第四十四話 実兄の不穏な動き
八幡は田村の魚座にも話を通し、試作船の使用する順序などを決めさせ、それまでは暫しの間各村落に米を直接配給することで話を纏めた。
そして、太兵衛に引き摺られて久々の土浦城に足を踏み入れると、菅谷政貞がにこやかな笑みと共に供応の用意をして歓待した。
「菅谷さん、お久しぶりです。曲輪ではいつになく訓練が盛んで御見それいたします」
「いやなに、某にはそれぐらいしかできることが無いのです。八幡殿の様に器用であれば、もっとこの小田家の窮状を救いようもありましょうが……」
菅谷政貞はやつれた顔がいつになく幸の薄そうな色合いになり、頬はこけた様に影が差して見える。頭を抱える様子からは見るからに悩みがある事を示しており、軍事や外交を一挙に受け持つ小田家随一を争う勲功者とはとても見えない姿である。
八幡は世話になったことに加え、小田家でも一等苦労人である政貞に深く同情しており、この様子を見るなり膝を摺りながらにじり寄り、その手を取って励ました。
「な、何を御謙遜なさいますか! 菅谷さんと赤松様がいらっしゃらねば小田家はとてもここまで持ってはいないでしょう。自信を持ってください」
「忝い。少々気弱になっていたようですな。しかし、小田家の先行きを考えると不安で……」
「そんなこと……範宗殿を誅殺したことを悔やんでいるのですか? 確かに氏治様の外叔父ではあったとはいえ、氏治様を軽んじて我儘な人物であったとか。小田家の芯を強くするために取り除くのは致し方が無かったことです」
「うむ……しかし、酷な事でな。氏治様に窮屈な思いを、寂しい思いを強いさせてしまっているのに、さらに親族までこの手で奪わねばならんのかと思うと、憂鬱でな……」
「……まだ、何かあるのですね?」
八幡は状況を察して唾を飲んだ。信太範宗の騒動はまだ終息したとは言えないのである。
「……実は、土浦のすぐ、低湿地を挟んだ向かいに鴉山城という城があるのだが、そこに信太一門が頻りに出入りしていると聞いてな。対処に困っておるのです」
「えっと、鴉山城となると……城主は小田左馬頭左近少将朝治様ですか。氏治様の実の兄君で……土浦城のすぐ南、信太家の本貫地信太庄の北端に当たるこの配置、まさか!」
「此度は、正真正銘謀反の気配。朝治様は小田家当主を名乗るのに相応しい御方であるし、信太庄を背後に補給を得れば十分戦えてしまう。ましてや、先手を打ってこの土浦を奇襲すれば氏治様に替わり小田当主の座に就くのは必ずしも難しい話ではないのです」
小田左馬頭左近少将朝治とは、氏治の実兄とされながらも家督を相続されず、氏治の家督相続時期には鴉山城主を務めていたが、後にいつの頃か不明で記録の無い謎の出奔を経て北条氏照に仕えたとされる人物である。
八幡は今まで考えもしなかったが、今改めて思えば先代嫡男である朝治が健在であるにも拘らず氏治が家督を相続したことに疑問を抱く。
「し、しかし、そうなると今まで何故氏治様がご当主に?」
「そ、そこは……複雑な事情があるのです。それに、朝治様は欲の少ない方。信太家の誘いに容易に乗るとは思えませんが、この前の騒動があったばかりのこの時期では事態がどう転がるかも計りかねますので」
菅谷政貞は苦虫をかみつぶしたような顔で口を濁したため、八幡はそれ以上の追及を避けた。
八幡は口元に手を当て、暫しの間思案にふける。
(……もしかすると、あの怪文書の出どころは鴉山か。っは! とすると、米価が下がらなかったのも信太家が買い占めているとすれば不思議ではない……頻りに市庭から税を絞り上げているのが資金不足からとするならば、信太家の行動とも合点がいく!)
