第一章:はじまりに続く道13
「独断が過ぎませんかな。ハマナ殿」
重たい雪雲を抱いた空を見上げていたハマナ・ローランドがゆっくりと振り返る。
こう寒いといけない。
体の節々が痛くて動きが緩慢になってしまう。
昔は何かする時に躊躇することはどなかったというのに。
ハマナは自分を見つめる未だ雄雄しい人物を眩しそうに見やった。
先王ロードの右腕と称えられたレイドス・リブングル。
この男の体はいつまで経っても衰えを知らないように思えるときがある。
眼光の鋭さは時を経るごとに増し、しなやかさを脱した体は鋼のように研ぎ澄まされている。
その姿に血の繋がりなどないと言うのに先王の姿が重なった。
若くして亡くなったロード王が存命ならば、きっとこの男のようになっているだろう。
ハマナは体を預けている杖の柄に触れた。
そこに施されたマルスの紋章に触れるのは、深く考えるときの癖だ。
無意識に指先が伸びるほど、レイドス・リブングルは一筋縄ではいかない。
下手すればローランド家、リブングル家の二大貴族の争いにもなりかねないため、言葉は慎重に選ぶ必要があった。
薄く微笑むだけのハマナに痺れを切らしたのはレイドスの方だった。
「このたびのエスタニアから王女を娶るという件です」
「レイ。そなたは婚姻による和睦はお気に召さないかな。一滴の血を流れずに達成できる偉業だと思うがね」
「本当に血が流れないとでも?」
「少なくともアーネスト河が赤く染まることはないだろう」
アーネストはアリオスとエスタニアの国境となっている河だ。
両国の仲が悪くなると一番最初に緊張感がはしる場所。
幾度となく血に炎に彩られてきた河だが、しばらくの間は平穏になるだろう。
互いの国の本音と建前がどれほど違うとしても。
それがどれほどの間、継続できるかは賢人と言われるハマナをもってしても言い当てることは難しい。
アリオスもエスタニアもお互いを食いつぶしている時間も労力も無い背景を十分に理解しているが、レイドスは苦々しい表情のままハマナへと詰め寄った。
問題はそこではないのだ。
「なぜあの娘なのです?」
なぜ名も知られておらず、有力な後見人もいない第8王女などを選んだのだ。
納得の出来る理由を探ってみたがどうにも見つからなかったのだろう。
「本当に王女かも分からぬ娘です。王女ならば他にもいたでしょう」
セイラ王女は王女としての功績は何一つ無い。
それどころか公式の場所に出たことさえないのだ。
レイドスが危惧するのも不思議ではない。
「なぜ、あの王女を選んだか。それは……私にも分からない」
「分からない? ふざけているのですか! あなたは確証もなく、アリオスを託すつもりなのか」
「レイ。勘違いをしてはいけないよ。一国を支えるのがたった一人の少女であってはならない」
レイドスは目線一つで圧倒された。
五元帥の一人となり、直接軍部に関係しなくなったハマナ・ローランドを老いたと嘆くものがいるが何が老いたことか。
その眼光は月影を預かっていた頃と全く変わらない。
痛めた体は枷となったが、その頭脳には駆けった大地より多くの世界が息づいている。
誰かが老いと称したものは、ハマナとレイドスの間にある決して埋まらない溝なのだ。
どれほど生き急いでも到底追いつけない。
この人の前だけではいつまでも青二才のような気がして恥じ入るばかりだ。
「アリオスを支えるのはお前であり私であり、アリオス全てのものの義務だ。彼女はたった一つのきっかけに過ぎないのだ。鍵だよ。レイドス・リブングル。扉を開けるのも外に出るのも我々の仕事なのだ」
レイドスは言葉を失くして立ち尽くした。
「そのついでにあの子の鎖を解いてやってもいいだろう。あのまま朽ちるには哀れだ」




