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第四十三話 霞ヶ浦帆曳舟

 戦に明け暮れるような日々が過ぎ、夏を越えると田畠は早くも実りの色を見せ始め、気の早い秋虫の鳴き声が田畠に響き始める。時折残暑を感じる日もあるが、それも夜になればすっかり住みよい心地である。


「黄金色の田畑は美しいもんだな。ようやく収穫って感じだよ」


中生(なかて)の収穫期ですからね。白田(はくた)や野山にも実り多く、この時ばかりは民の顔も穏やかになります」


 八幡と太兵衛は城の土塀に上り、小田城を取り囲むように広がる田畠を眺め、豊かな実りに心地よさを感じながら感想を漏らす。

 しかし、そのすぐ側らでは葵が暗い顔をして呟いた。


「まぁ、その穏やかな顔も年貢を徴収されるまでのほんの一時ですけどね……」


「……なんか、ごめんな」


「い、いえ、すみません! 私なんかが余計な口を……」


「謙遜しなくていいって。極楽寺でも家でも日々勉強に励んでるそうじゃないか。顕然様からも物覚えが驚くほどに早いと褒められてたぞ」


「そ、そんな。解りやすくお教えくださるからです。皆さんも様々な事を教えてくれますし」


「近いうちに文書業務も手伝ってもらえそうで楽しみだ」


 八幡はすくすく育つ少女の実りに大いに期待を寄せて楽しげに笑う。

 葵は城仕えしてから女中衆に軽んじられて除け者にされたおかげもあり、多くの余暇で読み書きそろばんを日々学び、八幡や太兵衛の仕事を手伝いながら実務経験を積み続け、僅かな期間で驚くべき成長を遂げた。

 物覚えは偶然にも元から才能があったにせよ、その努力も人一倍する真面目で努力家な性格、粗末な境遇から脱し、身寄りのない弟妹を養わなければという立場からハングリー精神を発揮したことも能力向上の一助となっていた。その上、小田家当主である氏治に教えを授けるほどの学僧であった顕然に学んでいればその力、向上しない方がおかしいと言うものであった。


「八幡様、楽をしたいだけではないですよね?」


「た、太兵衛、野暮な事言うなって。これだけ日夜頑張れば少しぐらい休んでもいいだろう?」


 冷ややかな目を向ける太兵衛に、八幡は動揺しつつも本音を漏らす。八幡もつい最近までは家中で自分の立場を作るために寝る間を惜しんで仕事をしていたのだ。疲労も蓄積し、心身ともに限界に近く、優秀であれば幼女の手も借りたくなる心境に無理はなかった。


「まぁ……しかし、調子よく出世できているこの流れを逃すべきではないですからね。もう一頑張りも二頑張りもしていただかねば」


「て、手厳しいな……しかし、秋だというのに残暑がこう厳しいのはなぜなのか。過ごしやすくなると思ったのにやる気が失せる……まだ温暖化でもなければ、寧ろ寒冷期の時代とかじゃなかったっけか」


「オンダンカ?」


 葵は聞きなれない言葉に首を傾げるが、太兵衛は八幡が時折理解しがたい言葉を会話に混ぜるのにも慣れているのか、気に留める様子も無く話を続ける。


「まぁ、確かに今日は珍しく熱いですね、この時期にしては。でもまぁ、こういう日もあります。


 太兵衛は目元を覆う様に額に手をかざす。

 雲一つない晴天の秋晴れは眩しい程の日差しを大地に降り注がせていた。

 八幡はハッとした様子で夏にやり損なった心残りを思いだし、暫し思案して後に決心するような真面目な表情で言い放つ。


「そうだ、霞ヶ浦へ行くぞ。田村の魚座の件に関しても解決せにゃならんしな」

(あと、目の保養)


「霞の浦ですか? どこへ?」


 二人は相身互いに首を傾げた。


「何処って、どういう事だ?」


「霞の浦は高浜の海、佐賀の海、信太の海、行方の海の総称です故、どこに行くのかと……」


 当時、霞ヶ浦は霞の浦と呼ばれ、高浜の海、佐賀の海、信太の海、行方の海を含む一帯を言った。しかし、これも鹿島灘を指す外海に対する内海の一部であり、下部の流れ海には佐賀の海、信太の海、浪逆の海、香取の海、榎浦、安是の湖等が含まれ、さらに北浦を合わせて現代の霞ヶ浦が出来上がる。


「えっと……土浦の方へとりあえず行きたいし、信太の海か佐賀の海辺りかな?」


「御意。ではすぐに支度をしてまいります」


 八幡自身も古い地名では細かい場所が解らないが、地元民だけあって大よその見当を付けて適当に答える。




 馬に乗れない葵は城で留守を任せ、八幡と太兵衛は二人で霞ヶ浦へ向かって馬を馳せさせた。

 そして、仁王立ちで期待の眼差しを海へと向ける。


「……ま、想像してたけどな!」

(あぁ、野郎どもしかいねぇ。目の保養どころじゃねえ!)


