第二章:遠き場所よりきし者は
セイラ王女のために用意されたのは日当たりの良い部屋で、白を基調とした家具でそろえられており快適な空間だった。
寝室の床には踝まで沈む絨毯。
寝台は二、三人が横になっても平気なほど大きく、クローゼットでも十分に生活できそうなほどだ。
セイラの寝室から直接向かうことができる部屋はどうやら侍女の部屋らしい。
見慣れない花や調度品がしばしセイラの目を楽しませていたのだが、ものめずらしいものに心が沸くのにも限度がある。
同じ部屋にずっと閉じ込められていては、初めて部屋に通された時、珍しかったものが退屈の象徴にしかならなかった。
あの扉の向こうには、もっと見たことの無い不思議なものがたくさんあるというのに!
「暇だよぅ」
セイラは長椅子の上にだらしなく伸びた。
ニキに外出を禁じられて三日がたった。
初めての異国を前に、ずっとお預けを食らっている状態なのだ。
ニキがどう言いくるめたのか知らないが、未だにケイトと彼の数人の部下にしか出会っていないのだ。
誰かに会いたい。話がしたい。心ゆくまで雪を堪能したい。
「暇!」
ハナは通常の侍女の仕事をするために自由に部屋から出入りできるのだ。
うらやましい。
ニキからは誰にも顔見世をしていないのだから、ふらふらとさ迷い歩いていたら不審者扱いされますぞと強く言われたが、手持ち無沙汰なのはいかんともしがたい。
「ん~……そうだ!」
セイラはクローゼットを開けて飛び込んだ。
確かここら辺にあったはず。
エスタニアでは婦人のたしなみだといくつか持たされたものがある。
おしゃれには疎いセイラには必要ないだろうと思っていたのだが案外役にたつかもしれない。
「どっちがいいかな? 黒かな」
ドレスに会わせ髪色を自在に変えるのが今のエスタニアの流行だ。
明るい茶色と黒ならばどちらがいいかと迷いつつ、無難な黒に決定。
瞳の色と良く似合うだろう。
後は服。
ハナは居ないとは分かっているけれど、すり足で忍び足。
そんなことしなくとも上質な絨毯が音もすっかり包んでくれるだろうけれど、気分の問題だ。
ほんの少しでも後ろめたさがあるとどうもコソコソとしてしまう。
心の中で謝ってハナの侍女服に腕を通し、黒の鬘をつければ立派なエスタニア式の侍女に早変わり。
遠めに見ればハナと区別はできないだろう。
邪魔にならないように髪を纏めれば完璧だ。
「この恰好なら怪しまれないよね」
セイラは部屋を飛び出した。
冷たい空気が頬を撫でていく。
さぁ、冒険の始まりだ。
部屋から飛び出して真っ先に目に付くのは飽くことなく降り続ける真白な雪のカケラだ。
エスタニアでも雪は降るのだが、これほど降れば何十年に一度の大雪だと騒ぎになってしまう。
侍女服を着ていることなどすっかり忘れ去って庭へと出たセイラは天に向かい手を伸ばした。
手のひらにふわりと落ちた雪の華は体温ですぐに溶けてしまう。
次から次へと落ちる雪をあくことも無く捕まえては溶かしてを繰り返す。
指先と鼻の頭が赤く染まる頃、白銀の世界に自分以外のものがいることに気がついた。
雪に紛れておぼろげな幻のように見える。
森の中で見たあの白い人影。
ジュドーは闇人と呼んだが、どうにもその名は似合わないような気がした。
(冬の化身かしら)
セイラがそう思っても不思議ではなかった。
視線の先にいる人物は処女雪のような真白な髪をしていた。
降りしきる雪に飲まれてしまいそう。
食い入るように見上げた先には何があるのだろう。
好奇心がぐすりと動く。
近寄ろうとした時、冬の化身と視線があったような気がした。
白い風景の中はっとするほど美しい赤い瞳。
ほんの一瞬きの間にその姿は掻き消えた。
本当に幻だったのか。
人影の居た場所に急げはばそこには一人分の足跡が残されていた。
さくりと踏めば、セイラの足より随分と大きい。
「雪、好きなのかな?」
同じように頭上を見上げてみても見えるのは雪ばかり。
答えをくれるのは降り積もる雪に消えかけようとする足跡一つ。
背の低い木に隠れるように裏へ裏へと進んでいる。
急に姿が消えたと思ったのは、この中へ分け入ったせいなのだろう。
辺りをつけるとやいやぁと飛び込んだ。
もう一度、あの赤を見てみたかった
建物を回りこむようにしてしばらく歩いていたら、足跡がぱったりと消えてなくなった。
「あれ? どこに行ったんだろ?」
まるで後ろからつけていることに気がついたかのように急に消えたのだ。
周りには足を乗せることが出来るものもないし、まさか建物の壁を這うことなんて出来ない。
空を飛んだ?
いやいやあんなに綺麗なものが飛んできたら絶対に注目の的だ。
溶けたのだろうか。
雪のように。
「えぇ~どこ行ったの? ねぇ!」
答えなどあるはずも無い。
このまま帰るのはなんだか癪なので、そのままずんずんと進んだ。
足跡が行き着くであろう先へ。
意地になって歩いていたのも数分のことで、吐き出す白い息の向こうに、今までの建物とは趣の違うものが現れた。
ドーム状の屋根を持つ青灰色の建物は静まりかえっていた。
レリーフの施された扉は見上げるほどに大きい。
ほんの少し力を込めてみれば扉はすんなりと開いた。
ひょうと風が頬をかすめ、瞳を閉じたのは一瞬のこと。
開けた視界の中に現れた世界に息を飲み、吐き出した息が音になったのはしばらく経ってからだ。




