第三十三話 戦場の空気に当てられて
「い、飯塚殿!? 何を!」
「その男は何なのですか! とても鑓働きに長じるとはとても……!」
「平塚殿の足を引くに違いありませぬ! 戯言を申されますな!」
諸将の反論を飯塚美濃守は意に返す様子も無く、ニヤついた表情を崩さずに淡々と言葉を続けた。
「いやなに、手塚からこの男の話はしばしば聞いておるのだ。なかなか機転ある気の回る男だそうでなぁ。そのくせ癖の薄い小男だ。何かと扱いやすく都合もよかろう」
(それに、縁戚の無いどこの馬の骨とも知れぬ若造が一人死んだ程度、何の不都合もない。寧ろその程度の犠牲で戦場を切り抜けられるなら安かろうて)
「そ、それは……」
飯塚美濃守は家中の嫌われ者ではあったが、どういう訳か手塚石見守とそれなりに親しい間柄であるというのも周知の事である。
手塚石見守は荒くれたガサツ者と言う評判に加え、部下は度々乱暴狼藉を働いて目に余るものがあるという評価がなされていたが、その武勇と男気や忠誠心は信頼に足るものがあり、四天王の地位も相まってその言葉に耳を傾けないものはいなかった。
手塚石見守の言葉に加え、この飯塚美濃守自身もまた四天王となる程の男である。これ程の言葉が重なれば反感を抱く諸将も言葉を控え、互いの顔を見合わせた。
「この天羽源鉄、飯塚殿の言葉に賛同いたそう」
「はぁ、はぁ? はぁ? は?」
(ふ、ふっざけ! 俺なんぞが何の役に! 無駄死にするだけだ!)
詰め合わせた一同は一様に驚きの表情を浮かべた。
天羽源鉄斎までもが同調するとは思わなかったためだ。
ここまでくれば異を唱える者もいない。
一瞬の無言の間が空き、静寂の中で当然平塚長信が笑い始める。
「ははは、はっはっは! これは心強い! 手塚殿が誉めそやすほどの御仁ならさぞ頼りになろう。なぁに、危険なところは全て某にお任せあれ。八幡殿は自由に気を楽にしてくださればよい」
「ま、待ってよ! そもそも私はあなたたちが殿をする事なんて許してない! ましてや、そこの男は初陣で、とても……これじゃまるで……」
平塚長信が笑いながら状況の理解の追いつかない八幡の肩をバシバシと叩き、さりげなくそのまま両名が殿をする流れに持っていこうとするが、氏治は納得せずに再び食い掛かり、目に涙を浮かべて両名のことを「捨て駒のようだ」と言い放ちそうになり、直前で口を噤む。
平塚長信は氏治の優しい思いを理解し、八幡を正気に戻す様に強く背中を叩きながら氏治へ快活な笑みをかける。
「氏治様。その点はどうぞご安心召され。平塚自省長信、必ずや八幡殿を生かして氏治様の下へお返しいたしまする」
「べ、別に私のものとかって訳じゃないけど! ただ、訳も解らずに初陣で若くして討ち死になんて哀れに思っただけよ!」
氏治は顔を隠す様にそっぽを向き、拳を握りしめる。
八幡は平塚長信の決意と男気、そして氏治の思いやりに触れるにつれ、不思議と先ほどまでの恐怖感は薄れていた。
八幡は馬を前に歩ませ、一同の前へと出ると深呼吸してから口を開く。
「……解りました。平塚殿の御覚悟に感服です。私ごときで宜しければ是非ともお供させていただきたく思いまする」
(なんで俺はこんなこと言っているんだろ……)
氏治は目も口も大きく開いて驚愕した。素人目にも窮地であり、敗軍の殿は難しい上に、今の状況を考慮すれば死地以外の何者でもない処へ、初陣の戦素人が今まさに踏み込もうというのである。
「自信は……あるのね?」
氏治の問いかけに、八幡はぎこちない笑顔で答える。
「もちろん」
「……必ず、生きて帰ってきてよね……」
氏治は不安や期待、罪悪感の混じる複雑な表情でそう命じた。
その内心は、家族のように大切に思う家臣領民に比べれば、何処の馬の骨とも解らず、不審で、初対面から何かと気に食わないこの男が身代わりになるなら棚牡丹だと考える一方、そんな醜い考えを一瞬でも考えてしまった自分への怒り、そして結局任せてしまう事への罪悪感、自分の無力さへの失望。
そして、僅かに、真剣に八幡への興味が湧き、心配する情と期待する思いを込めたものであった。
「心配ないさ。任せとけって!」
そんな思いを織り交ぜた表情、眼差しを受けた八幡は思わず豪気に笑い、胸を叩く。
こうして八幡は、初陣という晴れ舞台がいきなり撤退戦の殿ということに決まる。
殿とは、戦場に於いて尤も死傷率の高い役割で、軍の最後尾を引き受ける事である。古代から近代、現代にかけても戦争に於いて一番難しいことは撤退であると言われる。この撤退に於いて、本軍が引くための負担の一切を請け負う殿という任務は、素人考えにも容易な物であると思える筈がなかった。
氏治の命令によって馬上で弓を扱える兵が全軍から集められ、各将もしぶしぶ応じ、小計百の弓騎兵が集まった。合計して百五十である。
氏治が出来るのは此処までと、息を付き、撤退を指揮し始める。その最中、弓騎兵と自前の弩を装備した農民騎兵の軍勢を連れ、馬首を返す男の背をしばらくの間眺めた。
「源じぃ、彼は……生き残れるかしら……?」
「どうでしょうなぁ……」
天羽源鉄斎の無責任、無感動な発言に氏治は動揺し、少し苛立ちを交えて上ずった怒声を響かせる。
