王太子の側近
応接室に行けば、その人はすぐに立ち上がった。
すらっとした背の高い柔かな雰囲気の人だ。黒髪に暖かそうな色の茶色の目をしている。顔立ちは整っているが、オーガスト様のような強い印象ではない。
「アルフレッド・スペンサーです。こうしてお話しするのは初めてですね」
柔らかな表情で名乗ったのはオーガスト様の側近。スペンサー伯爵家の長男だったはずだ。主に外交関係を担当しているので、わたしとの接点はほとんどない。時折、オーガスト様の側にいるのを見ることはあっても、会話をしたことはなかった。
わたしは綺麗に見えるように意識しながら、膝を折り挨拶をする。
「この度はわたしのために足を運んでいただき……」
「っ」
小さく噴き出されたことで、わたしは挨拶の途中で顔を上げた。肩を震わせ、必死に笑いをこらえている彼を睨みつける。彼は笑いを落ち着かせようと咳払いをした。
「ご、ごめん。笑うつもりはなかったんだけど……。その、尻尾が。とても可愛く揺れていて」
ぴくりぴくりと彼の声に反応して大きな耳が動く。機嫌の悪さを表すように尻尾の毛が逆立った。
確かに彼の言っていることは正しい。膝を折っての挨拶をするとどうしても大きな尻尾がふわりふわりと動いてしまうのだ。それが笑いを誘うのだとしても笑ってほしくはなかった。
「……もう帰ってください」
「ああ、気分を害してしまったようだ。本当に申し訳ない」
砕けた口調が丁寧な言葉に戻る。急下降した気分は戻ることがないが、仕方がなく許すことにした。
「それで、ご用件は?」
「オーガスト殿下が本当に耳と尻尾があるか、確認して来いと」
わたしはため息をついた。王城にまで来るようにと言われないだけよかったのだと無理やり納得する。王妃様から貰った『奇跡の種』が原因でこのようになったのだから、報告しないわけにはいかないのはわかっていても、放っておいて欲しかった。
憂鬱さを隠しながら、体を少しだけ揺らした。先ほどからじっと熱い眼差しで耳を見つめられて、居心地が悪い。
「そんなにこの耳、好きですか?」
「重ね重ね、申し訳ない。なんというのか、本当に可愛くて。その……正直に言えば触れてみたいとも思う」
穏やかで押しが強くなさそうなのに、どうやらそれは見た目だけらしい。わたしは顔をこわばらせて、彼を睨みつけた。
「お断りします。耳も尻尾も他人に触られると気持ちが悪くなるのです」
「触られているとわかるのですね」
なるほどと頷かれて、わたしは黙った。この屋敷にいる人間とはまた違った反応に調子が狂う。がつがつ距離を縮められても困るのだけど、こう熱心に見つめられるのもまた落ち着かない。
「それでご用件は?」
「一つ目はその耳と尻尾ですね。確かに作り物ではないことを確認しました。できれば、触らせていただければもっと良いのですが」
「何故です?」
「オーガスト殿下に報告するためです。ある程度は自分でも確認することにしていますので」
にこりとほほ笑まれたが、わたしは首を縦には振らなかった。
「先ほども言いましたが、本当に吐きそうになるぐらい気持ちが悪くなるのです。触るのは許可できません」
「わかりました。婚約者でもない独身の令嬢に触れるなんて、そもそも許されませんよね」
本当に触りたかったのか、少しだけ肩を落とす。わたしは彼の何気ない言葉に傷ついた。そう、常識を持ち合わせた貴族なら、婚約者でもない独身の令嬢には触れないものだ。
男女の距離で気安く触れ合う婚約者とその幼馴染の姿が脳裏に浮かび上がった。その姿を思い出し、胸が掴まれたかのように勝手に苦しくなる。
ぎゅっと胸元で手を握りしめた。痛みをやり過ごすようにゆっくりと息をする。
「他のご用件は?」
「婚約者であるゴードン殿はお見舞いには来られましたか?」
「……いいえ」
手短に答えれば、ありがたいことにそれ以上は聞いてこなかった。軽く頷くと、すぐに次の問いに移る。
「では、最後です。この耳と尻尾は何の動物でしょうか?」
「知りたいのですか?」
「はい。わかっているのなら教えていただきたい」
真面目に頷かれて、わたしはため息を漏らした。そしてドレスのポケットに手を突っ込んだ。
「これが正体です」
ポケットから取り出した手を彼の目の前で開いて見せる。そこにいるのは手のひら大の小さな白い動物。
『もっと丁寧に扱え!』
出てきた瞬間から煩く喚く。アルフレッド様は目の前に出てきた小さな動物に目を丸くした。
「これはまた……何とも可愛らしいですね」
「奇跡の種から出てきたようです。この動物が何であるのか、わかっていません」
「犬のようにも見えますが……尻尾が太いし、耳も大きいですね」
観察するように眺めていたが、彼はおもむろに白い動物を指で摘んだ。摘まれた白い動物は怒り狂う。
『何をする! 手を離せ!』
「これは失礼を。今すぐ離してあげたいのですが、貴方様の種族を教えてもらえないでしょうか?」
下手に出るような言葉遣いだが、そもそも前提がおかしい。勝手につまんでいるのはこの男だ。半眼になりながらも、白い動物は男の無礼に気がつかない。
『種族だと? 見てわからないのか?』
不愉快そうに声を荒げる。最初は乱暴な言葉に驚いてしまったが、聞いているうちに慣れてしまった。
今は癇癪を起した子供のようで、面倒ではあるが怖くはない。こうしてみていれば、見た目も可愛いので揶揄いたくなる。
それはアルフレッド様も同じのようだ。それでも申し訳なさそうな顔をするものだから、白い動物はわたしたちの気持ちに気がつかず、どこか傲慢な態度で踏ん反り返る。摘まれたままなのに、器用だ。
「勉強不足で申し訳ない」
『お前の能力が足りないのはよくわかった。教えてやる。私は聖獣だ』
「聖獣?」
その言葉に唖然とした。
「聖獣というと……我が国の建国の時に力を貸してくださったという神の遣い?」
『そうだ。私は寛大だからな。一目でわからなくとも、咎めはしない』
「それは大変失礼しました」
アルフレッドは自称聖獣をテーブルに下ろし、頭を下げる。白い動物……聖獣は偉そうにつんとして座った。
聖獣と言っても手のひらサイズで、その威厳も貫禄もありはしない。どこかの子供が自分が神であると威張っているのと大差ない。
『ふふん。わかればいいのだ。私の偉大さを理解力ないこの女に説明しておけ』
「もちろんです。彼女も信じがたかったのでしょう。まさか偉大なる聖獣様が自分を慰めに訪れるなど想像すらしていなかったに違いありません。寛大なる気持ちで許してもらえないでしょうか」
う、胡散臭い。
次から次へと出てくる言葉に、顔が引きつった。
流石外交担当。
口がうますぎる。
騙されている聖獣が気の毒になってきた。やはり聖獣というだけあって、偉そうではあるがとても素直だ。うんうんともっともらしい言い分を聞き入れている。
『やはり知識人と話すのは心地が良いな』
「ありがとうございます。私などまだまだですから、これからも精進していきます」
『いい心がけだ』
聖獣は鷹揚に頷いた。私は口を挟めず、茶番のような会話を聞いていた。
「ところで」
聖獣の気分がよくなったところで、彼はにこやかに切り出した。聖獣は先を話すように視線で促した。
「彼女のこの耳と尻尾は何か意味があるのでしょうか?」
核心をついた質問だった。




