婚約者との距離
ほぼ王命によって決められた婚約。
最初に彼女と会話をしたのは、とても信じられない内容の確認だった。
通された部屋に来た彼女は貴族令嬢らしく背筋を伸ばし、凛として美しい立ち姿だった。まだ社交界デビューして数年、初々しさと誇り高さがとても眩しい。
美しい令嬢なら沢山今まで見てきた。社交界デビューしてから外交官である父の補佐として国外を転々としていたため、王侯貴族が揃う夜会や茶会にはよく招待されていた。
そこには当然、美しさと賢さを兼ね揃えた女性たちは沢山いた。だから、どんなに美しい人を見ても、言葉を失うことなどほとんどない。
クローディアもとても美しい令嬢であったが、それ以上の美貌を持つ女性を見慣れていた私にはそれだけの存在のはずだった。
だが、あの反則技的な存在が。
彼女を特別だと認識させる。いや、なくても彼女はとても素晴らしい令嬢だ。自分の足らないところを自覚し、少しでも補おうと努力する姿は感心する。誰もができることではない。その努力が政略で選ばれた私のためだというのだから、こそばゆさを感じる。
会ったばかりで、お互いに知らない者同士。
嫌悪感はないのだから、きっと二人の共有する時間が増えれば自然と愛が芽生えるのだろう。婚約して3か月であっても、すでに私の気持ちは彼女へと向いている。
『誤魔化すな。お前はあの耳と尻尾が好きなんだろう』
不機嫌そうに断言されて、我に返った。
「聖獣様、いたのですか?」
ここはオーガスト殿下の執務室だ。一時的に帰国している私はオーガスト殿下の側で仕事をしていた。私のためだけに持ち込まれた執務机には大量の書類が積み上がっている。どうしたらこんな量の書類が毎日出てくるのか不思議だ。今日はすでに一山完了したはずなのに、まだ同じだけの山が三つほどあった。
『お前がクローディアにふさわしいかどうか監視している』
「おや、そうでしたか。存分に見ていってください」
『仕事はできるようだな。だけど……』
聖獣様がぐるぐる言い出したので、執務机の引き出しから菓子の箱を取り出した。机の上に置かれた箱に聖獣様の視線が釘付けになる。言いかけた言葉が完全に消失した。
「少し休憩しませんか? 丁度、父から菓子が届いたのです。隣国で新しく発売された菓子のようですよ」
綺麗な箱のふたを開ければ、色とりどりの焼き菓子が出てきた。甘い香りがふわりと辺りに広がった。
『……合格だ。今日はもうクローディアに会いに行っていいぞ』
この3か月。
観察していたのは聖獣様だけではない。私も存分に聖獣様を観察していた。
彼の好みや思考、そして行動基準。
あらゆるものを入力して、彼に好かれる努力をした。聖獣様に嫌われたら、いくら政略による婚約と言えども首を挿げ替えられてしまう。
それはいやだ。折角巡り合った婚約者。
長い間、国にいられないから、他国との関係で優遇することはできないからと婚約者を作れなかった私には彼女との婚約は降って湧いたような幸運なのだ。現実問題、彼女以上の女性はいないだろう。
だからクローディアとの距離を縮めるのと同時に、聖獣様を絡めとる。
これはこの婚約を確かなものにするためには必要なこと。
決して腹黒いわけではない。
「聖獣様は甘すぎる」
私と聖獣様のやり取りを見ていたオーガスト殿下がぼそりと呟いた。オーガスト殿下へと視線を向けると、にこりと笑った。
「許可が出たので上がります。残りの仕事、よろしくお願いします」
「それ、私がやるのか?」
「誰でもいいですよ?」
ちらりと同じ部屋にいる文官たちに目を向ければ、さっと避けられた。山三つ分の書類だ。自分たちも抱えている中、やりたくはないだろう。
「夜に戻ってきます。それから処理しますので」
「私にも残っていろと?」
オーガスト殿下の顔が引きつった。せっかく仕事をするために戻ってくると言っているのに、嫌がるとは心外だ。
「おや? この仕事はオーガスト殿下の残ってしまった仕事でしたよね?」
圧力をかければ、オーガスト殿下はがっくりと肩を落とした。
******
クローディアとの時間はとても穏やかで温かい。
仕事で疲れていてもここに来てしまうのは、彼女の声を聞いていたいからでもある。いつものサロンに通されて、お茶を飲んでいたが、居心地の良さについつい眠気が出てしまう。
流石に最近は働き過ぎか。
意地になって処理をしているから、オーガスト殿下も聖獣様も意地になって仕事を積んでくる。
何を張り合っているのか、もうすでに分からなくなっているがそれでも負けたくはない。
クローディアと数時間、楽しい時間を過ごした後、仕事に戻らないと――。
「アルフレッド様?」
不意に名を呼ばれてはっとした。