「な、何も考えずに彼を死地に送り出したって言うの!? そんな無責任なっ! 私は戻るわ!」
しかし、天羽源鉄斎は人の良い笑みを浮かべるだけである。
「何を仰いますか。考えなしに物事を行うなど、この長き生に於いて一度も御座いませんぞ」
「じゃぁ、なんで……」
「あの方は、きっと生きて戻られる。仏の導きと加護がきっと御座います。……まぁ、それに、仮に生きて帰れないのであれば、所詮そこまでの事。遠くない日に、戦場の屍となりましょう」
「……私、源じぃのそうゆうところはキライ。どう見ても鑓働きに長じた風貌ではないじゃない」
「ほっほっほ! まぁ、任せてみましょう。あの方逃げ足は速そうではありませんか。この世で逃げ足に勝るものはありません。何せ乱世です。最後まで生き残る、それだけで人生の勝ち組と言うものに御座いましょう」
「……そうね。そうなれれば、よいけれど」
小田勢は退却をすると一度決めるとその動きは早く、瞬く間に軍勢の大部分が結城勢の追撃を躱して撤退を完了させる。戦場に残るのは八幡隊とその加勢の騎兵百騎に加え、独立遊撃隊としての加茂兵蔵三十名、平塚自省長信率いる百五十名を合わせた総勢三百三十余名となる。
そして、氏治含む諸将が場を離れると一人の男が八幡に近づいてくる。
そう、この者こそ平塚自省長信であり、中年でありながらも上下で均一感のある筋肉美を持つ、がっしりと体格。普段は農作業でもしているのかというほどに焼けた、褐色の肌から放たれる圧迫感は怒鳴られずとも後退さるほどに気迫がある。
平塚自省長信は一歩、また一歩と馬を近寄せ、素手が届く距離にまで近づくと、突如として満面の笑みで手を差し出す。
「死地へようこそ!」
差し出された手を握ると、手を握りつぶすような力で気合を入れんとばかりの握手をする。
どことなく嬉しそうな平塚長信の顔を見ながら、八幡も挨拶を交わす。
「初陣の若輩者故、頼りないかもしれませんができる限りの支援はいたす所存。よろしくお願いします」
簡単な挨拶を交わすと、二人は馬首を最前線へ向けて走らせながら僅かな間の交流を楽しむ。
「ほう! 初陣ですとな? それはよい、実によい! 晴れ舞台ではござらんか!」
平塚は歯を見せ、輝かしい笑みを浮かべて言うと、最後には戦場だというのに似つかわしくない大笑いをして見せた。
「ずいぶんと楽しそうですね……? それに、死地とわかっているのにそこまで明るく振る舞うことができるとは……流石は歴戦の猛者。尊敬致します」
駆けながらだと馬蹄の音が会話を邪魔することもあるが、それを差し引いても、一対一で話すにはあまりに大きな声で豪快に平塚は話す。八幡も、それがただ強気に振る舞っているというわけでもないことを感じ取り、心の底から尊敬の念を伝える。
「はっはっは! そう褒めちぎられると照れて手元を狂わせまする。どうかご容赦くだされ。それに、死地でこそ将というのは明るく振るわねばなりますまい。そうせねば、将の心情というのは兵に伝播いたす故、士気に大きくかかわりますからなぁ! はっはっは!」
「さすがの心構え。そのお言葉肝に銘じておきます」
(なるほど……やっぱり俺は生粋の歴史好きなのか……無名の武将である平塚さんがどんな生き様なのか、歴史の表で語られない影の英雄を見たいって思ったんだろうな……)
八幡は、自身の仕様もない所にばかり傾けられる決意を軽く鼻で笑った。
焦りや不安が薄まってもなくなったわけではない。自分がどの程度生き残れる確率があるかなど打算的な考えも含めたうえで、この平塚という人間を見たいという欲望が勝ってしまっただけである。戦慣れした玄人といった風貌を平塚が備えていたことも、八幡が此処に残ろうと思う一端となったであろう。
「そういえば、最近民政の場で活躍目覚ましいとか。それに、幾度かの小田城奪還戦では兵粮管理をなさって居ったのでありましょう?」
「え、えぇ。しかし、私の働きはそこらの文官と然したる違いなど……表立って話の種になるようなものでもない筈」
「なに。噂話に聞いた程度。他にも、いくつかの改革を通じて小田家に貢献したとか。失礼ながら、最初は臆病な文官風情が、氏治様に取り入ろうと小賢しいことを思いつきよると思うたのですが、その実違いましたな!」
「どういう、意味でしょうか……?」
「いや、貴殿は最近部下を持ったばかりの新興武家と聞く。頼れる家臣も持たない中、そして常に普請関連の仕事をこなす中で、しかも安銭の頭数だけの兵をよくぞ戦場に立てるまでに仕立て上げた。それだけで武将の資質は十分窺い知れるというものですがな、初陣にもかかわらず此度の退き口へ僅かな兵で名乗りを上げるその度胸。御見それしましたぞ!」
猛将の嘘偽りなくさっぱりとする清々しい褒め言葉に、八幡は柄にもなく照れて顔を赤らめ、鞍を持っていない手で後頭部をかく。
「ふふ、それは買いかぶりすぎです。貴方のような猛将にお褒め戴けるのは光栄ですが、それは私の戦いぶりを見てからでも遅くはありますまい」
強気に出て不敵に笑う八幡の姿がツボに入ったのか、平塚はしばらく馬上で笑い転げた。
「ふはは、さて、そろそろ参りますぞ?」
「心得た!」
そして二人は、三百弱の軍勢で結城家、小山家の合勢に立ち向かう。