「解りました。この一件、この自分にお任せください。調べて参ります」
「おぉ、それは有難い。八幡殿、よろしく頼みますぞ」
八幡は部屋を後にすると、控えの間で待機していた太兵衛に廊下を歩みながら命じる。
「太兵衛、人を使って各地の市で食糧を始めとした戦需物資の価格を調査してくれ。俺は各地の関の出入り記録で、これらの物資がどの方角に移動しているかを調べる」
「御意!」
太兵衛は小田城へ戻ると、手勢の農民兵に米、味噌、大豆の三品目をそれぞれの地元とその周囲で物価を調べさせ、これを葵が地図へと書き込んだ。
八幡は太兵衛に送らせた二十余りの手勢を分けて各地の関所を巡らせ、同じく三品目がどの程度、どの方向に関を通ったか出入記録を細かく調べさせた。因みに、調べる方法は各地の関所で徒荷と荷駄それぞれに五文~三十文、物によってはそれ以上だが、これらの品目と徴税額が帳簿上に記録される為、必要な三品目の写しを取りつつ、免税特権を持つ座商人の荷駄については関所役人の記憶と目分量を頼りに記録にしていくのである。
八幡は一日半を掛け調べ上げ、小田城内で新たに造成中の自分の曲輪で地図を完成させた。
この地図にはそれぞれの市庭がある所に三品目の数字、関所のあるところには三品目を合算した量で出入分を差し引きして残った方角に、残った数字の分だけ太く長い矢印を書き込んでいく。南北に続く道の関所であれば、三品目の合計量が荷駄五頭分北に向かい、十頭分南に向かうなら、差し引き五頭分の大きさの矢印を南側に付けるのである。
「やはり……兵糧、味噌、豆が信太庄に大量に流れているな……」
「価格も小田城や土浦城を始めとした一門譜代の主要拠点で買占めが起り、価格が上昇しています。各城の蔵奉行はこれ幸いと残り少ない備蓄米を放出したところもいくつか」
各城の財政を預かる蔵奉行の功績は節約ややり繰りをどれだけ上手くやるかというところに掛かる物が大きく、穀物の価格が上がれば売りに走るのは一種の職業病である。無論、戦や不測の事態を考えるのでそこまで単純ではないが、秋で収穫が始まり本来なら値崩れする時期に高水準で米価が維持されていれば、売りたくもなり、油断するのが人情だろう。
八幡は顔を青ざめさせた。葵の機転で各城の蔵米の情報が城名の隣に分量として載せられた別紙の書類は、小田家が一時的に戦を起こせない有様であることを示していたのである。
「な、馬鹿か! 晩生の収穫で埋め合わせと考えてるのかもしれないが、今決起されれば中生の収穫さえ満足にできないまま戦になるぞ!」
「ど、どういたしますか!? このままでは兵を集めるにも籠城するにも苦難しますよ!」
「わ、解ってる。確実に収穫期を狙って騒動を起こし、籠城すれば収穫中の中生と目前の晩生を全てかっさらわれる。だが、相手は仮にも氏治の兄君だ。迂闊に謀反の噂など立てよう者ならこちらの首が飛ぶ……」
(もちろん、物理的に)
「と、ともかく氏治様にご報告を!」
八幡ははっとして大きく頷き、小田城本丸へと駆け込んだ。女中や小姓衆が止めるのを聞かずに氏治の城主の間の前まで足を運ぶと、額や首筋に脂汗を流し、背筋に悪寒を感じながら呼びかける。
「氏治様! 火急の儀にて急ぎ御目通りを……」
「入っていいわよ」
「は!」
八幡は異様に早くすんなりと通されたことには疑問を挟むことも無く戸を開け、入室し、戸を閉め、正面を向く。
「……え?」
「おや、八幡殿。お久しぶりですね。お元気そうで何より」
「ほう、只の文官かと思えばこれはなかなか鼻の効く」
すると、そこには驚くことに既に信太重成と手塚石見守が座していた。
「八幡も鴉山城の動きについての進言かしら?」
「え、え? え? ぇ、えぇ、まぁ……」
「そう、なら二人の事は気にせず述べてみて」
八幡は二人の顔をきょろきょろと何度も見回し、言っていいことかを悩みながらも、氏治が気にするなという以上はやむを得ずその場に座り用件を伝え、持ち込んだ図面と葵作の別紙資料を広げた。
「各地の戦時需要のある物資の価格と、それぞれの関や問丸、行商人から聞き取りした物資の流れをこの図面に描き起こしましたら、このように信太庄に集まり、小田家中では蔵米の放出まで行われているという事が解りまして……」
「そう、ありがとう。おかげで裏付けになったわ」
思いのほか冷静な氏治に疑問を抱き、八幡は徐々に落ち着きを取り戻す。
「……お二人は?」
「わしは戦の匂いを嗅ぎつけたのよ。どうやら信太庄で牢人の囲い込みが起きておってな。兵具を備えるは近々合戦を行うに相違あるまいが、小田家は暫し大きい戦は予定しておらぬ。信太の単独で南方の土岐を討つには戦力は足らぬし、何より土岐側に戦の気配が無いのは密約か何かがあるのだろうて。ともすれば用意した兵は北に向くだろう?」
「なるほど……行方郡へ攻め込むにしても、今は氏治様が小高の援軍で負けた故兵船の修復も済んでいない有様、ともすれば兵の刃の向く先は自ずと……」
八幡はつい最近見た漁師たちの破損した船の光景を思い出して苦笑いする。
「私は、鹿沼の兄上と連署で蟄居中の長兄範国に不穏な動きありとの進言をすべく参ったのです。恐らく、このままでは長兄を始めとした信太一門の幾つかが合流し、氏治様に叛意を抱く諸豪を糾合した上で、本来の嫡流である朝治様を当主に押し立てて反乱を起こすやもしれませぬ」
