聖獣様との話し合い
とにかくこの耳と尻尾が邪魔だ。
アルフレッド様が帰った後、話し合いをするためにすぐさま自室に戻った。
居心地の良い長椅子に座わり、聖獣様をテーブルの上に置く。部屋で控えていた侍女が静かにお茶を出した。
わたしの前と聖獣様の前に。聖獣様の体の大きさにあうカップがなかったのか、ミルクピッチャーにお茶が注がれた。
それもまた飲みにくいのでは、と思わなくもないが、聖獣様は気にすることなく、器用にミルクピッチャーを傾けてぴちゃぴちゃと舌を使って飲んでいる。しばらくその様子を見ていたが、支障はなさそうなので放っておくことにした。
わたしも一口、お茶を飲んでから聖獣様に声を掛ける。
「聖獣様」
『なんだ?』
聖獣様はミルクピッチャーから顔を上げた。お茶が髭についていて雫になっている。すかさずそれを侍女が優しくふき取った。何から何まで面倒をかけているのにもかかわらず、気にしないところが流石聖獣様だ。人々に傅かれることに慣れている。
「聖獣様、この耳と尻尾、とりあえず消してください」
『何故だ。とても可愛らしいのに』
少し拗ねたようにツンと横を向く。どうやら聖獣様にとってこの耳と尻尾は最大級の愛情表現らしい。その愛情を否定されたように思えて、受け入れがたいようだ。
仕方がなく、本当に仕方がなく、長椅子の脇にあった裁縫道具を手に取り、中から鋏を取り出した。生地を切るための大きめの鋏だ。しゃきん、と音を鳴らして何度か動かしてみる。
その動きを見ていた聖獣様は顔色を悪くした。
『まさか、その鋏で……』
「そのまさかですわ」
『よせ! とても可愛らしいじゃないか! ふわふわの白はお前によく似合っているぞ! きっとあのクソ野郎もその姿を見て、獣のように鼻息を荒くして襲ってくるはずだ』
聖獣様は慌ててわたしの耳に飛びつく。頭の上に来た聖獣様を左手で逃がさないよう、しっかりと握りしめた。突然掴まれた聖獣様は驚いたように固まる。
握る手を緩めることなく目の前に持ってきた。小さな聖獣様と目を合わせ、意識して美しく見えるようにほほ笑む。
「嫌ですわ。聖獣様の祝福とはいえ、私の耳を切ったら痛いじゃないですか。切るのは聖獣様の毛です」
『なんだと!?』
驚愕に丸い目がさらに大きく広がった。意外と大きくなるのだなと思いつつ、さらに言葉を重ねた。
「聖獣様は私の耳と尻尾を見て堪能してください。わたしも聖獣様のつるりとした頭と尻尾を見て自分自身を慰めますわ」
『まままままま、待て!』
「ええ、いつまでも待ちますわ」
そう言いつつ、右手を近づけてチョキチョキと鋏を動かす。聖獣様はその動きでも十分に恐ろしいのか、恐怖に引きつった顔で鋏を見ている。
『なぜそんなに耳と尻尾が邪魔なのだ?』
「もちろん、ルシアン様に会いに行けないからです」
『会う、つもりか?』
声が若干低くなっている。わたしはええ、と何でもないことのように頷いた。聖獣様は大きな尻尾をゆらゆらと揺らしながら、わたしの真意を探ろうとじっと目を覗き込んでくる。
やはり聖獣だからなのか、とても澄んだ綺麗な目だ。そんな目で見つめられると、心の中を見透かされているみたいで、居心地が悪い。
「ルシアン様との婚約は破棄する方向で動いています。彼はすでに王族が見逃せないところまで踏み込んでしまいました」
冷静に、と言い聞かせながら言葉にする。聖獣様は黙って先を促した。
「でも、わたしはちゃんと理由を聞きたいのです」
『……お前よりも他の女の方が性格がいいとか、魅力的だとか言われるかもしれなくても?』
「ええ。そんなことを言われてしまったら辛くてどうしようもなく泣くと思います。でも、直接聞かなかったことで後悔したくない」
きっぱりと言い切れば、聖獣様の尻尾がだらりと垂れ下がった。腕に聖獣様の尻尾を感じながら、じっと聖獣様の言葉を待つ。
『お前は強いんだな』
ぽつりと言われた言葉に、曖昧に微笑む。
「強くありませんよ。できれば、明日になれば前のルシアン様に戻ってくれないかなと期待しています。確かに彼は駄目なことをしているかもしれませんが、わたしはそれでもすぐに嫌いになれないのです。それに今更こんな行動をとるくらいなら、もっと最初の頃に嫌だとはっきりと伝えればよかった」
