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其を振るう理由

いつも覗いて下さっている方、本当に感謝です。

始めて来られた方、ここまでお読みいただき有難うございます。

お気に入り登録下さった方、感想下さった方、感謝です。

すごく励みになります。


 

 優しさは剣を鈍らせる。

 だが剣を振るうのは。

 愛しい誰かの為でなければならない。











 広い道場に響き渡るファーラの足運び、剣が空を切る音。

 鋭さと共に早い動き、緩急を付けながら指示された八方からの敵をイメージし、それを切る。

 シラーはレイルとは少し色合いの違う紫の目でそれを見ながら、隣で図形を描くレイルのそれに天使文字やアルファベットで意味などを書き込んでいた。

 彼は殆ど言葉を口にしない、こうやって筆談形式を取る。その筆も決して軽い方ではない。レイルはどうせ言葉を耳で聞き取れないから、困る事など何もなかった。

「綺麗な動きだな」

 レイルは読んだり書いたりしつつ、ファーラの流れるような動きに目をやると呟く。

「そう思うか?」

「風に逆らわない動きだから、かな。こんな、で、こんな文字が見える。綺麗だよ、この文字」

 さらさらっと書き記した文字の様な図形を見て、シラーは立ち上がる。

「やめろ、無駄だ」

「え?」

 付きを出していた形で、ファーラが止まる。すうっと足を閉じながら、彼は剣を鞘に戻し、何がいけないのかわからないと言う顔でシラーを見た。返事をしないままに、ラベンダー色の目を眇め、左足を引き、低く構える。

「動くな、命の保証はしない」

「な?」



 シラーは問答無用で、剣の柄に手をかけた。今まで遠巻きに座っていた黒豹型の使い魔チャーチがノッタリと体を起こす。



「冗談だろ……」



「ちれ」



 ファーラの疑問詞に答えたのは、シラーの魔導師魔法がかかった言葉。

 レイルには銀色の文字が凄い勢いで舞うのが見えていた。ファーラにはその文字は見えなかったが、彼には見えないシラーの動きを捉えていた。

 鞘から鮮やかに抜かれる刃は一点の曇りも無く、そこに纏った魔法の音が鋭い刃となってファーラを襲う。その刃は針のように細かったが、的確に体を射抜かんとする。レイルなら動くなと言われなくて動ける間など見出せないだろう。が、剣を極めんとするファーラは見切れているだけにジッとなど出来ず弾き返そうとした。

 グル……

 チャーチが喉を鳴らし、ファーラのその行動を威嚇する。その牽制の間にシラーの刃が体を傷をつけた。

「っっつ」

 痛みは極僅か、一つずつは注射針で刺された程度。だが一気に二十カ所以上をやられれば痛みは相当となり、ファーラを責めた。

「何するんだ」

 師の行為に意味が見出せず、驚きを含みながら睨みつける。

 レイルは意味所か、何が起こっているのか把握しかねているようだった。傷みはあるが傷は本当に僅かで、切り裂かれたのはレイルの目でも捉え辛いほど細い。それでも銀文字が残して行った軌跡を辿る。

「後、心臓と眉間、そして目だ」

 シラーの言葉が短い。

「え、急所か」

「急所……」

 それでもレイルとファーラは各自同時に呟く。

 彼の指示した三点、それと傷の全てが、確かに急所だったのに医者を目指すレイルも、剣士を目指すファーラもそれぞれの道の知識で気付く。

 傷は皮一枚なので、チリチリと痛んでも何ら影響はないが、少しでも深く傷つければ致命傷となる場所。

「そこだけだ」

「は?」

「こい、俺を殺す気で」

 次はきっちりと剣を抜き、シラーが片手で剣を構えてみせる。

「殺す気って……」

「来ないなら、逝くか?」

「まっ」


 一瞬で肉薄したシラーの顔、無表情のままなのに何かを捉えた猛禽類のように瞳が輝いて見えた。ファーラは咄嗟に首を逸らし、彼が振るった剣の狙いを逸らす。

「目、眉間、おい、正気かよっ」

 狙われた場所、もし避けきれなければ、最悪失明の憂き目を見る所だった。目や眉間を撃ち抜けば脳を破壊できる。

 そのままバック転の要領で間を取るが、足が着地する瞬間を狙ってアキレス腱を薙ごうとシラーの剣が動く。左利きのファーラはシラーの剣が自分に届く前に目一杯に腕を振るい、弾き飛ばして態勢を整えようとする。だがその間を与える事なく突きの態勢で心臓を狙ってきた。