「え、ああ、クローディア」
長椅子にだらしなく背を預け、どうやら転寝をしてしまっていたようだ。眠気を払うように首を左右に振る。
「すまない。転寝をしてしまって……」
折角会いに来たというのに首を振ったぐらいでは、眠気が振り払えない。彼女のいるこの空間が優しいため、ついつい気持ちが緩んでしまう。
「疲れているのですね」
「……オーガスト殿下がね。いつも以上に無理難題を言うから」
張り合っているとは言えなくて、誤魔化した。膝の上に置いた手が温かいものに包み込まれた。
驚いて眠い目を無理やり押し開ければ、私の両手は彼女に握られていた。彼女はすぐ側に膝をついて、私の顔を下からのぞき込んでいた。
その距離の近さに、思わず胸がドキリとする。
「忙しいのでしたら、わたしの所に毎日通わなくても大丈夫ですわ。体を壊す方が嫌ですもの」
「無理はしていない。この時間のために寝食犠牲にして片付けている」
本音を零せば、彼女は恥ずかしそうに頬を染めた。
こんな至近距離で顔を赤くするなんて。
恐ろしくかわいい。
白いふわりとした大きなたれ耳は彼女のどきどきした気持ちを表しているように忙しく動き、時折視界の端に映る大きな尻尾もゆらりゆらりと動いている。顔を赤くしながらも、すました顔をしているが心の中を隠せていない。その耳と尻尾が彼女の感情を暴露している。
ああ、それでなくても可愛いのに、聖獣様の祝福の証である耳と尻尾はとてつもなく暴力的だ。
一度でいいからあのふんわりとした尻尾を、柔らかそうなたれ耳を愛でたい。
疲れた頭ではしてはいけないと警告を発していたが、手が勝手に動いた。
「クローディア」
伸ばした手はクローディアの肩に触れた。華奢な肩であっても、女性らしい丸みがある。
クローディアが驚いたように目を見開いた。そして恥ずかし気にそっと目を伏せるが、嫌がるそぶりはない。今までも夜会や観劇にエスコートした時に触れているので、抵抗がないのかもしれない。婚約した者同士なら許される触れ合いだ。
肩から背筋へと手を滑らせようとして。
これはまずいのでは。
警告が発せられた。
私の手が無意識に目指す場所はその魅力的なふんわりとした大きめの尻尾だ。
尻尾は……その。
位置的に、結婚前の男が触れてはいけないところから生えているわけで。
突然、熱に浮かれた頭がはっきりとした。
まずい、まずい、まずい。
このまま欲望のまま尻尾に触れてしまうと、彼女が泣いてしまう。人に触られると気持ちが悪いと言っていたほどなのだから、絶対に泣かれる。
そして、ただでさえ聖獣様とオーガスト殿下が結託して私に大量の仕事を渡してクローディアとの穏やかな時間を潰そうとしているのに、泣かせたと知られた日にはさらなる増量が……!
それだけはダメだ。
彼女との時間が無くなる。
この苦境の時、クローディアとの時間さえ取れなくなったら死ぬ。
間違いなく精神的に死ぬ。
現実を思いっきり自分自身につきつけるが、理性とは関係なく手が動く。
ダメだ、私の右手!
理性を保つんだ。これからの暗い未来を思えば、この苦しい時間を耐えることができるだろう。結婚するまでの間、最小限の接触しかできなくなる辛さを想像し、右手に刻め。
エスコートさえも少なくなる危険を感じ取れ!
いくら理性的に説得するも、右手はゆっくりと動く。迷いながらも、右手は欲望を断ち切ることができない。
「アルフレッド様」
不意に名前が呼ばれた。はっとしてクローディアを見つめる。意識が彼女の方へ向いたことで右手がぴたりと止まった。
ああ、よかった。
危機一髪だ。クローディアも私の葛藤を見越して声を掛けてくれたのだろう。
涙が出そうだが、先を考えるとこれもまた……。
「触ってみますか?」
「………………いいのか?」
「ええ」
恥ずかし気に目を伏せて彼女は頷いた。
恐る恐る手を伸ばし、尻尾に向かっていた右手をゆっくりと耳へと伸ばした。
指先に触れる柔らかな耳の毛の感触が擽ったい。それはクローディアも同じなのか、少しだけ首をすくめた。
「気持ち悪くないか?」
それ以上に触れることができなくて、そっと3度ほど撫でて手を離した。クローディアを泣かせたいわけではないのだ。我を忘れて撫でまわした結果、泣かれることが怖かった。
「聖獣様がアルフレッド様にだけ気持ち悪くならないようにしたと言っていました」
「そうか。聖獣様が……」
聖獣様のことだ。愛し子であるクローディアが無条件に撫でまわされることは良しとしないだろう。
ということは、触ってもいい限度があるということだ。
こうして更なる試練が生まれた。
許される限度を確認するという試練が。
Fin.




