度が整っていては決起も数日中とみて相違ないでしょうし、そうするしか手が無いのかもしれませんね……」
「しかし、よかった……」
「……それは、私がこうして伝者として現れたからでしょうか?」
小田朝治は黙って頷いた。そして、無表情な顔に僅かな笑みを含ませる。
「それと、妹を、笑わせる事の出来る……男を、見れた」
表情からは微笑む姿をとても想像できないほどの無表情に垣間見た、氏治にどこか通ずる人好きのする笑みに一瞬見とれると、すぐに正気に戻り、首を傾げる。
「まさか、私の事を御存じで?」
「これを……」
小田朝治が八幡に差し出した書状を開くと、そこには朝治が信太家を始めとした諸将諸豪に謀反を呼びかけている書状の数々であった。現状を理解できない八幡は大口を開けて呆然と固まり、動揺に顔を引きつらせる。
「これは? えっと……これは、朝治様の密書……? 叛意は無い筈であるのに、何故朝治様が信太一門に謀反を呼びかける文章や檄文を? 無理に書かされて、出すのだけは先延ばしに……とかですか?」
小田朝治は首を左右に振る。
「今、信太家を……追いつめては……不味い……」
しかし、八幡は理解できずに硬直したまま反応を見せない。
「解ら、ないか……」
小田朝治は呟くと、一呼吸を置いてゆっくりと立ち上がり、声に先ほどよりも力を込めた。
「私が、責任を取る……そうして、騒動……収めよ」
ここまで聞き、八幡はようやく意を察してその顔色を覗くと、決心は固い様子であった。
八幡は深々と頭を下げる。
「……解りました。氏治にはそう伝えます。ところで、出奔先は?」
「相州、小田原」
「北条氏ですか。そうですね、そこなら悪くない気がします。氏治が寂しがるといけないですから、たまには手紙を出して頂ければと思います」
「……妹を、頼む」
小田朝治は八幡の手を強く握りながら言うと、八幡もこれに応える様に力強く握り返し、しっかりと頷く。
「御意」
その後、小田左馬頭左近少将朝治は八幡に伝えた通り出奔し、北条氏照の家臣となると名を小田野肥後守定久と改め、子の小田野源太左衛門と共に仕え、屋敷を与えられる。そして、後に八王子城の出城である小田野城を任されるのである。
一方、赤松擬淵斎、菅谷政貞、手塚石見守等の親氏治派閥に証拠を幾分握られていることを悟った信太家陣営は、鴉山城に詰めていた信太能登守が名乗り上げ、率先して全責任を負い、小田城にて切腹に処されることで事件は幕を閉じた。
鴉山城に集積された戦需物資は小田家が接収し、戦災復興への補填と八幡の施策への足しとしつつ、一部は信太重成、手塚石見守、八幡等への恩賞として分配された。
この騒動の副作用として、米価高騰に便乗しようとした小田領内の米座や名主層による米の囲い込みが起り、さらなる高騰を見る。
これに対し、手塚石見守は検断権を発動して米価に一斗百三十文の天井を設けるも、違反者は続出。八幡や塚原内記、信太外記等が制札の設置や取り締まりの実務に当たった。
手塚石見守はさらに菟玖波屋へ命じて武蔵、下総、常陸北部や、取引のある奈良とその中継地である伊勢での米穀の調達を行い、天井価格で販売することで天井価格のつり上げを狙う者達への牽制を行った。
また、信太家への懐柔策として、小田家は公には信太能登守の陰謀であったとして一件を処理。加担の嫌疑があった信太一門を不問に処しつつ、蟄居中であった信太庶氏代表である範国の家老職復帰を認め、鴉山城主に補任した。