「止め……」

「死にたくないなら本気で来い」



 そんな言葉でシラーはファーラに容赦なく急所への攻撃を向ける。たかだか、学生の練習にここまでするか、狂ったのか、全く分からなかった。だが考える前に避けて攻撃をしなければ、完全に身を串刺しにしようと言うシラーの勢いを止められない。

 素早い動きで背後を狙うが、全くシラーはそれを受け付けない。額への攻撃も試みるが、簡単に薙がれ、逆にそのまま手首を狙って剣が振り下ろされる。


「全く歯が立ってないよ……」

 レイルは素人ながらに一方的に押されるファーラを呆然と見ていた。

 中級学校の生徒を対象として行われる大会などで上位入賞、優勝も昨年は勝ち取ったファーラが完全に遊ばれている。学生と現役警察官の違いとでもいうのだろうか?

 そうボンヤリ考えていたら、急にシラーの足先が自分に向いた事に気付く。ファーラも同時に練習には何にも関係がないハズの、丸腰のレイルへとシラーが矛先を変えたのを察知する。



「え、ええ?????」

 レイルが気付いた時にはシラーの剣が眉間に触れそうな距離にあり、髪を数本断ち切っていた。ファーラはどうやってかシラーの前に回り込み、胸を突いた形で剣を止めている。

 つーーーーーーっと、ファーラの銀の剣に一筋の雫が伝う。切っ先が本当にシラーの胸を穿っていた。

「お、俺、とめられなくて……」

「くっ」

 呆然として謝罪の文言を並べようとするファーラに、シラーは珍しく笑っているように見えた。

「弱い奴が、急所を避ける剣で勝てるのは、試合だけだ」

 シラーは身をずらして胸の傷を押さえると、

「今、ファーラから文字は見えたか?」

「いや、全然、見えなかったけど」

「レイルのようにはっきり見えなくとも、武術に長けた者や上級魔になら、今までのお前の動きは読まれると思え」

 口で余り説明しないシラーが、しっかりファーラを見てそう言い、更に、

「急所を避け、相手を気遣う力量など今のお前にはまだない。何事も静かに。勝負は一撃。きっちり狙う、その上で殺すか生かすか、追い払うか。戦略に適時あったダメージを与える。わかったか?」

「戦略に適時あったダメージ……」

 今回の場合は訓練なのだから、寸止め出来なかったのは適当ではなかったのだ。ファーラは項垂れたが、レイルを守ろうと動いた一瞬、ファーラが自分より上を行っていた事にシラーは満足だった。

「己の為ではなく、他人を想ってその手を振り上げるなら、お前の剣はもっと強くなる」

 まだ、まだだがな、そう続けようとするが、ファーラがそれを一番感じている事を悟り、シラーは黙る。少年の体に眠る力は大きすぎる、だが剣を振るう理由が、己の為にないなら何とかなるだろうと思う。暴発の一度や二度は経験せねば、ならないだろうとも。

「そんなの教えてる場合じゃないっ! 傷を診せて! 血が」

 レイルが慌てて側にあったタオルでシラーの胸を押さえて圧迫する。シラーは無言でソレを受け取ると、黒豹型の使い魔チャーチを呼び寄せて、

「今日の訓練は終わりだ」

 と、何事もなかったかのように練習場から歩き出て行った。







 ファーラは瞳を開いた。








 その瞳を開けた途端、何かを警戒したかのように、マーヤは間合いを取る。

「おやおや、物騒だね」

「赤ん坊を盾に取る魔と俺のどちらが物騒だ?」

 ファーラの瞳は赤くなどなかった、緑、透明で鮮やかな緑だった。だがその揺らぎは炎を模しており、見る者を焦がす灼熱を帯びている。

「操れるのかい?」

「やってみるか?」

 自信ありげな言葉はただの虚勢だった。

 だが、それを悟らせないように、ファーラは「静かに」柄に手をかけ、構える。剣を抜くわけでもない、怒りで感情を波立たせないように、「静かに」目の前の女を見据えた。



 ジョージ・シラー、いつも平静で、感情の波を見せない彼。たまに「静かに」と繰り返される行動。それが自分の内なる何かを押さえるのに繋がる気がし、思い出した訓練は女に本気を示すのに十分だったようだ。