 八幡は絶望の色を浮かべて項垂れながら大きく溜息を吐く。

 太兵衛は首を傾げて尋ねる。


「どうかなさいましたか?」


 しかし、八幡は太兵衛の問いかけが耳に入る様子無く俯いて呟いた。


「何が悲しくてこんのクソ暑い日に、ムサイ筋肉野郎どもの裸を眺めにゃならんのだ……ったく、この時代なら水着もないし、あわよくば……って、ちょっとは思ってたのに」


「な、何やる気無くしてるんですか」


「もういいや、帰るぞ」


「え、いや、ちょっと待ってください、魚座の解決は!? それに、ここまで来たのですから政貞様への挨拶もしなければ!」


「あぁ、そういえばそんな用件だったな。先に城へ行って会いに行くと伝えてくれ」


「そんな、適当な……まぁ、承知しました」


 太兵衛は呆れるようにため息をつきつつ、すぐに土浦城へと馬を走らせた。


 八幡は菅谷政貞は一城主という事もあり、すぐの面会は無理であろうと踏んで暫し海沿いを散策し始める。


「さぁてっと、一休みしてから……ん?」


 しばらく歩き、小さな社の木陰で休もうとした丁度その時、霞ヶ浦から強い海風が吹き、思わずそちらへ目を向けた。そして、そのまましばらく霞ヶ浦を眺めて足を止めた。


(なんか、見知った船と違う形だな)


 内心で呟き、首を捻る。


 現代に居た時の課外学習で霞ヶ浦の漁業の歴史を学んだ時、木製の漁船に帆が有ったのをはっきりと覚えている。帆の在ると無いとではその印象は全く違うものであり、見間違えようがない。

 しかし、眼前にある船は低速で、平衡感覚を保つのに気を配りながら随分のんびりと網を曳いている印象を受けた。


(帆引き船とまるで違うな……すっげぇ効率が悪そう)


 帆引き船とは明治時代に白魚漁を目的に作られた特殊な仕組みの船で、その後百年間霞ヶ浦漁業の花形としての活躍を見せ、一世を風靡した漁船である。

 これは、帆に風を当てることで船を横に流して漁をする。

 漁法は打瀬網漁に似ているが操業方法が異なり、帆下駄からのつり縄が重要になる。これを用いて凧の原理で船を動かし速い速度で力強い漁を行うもので、凧の原理を応用し船を横に流して漁を行う、世界唯一の漁船と考えられる。