そう、行動が遅いのだ。
たとえ嫌な思いをしても一時目を瞑ればやり過ごせると、うるさく言って嫌な女になりたくなくて行動しなかった。
ルシアン様ならわかってくれる、言わなくてもわたしの気持ちを理解してくれる、と思っていた。言葉にしないと伝わらないこともあるのに。
できることは沢山あった。
ルシアン様の婚約者という立場も侯爵令嬢という立場も持っていたのだから、わたしが望めば行動することができたのだ。
ルシアン様がレオナ様と出かけるのなら一緒についていけばよかった。
会えないというのなら、手紙を送るのではなくて会いに行けばよかった。
それをしなくて、今のような状態になってしまった。
『いいや。自分の欠点を知りながら、前を向くお前はいい女だと思うぞ』
そう言ってするりと聖獣様がわたしの手から抜け出す。ぽんと頭を撫でられた。
大きな手がゆっくりとゆっくりと宥めるようにわたしの頭を撫でている。その優しい手に泣きそうになるよりも、目の前の変化の方に驚いてわたしの方が固まった。
「え? ええ?」
『できればこのまま保護者の後ろで傷つかないようにしてもらいたいが、傷もまたお前を輝かせる糧になるのだろうな』
大きなモフモフの手がわたしの頭を撫でている。よく見れば、自分と同じぐらいの大きさになった白い動物がいる。耳は垂れておらず、ピンと立っていた。尻尾だって多い気がする。肉球の弾力が何故か心地よい。
「聖獣様、ですか?」
『ああ、そうだ。耳と尻尾を完全に消すことは不可能だが、一時だけ消すことは可能だ』
「……それでどうして大きくなりました?」
小さいと可愛らしかったが、これほど大きな獣に距離を縮められると少し怖い。だって大きく口を開けたら、わたしの頭がすっぽり入ってしまいそう。
しかも聖獣様は目を細めて、ぺろりと舌なめずりしている。
『大きくならないと、うまく力を使えない』
「た、食べません?」
『人間を食べるものか』
呆れたように言われるが、信用していいものか。
不安そうに見つめれば、聖獣様が言葉を重ねた。
『耳と尻尾を一時的にでもなくしたいのだろう? 大人しく……』
大きな体でのしかかられて、思わず目を瞑る。重くて体を支えていられなくて、そのまま長椅子に倒れこんだ。聖獣様を下から見上げた。正直、怖くて体がこわばる。
「この野獣め! 姉上からどきやがれ!」
どしんと大きな音がして、押さえつけられていた体が自由になった。そっと目を開ければ、目の前には悪魔の形相で立っているスティーブがいた。
「ス、スティーブ」
「姉上、大丈夫か? 怪我は?」
スティーブがさっとわたしを起こすと、体のあちらこちらを確認する。ドレスに乱れがなく、どこにも怪我をしていないことを確認して、ようやく表情を緩めた。
「あ、あの」
急展開についていけずに、碌な説明ができない。スティーブはわたしの無事を確認すると、床に転がった聖獣様の背中を躊躇うことなく踏んづけた。全体重がかかっているのが、見ていてわかる。ぐえっ、と聖獣様の呻き声が聞こえた。
それはまずいんじゃないのかしら。
慌ててスティーブの足を聖獣様の背からどけようとした。だが、スティーブの方が力が強いので動かせない。聖獣様は踏みつけられたままだ。
「ちょっと話を聞いて!」
「一体どこから入り込んだんだ。成敗してやる」
年下であっても、騎士として毎日鍛えているスティーブだ。その威圧に思わず体が引いてしまう。
「だから、ちょっと話を聞いて!」
『何をする!』
スティーブに踏まれていた聖獣様が元の大きさに戻った。突然小さくなって、スティーブがバランスを崩した。その隙に聖獣様がスティーブに食って掛かる。
「え? 何、このちんまりしたもの」
「だから、聖獣様」
「は? 聖獣様?」
弟の呆けた顔が、年相応になった。侍女が聖獣様の踏まれた背中を労わるように優しく撫でた。
スティーブにどこから説明しようかと、少し頭を悩ませた。