 レイルを守る、その一点の為にファーラは静かに集中し、師の胸を抉りかけて得た、あの時の感覚を思い出す。

『急所を避け、相手を気遣う力量など今のお前にはまだない。何事も静かに。勝負は一撃。きっちり狙う、その上で殺すか生かすか、追い払うか。戦略に適時あったダメージを与える』シラーの珍しく長い台詞が脳内を駆ける。



 だが、所詮はまだまだ焼き付け刃だ。

 目の前で赤ん坊が殺されたなら、「静かに」など果たせないだろう、だがそれを悟らせないようにファーラは自分を律しながら、目前の女に敵意を投げた。明らかにファーラに対して警戒し出した彼女がじりじり下がるのを追い詰めるわけでもなく、心臓、そして一気に首を薙ぐイメージをもって牽制する。

 マーヤはそれでも唇に浮かべた笑いを崩さない。

「まだ、覚悟がないね。切っ先一つ足りないと見たよ。私の首を刈り取る機会だと言うのに、見ず知らずの赤ん坊の為に、そのタイミングを逃すの?」

 そうしながら彼女は近くの階段へ、身を投げるように飛び降りる。俊敏な動きで完全に安全圏であると思われる踊り場に立った。

 が、僅かにその顔に刃物で切り裂いた剣筋が走った事にマーヤは初めて驚きの表情を浮かべた。

 ファーラが抜き、戻したのが見えなかったのだと悟ると、

「面白いよアーサー、後は……覚悟を持つんだね。とりあえずお前とは会えたし、よかったよ」

 彼女は後ろを見せず、先程と同じような軽い身のこなしで、だが次は留まる事なく下階へ姿を消した。



 ファーラはすうっと息を抜いて、気持ちを通常に戻しながらガラス越しの赤ん坊に目を向ける。

「母さん」

 マーヤ、彼女は母と双子だと名乗った魔。

 覚えていない母の顔が彼女にすり替わる。

 覚えていない母の声が彼女にすり替わる。

 覚えていない母の記憶に彼女が勝手に居座ろうとする。

 他人だと無視しようにも、自分の失った本名を知っており、自分と同じ色の瞳と髪を揺らした姿は血縁であることの証明だった。

 だが、母ではないのに。双子なら似ているだろうかと考えてしまうソレを追い払いながら、自分が何のために来たかを思い出す。



 自分はレイルの母、そして自分の現養い親であるメアリに似た患者を追いかけてきた。それらしい患者がいる部屋の扉を叩こうとして、耳を澄ませば声が聞こえる事に気付く。

「……だ、薬をきちんと飲んでくれ」

「ええ、ごめんなさい。今日は忙しくて……でも良かった、無事で」

「ここまで耐えたんだ、後少し頑張って。教授も喜ぶはずだ」

「そうね」

「心配要らない、上手くいく、それには君とその子達が必要だ」

「有望株だって言っていたのよ、貴方と彼女。あのヒト」

「そうか。故あって違えたけれど、それほど嬉しい言葉は俺にはないな」

 一つ目は男の声、二つ目はメアリ、そして交互に繰り返される会話。

 扉越しであろうと、間違うワケがない。音が出来るだけしない様に扉を開けると、ベッドに横たわったメアリの腹部に医者がプローブを当てていた。画面に何か映し出されていたが、遠い上に白黒でファーラにはよくわからない。でもそこに命があるのは彼にもわかった。