既に来ていた両名は各々別の角度、異なる情報から謀反の気配を察知して氏治の下に報告へ訪れたのである。
氏治は暗い顔をして呟く。
「兄上を立てるならば確かに大義名分も立つわね……しかも、戦力だって少なくはないし、後ろを土岐家が支えたとすれば、方々に敵を抱える私たちは押し負けないとも限らない……」
「な、なら一刻も早く討伐軍を興さなければならないのでは!?」
焦り、即刻出陣を促して片膝立ちになる八幡を、手塚石見守が諫める。
「八幡殿、そう急いてはならぬ。それこそ我等小田家の腹を覗き見ようとする輩の思うつぼであろうが。これが他家に仕組まれたならどうする? そちらへ軍を動かす隙を突かれかねんのだぞ。それに、今から急ぎ軍を興したとして、範国殿は我等を警戒しているのだからすぐにあちらも軍を興すだろう」
「そうなれば、この収穫期に多くの兵を必要としてしまいます。籠城でもされて長期戦になれば厄介である上、これを行方郡の諸氏に付け込まれれば同盟勢力の小高家は確実に敗れ去るでしょう。庇護下の武家を守れないともなれば一層求心力を落すうえ、そうこうする間に信太庄で朝治様の勢力が事実上の独立を勝ち得ることになりかねません」
「あの穏やかな兄上が本気で反旗を翻すとも思えないけれど……」
氏治の言葉に何かを思い出す様に手を打ち、八幡は懐から数枚の紙を取り出す。市庭に掲げられていた怪文書であり、確保できた数種類のものを一枚ずつ持ち込んだのである。
「あ、その件なのですが、市井に広まる怪文書をご覧になりましたか?」
「なんです? それは」
「知らないわ」
「そういうものがあるという報告は受けて居る」
氏治、信太重成は首を傾げ、手塚石見守だけは商人司だけあって話は知っていた。しかし、小田家の政治を非難するものとも取れず、商人の阿漕振りを風刺するものと判断して商取引の監視を強化するに止まっていた。
「それが、こちらなのですが、恐らく出所が鴉山城ではないかと」
「菜根譚の一説ね。確かに、兄上の好きそうな言葉だけれど、これがなんで鴉山からだと思うの?」
「鷦鷯深林に巣くうも一枝に過ぎずとか、こういう欲を戒める言葉が度々市庭に立てられているそうで、どれも商人に対するやっかみや嫉妬の類と思われていたのですが、よく見れば一貫して欲を否定するものばかり。それに、制札の出現時期を辿ると鴉山城付近の市から徐々に小田城へ近づいてきているのです」
「……どれも、確かに兄上の好きな言葉ね。筆跡もよく見ると……書いたのは兄上で間違いないかもしれない。それと、今の話、この一貫した趣意を察するに、兄上はやっぱり謀反に加担したくはないのに、担ぎあげられて身動きが取れないのかも……」
氏治は納得するように頷きながら、小さく独り言のように呟く。
「……となると、どういたしますか。いま、鴉山城には大叔父の信太能登守様が入っております故、朝治様の動きは監視されていると見て間違いないでしょう」
「現状を確かめる必要があろうな。しかし、我々は顔が割れているし、この場の話をあまり外に広めるべきでもない……」
一同は唸り、悩む。そして、しばらくの時を待って氏治がその視線を上げた。
「ねぇ、八幡。鴉山城に入れる?」
八幡は一瞬聞き間違えかと思い、無視しそうになる。しかし、場が静かになるのを見てゆっくりと氏治へと顔を向けると、なんと視線が合うのである。
「……ま、まってくれ、俺が、行くのか? ……ですか?」
「いいよ、普通にして。八幡はこのまま市庭の検断を続けて鴉山城下の様子を通常業務として見てくればいいの。その時、何か都合をつけて兄上に面会して話を聞いてきて」
「いや、何か都合って……簡単に言うが、それが一番難しいんじゃないか」
「そ、そうだけど……」
氏治は視線を逸らして口籠る。
信太重成は「あぁ」と呟いて何かを思い出す素振りを見せた。
「そういえば、八幡殿はつい最近田土部へ出張されていたとか」
「え? えぇ、確かに」
「で、あれば政秀様から密書を預かっていたことにしてお会いすればいいのでは? 田土部は信太とゆかり深い土地、丁度外記が出向いていたので内応に誘われていたとしてもおかしくはありますまい」
しかし、この意見には手塚石見守が異を唱える。
「しかし、だとして密書を何故八幡殿に託す必要がある。密書なれば、それこそ側近の酒井殿や桜井殿に預けて鴉山に走らせるであろう」
「そこは頭の使いようです。密書を側近が密かに持ち込めば“らしさ”が過ぎまする。しかし、何も知らない八幡殿に小包の荷を運ぶように依頼し、葛籠の底を二重にして密書を封ずるとかすれば、八幡殿に持たせるのは我等の目を欺くためと理解できましょう」
信太重成の策に氏治と手塚石見守は納得を示し、大きく頷く。
「そうね。重成の言うとおりだし、それが一番良案だわ。八幡、これならお願いできる?」
「……了解……」
「がっははは! 八幡殿。くれぐれも不審な振る舞いをするでないぞ? 貴殿では城から脱するのは無理だろうしな」
「く、くれぐれも気を付けますよ……普通に振る舞ってれば、それこそ怪しまれない筈なんですから」
笑いながら背を叩く手塚石見守の剛腕に気合を注入されながら、笑う膝を冷え性と言い聞かせ、震える肩を武者震いと開き直りながら八幡は小田城を発った。