 八幡は腕組み立て肘で考え事をしつつ、何気なく海岸へ向かう。

 すると、浜で休憩していたらしいガタイのいい漁師が声をかける。


「なんだアンタ、漁に興味でもあるのかい?」


「あ、いや」


「だがやめときな! あんちゃんみたいなひょろひょろじゃ網を曳いたらすってんころりん海にドボンよ。諦めな!」


 ガタイがよく、若干の厳つさを持つ漁師は、破顔し豪快な笑い声を空に響かせながら、八幡の背中をバシバシと大きく叩いた。

 八幡は嫌がるようにして払いのけようとするが、上手くいかずに顔を顰める。


「いや、痛い、痛いって、叩くなよ馬鹿。いやてか興味ないって。ただ、随分面倒なやり方してるなって思ってさ」


「あぁん? 面倒なやり方?」


 漁師は腕組みして首を傾げた。


「あぁ。あの船じゃ小さいうえに平衡感覚を保つのに力を使って、思いっきり網を曳くこともできないだろ?」


「おいおい……あんちゃんはどっかのボンボンか? 漁なんてのは大船主でもなけりゃみんなあんなもんだよ」


「そうなのか。あれくらいの大きさで、もっと効率よく、少ない人数であれ以上の漁獲量を確実に獲ることができる船があるんだが……」


 後半呟くようにして八幡は言った。自分もその道に詳しい訳ではないから、断言するのを少し躊躇ったのだ。

 しかし、漁師にはそれがかえって上手い話を途中で隠されたように感じ、その興味を惹くのだった。


「あぁ? ははは……そんな冗談みたいな話……いや、あんた、上方から流れてきた商人か何かかい?」


「いや、違うが知識的にはそんなもんだと思ってくれていい」


「ほう……身なりもまぁ悪かねえ、もしかして、学僧学者か何かかい?」


 漁師は先ほどまでの、半ば馬鹿にしたような例のない態度をさりげなく改め始めた。そして、品定めをするように鋭い目つきで身形から顔つき、その表情を観察する。

 しかし、この間には態度も普通にし、表情はパッと見笑っているように見せ、人間観察をしているとは悟らせない様に気を使っていた。


 八幡はそうとも知らず、気に留める様子もなく船を眺めていた。


「あ、八幡様! こんなところに居られたんですか!」


 そこへ、菅谷と面会の話を通してきた太兵衛が駆け寄り、馬を降りる。

 すると、その時の言い種が気にかかったのか、漁師は太兵衛にガンを付けて眼前に肉薄する。


「おい、なんだテメェ、漁場をこんなとこたぁなんて言い様しやがる!」


「なんだお前。武士に喧嘩を吹っ掛けようとは言い度胸だな」


 八幡はその様を見てケラケラと笑うが、漁師は今にも掴みかかろうという空気だ。


「は、海の男にそんな些細な事……まて、武士……? 身なりも粗末じゃねぇし、菅谷様の所のお武家さんか?」


「うむ。前までな。今は氏治様の近習となられたそこの御方の護衛を務めている。いわば氏治様の陪臣だ」


 漁師はハッとして一歩下がると、領主の菅谷、さらにその上の氏治に敬意がある様子で、そっぽを向くと頭を掻きながら引き下がる。

 八幡はそれを、物珍しく感心するように眺めた。


「ぐぬっ……そういう事なら仕方がねぇ。刀如き恐れやしねぇが、氏治様と菅谷様にご厄介掛けるのは斬られるよりもツレェ。……ん? 氏治様の近習?」


「あぁ、そこの腕組みをなさって居られるお方だ」


「な、なんだって! あんた、侍なのかぁ!?」


 漁師が八幡を二度見し、驚いて目を見開きあんぐりと大口を開けると、八幡は照れた様に首をかいて微笑む。


「なんだよ恐れ多いか敬うな照れるじゃないか」


「いいとこ商人にしか見えなくて驚いたぜ!」


「……あ、そう」


 八幡は漁師に視線を向けたが、その焦点は漁師を見つめておらず、どこか遠い目をして呟いた。

 漁師は、八幡が氏治の近習と聞くや、すっかり態度を変えて頭を何度も下げた。


「これは失礼しやした! うちの船に興味がおありなら、もっと近場で見学して見せましょうか?」


「なんだ、乗れるのか?」


「へぇ、今あそこと、すぐそこで漁をしている船はうちの船でして。船だけ見るなら、今ガタが来て修理しようとしてる船も一つありますがね」


「あーそうか。なら、修理する方だけ見せてくれ」


「へい、どうぞこちらになります」


 とんとん拍子で話を進め、漁師は案内しますと言って手を差し出して先導し始める。

 八幡がその後に続こうとすると、太兵衛は慌ててそれを呼びとめた。


「え、八幡!? 菅谷様へのご挨拶は!?」


「ごめん、もっかい太兵衛使いに行ってきて。遅れるからって」


「え、ま、待ってくださいってぇ!?」


 八幡は笑いながら手をひらひらと振ると、押しとどめようと手を伸ばす太兵衛を無視して漁師の背に続いてその場を後にした。


 太兵衛は大きくため息をつき、足元の小石を拾うと、全力で霞ヶ浦に投げ込んだ。




 漁師は、粗末なあばら屋のような倉庫に案内すると、引き戸を開けて中へ入り、両手を広げてどうだと言わんばかりに見せつける。


「ほう、これが……」


「へぇ。これです。うち一番の大船で」

 

 八幡は船の大きさに一瞬驚く素振りを見せるが、それも一瞬で、すぐに正気に戻り頬を引きつらせる。

 自慢げに見せる船は確かに大船であるが、各所破損が激しくとても水に浮かびそうもない姿なのである。見るからに、氏治による小高氏救援の出兵が失敗した時の被害であった。


「……廃棄して作り直した方がよくね?」


「まぁ……悩んでいるところでして」


 漁師は苦笑いで返した。

 八幡はため息交じりに苦笑いし、後頭部を掻いた。戦災にはこの時代でも多少の補償は存在するが、弁償するほどのものは少ない。まして負け戦である。当然、安銭を渡されてそれ以上は手が回らずに放置されているであろうことは目に見え、八幡は自身の不手際ではないながらも罪悪感を覚えたのである。


「わかった。今度、新型の帆引き船ってやつの設計図を職人と練って来てやるから、これを改修するか、廃材にして新造するか決めといてくれ。予算の見積もりも早い所ださせるから」


「おぉ、これはありがたい!」


「といっても、俺も船の専門家じゃないし、複雑な構造じゃないから大よその形が解るってだけで、試作しながら改良の必要がある。あんま期待しすぎるなよ」


 漁師は大きく笑って了承した。八幡も態度が変わったのはこの展開を期待してだと理解したが、あえてその下心に乗ることにした。それが、お互いにとっての利益となるからである。


 この後、帆引き船は少人数で運用でき、多くの魚を取ることができる事から霞ヶ浦一帯に普及し、敵対他家もしばらくの間を置いて技術を盗み取り運用するようになる。八幡はこれを見て開き直り、帆引き船を周囲の家にも遠慮なく売り払った。また小田家からは増えた分の漁獲高の一部を徴収する許可を得分として認められ、一船二十文を漁の度の税と貸し賃として取り立てる事とした。

 帆にするためにも、多少質が悪くとも纏まった木綿が必要となり、木綿栽培は一層の奨励が行われ、霞ヶ浦の漁船は川舟に転向できるものは土浦城菅谷政貞と常名(ひたな)城菅谷治貞が買い取り、河川輸送船として公用物資の輸送や兵船として利用するべく再編成されていく。


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