 メアリの顔色はとても悪いが、嬉しそうで、さっき赤ん坊を抱いた母親のそれと同じ暖かさを感じた。だがファーラはぞくりと悪寒が走るのを感じた。



 誰の子だ。と。



 その時、メアリの側に置かれた鞄の中、電話が音を立てる。携帯は地上の物を流用していた時は電波が問題になったが、今は蓄電魔法式の携帯が主で病院で鳴らしても問題はない。

 看護婦が目くばせで訊くと、医師が頷いたので、

「グリーンさん、鞄開けますよ?」

 そう了解を取り、携帯がメアリに渡る。

「あら、レイル。着いたのかしら? ……どうしたの。泣きそうな声してるわよ」

 メアリは受話器を少し耳から放す。

「ねえ、何、叫んでいるの? え、さっきって何? 私はずっと病院に居るわよ。今日も父さんの髭を剃ったのだけど、今日は上手く剃れたのよ、きっと父さんも褒めてくれると思うわ」

 ファーラがさっき見た時、マハイルの髭は手入れされていなかった。電話の相手はレイルのようだが、随分興奮しているのが漏れる声でわかる。何故メアリが嘘をつくのかわからない。

「レイル、もう切るわよ。気を付けて帰って来てね」

 メアリはレイルに取り合わず、電話を切り、ほうっと溜息をついた。

 看護師がタオルでお腹に塗られた潤滑剤を拭き取り、メアリは僅かに丸みを帯びた腹を隠す。



「ストレスは体にも、子供にも良くない。少しここで休んでいくといい」

「でも、何だかファーラ君にあったらしくて病院に来ているらしいの。早く行ってあげたいか……」

 体を起こそうとして、くずおれるのを医師は支える。

「誰かに行かせて待たせておくから、君は少し寝るんだ、メアリ」

 そう言いながらメアリの頬に唇を寄せるその仕草は、どうみても医者と患者の関係には見えない。メアリはくすぐったそうにする。

 確かにレイルの叔父アレードが彼女とベタ付くのは見た事がある。それでもマハイルと半分は血がつながっており、信頼があるから彼女の許容内でそれを許しているのだろうと思っていた。

 だが今そうしているのは赤の他人だ。ファーラには理解しがたかった。

「さあ、すこしオヤスミ」

「え、ああ、返事してないのに勝手に決めないで、リトぁ……」

 かっくりとメアリの体が折れて、医師の腕の中で納まる。黒髪に赤い角を持った医師は側に居た看護師に、

「入り口に居る少年を入れて。彼女の家族だ。それから君は下がっていなさい」

 ファーラがはッとすると、二人と目線が合う。

「どうぞ」

 看護師は優しくファーラを招き入れ、自分は退出した。



「ファーラ、だったか。私が主治医のシフォルゼ・リトアーだ。マハイル教授も診させてもらっている。恩師なんだ、昔は彼の助手だった」

 ファーラは答えずにじっとシフォルゼを見た。

「メアリ母さんとは? 昔からの知り合い、それ以上に見えたぞ」

「彼女は大切な学友だ」

 ファーラはその言葉に嘘はないような気がした、どことなく熱が籠った言い方だったからだ。だからああも親しそうなのかと思う。許容の広い彼女なら、あんな感じにしても抵抗はないのかもしれない。五年も一緒に居れば、メアリが貴族と言うだけあってとても大らかに嫋やかに育てられ、他人を疑う気持ちが低いのは知っていた。

 そう考えているうちに彼はメアリを抱えた。

「ほら、見てみたかったんだろう?」

 シフォルゼは診察用よりも奥にあった広いベッドにメアリを横たえると、戻ってきて先程メアリと眺めていた機械を起動する。

 彼の白衣は既成の物とは少し変わっていて、チャラチャラとなる金具がたくさんついている。それを揺らしながら、

「ココが心臓、動いているだろう? もう一つ、ここにも」

「ふ、双子?」

 録画していたそれをファーラに見せて説明する。

「誰の子なんだよ?」

 聞きたくはないが、聞かないとならない事を口にした。すると彼は笑って、

「天使界の為の子だ。もうこれは個人の子供ではない。まあ、それでも誰と問うなら彼女と教授の子だ」

「ふざけるなっ! マハイル父さんはずっと寝ているのに赤ん坊なんか……」

「子供が騒ぐな、違うなら何だ? 殺すのか?」



 その一言でファーラは黙る。

 必要ない子供なんていない。要不要はまだしも自らが決める事であって、回りが決める事では絶対にない。

 要らないと言われて、虐げられ、それでも家族と居たいと願い、叶わなかったファーラがやっと手に入れた優しい場所。そこを崩さんとするのが、まだ意志も持たぬ双子で、それを要らないと断じようとしていた自分が情けなかった。

 だけれど、養い親がくれた全てが、一瞬で崩れるようで、魔を名乗り現れた伯母の存在が重くて、今日学校であった事が辛くて、静かに保つことなどできずに、

「メアリ母さんに、マハイル父さん所で待っていると言って」

 それだけを何とかシフォルゼに告げる。

「彼女を母と呼ぶなら、守ってやれ」

 その言葉を背に、ファーラは重い足取りでマハイルの部屋へと戻って行く。



 濁った思考、重い気持ちに支配されたファーラに次におこる事など想像できない。

 何の警戒もせず、今、父と呼ぶ男が眠る部屋の扉に手をかけた。

「…………は?」

 そこは生臭い血の海だった。



 窓は壊れ、室内はもう外も同然の空気だった。

 静かに寝ているはずのマハイルの目が見開かれ、口に布が噛まされているのにかかわらず、苦しい声をあげている。その腹が割り裂かれ、内蔵物がはみ出していた。今の今まで五年もの間、意識を失くしていた。それならばこんな時に意識を取り戻さずとも良かっただろうに。

 壁に飛び散る血、床には白い服を着た天使が赤く濡れて倒れていた。それはさっき言葉を交わした看護の職員のなれの果てだった。もう息はないのだろう、ただただ溢れる血が絨毯を染め上げる。

 そしてこういう状態を作り上げた元凶は、壊れた窓辺に立ち、にたにた笑いながら室内の男と対峙していた。

「魔……」

 魔と向かい合った男の手には銃、肌が褐色、豪華な金髪。それはレイルの叔父アレードだった。

「その体、返してもらおうか? 撃ち抜いてやる」

「出来るならやってみるがいい。オレは生きたまま、そいつが喰いたい、せいぜいメンテして生かしておけ、また喰いに来るとしよう。紫の子を喰い、お前を喰うのは最後だ」

 金と黒、異なる色の瞳を持った異形は、証となる骨ばった翼を広げると、唇から零れた血を拭いながら中空へ飛び出す。二発ほど撃ち放つが、一発が僅かに腕に掠っただけでどれも魔を捉えきれなかった。

「くっ! ファーラ、医者を呼んで、マハイルを、兄さんを頼む!」

 窓から飛び降り翼を広げると、何処からともなく黒い鳥が彼に付き従い、飛び行く。



 ファーラは剣でマハイルの四肢を戒めていたシーツを叩き切ると、もう痛みで暴れる力も無くぐったりしているマハイルの体を抱え、連れ出そうとする。その方が早いと思ったからだ。

 自分の父が好んで齧った脇腹の辺りが食い破られている。その事に自分がいつこうなるかわからなかった事を再確認する。

「すぐに痛くないようにしてもらうから、頑張ってマハイル父さん」

「……」

 金がかかった青い瞳、痛みの為にゆがんだ顔。それでも彼は震える指で自分の口内に押し込まれ、血塗れの布を取り出し、

「ありがとう、君が……レイル達を守ってくれたんだね」

 彼はファーラが自分の事を父と呼んでいる事で何かを察したのか、そう言った。

 五年前とはファーラの体格も顔つきも変わっていたが、特徴的な瞳と髪色で息子の親友だとわかっているようだった。



 誰も気付かなかったが、マハイルは数日前から僅かながら意識が戻って来ていたのだった。さっきファーラが体を優しく触り、向きを変えてくれていた時も、すぐに途切れてしまったが確かに意識はあったのだ。

 まさか完全な目覚めが、魔に腸を食い千切られる事で起こるとは思っていなかったが。

 あの魔が父親ランスのなれの果てと知らないマハイルは、何故そうなったのか頭を巡らせたが、さすがに思いつく事は出来なかった。

「どれだけ俺は寝ていたのかな? 君、とても大きくなったね」

「五年だよ、五年。今は喋らないで、きっと良くなるから」

「五年か、メアリに怒られるな……レイルは大きくなったかな?」

「あいつは……あんまり伸びないから愚痴ってる」

「そうか。ああ、君、ナースさんの方が生きているなら、そちらを先に……」

「いいから、そろそろ黙って」

 怒鳴られて、微かに笑いながら、どこか悪戯な目つきでファーラを見た。

 こんな状況で他人の心配が出来るのか、笑えるのか、半ばあきれながらレイルの父親らしいと感心する。



 ファーラは思う。何故、この部屋に居なかったのだろう? メアリを探し、ここを離れた事を悔いる。もしあのままいれば、魔の侵入を食い止め、アレードに引き継ぐまでマハイルを守れたかも知れない。

 伯母を名乗る魔が現れたのは、時間を稼ぎ、攪乱するためだったのかと思う。

 だが時間は戻らない。

 血塗れになりながらナースステーションに駆け込むと、叫び声に迎えられながらストレッチャーが用意され、彼に応急処置が加えられ、緊急手術に向かう。

「帰ってくるから、大丈夫だよ」

「あ……」

「そんなに心配しなくて、いい。笑っていてくれ、レイルに微笑を教えてくれたのは君だから」

 手術室へと消えるマハイルの姿を見ながら、自分が泣いている事に気付く。その涙を拭って振り返ると、シフォルゼが立っていた。



「外科でも一番腕のいいのを用意した。助かるだろう、あれぐらいなら」

「必ず助けてくれ」

「ああ。メアリはまだ眠っている。お前は下の受付で待っていろ。メアリはそのまま家に帰そう。今日は教授の事は告げない方がいい、刺激が強すぎる。妊婦だからな。これ以上のストレスはかけたくない。お前はどうすれば良いかぐらいわかるな?」

「……黙っていればいいんだろ、わかってる」

「体を休める為に、明日は看病を休む様に俺から言おう」

「遅くとも日曜にはレイルが戻るから、理由を付けて俺も出来るだけ家に引っ張るようにする」

 ファーラは出来るだけの間、メアリにマハイルが魔に襲われた事を伝えない方向で行く事を承諾した。本来なら目覚めた事は告げたい。だが、言えば会いたいと言い、その事実を知るだろうから黙っている事にする。

 子供ながらに飲み込みの早いファーラに感心しながら、

「メアリがこっちに来る時は電話で知らせろ、出来るだけ柔らかく説明して教授に引き合わせる。じゃあ着替えを貸してやる、来い」

「…………その白衣は嫌だ」

「誰が貸すか、どっかにステた患者の衣服がある」

 ファーラはそれに従い、彼の後ろに付いて行った。










 レイルはフラフラと神殿都市を歩いていた。

 誰かに連絡が取りたい、でもその手段が思いつかず、知らぬ街で話しかけるには自分の瞳の色が重く、ウロウロしていた。

 もうじき暗くなる。

 そうすれば尚更にアヤシイだろう。魔道士の誰かが見付けてくれる事を祈ったが、誰も来てはくれない。その時、レイルはふと目にした店に既視感を覚えた。

 記憶を素早く辿り、蘇らせる。

「あれ、父さんが品物を置いていた店だ」

 貴品店シャード。

 細工物を作るのが得意だった父マハイルが、その作品を置かせてもらっていたお店だ。だが、本当に置いていた店は、レイルの住む赤レンガの街エクスアルペイにある。支店、と言った感じなのだろう。

 揃いの白い建物か神殿が立ち並ぶ中、赤煉瓦の建物は見入れば奇妙に目立っていた。またそうでなければレイルの目にも止まらなかっただろう。

 同じ系列だからと言って、中の人物が一緒と限らない。と、言うより違うだろう。それも使っていたのは五年も前なのだ。

 それでも頼る相手のいないレイルの足がそちらに向いたのは至極当然だった。



 からん、と軽い音を立ててノブに取り付けられたベルが鳴る。

「え?」

「あ! マスター」

 貴品店と称する店内の中は、色々な物で溢れていた。棚一杯に並んだ薬の瓶や、宝石などが入ったケースや、魔法具などなど。高価な物から、子供の小遣いで手に入る物まで様々である。

 照明はそう明るくない。置いてある品物を変色させないためだろう。

 それらはエクスアルペイの店と変わらない配置、そこに髭面の店主が座っているのも変わらなかった。

「「何故、神殿都市に?」」

 二人の声が重なって、顔を見合わせると、お互い吹いてしまった。

「はははははっ、私は三つの店を毎日日替わりで開けに行く、今日はここを開ける日だっただけだよー久しぶりだね、レイル。ちょっとは大きくなったようだが、マハイル教授ゆずりの髪と、その紫水晶瞳は変わらないからすぐわかったよー」

 こんな所で自分の目立つ容姿が役に立つとは思わなかったが、

「マスターが居て良かった。俺はちょっと用事があってココに来たんだけど、連れとはぐれて」

「ソレは大変だったねー」

 糊のきいている白いシャツは一日中働いていた主人の疲れを知っているのか、少ししわがよっている。だが長い髭を生やしたその顔には、まだ疲れの影すら落ちていない。青色の瞳は白い髪にかこまれてちらっとしか見えない。その瞳の光は商人の持つ独特のそれである。

「教授が倒れたと聞いてからさっぱりだが、その後は?」

「うん、まだ目覚めないよ」

「そうかい、そこに座ったー座った!」

 マスターは金で縁取りされた変わった陶器のポットを傾けて、揃いだろうカップに飲み物を入れる。それを二つ用意し、レイルと自分に配った。それをマスターはごくりと飲んだ。

 装飾でゴタゴタしたカップは趣味ではなかったが、なみなみ注がれたお茶が酷く美味しそうだったので、遠慮なく口にする。小さい時、父に付いてここに来たら飲んでいたお茶の匂いがしてとても懐かしい。

「あちっ!」

「はははっ!」

 いつも変わったスパイスの入った飲み物だったが、一気にレイルの胃の中に落ちて満ちた。ヒトらしい飲み物に一息付く。

「あの、とりあえず母に連絡が取りたいんだけど」

「ああ、確かメアリさんは持ってたよね、これを使うといい」

 立ち上がると掌サイズの四角をしたガラスのような板を渡した。

「けいたい?」

「最新式だよ、横のボタン押して。魔力のない君にも使えるタイプだよ」

 言われた通りボタンを押すと、キラキラ数字が板に浮き上がる。その様はファリアが中空に描く端末に似ていたので、彼を思い出しす。レイルは自分をここへ連れた魔道士達の無事を願った。

「どうしたのー? 番号忘れた?」

「いいえ、ちょっと」

 誤魔化しながら番号を押すと、間が長かったが、メアリに繋がる。

「母さん……」

 彼女が無事だった事に安堵し、泣きそうになる。

 ただ、レイルの切羽詰まった声に対して、帰ってきた声は明るいものだった。

「って、あれから心配で! 良かった無事で。何もされなかった? 大丈夫だった?」

 レイルの心配を余所にメアリは「何を叫んでいるの?」と、聞いて来た。

「さっき変な場所で会っただろう? あんな事させられて……」

 しかし返ってくる返事は、ずっと病院に居て、今日マハイルを世話した話だけだった。電話はメアリの方から呆気なく切れた。



「何が、どうなっている?」

「大丈夫かい?」

 そう言ったマスターにレイルはゆっくりと、

「マスターは何の用事ですか?」

「え? 君が来たからもてなしただけだよー?」

「確かに来たのは俺からだけど、俺、父さんに連れられてマスターに会っていた頃は、魔力が少しだけどあったんだよ? 何で父さんの事を知らないフリして聞いて来たのに、『魔力のない君にも使えるタイプ』の携帯を選んで貸してくれたんだよ?」

 レイルの質問に、貴品店のオヤジの顔はただ笑っていた。

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  何とか二週に一回更新守れました。

  ありがとうございます。

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